20091130

支払い

科学雑誌Natureの年間購読料と「しのばず自然観察会」の年会費を納めに郵便局迄行く。

両方とも生かそうと思えば生かす事が出来るのだが、なかなか生かせずにいる。
とりわけ、Natureの代金は高価い。貧乏人には大変な負担だが、どうにかこうにか今年迄はきちんと支払いを続けて来た。

英文。しかもかなりハイレベルな専門知識を必要とする論文が掲載されている。

何故、この高価な科学雑誌を読み続けているのだろう?と時々不思議に思う事もある。

この雑誌を個人で購入し始めたのは、科学的な情報が地方に来てから明らかに入手しにくくなった事が動機だ。
知識への飢餓感があった。

『図書』12月号の編集後記「こぼればなし」に、飢えが消えかかっている事に対する危機感が綴られていた。

つまり、本が読まれなくなった。

同じ様な危機感はわたしも持っている。飢餓感が全くの悪い事であるかのように排除され、その結果、飢餓感が消えかかっている。
知識に対する飢餓感も消えかかっている。

地方都市に来て、わたしは確かにあまりに少ない情報に危機感を感じた。その危機の感覚も、確かに消えかかっている。

高価いNatureの購読料を支払う。支払った分だけの情報は、確かに毎月送られて来る雑誌の中にある。それを掬い取らないのは、ただひたすらわたしの怠慢からだ。

毎年悩む。このままNatureを購読し続ける価値があるのか?と。

支払いを済ませると、その高価さにびっくりして、真面目に読もうと決意する。

例え、Natureの英文がその決意を跳ね返すほど高度なものであろうとも。

…しかし、悩む。何よりもわたしは相当の貧乏人なのだ。

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購読料を支払ったからという訳では勿論ないが、早速Natureの最新号が来た。やはり面白い。今月特に興味を引いたのは「カリフォルニア湾直下のマントルにみられる対流による上昇流」という記事。

…だが、狭い部屋にNatureは降り積もり続ける。出来れば全て保存しておきたいのだが。

20091105

Blogを更新しなかったことの罪と罰

Macが壊れた。
もう少し正確に言うと壊れていた。もう修理から戻って来ている。

今回はシステムの問題だった。
半年前壊れたときはハードの問題だった。
いい加減疲れて来た。
そんなにわたしの使い方は荒いのか?

今回のトラブルで、半年間のわたしに関するデータが消えた。
とりわけ痛かったのは、Macに付け続けていた日記のデータが消えた事だ。

取り立てて公開するだけの記録はなかった。
だが、毎日付け続けていた記録が失われた事のダメージは思いの外大きかった。
こんな事ならBlogになんでもかんでも書けば良かったと思っている。そうすれば失われる事もなかっただろう。

事実、SNSなどに書いたものは残っている。そこにはあまり大切な事を書いていない。

記録が失われた事のダメージは、Blogという形で記録を外部に保存しておかなかった事の罪に対する罰なのか?

Blogは既に古い媒体のひとつになろうとしている。

それはわかっているが、ある程度まとまった形で記録を残してゆくには、やはり今のところBlogがいちばん手っ取り早い。

Macでまた日記を付け始めた。
それはそれとして、もう少し「きちんと」Blogを書いてゆかねば…と感じさせられた。


いきなり冬になった。今年はもう平地で初雪が降り、北側の低い山にも冠雪があった。
大抵、高い山々に雪が付き、それが2、3回繰り返されて平地に雪が降る。
今年はやや高い気温が続いたかと思ったら、あっけなく零下を記録した。こんなパターンで冬が来るとは思わなかった。

その記録も、Macがなかったので、残す事は出来なかった。

雪や低温より、Macの故障と作業環境の復元の方に大童だったのだ。

残念な冬の迎え方をしてしまったように思う。
しかし、それも仕方あるまい。