20160722

Medium開始

感覚的にはtwitterやFacebookを始めた時と似ている。取り敢えず始めてしまって、やりながら可能性を模索している。そしてその可能性が十分に大きいことを確信している。

世間ではポケモンGoが耳目を集めている。

私はそれに見向きもせず、日本ではまだ少数の人しか使っていないMediumに夢中になりつつある。


これは一体何なのだろうか?

Blogとも違う。

文章を書くという行為が中心である事は共通点だろう。だが、MediumはBlog程孤独な作業ではない。

コミュニケーションを発動させる様々な工夫がなされている。ならばSNSなのだろうか?

もしMediumをSNSと規定するならば、それは案外つまらないものに分類されてしまうだろう。

既にBlogがある。それと違うWeb空間にtwitterやFacebook等のSNSが既にある。

誰かにMediumを紹介するとなると、140字に制限されていないtwitterのようなものと表現することになるかも知れない。しかしtwitterが140字に制限されていなければ、それはもはやtwitterとは全く別物である事にならないか?


核となるのはStoryと呼ばれる文章だ。私はまだそれを書いた事がない。
それでもMediumに参加していると感じるのは、StoryにRecommendと呼ばれる同意のサインを付けたり、Story中のこれ!と言った文章にhighlightと呼ばれる傍線のような徴を付ける機能があるからだ。

twitterやFacebookでもお世話になっている森哲平さんの開拓者精神に触発されて、私もMediumにのめり込んだ。

彼はMediumをSNSではないと喝破し、パブリッシング革命として捕らえている

本に例えている。それも読者と作者が分離したような本ではなく、読むことが即書くことに連なって行く様な本。それは終わりがない作業だろう。

囲碁でひとつの石が時に局面を大幅に変えてしまうように、ひとつのStoryに付けられたhighlightが文章の意味を決定的に変えてしまうかも知れない。

読むことと書くこと、作者と読者と言った垣根は、ここでは極めて曖昧だ。
むしろその曖昧さに特徴があると私には思える。

Medium CEOのEv Williamsは、"Don't Write Alone"という記事を書いている。これはMediumというものの特徴を現す重要なコンセプトだろう。


何かが始まる。twitterやFacebookを始める時もそれを強烈に感じた。

終わりのない巨大な本を寄って集(たか)って造り上げてゆく作業。それの始まりに触れる事が出来、久し振りに心浮き立つワクワク感を感じている。