柳川喜郎『桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ』
神保町で50円で買ったものだ。
しかしこの本、未だに高値で古書店に出回っている。
この程東大地震研の方々のご尽力により再版され、適正な価格で入手する事が出来るようになった。
『復刻 桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ』
今日(12日)はここに書かれた桜島の大正噴火から丁度100年に当たる。
100年前の今頃、桜島は大噴火していたのだ。
それを思い浮かべながらこの本を読んだ。
この本の冒頭付近に
50cm程の台石の上に建てられた細長い2mぐらいの新しい石碑に書かれている問題の文章が引用されている。
大正三年一月十二日、桜島の爆発ハ安永八年以来の大惨禍ニシテ、全島猛火ニ包マレ火石落下シ、降灰天地ヲ覆ヒ光景惨膽ヲ極メテ、八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ。
其爆発数日前ヨリ、地震頻発シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ、海岸ニハ熱湯湧沸シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等、刻刻容易ナラザル現象ナリシヲ以テ、村長ハ数回測候所ニ判定ヲ求メシモ、桜島ニハ噴火ナシト答フ。
故ニ村長は残留ノ住民ニ、狼狽シテ避難スルニ及バズト論達セシガ、間モナク大爆発シテ、測候所ニ信頼セシ知識階級ノ人、却テ災禍ニ罹リ、村長一行ハ難ヲ避クル土地ナク、各々身ヲ以テ海に投ジ漂流中、山下収入役、大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂グルニ至レリ。
本島ノ爆発ハ古来歴史ニ照シ、後日復亦免レザルハ必然ノコトナルベシ。
住民ハ理論ニ信頼セズ、異変ヲ認知スル時ハ、未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ、平素勤倹産ヲ治メ、何時変災ニ遭モ路途ニ迷ハザル覚悟ナカルベカラズ。茲に碑ヲ建テ以テ記念トス。
大正十三年一月 東桜島村
この碑文は重く、大切な教えを今に伝えている。
大正三年の桜島噴火に先だって、現地の桜島では、さまざまな異常現象が認められたので、村長が対岸の鹿児島測候所に、「噴火の前兆なのではないか」と問い合わせたところ、「噴火はない」という回答であった。しかし桜島は噴火し、測候所の予測を信じて島に残留していた人たちが死亡したと碑文は語っている。
防災・減災に関心を寄せる者としては、耳の痛い、重い事実だ。
2011年新燃岳噴火では住民が「理論ニ信頼セズ」避難したら、その行動を非難した人たちがいた。
100年経っても何も分かっていない。
科学を信じるなと言っているのではない。
科学者を過信するなと言っているのだ。権威に平伏するなと言い換えても良い。
この本が出版されて、30年経つ。
丁度100年目の日に、準リアルタイムでこの本を読み終え、その記述が全く古びていないことに驚かされた。
この本の終わり辺りに「尾生(びせい)の信」という言葉が出て来る。
史記蘇秦伝にある故事で、尾生という若者が橋の下で女と会う約束をして、待ち続けるうちに大雨による増水で溺死してしまう、というものだ。
固く約束を守るということを意味すると共に、融通が利かず愚直であるという例えでもある。
福島第一原発事故の時、当時を振り返って斑目元安全委員長は
「首相から炉心が露出したらどうなるか問われた。水素ができると答えると、爆発が起きるのかと問い返された。そこで格納容器の中は窒素で置換されていて(酸素はないので)爆発は起きませんと答えた。」と証言している。
それに対して当時の総理大臣菅直人は著書で、斑目元委員長の言葉を聞いて安心したのが『大間違いだった』と書いている。
ちょっと見たところ斑目元委員長の無責任な態度だけが際立つ。
だが、これこそが尾生の信を菅元首相がそのまま演じた姿だったのではないだろうか?
現実に、原発は次々に爆発した。
災厄は必ず起きる。
それが起きた時、誰かのせいにしても何も始まらない。
必ず起きるものに対して、柔軟に対応できる姿勢は常に取っておきたいし、またそれを促す防災・減災技術にしてゆかねばならないのだろう。
100年前の今日。測候所の予測は外れ、桜島は大噴火した。