決して読み易い小説ではない。
鮮烈な、そして読む者に嫌悪感すら催させる程のグロテスクなイメージが、全編を通して乱舞する。しかし、それらは決して読まれる事を拒否している訳ではない。むしろ私たちは、この小説を読み始めると、それから目を背ける事が出来なくなり、ぐいぐいとその虚構のイメージ群に引き込まれて行く。
73年に発表された小説だ。今回、若干の不安と共に、その扉を開いてみて、その世界が全く古びていない事に、安心と驚愕を覚えた。
時代も、世界情勢も異なっている。だが世界は、かろうじて核兵器の使用を控えており、まだ人類は、極端な危機に瀕してはいない。
世界は、厳粛な綱渡りを強いられているが、存続している。世界はそんな53年間を維持して来た。
主人公達は、核避難所に籠城する。それは、いつ滅びるかも知れない、全人類から、自らを守ろうとする、主人公達の意志の象徴でもある。そして、樹の魂と鯨の魂と交感しようとする。樹と鯨はかろうじて滅んでいない世界を代表している。
主人公大木勇魚と、数少ない侵入者達。
それが、見事なまでにホモソーシャルな人間関係を形造るのは、大江健三郎の意図的な仕掛けなのだろうか?
やがて現れる鯨の木のイメージ。それはデフォルメされた世界の反転像なのだろうか?
物語は、明確な回答を与える事なく、急速に回転してゆく。
最終章に至って、物語のイメージと、題名のイメージが、一気に合体して行く。そこで小説は終わるが、世界はまだ続く。
この小説を読むのは、気をつけた方が良い。読む前と読んだ後では、読者は全く別の存在に生まれ変わってしまうからだ。







