20200728

ビーガンという生き方

マーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』という本を読んだ。包括的なヴィーガンへの入門書。それがこの本の位置付けだろう。だが、その及ぶ範囲は広い。既にヴィーガンを実践している方にも、多くの気付きをもたらすに違いない。

ヴィーガンと言って多くが誤解するのは、只単に健康のために肉を摂らない人というイメージだ。勿論そこから入っても構わないが、正確にはそうではない。ヴィーガンは全ての動物の搾取に反対し、動物の権利を守るという自覚の元に、全ての動物食を拒否すると共に、衣の面では皮、羽毛、羊毛など、動物起源の素材を拒否し、科学の名で行われる動物実験にも反対するという総合的な生き方を指すのだ。

一見禁欲的な生き方の様に思えるかも知れないが、理解を深めるとそうではない事が分かってくる。

禁欲ではなく、解放なのだ。

人間は、ペットなど、一部の動物を愛玩すると同時に、牛、豚、羊、などの肉を平気で食する。だが、その肉を作る畜産業で、どの様な事が行われているのか、意外と知らない。それらは巧妙に隠蔽されている。例えば私が使っているATOKでは、屠殺という語は登録し無い限り表示されない。
ポール・マッカートニーは言う。

もし屠殺場がガラス張りだったら、誰も肉を食べないだろう。

事実を直視し、現実を学べば学ぶ程、私たちが動物に対して、とてつもなく残酷な仕打ちをしている、またはそれに加担していることを知る事が出来る。それは既に紹介した映画"Earthlings"や、ゲイリー・ヨーロフスキーのスピーチを視聴するだけでも知る事が出来る。

ヴィーガニズムを理解するまで、私はヴィーガンの方々が、何故、屠殺場や酪農家の残忍な場面を敢えて見せつけるのかを、充分には理解していなかった。だが今は分かる。レイチェル・カーソンも言っている。

犠牲者が人間であれ動物であれ、残忍さを残忍と認める勇気を私たちが持たないかぎり、世界が見違えるように良くなることは望むべくもない。

要は単純な事なのだ。現実を直視し、思いやりのある世界を目指す。それだけの事だ。

この本がユニークなのは動物を虐待する種差別が、実は人種差別、性差別、階級差別、障碍者差別、植民地主義、異性愛中心主義と絡み合って存在しているとしている所だろう。

そうなのだろうと思う。もし、これらの差別に反対するならば、同時に肉を食べ続けるという事は大きな矛盾を抱える事になる。

誰も認知的不協和を抱えながら生きるのは、心地よい事ではない。一刻も早く、そこから解放された方が、生き辛さが格段に減るだろう。

私がこの本から学び、真似したのは、家族への説得の方法だった。懇切丁寧に説明されている。

この本の訳者、井上太一氏は脱搾取と書いてビーガニズム、脱搾取派と書いてビーガンとルビを振っている。この工夫には諸手を挙げて賛成したい。

20200727

冷蔵庫を替えた

もう15年以上使ってきたのだ。そろそろ替え時だろうと女房殿と話し合って、新しい冷蔵庫に替えることにした。

古い冷蔵庫はシャープの扉が両開きのもの。この機能が使い易かったので、今回もシャープの冷蔵庫を選んだ。

買ったのは7月10日。そこから搬入迄は時間が掛かり、かつ、いつ搬入出来るかの連絡がなかなか来ず、少々消耗した。結局電話が掛かってきたのは25日の夜19時の事だった。

冷蔵庫搬入は26日の15時から17時の間という事になった。店から近いので、配達の最後に回されたのだろう。

そこからが大騒ぎ。古い冷蔵庫から、食べ物を出して保管。
業者さんは馴れたもので、冷蔵庫搬入自体は10分程で終了。保管してあった食べ物を、再び新しい冷蔵庫に入れる。
その作業に2時間程掛かった。

新しい冷蔵庫は古いものより、若干背が高く、横幅が狭い。それにどうも奥行きが意外と狭い様だ。勿論古い冷蔵庫の使い勝手から抜け出せずにいたので、それに左右されたが、新しくして、ぐんと使い勝手が良くなったとは言い難い。

最も使い慣れないのは、冷蔵庫の真ん中の段が、野菜室ではなく、冷凍庫になっている事だ。野菜室は最下段に位置している。今の人達は野菜より冷凍食品の方を、頻繁につかうのだろうか?

