20240830

捜査・浴槽で発見された手記

スタニスワフ・レムを知ったのは、いつの事だったのだろうか?

かなり前、まだ膨大な本を所有していた頃、私はスタニスワフ・レムの『高い城・文学エッセイ』を持っていた。これが発行されたのが、2004年の事なので、ほぼその頃から、彼を意識していた事になる。

けれど、気になっていながら、私は彼の本を放置したままにしていた。

その後引っ越しで本を整理しなければならなくなって、スタニスワフ・レムの本は図書館で読める事もあって、古本屋に売ってしまっていた。

以来彼の本は、頭のどこかに鎮座していたものの、読む機会を常に逸し、手に取ることが無かった。

ようやく読んだ。スタニスワフ・レムを知ってから少なくとも20年経って、やっと1冊読み終える事が出来た。


読んだのはスタニスワフ・レムコレクション第2期に含まれている『捜査・浴槽で発見された手記』だ。

期待通り、スタニスワフ・レムの小説は一筋縄では行かない、読み応えがあるものだった。

「捜査」にはメタ推理小説という、また「浴槽で発見された手記」には擬似SF不条理小説という売り言葉が付されている。

「捜査」は、死体が動き、そして消えるという謎の犯罪が描かれている。普通推理小説ならば、その謎に探偵が果敢に挑み、丁々発止と謎を解き明かすという展開になる。だがそこはレムの事。その様には筋が進んで行かない。捜査の責任を負ったスコットランド・ヤードのグレゴリー警部補が、真相の解明に乗り出すが、真犯人に繋がる手掛かりは見つからない。そのまま捜査は難航を極める。推理小説には謎が付き物だが、その謎が哲学的なものだったらどうなるのか?レムの読者への挑戦は、スリリングな展開を示す。

「浴槽で発見された手記」はまえがきがそのままひとつの独立したSFの体を成しており、そこから展開される手記もまた、不条理に満ちた複雑極まる筋をなぞる。

この「浴槽で発見された手記」を読んでいる間、私はそのノリに、どこかで出会った事があるような、懐かしさを感じていた。

読了後読んだ芝田文乃さんの解説によると、「浴室で発見された手記」は、ヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』を下敷きにして書かれているとの事だった。

『サラゴサ手稿』はつい最近全訳が出版され、読んだばかりだった。私は大いに納得した。

20年スタニスフワフ・レムを放置したのは、単なる偶然の事だったのだが、お蔭で順番通りに作品を鑑賞出来た事になった。

この本を読んで感心したのは、スタニスワフ・レムの作品世界の広大さ、多面性だった。とてもひとりの作家から紡ぎ出されたものとは思えない程、作品の質感は万華鏡の様な多彩さを持っている。

スタニスワフ・レムコレクションも第2期を終了させており、彼の作品を日本語で読める環境は十分に整っている。

またひとつ人生に楽しみが増えた。

20240815

バトラー入門

読み進めるうちに、私はジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読んだ事があるのだろうか?と、基本的な事が不安になった。


本書は、

私は本書でひたすらに『ジェンダー・トラブル』に拘ることにする。他の著作や論文を参照することもあるが、それはあくまで『ジェンダー・トラブル』を理解するためである。私が『ジェンダー・トラブル』に拘るのは、もちろんそれだけ『ジェンダー・トラブル』が重要で面白いからでもあるが、それだけではなく、『ジェンダー・トラブル』を深く理解することが、バトラーの思想や理論の核心を理解することでもあると考えるからだ。

とあるように、ジュディス・バトラーの主著(というより象徴)である『ジェンダー・トラブル』に特化した解説書である。

ところが、本書で解説されている『ジェンダー・トラブル』と、私の記憶の中に整理されている『ジェンダー・トラブル』が、どうしても一致しないのだ。

日記にも2020年の3月から4月に掛けて、比較的丁寧に読んだ記録が残っている。それどころか、私は非常にこの『ジェンダー・トラブル』が面白く読め、読後の記憶がかなり鮮明に残ってもいるのだ。

本書には次の様な記述もある。

どれだけの人がこの本につまずいたのだろう。あるいは、どれだけの人が「読んだ気になって」いるのだろう(あるいは、私も?)。そこで本書では『ジェンダー・トラブル』を中心にバトラーの理論を紹介・解説していくことにしたいーただし、一風変わった、ヘンテコな、つまりクィアな方法で。

確かに『ジェンダー・トラブル』は、難解だった。だが、それも分からないレヴェルではなく、丁寧に読み解いてゆけば、理解可能だと、私は判断していた。だがそれも「読んだ気になって」いただけなのだろうか?

