少なからず動揺した。
岸由二『利己的遺伝子の小革命─1970-90年代日本生態学事情』を読んだ。
最初はドーキンスの理論が進化生物学に与えた影響が描かれているものと思っていた。
けれど日本の生物学の辿ってきた道のりは、それ程単純明快なものではなかったようだ。
日本の生物学界で、進化論の総合説は、素直に支配的なパラダイムにはならなかった。それを阻んできたのはルイセンコ学説であり、今西進化論だったと言う。
筆者はII「今西進化論退場へ」とIII「ひとつの総括」の2つの章を使って、今西進化論を批判している。
これらを読んで、私は何とも微妙な気分に陥った。
私が大学に入った頃は、すでにルイセンコ学説はそれ程大きな影響力を持たなくなっていたが、それでも先輩の中には、「信者」がいた。
彼らから打ち出されるルイセンコ学説の意義は、それなりに説得力を持つものだった。
私が絡め取られたのは、むしろ今西進化論の方だった。これにはすっかり「信者」となって、入れ込んだ。今西錦司が書いた本は、殆ど読んだのではないだろうか。
今西錦司が言う通りに、彼はダーウィンを超えたのだと、本気で信じ込んだ。
彼が主張する「棲み分け理論」に基づく進化論は、美しく、素晴らしいものに思えた。
最近は進化論の議論からすっかり遠ざかり、今西錦司の名もそれ程聞かなくなっていた。
だが、それが「退場」という言葉で表現されるものになっていたとは全く想像もしていなかった。ショウビニズムとすら言われるようでは、もはや元も子もない。
考えてみると、私もいつの間にか、進化の総合説を支持する立場に戻っていた。
これは、私が専門とした地質学にも当てはまる出来事だ。
私は大学に入ってすぐ、地質調査を学生の手で行うグループに参加した。そのグループは地団研と呼ばれる反プレートを標榜する団体の下部組織だった。
染まりやすくもあったのだろう。私はすぐ反プレートの立場に立つようになっていた。
曰く、軽いものが重いものの下に沈み込むなんてあり得ない。
組織というものは、厄介なものだ。
いくら世界の趨勢から反したものであろうと、その組織が主張していれば、正しいものに思えてくる。
日々精進して、反プレートの理論武装を強固なものにする事に邁進した。
地団研の反プレート論は、大学や地質コンサルタントを中心に、未だ影響力を持っており、それは、日本にプレート論を定着させることを、頑強に拒んでいる。
教科書に書いてあることから疑って、物事を様々な角度から検討する事。それは大学で学んだ大きな観点だ。
なので、今になって振り返ってみて、今西進化論や反プレートに入れ込んだ事も、それ程無駄な事ではなかったと思える。
けれどまた、もうひとつの教訓として、一旦弾みが付くと、専門家はとことん錯誤するものだという教訓もまた、学べたと思っている。
今、私は進化論は総合説を支持しているし、プレート論も十分に信頼している。大学で主張していた事は何だったのだろうかとも思える程、高校迄の立場に戻っている。
だから「科学者の90%が二酸化炭素による地球温暖化に反対している」と主張されても、それが何だと言い返す事が出来る。学者は自分は賢いなんて思っていない。自分だけしか賢くないと思っているのだ。
そうした存在がおいそれと他人の立てた説に靡くとは思えない。だから逆に安心して地球温暖化を語る事が出来る。
専門家は専門家であるが故に、錯誤するのだ。
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