結局乾物類を入れる場所が見つからず、外で保管することになった。

新しい冷蔵庫に替えて、最も期待することは、節電。消費される電力は、格段と少ない筈だ。

冷蔵庫が替わり、我が家の生活も、大きく変化することになるだろう。

20200711

ゲイリー・ヨーロフスキー

旅の準備は出来ているのだ。既に。
私はヴィーガンになりたいと強く願っている。後は、女房殿を説得するだけの話だ。だが、それが実際には大問題なのだ。

Eertlingsを紹介して下さった方が、また大きなプレゼントをして下さった。ゲイリー・ヨーロフスキーという方の『世界で一番重要なスピーチ』という題名のYouTube動画がそれだ。

また大袈裟な題名が付いていると思われたかも知れない。私も最初はそう思った。けれど観終わった今は、大袈裟に思えない。実際に世界で一番重要なスピーチかも知れないと感じている。何故ならば、それは私たちにとって、最も重要な、衣食住の倫理に関するスピーチだからだ。

抜群に頭の回転が速い男だと思う。それは、本編よりもむしろ質疑応答の動画で顕著に示されている。

本編の冒頭00:01:49迄がゲイリー・ヨーロフスキーの紹介になっている。ところがこれが只の紹介では無い。逮捕に継ぐ逮捕。彼は毛皮の売買に反対して、飼われていたミンクを逃がす等、実力行動に打って出る。なので至る所でトラブルを起こし、逮捕されている。国外追放は既に5カ国に及んでいる。

エヴァンジェリストとはそういう種類の人間なのだろう。キリストからマンデラに至るまで、主張を持った者はおしなべて、犯罪者のレッテルを貼られている。

そうまでして、彼は一体何を訴えたいのか。

彼にあるのは、思いやりの実践なのだと思う。

00:16:16から00:20:08と01:04:15の2回、目を背けたくなるビデオが入る。
それに対してゲイリー・ヨーロフスキーは目を背けるなと言う。

なぜなら、君たちが肉やチーズ、牛乳、卵を食べるのなら、君たちはせめて自分たちが引き起こす痛みと苦しみを見詰めるべきだと僕は思うからだ。しかし、もし、このビデオの間、目を背けたり、目をつぶったりする必要があると感じたら、こう自分に問いかけた方がいいかも知れない。「私の目によくないのなら、どうしてお腹によいと言えるだろうか?」と。

我々人類は、地球上にはびこり、食物連鎖の頂点に君臨している。

だが、私たちはそろそろ、より良き勝者であることを目指すところに来ているのではないだろうか。

正義を振りかざす者は大抵、うさん臭がられるか、嘲笑される。けれど、世の中がここまで行き詰まって来ている今、正義や理想と、正面から取り組む姿勢が、むしろ求められているのではないだろうか。

牛肉を1kg食べる事は、車で100km走るのと同じ量の、温室効果ガスを排出する事だと言われている。

私たちは、予想以上に微妙なバランスの上に立たされている。

私には未来はヴィーガンの方にあるとしか、感じられなくなっているのだ。
従来当たり前だった喫煙が追い詰められ、禁煙が常識化したように。未来は動物食を摂らない事が常識化するように思えて仕方がない。

20200705

Earthlings

カラダカラという食と体組成を記録するサイトで"Earthlings"という映画を教えて頂いた。
観るのにかなりの覚悟が必要な映画だ。日本での配信、上映はなかった。DVDも発売されていない。だがYouTubeで観ることが出来る。

Earthlingsとは地球上の生きものを意味する。

猫とヴィーガンな生活』というブログで、既に詳しく解説されている。

潜入調査による、動物たちの苦難(人間による受難)を扱ったドキュメンタリー映画だ。

1.嘲笑 2.猛反対 3.承認の三部からなり、「ペット」「食料」「衣服」「エンターテイメント」「医学・科学研究」の5つの分野が取り上げられている。

この映画を観ると、人間が他の動物たちに対して、いかに不必要な残酷な仕打ちを続けているかが分かる。

覚悟が必要と言ったのは、この映画の中には残酷なシーンがあるという事だけでは無く、私たちがそれを知ってしまうこと。その事にある。

知る事は変わる事。私たちは、どう変わってゆくのだろうか?