それ程、私の記憶の中の『ジェンダー・トラブル』と、本書で紹介されている『ジェンダー・トラブル』の間には、大きな齟齬があった。

著者は断言している。

言ってしまえば、本書はバトラーの『ジェンダー・トラブル』の非公式ファンブックである。一介の『ジェンダー・トラブル』ファンが書いたファンジンだ。

ところが、本文が始まるや否や、著者は、バトラーではない人物の賞賛から入る。第一章は「ブレイブ・ニュートン」と題された文章であり、そこにはエスター・ニュートンというひとりのレズビアンのブッチがどのようにレズビアン・フェミニズムを経験し、考えたかが、概観されている。

私たち読者は、この気まぐれな構成に振り回され、ただ戸惑うばかりだ。

だが、ジュディス・バトラーの引用が始まり、それに対する論考が行われる様になると、著者の筆の勢いも一段と増して来る。

その様な事、書いてあったっけ?と、原典を取り出して確認してみる事数度。驚いた事に、著者の読み解きは、かなり原典に忠実なのだ。

かと言って、私の読み解きも、そう間違ってはいなかった。

要は、ひとつの対象に、どの角度から光を当てるかという問題だったのだと思う。私はさまざまなセクシャリティとフェミニズムの相関に力点を置いて読解していた。

それに対し、著者はレズビアン・フェミニズムの聖典として、『ジェンダー・トラブル』を捉えている側面が強い。

だがそこから、ジュディス・バトラーの理論は、ジェンダーをなくす方向ではなく、むしろジェンダーの選択肢を増やすものであるという重要な指摘や、インターセクショナリティ─への架橋が、明示されている事などが、分かり易く、くだけた書き方で仄めかされている。

著者の読みには、十分な説得力と必然性があることが、十分に理解出来た。

私は、従来の私の読み方とは異なる。『ジェンダー・トラブル』の新たな視点を、著者から示して貰えたと、感謝している。

今月は図書館から本を大量に借りて来ているので無理だが、その内に時間を作って、『ジェンダー・トラブル』を、再度読んでみようと身構えている。

現代を代表する名著『ジェンダー・トラブル』だ。1回かそこら読んだだけで、理解したつもりになっている様では、「読んだ気になって」いるだけである事は、明らかだろう。

20240809

おえん遊行

遊行。ゆぎょうと読むらしい。

兎にも角にも文章が美しい。地の部分の標準語も、会話の日向弁も、それぞれが音楽のように響き合って、互いに美しさを引き立て合っている。


本文に続く「『おえん遊行』をめぐって」の中で、この作品を長編詩劇と表現しており、成る程と頷いた。

この文章は詩として書かれている。

舞台は江戸時代の熊本天草。そこに住む漁民たちの生活。流れ寄って来る客人(まろうど)。暮らしの中で歌われる、数々の歌などが、途方もなく美しい文章で記されている。

客人は希人(まれびと)でもある。

それは決して健常者に限られたものではなく、我が身に障碍を得た者たちも含まれるのだが、漁村の民たちは、絶妙な距離感で、彼等、彼女等と交流してゆく。

やって来るのは人だけではない。それは大嵐であり、雲のような蝗の群れであり、漁民たちは、それ等に翻弄されながらも、逞しく生き続ける。

あとがきを読んでみると、この作品は難産だったらしい。後から書き始めた『あやとりの記』の方が先に出来上がってしまったが、著者はそれを

今思えばその間、おえんたちを、わたしの意識の〈無時間〉の中で、遊べや遊べと思っていたからだろう。

と述べている。

全集で石牟礼道子作品を、発表順に読み進め、気が付いてみると、もう半分以上読んだ事になる。そのように彼女の作品に触れる事で、それぞれの作品が、独立したものであるのと同時に、互いに響き合っている事にも気付かされた。

