山本義隆氏の最新刊『原子・原子核・原子力─わたしが講義で伝えたかったこと』だ。
この本は著者が務めている駿台予備校の千葉校で2013年3月、高校生、受験生、そして大学入学が決まった学生を対象に行った特別講義「原子・原子核・原子力」が元になっている。
高校卒業程度を相手にした本だと言うことで甘く見ていると痛い目に遭う。
数式がこれでもかとばかりに出て来るからだ。
しかし、それに恐れを成す必要もまたない。多くの数式が出て来るのは、実は丁寧に式を展開する段階から書かれているからだ。逃げずにひとつひとつ追ってゆけば確実に理解出来るように書かれている。
アリストテレスに迄遡って物質の物理学の歴史が描かれている。
著者の科学史に対する姿勢は実に謙虚だ。この辺りの学識の深さが現代物理学までの理解を体系的に押さえることを可能にしている。
19世紀に入って放射線の発見によって激変した化学・物理の世界を理解するためにニュートン力学に立ち戻る姿勢などにその懐の深さは表れている。平行して理解してゆくと、確かに分かり易いのだ。
私の原子物理の知識は主に受験対策で培われ、その後原発問題を理解するために様々な本を読んだ。その為かなり知識が雑多な物になっていたが、この本を理解する中で、それらの知識が互いに繋がりを持って体系的なものになってゆくのを感じた。
また著者は最新の問題に関しても従来の知識から提言を行っている。
放射線の光子性を述べる箇所。
「放射線が弱い」と言うことは、放射線の数が少ないということですが、しかしいくら「弱く」てもひとつひとつの放射線がきわめて大きなエネルギーをもっていることに変わりはありません。したがって「弱い放射線」であれ、危険性が0になることはありません。このことが、放射線の危険性について閾値がない、つまり強さがその値以下なら安全という値がない、ということの根拠と思われます。
この指摘は正しいと私には思えた。
知らなかった事実も多く書かれている。
しばしば核分裂はオットー・ハーンによって発見されたとされるが、ハーンはウランに中性子をぶつけたらバリウムが出てきたことを見出しただけで、それを核分裂と見抜いたのはリーゼ・マイトナーだと言う。
発見とはある事をただ目撃する事ではなく、あることをこれまで知られていなかったあることとして理解すること
この意味では実際の核分裂の発見者はリーゼ・マイトナーと言う事になるのだろう。
オットー・ハーンは核分裂の発見者としてノーベル賞を受賞しているが、リーゼ・マイトナーは貰えず、「ドイツのキュリー」となり損ねた。
何故もらえなかったのだろうか?リーゼ・マイトナーが女性だったからだろうか?
この本は原子物理学の教科書としても優れているが、真骨頂は原爆そして原発について語っているところにあるのだろう。
しばしば聞かれるリスクは何にでもあるという論法に対して著者は述べている。
どのような技術でも完全ではありえないから、事故の可能性はゼロではありません。航空機でも墜落の確率はゼロではありません。人は、飛行機に乗るとき、事故のリスク(危険性)がゼロではないにしても、そのことによって速く目的地に行けるというベネフィット(利得)を優先して搭乗を判断しているのです。しかしその議論はリスクとベネフィットの受け手が同一人物であることを前提としています。少なくとも万が一の事故による危険の及ぶ範囲がその技術の恩恵を蒙っている受益者とその周辺に限られる場合でなければ、このような議論は成り立ちません。
更に著者は原発の核のごみの問題や、ウラン鉱採掘に伴うリスクを論じている。
原発は長く見積もっても100年のエネルギー源。それに対し数100万年の核のごみの補完が必要とする。非合理きわまりない。
原発は理系の目を以てしても、非合理的で反倫理的な存在である事が分かりやすく解かれている。
原発の過酷事故を経験した現在の私たちが必要とする知識や考え方を、過不足無く極めて美しいまでに整理された形で網羅した本だと思う。