只、普通の選挙を求める運動だった。中心となっていた学生たちは皆、非暴力を示すために両手を挙げて運動していた。
それに対し、警察は28日から何度も催涙スプレーや胡椒スプレーを使用し、武器を持たない一般市民を「鎮圧」しようとした。
警察側は1日で計87発の催涙弾が使用されたと公表している。
この動きを私は主にTVで「怖々と」見詰めていた。
やはり1989年の「六四天安門事件」の記憶が未だに鮮明なのだ。あの時のような「事件」が起きることだけは避けて欲しかった。
若者たちは催涙スプレーや胡椒スプレーを避ける為に雨傘を差し、ゴーグルやマスクを付け、レインコートを着て身を守った。
その姿に雨傘革命"Umbrella Revolution"の名称を与えたのはイギリスのインデペンデントの記事が最初だった。
その呼称はすぐに世界中に広まることとなった。
Wikipediaなどでは、この運動は現在進行形の扱いをされている。異論はない。
その雨傘革命の本が出ると聞いて、矢も盾も溜まらずすぐに取り寄せた。NEWSなどではつかめなかった事が、この本にはぎっしりと詰まっていた。
主要な著者である遠藤誉は物理学者らしい、徹底した論理的で実証的な筆致で、様々な背景や情報を調べ上げ、中華人民共和国の圧倒的な力と人類の運命を左右するその深刻な危機とを描き出している。
何よりも香港という場所がどの様なところであるのかが詳しく示されていたので、この運動の特殊性をやっと私は理解することが出来た。
それを説明するために遠藤はアヘン戦争迄遡って解説している。
香港はアヘン戦争によってイギリスのものとなったが、それが1997年7月1日中華人民共和国に返還される。
この時鉄の女サッチャーは鋼の意志を持つ男鄧小平に、事実上「ひれ伏して」いる。
この時の共同声明が今回の雨傘革命に「仕組まれて」いる。
香港が返還されるとき一国二制度が用意されたがその期間は50年。長いように感じるが、大陸の時間感覚からすれば一瞬と言っても過言ではない。
しかもその50年の間に徐々に一制度に変わるのか、50年後一気に変わるのかは中華人民共和国の出方次第だ。
今回、選挙の方法を巡って、中華人民共和国は一国二制度の一国の方を表に出してきた。
事実上中国寄りの人物しか選ばれないような制度を押し付けてきたのだ。
元々香港には中華人民共和国の圧政から逃げて来た者たちが多く住む。またどこかに逃げるだろう。誰もがそう予想した。
しかし、香港新世代は新しいメンタリティを獲得していた。
「僕はこの香港を変える。この運動が20年後の香港になる。僕たちは逃げない。ここに踏み止まって、香港人として生きる!」香港新世代は初めて登場した「香港人」なのだ。彼らは既にどこかに逃げれば済むという感性を持った「難民」ではなく香港を「生まれ育った家」だと認識している。だから中華人民共和国に立ち向かったのだ。
この本は2部構成になっている。
本の過半を占める序章と第1部を遠藤誉が担当し、残りを深尾葉子と安冨歩のグループが担当している。このグループにはジャーナリストの刈部謙一氏、獨協大学の学部生の伯川星矢氏が参加している。
独立した章立てになっているが、著者等は本を作る中で綿密にコミュニケーションを取っていたらしい。
今回の雨傘革命は台湾にも大きな影響を与えた。つまりこの運動は香港に閉じる性格は持っていないと言えるだろう。
つまり雨傘革命は広くアジアに向かって拡がってゆく戦いであり、それは終わったのではなく、始まったところであると言えるのではないだろうか。
雨傘革命は日本では少なくともこの本を産んだ。
熱い、本だ。
それだけ熱い運動なのだろう。