20151009

「小さな町」のハイデッガー兄弟

良書を読んだ。
ハンス・ディーター・ツィンマーマン『マルティンとフリッツ・ハイデッガー─哲学とカーニヴァル』だ。

この本に描かれているのはドイツ南西部の「小さな町」メスキルヒだ。

ここはこの本の舞台であり、主人公とも言える。つまりこの本はハイデガー兄弟を通して描かれたメスキルヒという町の社会史・文化史の本として読まれるべきものとすら言えるのではないかと感じた。

この小さな町で哲学者マルティン・ハイデッガーと銀行員フリッツ・ハイデッガーは生まれた。一方は世界的に知られた20世紀の大哲学者であり、一方は「小さな町」の名士としてのみ生きる事を運命付けられた一市民である。

しかし、著者の視点は何よりもその「一市民」フリッツ・ハイデッガーに暖かく注がれている。

彼は兄マルティン・ハイデッガーと比べても遜色のない才覚と能力を持っていた。そのように著者は考えている。

フリッツは重い吃音という障碍を抱えていた。その障壁が彼をしてフライブルグの大学への進路を諦めさせる原因だった。

フリッツがマルティンの有能な秘書として在ったという事実からも推察出来るが、何よりも彼の才能が花開くのはカーニヴァルの前口上を語る時だった。

そのユーモアと諧謔に富んだ前口上は1934年に始まり最後は1949年だった

彼が語りはじめると、その口上とともに、メスキルヒのカーニヴァルは最高潮に達した。
フリッツ・ハイデッガーはメスキルヒでは常に兄よりも有名だったのだ。

更に重要な局面で弟は兄よりも賢明な選択を果たしてもいる。

1933年ナチスが権力を握ると、兄マルティン・ハイデッガーは5月1日に早くも入党を果たした。他方フリッツは、友人であるメスキルヒの牧師から迫られながらも入党を拒否していた。1942年になってやむなく彼も入党するのだがその理由も「息子たちの将来を懸念して」というものだった。
しかも彼は半年後にはふたたび離党させられている羽目になる。彼がヒトラー式敬礼をする際に、右の手と腕を高々と真っ直ぐにのばしていなかったこと、右腕をせいぜいズボンのポケットの高さまでしか挙げず、ただ人差指しかのばさなかったことによるらしい。彼はあくまでも本気ではなかったのだ。

兄マルティン・ハイデッガーは故郷を捨て世界に羽ばたいたが、弟フリッツ・ハイデッガーは生涯故郷に縛られた。そのような単純な見方を著者はしていない。

むしろこの兄弟は終始故郷であるメスキルヒという「小さな町」を離れることがなかったと考えている。

その事はマルティン・ハイデッガーが晩年、捨て去っていたかのようだった神学にふたたび帰ってきたことにも示されている。

この本は27の短い章を積み重ねるように構成されている。この書き方は読むに当たって大変効果を上げていると思えた。何よりもその事によってかなり読みやすい本になっている。
マルティン・ハイデッガーの哲学を解説している箇所で、その読みやすさをとりわけ強く感じた。


この本のひとつの章はハンナ・アーレントに割かれている。そればかりか、その他にも何カ所も彼女は登場してきた。その度に心躍らされる思いをしていた。

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