20250302

ミシェル・フーコー

ミシェル・フーコーの本を読まずに、ミシェル・フーコーについての本ばかり読んでいる。

今回読んだのは慎改康之『ミシェル・フーコーー自己から抜け出すための哲学』。この本に関しては、若干の因縁がある。


5年程前、県立長野図書館を訪れた際、新刊コーナーでこの本を見掛け、強く惹かれたのだ。だがその時は既に限度一杯の本を借りていた為、手に取らずに放置していた。それでもいつかこの本を読むだろうという予感は強くあった。

今回、遂に読んだ。

フーコーの言説は多岐に渡っている。それ故どこから手をつけて良いのか、酷く迷う。

この本は、そのフーコーの言説の変遷を、発表された書籍を順に取り上げ、簡潔かつ丁寧に解説してある。

但し読むスピードには注意を払った。読み飛ばすと理解不能になる。渋滞すると話の筋を見失う。幸い適当な緊張感を保ち、終わり迄読み通す事が出来た。

流石にミシェル・フーコーの翻訳を手掛けているだけあって、慎改康之さんのフーコー理解は深く、正解だと感じた。何しろあの『言葉と物』を理解できているのだ。それだけでも尊敬に値する。

最初副題の「自己から抜け出すための哲学」の自己とは、読者の事かと思って読み始めたが、すぐにフーコーの事であると理解出来た。

フーコーは自己の経験、研究、著作を通して、常に変貌し続けた哲学者だ。それ故、フーコーをどう読むかは、フーコー理解の深まりを決定付ける。油断したまま読み続けると思わぬしっぺ返しを受ける事になりかねない。

その意味で、本書に巡り会えた事は、私にとって幸運な事だと感じる。

フーコーの広大な言説世界を、この本は一望の元に展望する事を可能にしているのだ。

やっと私は、ミシェル・フーコーの全体像を、自分の物にする事が出来た。

だがそろそろ私の図書館行脚の三本柱のひとつであるミシェル・フーコーを、実際に読み始める時がやってきたようだ。

著者も言っている。

本書が果たしうるのはあくまでも、門の手前にいる読者を門のなかにいざなうという役割にすぎない。したがって、いかなる意味においてもここは足を止めるべき場所ではない。本書を読み終えるやいなや、読者がただちに門をくぐり、フーコー自身の言葉に耳を傾けるべく駆け出すことを切に願う。

20250210

枯木灘

決して、中上健次を舐めていたのではない。そのような大それた事はとても私には出来ない。

だが、さほど厚くないこの本を手に取って、1日か2日あれば読み切れるだろうと算段していた。


その甘い見積もりは、最初に本を開いた時に、脆くも崩れ去った。昔の文庫本の様に、活字がやけに小さいのだ。

これは長編だ。その時私は覚悟を決めた。

読み始めてみると、その濃密で力強い文体で語られる文章自体の持つ迫力に引き摺られる様に、中上健次の物語世界にぐいぐいと引き込まれた。

しかし困難はまだあった。

登場人物がとても多く、その関係が実に複雑なのだ。

巻末に付いている人物相関図を、いちいち参照しなければ、筋を追う事すら出来ない状態だった。

その為、最初は1日に15ページから20ページを読むのが精一杯だった。人間関係が、一通り頭に入ってからは、読むスピードも上がり、中上健次ワールドにどっぷり浸る事が出来る様になった。

結局、まるまる4日間かけて、『枯木灘』の世界を縦横に彷徨い歩いた。

体力のある作家だ。その意味では日本人離れしているのかも知れない。だが。その彼が語る物語世界は、土の匂いのする、極めて土俗的な世界である。

どちらかと言うと、アカデミズムの世界を彷徨って来た私とは、異なる世界に生きた人物なのだと感じた。

中上健次は、故郷である紀伊半島に、強いこだわりを持った作家である。紀伊半島は良く歩いた。だが私の紀伊半島は四万十層群が露出する、地質学的に興味深い場所であり、同じ紀伊半島でも、中上健次が見る、男と女が絡み合い、蠢く地方とは、全く別世界である様に感じる。

私の紀伊半島が世界に開かれた場所であるのに対して、中上健次の紀伊半島は、半島性がもたらす、閉塞的な、閉ざされた世界である。

その知らない世界を、私は中上健次を読む事で、生きる事が出来る。

中上健次を読む意味を、私そこに見出す。

『枯木灘』に登場する人物達は。決して正しく生きようとはしていない。けれどとてつもなく逞しい。石牟礼道子の書く方言は、そこに美しさを感じたが、中上健次の書く方言は、どこまでも力強い。言葉の持つ美は、様々な煌めきを放つ。

