まず、最近希に見る充実した読書体験として、ハンナ・アーレントの『人間の条件』読破があった。
そして、何よりも「技術的・科学的な」とハードルを上げられた、川内原発再稼働に関するパブリックコメントなどの作成があった。
総じて、かなり充実した日々を送っていたと言っても叱られないと思う。
それらを記録しなかった事はこれから響いてくるだろうが、充実していたが故に気持ちがブログに向かわなかったという側面があった事を付け加えておく。
2週間に1度県立長野図書館に行き、そこで5冊本を借りる。そしてそれを読む。それが日課になっている。かなりの仕事量になる。その為に時間が取れなかったという面もある。
さて…。
7月に3冊の本が出版された。
新聞でその書評を読み、すぐに図書館でリクエストした。
それを読んでいた。
宇井純セレクションである。
『原点としての水俣病─宇井純セレクション1』
『公害に第三者はない─宇井純セレクション2』
『加害者からの出発─宇井純セレクション3』
という構成になっている。
適切な構成だと思う。
宇井純さんは確かに水俣病を原点として活動し始め、加害者から出発し、公害に第三者はない事を初期の段階から訴え続けていた。
この三巻本は亡くなる直前まで書かれていた1,100を越える宇井純さんの文章の中から118編を選び、編集した労作である。
1956年に水俣病は発見されている。
この年は、私の生まれた年でもある。
それだけに水俣病は私にとって逃れる事の出来ないテーマとして長年存在し続けていた。
けれど高校生の頃、水俣病を調べたいと相談した倫社の先生から、
「水俣病は生半可な覚悟で取り組むテーマではない」
と釘を刺されたこともあって、深入りしない程度に留めていた。
それでも宇井純という存在は大きく、常に意識せざるを得ない人物のひとりとして、私の中で存在し続けていた。
しかし、深入りしないようにというブレーキから、東京に居ながら彼の自主講座『公害原論』に参加することが無かったことは、今になっても悔やまれる。
今回改めて宇井純という存在を概観して、彼が成した仕事の多彩さと重要さに目を開かれる思いだった。
中でも科学者としての宇井純を浮き彫りにした第3巻の記述は驚きだった。
水俣病を始めとする公害に対しての闘士としての宇井純さんは良く知っていた。けれど、科学者としての宇井純さんは知らずに居たのだと気付かされた。
彼を批判する人々は、宇井純は批判はするが代案を出さないとしばしば口にしていた。
けれど宇井純さんは汚染水処理技術の開発・設計・建設という仕事を通して、オルタナティブな科学・技術の実践者でもあった。
と言うより公害問題を含め、彼は常に実践の人であったと言った方が正確なのだろう。
編者のひとり宮内泰介は解題にこう記している。
この三冊は、宇井純さんという人を懐かしむため、あるいはかつての運動を懐かしむためのセレクションではない。現代世界のいまだ解決されない種々の問題を解決するために、これからもずっと参照されるべきものとして編まれた。─宮内泰介・解説「宇井純さんが切りひらいた科学のかたち」-本セレクションについてこの言葉はこの三巻本を紹介する、最適な言葉になっている。
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