ヴィーガンになりたい。
先月の終わり辺りから、強くそう思い始めている。その思いを、単純に実践すればいい。それは分かっている。けれど大人の事情から、実践できずにいる。

この映画を観て、改めて、その思いを強くした。

この映画程、人間の動物の搾取・虐待・強奪を、網羅的、体系的に描いた作品を私は他に知らない。
この映画に共感する事は、ヴィーガンへの道を選ぶ事以外に、手立ては残っていないと感じる。
生活の様々な局面で、安易な消費を続けることは、動物たちからの搾取・虐待・強奪の共犯になることを意味すると思えるからだ。

そう、私は私に有罪を宣告する。またひとつ世界は生きにくくなった。

これが現実なのだ。それを知りたければ、是非この映画を観て欲しい。大事な事が語られている。

映画のナレーションは元ハリウッド俳優であり、ヴィーガンでもあるホアキン・フェニックスが担当している。音楽はアーチストでヴィーガンのモビーが担当している。

監督がインタビューに答えています。
アースリングスの映画監督マンソン氏が語るpart1
アースリングスの映画監督マンソン氏が語るpart2

20200623

娘は戦場で生まれた


言葉が無い。圧倒的な破壊と殺戮。その映像。その前で、私はどんな言葉を編んでいったら良いと言うのだろう。
しかし、何一つ言葉を出さずにおれば、この映画を紹介する事すら出来ない。空虚な作業である事を承知の上で、何とか言葉を絞り出してみることにしよう。

冒頭18歳のワアドの初々しく美しい表情をたたえたポートレートに「両親は私が頑固で無鉄砲だといつも言っていた。その意味が分かったのは娘ができてからだった」というナレーションが被さる。

未だ、解決の糸口すら掴めない、未曾有の激戦の地シリア、アレッポ。ジャーナリストに憧れる学生ワアドは、デモへの参加を切っ掛けにスマホでの撮影を始める。
しかし、平和を願う彼女の想いとは裏腹に、紛争は激化の一途を辿り、独裁政権によって美しかった都市は無残に破壊されてゆく。

そんな中ワアドは医師を目指す若者ハムザと出逢う。
彼は仲間たちと廃墟の中に病院を設け、日々繰り返される空爆の犠牲者の治療に当たっていたが、多くは血まみれの床の上で命を落としてゆく。

非情な世界の中でふたりは夫婦となり、彼らの間に新しい命が誕生する。彼女は自由と平和への願いを込めて、アラビア語で「空」を意味するサマと名付けられた。

戦況は日に日に悪化していった。その凄惨な事態にも関わらず、ワアドとハムザはアレッポを脱出せず、自由のために戦い続ける。この場にとどまり、現状を映像で世界に届けようとするワアド。そして、医療行為によって命を救おうとするハムザ。

ワアドはふと、こんな世界にサマを産み落としてしまったことへの罪悪感を覚える。
しかし、未来の存在そのものであるサマという奇跡に、真実を伝え、世界の希望を託すことこそが、自分の使命なのだと気付く。
ワアドはカメラを構えて戦争と対峙する。自分たちがいかに娘を愛したか。そしてこの街を愛したかを記録する。
全てはサマのために。
映画の原題は"For Sama"

しかしサマが生を受けた2016年から、シリアはより凄惨な地となってゆく。
その年の初めには、この年がアレッポ陥落の年となる事を、この時まだふたりは知らなかった。

2016年12月、アレッポは陥落。ふたりはついにアレッポを脱出する事を決意した。母と娘は生き延びる事が出来るのか?ニュースに出て、顔を知られているハムザは、無事検問を突破出来るのか?

かつて美しかった街は破壊の限りが尽くされ、全てが灰色で色彩を失っていた。しかし空(Sama)は青く美しく、それを破壊出来る者は誰もいなかった。

20200604

生命の〈系統樹〉はからみあう

デイヴィッド・クォメンの『生命の〈系統樹〉はからみあう─ゲノムに刻まれたまったく新しい進化史』を読んだ。

膨大な資料を読み込み、良く整理された本だ。

話しはダーウィンが残した、小さなスケッチから始まる。
生命の系統樹は、聖書迄遡る事が出来るが、それを生物進化と結びつけて表現したのはダーウィンが初めてだ。
彼は1837年7月以来、ラベルに「B」と書かれた、小さなノートを持っていた。そこに彼自身の「大それた考え」を全て書き留めていた。
彼は書いた。「生命は樹として表せる」そして、決して芸術的とは言えない樹状のスケッチを書いていた。

走り書きはさらに続く。Bノートには、樹は「不規則に枝分かれ」していて「一部の枝は極端に分岐が多い」とある。どの枝もより細い枝へ、そこからさらに小枝「すなわち属」へと分かれていく。属は種のすぐ上位の分類群であり、種は小枝の先端の芽として表せる。

これが現在迄連なっている生命の系統樹のイメージだろう。けれどそれは、果たして「正しい」ものなのだろうか?

