20230106

ぼくは上陸している

私は昨年の4月16日に『ダーウィン以来・上』を開いている。スティーヴン・ジェイ・グールドの進化論エセーの最初の巻だ。それから10ヶ月、図書館から毎月1作品2冊を借りて、読み進めて来た。昨日その最終巻『ぼくは上陸している・下』を読了した。スティーヴン・ジェイ・グールドのエセー集10作品20冊を、全て読破した事になる。


これらのエセー集を読むのは、初めてではない。日本語訳が刊行される度に、それを待つように購入して、貪るように読んでいた。今回は、全作品を、一気に通読する事に、主眼を置いていた。

2度目なので、もう目新しさはないだろうと予想していたのだが、新しい発見は十分にあった。中でも、進化論に対する私の誤解を、このエセー集によって幾つも正されたのは、有り難かったが、恥ずかしくもあった。もう20年以上も前に一度、それらの誤解から、解き放たれていた筈だったのだ。私は何度も同じ誤解に引き寄せられる傾向を持っていたのだろう。


私の進化論はダーウィニズムと言うよりむしろラマルキズムであって、それはもう100年以上前に、葬り去られた考え方なのだ。

スティーヴン・ジェイ・グールドは、取るに足りない様な些事に、いつも着目する。そこから世界を拡げていって、ダーウィニズム(と言うより総合説)がいかに妥当なものであるかを丁寧に論じてゆく。それがこれらのエセー集の醍醐味のひとつになっている。

そしてこれらのエセー集のもうひとつの醍醐味は、人物の評伝の巧さにあると思う。

今回も、何人もの科学者が、グールドの綿密な文献調査と語りによって、その全体像、魅力、教訓を明らかにされていた。

それらの対象人物に、グールドは限りない愛情を注ぐ。彼らをグールドは現在の視点、知識を基盤に評価する間違いを犯さない。グールドは常にその時代の人を評価するのに、その時代の視点に降りてゆく。

その度に私は、歴史を観るに当たって、取るべき重要な姿勢を教授された。

また、話の枕に使われる、オペレッタ、詩篇、評論の、守備範囲の広さにも、いつも驚愕させられる。並の蘊蓄ではない。凄じい知識量だ。

いつも残念に思うのは、グールドのエセーに度々登場するギルバートとサリヴァンのオペレッタを、私は全く知らないという事だ。知らなくても、それらのエセーを読むには差し障りはないが、知っていれば、グールドのエセーをもっと楽しめるだろうと想像するからだ。

スティーヴン・ジェイ・グールドの10作品20冊のエセー集を、かつて私は私蔵していた。それはこのブログにも書かれている。だが、引っ越しの際、手狭になる新環境に合わせて、図書館にある本は全て売ることにした。グールドのエセー集も手放した。苦渋の選択だった。その為、今回の再読で、図書館を利用する事になったのだが、どうなのだろう?本を持っていたら、私はこれらのエセー集を、一気読みで再読することはなかったのではないだろうか?

エセーの中で、グールドが前作を参照している箇所に出会う度に、私は呻吟した。その本が手元にないからだ。だが、それを除けば、グールドのエセー集を、全て持っていなくても、十分楽しめた。

スティーヴン・ジェイ・グールドは、このエセー集を2001年9月11日の事件で閉じている。それは、彼の祖父が「ぼくは上陸している」と記してから、ちょうど100年後の出来事であった。ミレニアムに合わせて、グールドがそのエセー集の連載を終了させる事は、事前から決められていた事であったが、グールド自身も、この終了の仕方は、全く予期していなかったものだったのではないだろうか?

