やりたい事の非常に近い場所に、思わぬ真空地帯がある。そんな気がする。
やりたい事とやらねばならない事。そのように分けてもあまりピンと来ない。やはりやりたい事なのだが、ちょっとだけ今の自分とずれがある。そうなると全く手の付けようが無くなって、PCをつけている時間も少なくなってゆく。
やりたい事、読みたい本、会いたい人。その微妙な齟齬に、わたしのこころは粉々に崩れて行く。
アントニオ・タブッキ『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』『黒い天使』(共に青土社,古賀弘人・訳1996,堤康徳・訳1998)を立て続けに読む。描写を頭の中に再現する事が非常に困難だ。絵画を、小説で表現しようとしたらこうなるかも知れない。
「天使とはやっかいな存在である」『黒い天使』
「すべての天使はおそろしい─…. Ein jeder Engel ist schrecklichi.」『ドゥイノ悲歌』(リルケ.手塚富雄・訳,アトリエHB)
アフォリズムとして書き出すことによって、そこに描かれている天使の像を明確に想像出来なければ理解出来ないことばたちは、それとは切り離され、読み手の天使像に導かれて異なった意味を持ち始める。
わたし達の描き出す天使の像は、どこでこう間違えたのか、天使ではなくクピドの像が殆どだろう。それのどこが厄介で、おそろしいと言うのか?
だが、それでもやはり天使はやっかいで、おそろしい。そうわたしは思う。
様々な局面で顔を出す「ぬくぬくとした日本の現実」。それは恵まれているのだろうか?またアフォリズム。
「安寧な状態は人を孤立させる」スーザン・ソンタグ『良心の領界』(木幡和枝・訳,NTT出版,2004)
ここでは、孤立と共に、自明性の崩壊が常に進行中なのだ。安易に「ぬくぬく」を「恵まれた状態」と表現する事は、状況の性質を余りに見詰めず、見誤った見解だ。だから
天使はやっかいで、おそろしい。