全集では、主となる作品がひとつと、それをめぐる短文。そして、その作品が発表された時期に書かれたエセーが含まれている。

そのようにして、私は石牟礼道子世界を縦横無尽に駆け巡る。これは読み始めた時には期待もしていなかった読書体験だ。

これからも、全集による石牟礼道子体験を、私は続けてゆくのだろう。それは同行二人の長い旅であり、期せずして体験する、風雅な時の流れだ。

20240805

谷根千の編集後記

かつて、今から15年前まで25年間発刊し続けられた地域雑誌『谷根千』があった。

本書は、その『谷根千』の編集後記だけを集めて作られた本である。


雑誌の題名は谷中・根津・千駄木の頭の文字を連ねたもの。東京の下町にまだ残っている(逆に言えば失われつつある)自然・建築物・史跡・暮らしぶり・手の芸・人情を、古老たちが生き残っているうちに記録しておかねばという、一種の危機感から刊行された下町のタウン誌だ。

下町情緒あふれる表紙に、内容も毎回良く練られていて、上質。私は大学の生協などで、未読の巻を見つけてはそれを入手するのを習いとしていた。

同じ趣向を持っていた方も多いと思う。

中綴じで製本された、ごく薄い雑誌。今回編集後記をまとめて読んでみて、あの薄い雑誌のどこにこれ程の編集後記を納めるスペースがあったのかと感じるほど、ボリュームのある文章が並んでいる。

どれだけ人気のあった雑誌とは言え、その編集後記だけを集めた本は珍しいと思う。それが本として成立するだけ、『谷根千』は愛された雑誌だったと感じる。

編集後記には、本文に含ませる事が出来なかった、書きたかった事が滲み出る。

『谷根千の編集後記』にも、雑誌が発刊された時の時事問題、それに対する編者の思いが綴られ、エセー集と呼んでも遜色のない内容になっている。

それは震災あり、オリンピックあり、戦争ありで、『谷根千』が、それぞれの時代を敏感に捉えつつ編まれた雑誌であった事が手に取るように分かる。

びっくりしたのは、編集後記を読んでいると、その号の雑誌全体の内容が蘇って来た事だ。私としては、暇つぶしに漫然と『谷根千』を読んでいたと思っていたのだが、意外と集中して本文を読んでいたらしい。

本棚の片隅には、当時集めた『谷根千』のバックナンバーが、15cm程の幅を占めて並んでいる。好評だった号や記事を集めた『ベストオブ谷根千』も持っている。

懐かしくなって、私はそれらを取り出し、拾い読みしてみた。私の身体を打ち倒すように、若い時代の記憶が、どっと押し寄せて来た。

今更ながら、『谷根千』は、私の本郷時代を象徴する、大きな存在だった事が分かる。

本誌を編集していた森まゆみ、山﨑範子、仰木ひろみの各氏には、感謝の仕様がない。

20240725

卵のように軽やかに

これがエスプリというものか!

ページを捲る度に、感嘆のため息をついた。


副題に「サティによるサティ」とあるように、エリック・サティ自らが、自分を語る作品なのだが、そこは音楽界きっての変人サティ。素直に一筋縄で括れるような語り方はしていない。

例えば批評家を批評するエセーでは、表向き絶賛の嵐のような文章が並んでいるが、ちょっと角度を変えてその文章を読んでみると、それが底意地の悪い皮肉に満ちている事がわかるような仕掛けがしてある。

同様な仕掛けは、各文章殆ど全てに施されており、注意深い読書が促されている。

だがどの文章も、非常に洒落ており、読み進める度に、万華鏡の様に、千変万化するサティの新しい魅力が展開され、堪能することが出来る。

ひとまとまりの文章の切れ目には、サティによるペン画が挿入されているが、これがどれも洒落ているのだ。

本の後半には、サティによる詩と戯曲が載せられている。これがなかなかどうして、良いのだ。

サティに詩や戯曲の才能があったとは、この本を読むまで全く知らずにいた。

エリック・サティの音楽は、これまでも好んで聴いて来たが、その背景にこれ程迄の創造的な世界が展開されていようとは、つゆ知らずに来た。

これからは、全く新しい姿勢と意味合いで、サティの音楽が聴こえて来るに違いない。

尚、表題の卵のように軽やかには、普通Allegrettoと表示されるテンポ記号の代わりに付せられたもの。エリック・サティの手に掛かると楽譜から個性的だ。

20240720

サラゴサ手稿

複雑な構成を持った物語である。

ポーランドの貴族、ヤン・ポトツキが生きたのは1761年から1815年。だが彼がフランス語で著したこの奇想天外な物語の全貌が、やっと復元されたのは21世紀になってからだった。


