20121206

断煙1ヶ月突破

もはや遠い過去の話に思える。煙草を吸っていたことがだ。

まだチャンピックスを服用しているが、最後の煙草を吸って断煙状態に入ってから1ヶ月が過ぎた。身体はもう煙草を欲しがっていない。ただ、煙草の快楽の記憶が強烈に残っており、その記憶が煙草を吸ってみたいという気分を引き起こすことはある。まだまだ油断は出来ない。だが、要は煙草を入手しなければ良いのであって、多分薬を服用し終わっても断煙は続いて行くだろうという自信は付いてきた。

取り立てて煙草を吸わなくなって良かった事というのが感じられないのは困ったことだ。折角止めたのだが、沢山起こると言われていた「良い事」がなかなか起こらない。煙草を止めた甲斐が無いようにも思えてしまう。

仕方が無いので探してみる。

そうするとそれでも「良い事」結構ある事が分かってくる。

朝の目覚めは爽快になった。
煙草を吸っていた頃は朝起きるとすぐに咽のイガイガが気になって、煙草を吸わざるを得なくなったものだ。そのイガイガがない。何十年ぶりかで「爽やかな朝」を取り戻す事が出来た。

四六時中咳をして痰と闘っていた。それが無くなった。痰が絡まなくなった。これはかなり楽だ。声も楽に出すことが出来るようになってきた。


禁煙ノートというiPhoneアプリがあるのだが、それによるとこの1ヶ月で吸うはずだった煙草の本数は620本だと言う。恐ろしい数だ。何十年にも渡って、私は恐ろしい数の煙草を吸ってきたと言う訳だ。身体を壊さなかったのは幸運だったとしか言いようが無い。

このアプリによると、断煙の第1ステージは終わり、第2ステージに入っているらしい。

どの様な違いがあるか、最初の内は分からなかったが、次第に分かってきた。

第1ステージというのは、まだ煙草を身体が欲しがっていた段階であって、ひと月くらい経つと身体が欲しがらなくなる。けれどまだ吸いたいという気分は残っている。煙草が懐かしいのだ。その煙草の快楽の記憶を、未来への快楽や達成感に置き換えて行く段階が第2ステージなのではないだろうか?

この「気付き」は、喫煙を復活させない為に、重要な気付きだとわたしは思う。

煙草を止めてみてじわじわと分かってきた事は、煙草を止めると言うことは自由を手に入れる事だという真理だ。
出掛ける時など、煙草の存在を常に意識していた。煙草が無くなりそうになると途端に不安になり、何としても煙草とそれを吸える場所を確認する事が常になっていた。一体何度「まだ吸える」煙草を探す為に灰皿やゴミ箱を漁った事だろう。

それらの全てから、止めるや否や、一斉に開放されるのだ。これを自由のひとつの形態と理解出来なくて、何が自由だと言うのだろうか?

これまでチャンピックスを使って断煙を始めた友人がFBやTwitterで何人か居た。全て失敗に終わってしまっている。残念なことだと思う。

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