その存在は勿論知っていた。だが英語に初めて触れてから50年になるが、今迄英作文で、一度たりとも使った事は無い。それが私にとってのセミコロンだった。
本書の訳註にある通り、セミコロンはコンマより重く、ピリオドより軽い区切りの事だ。だが有り体に言って、その使い方は全く分かっていなかった。文章を書く時もそうだが、読む場合に、どの様な差を付けたら良いのか、それさえも分かっていなかった。
本書の題名は『セミコロン─かくも控えめであまりにもやっかいな句読点』となっている。原題は”SEMICOLON : How a Misunderstood Punctuation Mark Can Improve Your Writing, Enrich Your Reading and Even Change Your Life”だ。『セミコロン:誤解を受けている句読点が書き方を洗練させ、読み方を充実させ、さらには生き方まで変えてくれる訳』となるのだろうか?
これは大ごとだ。生き方まで変えるのだ。心して読まねばなるまい。
本書は大きく分けて、4つのパートで構成されている。
1つ目はセミコロンの数奇な歴史を辿るパート。
セミコロンの発明・受容の経緯から、文法書(文法・語法だけでなく、約物の使用法など、表記に関するルールも掲載した書籍)の成立まで。文法家の悪戦苦闘を楽しく眺めているうちに、ひとつの重要な事実が浮かび上がって来る。カッチリとした決まりを人為的に定めても、実際の使われ方は実に多様で、規則の縛りを自由自在にすり抜けて行くのだ。このせめぎ合いは本書全体を通して、繰り返し浮上して来る。
4・5章で扱われる「規則」は、句読点の使い方を定めたルールではなく、句読点を用いて書かれた「法律」が俎上に上げられる。
アメリカでもイギリスでも、ある時期を境に条文内の句読点の解釈をめぐって、訴訟が立て続けに勃発する。何と、人の命が左右される事態と相なるのだ。その結末やいかに?
実は、法の条文というものは、自動的・機械的に解釈が一つに決まるものではなく、いつ、誰がどのような意図で書いたものか、それを慎重に見極める必要がある。;を使っていたものが:に変えられただけで、その意味が大きく変わる。その醍醐味は、本書最大の見せ場のひとつだ。
7章では、打って変わって、英語の盟主がセミコロンを巧みに活用した文章を鑑賞し、その効果が生じる仕組みを考察する。よもやレベッカ・ソルニットの原文を読む事になろうとは、夢にも思わなかった(けれど楽しかった)。
そして最後は、倫理的なコミュニケーションへと読者を誘うパートだ。これこそ本書の中心的なメッセージであり、ここまでの話題は全て布石だったとも言える。
本書を最後迄通読すると、セミコロンという句読点が、いかに微妙で深い意味合いを帯びているかを理解する事が出来る。
そして、私もセミコロンを使ってみたいというイケナイ誘惑に心が囚われるのを感じている。
先に示した様に、本書ではかなりの寮の英語原文を読まされる。これは許される事なら是非、声に出して、音読してみる事をお勧めする。そうすることで、セミコロンの効果が、よりリアルに感じられるだろう。
それにしても、この様な本をよくぞ訳して下さったものだ。さぞや苦労した事だろう。
本書の最後には、丁寧な訳者解説が付せられている。これは本書を見事に要約した、優れた解説になっている。この訳者解説を読むのが、本書を通読した者だけに限られるのは、実に勿体ないので、本稿に引用させて頂いた。
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