20151013

『身体巡礼』

ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の器に入れ、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に収める。心臓以外の臓器は銅の容器に入れ、シュテファン大聖堂の地下に置く。残りの遺体は青銅や錫の棺に入れ、フランシスコ派のひとつ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。つまり遺体は三箇所に分かれて埋葬される。
なんとも奇妙な埋葬法と思える。
だがあちらにしてみれば火葬なんぞ、相当に残酷な埋葬法だと思うだろう。何しろ最後の審判の時、戻るべき身体を焼いてしまうのだ 。

話はここから始まる。
養老孟司の『身体巡礼─ドイツ・オーストリア・チェコ編』だ。

養老孟司さんには、解剖学を教わったことがある。当時は全く有名ではなかった。

本を数冊書いていたが、それ程売れているとは思えなかった。

その頃の本は毎回こうして始まっていた。

こうしてと言うのは、死体なり虫なり具体的なモノの話がまずあり、そこから独自の視点が展開されるという書き方の事だ。

売れるようになっていきなりの人生論になった。

こうした内容なのならば、他にも書ける人は沢山いるだろう。

養老孟司という個性が死んでしまうようで、私としては悲しいと言うか、残念だった。

今回はいきなり死体の埋葬法の話だ。

こうでなくちゃいけない。

しかも養老孟司の興味はその埋葬法に留まらず、誰がやったのかという方向にすぐ向かう。

普通、奇妙に思える儀式はその奇妙さを描いて少し遊ぶ。その遊びがない。ますますこうでなくちゃいけないの思いが増す。

ここからヨーロッパの心臓信仰の話が深まってゆくのだ。


明治時代以降。日本は欧米を目標に頑張ってきた。なのでヨーロッパのことは何となく詳しく知っているように感じている。
けれどこのような埋葬法や心臓信仰の話を知るとなかなか知らないヨーロッパがまた見えてくる。

さらにユダヤ人への関心に話が飛ぶ。

ユダヤ人とは誰のことか。
実はそれ程簡単な話ではない。単純な見方は出来ない。

出来ないが差別はある。どうしたらそれが可能なのか。その辺りのことが日本人には実は見えていない。

ヨーロッパではそれが目に見える形で現れている。

例えば墓の位置など、明瞭にユダヤ人は差別されている。

しかもユダヤ人は墓を壊さないから窪地に膨大な数の墓が累重してしまう。

異様な光景だ。

その異様さは外国人の方が感じることが出来るのかも知れない。

かくしてヨーロッパの埋葬法から様々な世界が見えてくる。

久し振りに解剖学者養老孟司の本を読んだ気がする。やはり面白い。

続編もあるそうだ。

楽しみだ。

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