分子系統学は1958年のフランシス・クリックの言葉に端を発する。

カール・ウーズは分子系統学の大きな可能性を誰よりも明確に見抜いていた。分子配列情報から生命の歴史を読み解くことが出来ると、彼は知っていた。

彼はリボゾームの小サブユニットのなかの長い分子に標的を定めた。16SrRNAというのがその名称だ。

微生物学者はメタン生成菌の分類に頭を悩ませていた。

1976年頃迄に、ウーズは約30種類のサンプルを用いてリボゾームRNA分子の違いから種間関係を定量化するという、前例のないカタログ解析を終えていた。

やがてウーズはデルタHと仮称した菌が、原核生物でも真核生物でもない、第三の独立の生命形態であることに気付く。

1976年末迄に、彼のチームは追加で5種類のメタン生成菌のフィンガープリントとカタログを作成したが、まだ次が控えていた。そして予想通り、新たなカタログはどれひとつとして原核生物ではなかった。更に言うなら、細菌ではなかったのだ。

後にアーキアと呼ばれるようになった、生物の新しい「界」の発見だった。

この物語にリン・マーギュリスが登場したのは、カール・ウーズがまだ人知れず骨折り仕事に精を出していた頃だ。
彼女が果たした重要な役割は、極めて古い説に、新たな注目と信憑性を与えた事だ。私たち自身の細胞の中に、別の生命形態の亡霊が生き続けていて、生体機能を担っているという考えだ。

細胞内の小さな独立部品はもともと細菌だったと彼女は主張したのだ。

ミトコンドリア、葉緑体、中心小体といった名前で呼ばれる、それらの部品は、元はそれぞれ別の、独立した細菌だったというのだ。

細胞の「内部共生説」だ。

次に訪れた変化。それは遺伝子の水平伝播が果たす役割が、突如として認識されるようになった事だ。

通常、遺伝子は親から子へと、垂直に受け継がれてゆくものと思われている。
しかし、とりわけ菌の世界では、それだけでは説明の出来ない現象が頻発している。

MARS等に見られる抗生物質への抵抗性は、遺伝によって拡がる速さとは別次元の速さで拡がってゆく。それは「感染性遺伝」とも言える遺伝子の水平伝播によって拡がっているとしか考えられないのだ。

これが意味する事は重要だ。

つまり系統樹は只単に枝分かれしてゆくだけではなく、融合し、からみあう。
そしてまた、進化という現象は、突然変異と淘汰圧による方向付けによるものとされているが、この遺伝子の水平伝播が正しいならば、それによって起こる変化の方が、より速く、より重要なのではないか?

つまり、ここまで述べてきた系統学のあたらしい見方は、ダーウィンの進化論を覆すものになって来ているのではないか?というのだ。

私が系統的に生物学を学んだのは、4、50年前の、大学入試の頃だ。その頃には、この本に書かれている新しい進化史は、顔を見せていなかった。しかしどこから仕入れたのだろう。私はこの本に書かれた内容を、バラバラの知識として、既に持っていた。

だが、それらがどの様な意味・意義を持つのかは、この本を読むまで理解していなかった事を正直に告白する。

それまで、雑多な知識として存在していたものが、この本によって、体系的な、そしてダイナミックな物語として一気に結晶化してゆく快感を、久し振りに味わった。

むちゃくちゃ面白かった。

20200526

芍薬

一昨日わが家に芍薬がやって来た。
届いた時には、全ての花が蕾だったのだが、その後、見ている間にあれよあれよという間に開き始め、今では半数以上の花が咲いている。
その成長の速さには、舌を巻くばかりだ。

この写真は10:00頃撮ったものだが、12:35現在、既にこれよりもっと多くの花が咲いている。

芍薬や牡丹の花の咲くスピードが速いとは、話しには聞いていたが、これ程速いとは思っても見なかった。

今、この芍薬は、玄関から見える、部屋のスペースに飾ってあるが、そこだけ夏が来たように、華やかだ。

芍薬は確かにわが家に夏を運んで来てくれた。