シェラ・モレナの山中を彷徨うアルフォンソ・バン・ウォルデンの61日間の手記によって、彼が出会った謎めいた人々と、その数奇な運命が語られている。

だが、その語られ方は、一筋縄で済む筈がなく、話の中の登場人物が別の物語を語り出し、その中の登場人物がさらに新しい物語を語るという入れ子構造がふんだんに駆使され、多い時には5層まで、その入れ子は増える。


更には、第一日目に登場した人物が、第五十日を超えて、再び登場してくるなどは当たり前。登場人物の相関関係も、複雑に絡み合っている。

それらをきちんと理解するだけで、私の頭はパンクしそうになった。


歴史的に正しい王位継承戦争の頃の王族の血縁関係が語られているかと思えば、それに絡めて、著者の完全なフィクションも織り込まれており、どこまでが虚でどこからが実なのかも判然としておらず、訳註を飛び出して、Webでの検索に頼らざるを得なかった事も一度や二度ではない。

話はレコンキスタ終了直後のイベリア半島を中心として、とりあえず展開されている。私はこの時期のヨーロッパ史を、余りに図式的に理解していた様だ。グラダナが十字軍によって攻め落とされ、それ以降、ヨーロッパは再びキリスト教文化圏として、歩んだように思っていたが、この物語を読んでみると、レコンキスタ以降も、イスラーム勢力は残り続け、キリスト教勢力との交渉も意外と盛んに行われていた様だ。

それ故、イベリア半島独自の文化も、形成された訳で、むしろキリスト教とイスラーム教が混淆していたと考えたほうが、圧倒的にリアリティーがある。

それに加え、ユダヤ教やロマの文化が混ざり合う。また、物語の舞台も、全ヨーロッパ、北中米にまで拡大する。

その証左となるのは、主人公アルフォンソを凌ぐ勢いと量で語られる、ロマの族長の物語だ。彼の圧倒的な記憶力と構成力によって、幾晩にも渡って、芳醇な物語が語られる。それは聞く者(読む者)を決して飽きさせる事がない。

物語の複雑さから、予期していたより、遥かに時間が掛かってしまったが、それを差し引いても、私の中に残ったサラゴサ手稿を読んだ歓びは、余りあるものがある。

この読書体験は、私の中でも特別なものとして、残り続けるだろう。

10日に渡る長い旅が終わった。

ダリ版画展

長野県立美術館で開催されている、ダリ版画展「奇想のイメージ」を観に行って来た。


この展覧会、入場料が一般で1,400円掛かる。だが私は身体障害者なので、私自身と付き添い一人が入場無料になる。この制度を使わない手はなかろう。

ダリは大好きな画家だ。中学から高校に掛けて、強く影響され、ダリ風の絵を何枚も描いた。だが、当時私が観ていたのは、主に油絵であり、ダリの版画をまとまった形で鑑賞するのは、今回が初めてだ。


ダリが版画に本格的に取り組んだのは、50代後半かららしく、生涯に1,600点余りの作品を残している。今回の展覧会では、1960年代から70年代に精力的に制作された版画を中心に、晩年に掛けて制作された200点余りの作品が展示されていた。

そこには地平線、やわらかい時計、蟻など、ダリ得意のテーマがふんだんに展開されており、ダリファンとしてはそれだけで心踊るものがあった。

用いられている技法としては木口木版を始めとして、エッチング、リトグラフ、ステンシル、エングレーヴィングと幅広く、ダリの版画に対する態度が本気だった事を、十分に伺わさせるものだった。

最初に陳列されていたのは、ダンテ『神曲』からインスパイアされた作品全点で、地獄篇はあくまでもおどろおどろしく、煉獄でベアトリーチェと出逢うシーンはあくまでも感動的、そして天国篇は途方もなく清らかと、ダリのイメージ力がふんだんに発揮されていた。

ダリと言えばなんと言ってもシュルレアリスムだが、その技法を惜しみなく発揮している作品群がその後に続く。

だが、場内の静けさに圧倒されて、私も笑い出さなかったが、かなりウィットに富んだ、ユーモア溢れる作品も多かった。ダリはゲラゲラ笑いながら観るのが、正しいと私は思う。

難を言えば、展示の仕方が、迷路の様に複雑で分かりにくく、私たちは危うく一部屋分の作品を見逃しそうになった。

朝の涼しいうちにと、やや早めに出掛けたのだが、200点と言えど、展覧会は充実しており、3時間半があっと言う間に流れ過ぎた。

だが、流石にダリは鑑賞に体力を使う。観終わった後、昼食に向かったのだが、その間、両足が攣った。