物語後半、私は確かに『枯木灘』の世界に強く感動していた。

未だに、どこに感動したのか巧く表現することが出来ない。だが、私は確かに『枯木灘』の登場人物達に共感していたのだ。

中上健次と言う作家に、暫く拘ってみようと思っている。次に何を読むのかは、まだ決めていない。

『枯木灘』の世界は、地獄の様に煮えたぎっていた。

20250201

アーレントと赦しの可能性

「反時代的試論」と名打たれている。

「あとがき」でも触れられているが、これはニーチェの『反時代的考察』へのオマージュだろう。

ハンナ・アーレントの著作の翻訳も手掛けている、森一郎氏の時代論である。


恐らく、第一部第一章にある「アーレントのイエス論」を、世に出したいという意図から編まれた論集だろう。非常に意欲的で、魅力的なハンナ・アーレント論になっている。

敢えてニーチェの反時代的を引いたのは、著者の時代に流されまいとする意志を反映しての事だと思う。

第三部第六章の「テロリズム・革命精神とその影─テロリズムの系譜学」には、テロリズムを全否定してよしとする、現在の論調に、敢然と立ち向かう姿勢が貫かれている。その論調は、読む者を、時代に迎合してしまいがちな日常から引き剥がし、古代ギリシアから連綿と続く、哲学の文脈の上で、立ち止まって考えるという行為へと、誘(いざな)っている。

立ち止まって考える事は、この文章読解して行く際にも必要だ。夥しい言葉たちが、この論集では省略され、省かれていると感じる。論に飛躍と思われる箇所が多数あるのだ。

だが、その省略された言葉たちを、各文章から丁寧に推察し、補って行く作業を厭わなければ、これらの論は。決して飛躍したものではなく。十分に考察され、練られた議論である事が納得出来る。

世に溢れるテロリズムへの皮相的な批判に於いて、そのテロリズムという語が、いかに無思考なまま流されているものであるのかが。はっきりと目に見えてくる。

通読して感じるのは。森一郎氏が、彼が訳したハンナ・アーレント『人間の条件』ドイツ語版の翻訳『活動的生』を、いかに大切なものとして扱っているかという事だった。

本論を通底して流れている意図は、本論をきっかけとして、『活動的生』を読んでもらいたいというところに、本音があるのではないかと読んだのは。穿った考えに過ぎるだろうか?

だが、第一部「赦し」、第二部「労働」、第三部「テロリズム」と深められていった思考が、第四部「出生」で、いきなり失速していってしまったように感じたのは。私の偏見だろうか?単なる科学技術批判(または悲観)に堕してしまっている様に、私には感じられた。この段で、本書が閉じられているのは。本書の深刻な弱点になっていると感じるのだ。

20250108

山とも庵が!

本郷駅の近くにあるその店を、私たち夫婦は大変贔屓にしていた。

何か事あると、またはなくても、その店が提供する美味しい蕎麦を食べに、足繁く通っていた。

予感はあったのだ。女房殿が車でその店の前を通り掛かっても、店が開いていないと言う様になったのだ。

今日(25年1月8日)確かめてみようと、その店の公式サイトを開いてみた。

すると12月5日付けの記事として、

10月末日を以て閉店しました。という報せを受け取った。

その店の名は山とも庵という。このブログでも取り上げた事があったと思う。


写真は山とも庵公式サイトから借用した。クリックで拡大出来る。

その店で、蕎麦を大根おろしの汁だけを付けて食べる食べ方も教わった。偶に食べる胡桃だれ蕎麦は絶品だった。

最近は弱点だった天ぷらも美味しくなり、この先も山とも庵と共に、この地で生きてゆくのだろうと、なんの不安もなく思っていた。

あの美味しい蕎麦をもう二度と食べられないのかと思うと、胸を掻きむしりたくなるような、残念さを覚える。

初期の頃は天せいろ蕎麦を頼むのが常だった。本山葵を小さなおろし金で擦って食べる趣向を凝らした蕎麦だった。それがメニューから消えても、暫くの間(かなり長い間だった)は、頼むとそれを出してくれた。

蕎麦好きの友に食べさせたくて、山とも庵の蕎麦を、九州博多に迄届けてもらったこともあった。

心残りは、きのこソムリエの資格を持つ女将さんが作るきのこ蕎麦を、遂に一回も食べる事がなかった事だ。

COVID-19は、地域経済に、消え様のない傷跡を残した。

昨年は戸隠そばの代表的存在だった大久保西の茶屋も潰れた。

食品関連の店は、個人事業主を中心に、壊滅状態だ。後に残るのは、それ程美味しくもないチェーン店ばかりだ。

中でも、この山とも庵の閉店は、大きなショックを私に与えた。知った時は頭がクラクラした。

55年に渡って、この地に根付いていた名店が消えるのだ。

それ程外食をする方ではない。するとしたら店はとことん選ばせて頂く。だが、その選んだ店がどんどんなくなってゆく。新年早々、寂しい報せを聞いた。