『ぼくは上陸している・下』を読み終え、本棚に戻した時、私は言いようのない強い感慨に包まれた。取りも直さず、私はこれらのエセー集と10ヶ月という月日を共にしたのだ。

スティーヴン・ジェイ・グールドのエセーは、決して読み易いものではない。特に事前に進化論についてのある程度の知識と考えを持っていなければ、その読書は苦しいものになるだろう。スティーヴン・ジェイ・グールドは、決して片手間に、これらのエセーを書いているのではないからだ。彼は学術論文を書くのに匹敵する姿勢で、これらのエセー群を書いている。ひとつひとつのエセーが、まさに真剣勝負なのだ。

私は10ヶ月間、これらのエセー群とまともに格闘した。そして、その全てを読み終えた今、私はそれらの読書体験が、私の中で貴重な財産に変化しているのを、はっきりと感じるのだ。

私の中で、10作品20冊のエセー群は、確かな存在として、特別な本として、ずっしりとした重さを持ったものになって煌めいている。

20221208

トム・ピリビ

15年程前から、本格的に探し始めた。

それ迄も気になる歌だったが、それ程真面目に探してはいなかったのだ。

だが、いくら検索を重ねても、全くヒットしなかった。それもその筈だ。検索語が間違っていたのだ。『みんなの歌』でダーク・ダックスが歌っていた。そんな事を混ぜてもみた。駄目だった。

一昨日、なんという事なしに、検索語を変えてみた。すると、

あるわあるわ、一旦見つかり始めるとこれ程になるのかと思う程、次から次へと探していた歌に関する情報が引っ掛かって来た。


歌の題名は『トム・ピリビ』。どうやら元はシャンソンだった事も分かって来た。そして、何とこの歌は1960年の第5回ユーロヴィジョン・ソング・コンテストの優勝曲でもある。

みんなの歌名曲100選にも含まれているらしい。更には作曲者、作詞者、訳詞者なども分かって来た。


ダーク・ダックスが歌っているヴァージョンは、本歌にかなり忠実に訳されているが、肝心のオチが訳されていない。ダーク・ダックス自身が訳した様だ。『みんなの歌』なので、教育的配慮がなされたのかも知れない。

そう、日本では『トム・ピリビ』はあくまでも子どもの歌だったのだ。

だがシャンソンではそうではないらしい。


元唄の詞も見つかったので載せておく。作詞者はPierre Cour(ピエール・クール)。作曲者はAndré Popp(アンドレ・ポップ)。この作曲者は『恋はみずいろ(L’amour est blue)』の作者としても有名だ。歌っているのはJaqueline Boyer(ジャクリーヌ・ボアイエ)。Lucienne Boyer(リシエンヌ・ボアイエ)の娘だ。


Tom pillibi


Tom Pillibi a deux châteaux

Le premier en Écosse

Tom Pillibi a deux châteaux

L´autre au Montenegro


Il a aussi deux grands vaisseaux

Qui vont au bout du monde

Chercher des ors et des coraux

Et les plus beaux joyaux


Il a d´la chance, Tom Pillibi

Et moi je pense que je suis son amie

Il est si riche que je l´envie

Il est si riche

Sacré Tom Pillibi


Tom Pillibi a deux secrets

Qu´il ne livre à personne

Tom Pillibi a deux secrets

Moi seule, je les connais


La fille du roi lui sourit

Et l´attend dans sa chambre

La fille du roi lui sourit

Et la bergère aussi


Il a d´la chance, Tom Pillibi

Et moi je pense que je suis son amie

Quelle bonne étoile veille sur lui?

Quelle bonne étoile?

Sacré Tom Pillibi


Tom Pillibi n´a qu´un défaut

Le mal n´est pas bien grave

Tom Pillibi n´a qu´un défaut

Le mal n´est pas bien gros


Il est charmant, il a bon cœur

Il est plein de vaillance

Il est charmant, il a bon cœur

Mais il est si menteur

Que rien n´existe de tout cela

Mais je m´en fiche quand je suis dans ses bras

Car je suis reine de grand pays

Où il m´entraîne

Sacré Tom Pillibi


  トム・ピリビはお城を二つ持ってる

  一つ目はスコットランドに

  トム・ピリビは二つのお城を持ってる

  もう一つはモンテネグロに


  彼はまた大きなお船を二つ持ってる

  それは世界の果てまで行くの

  黄金や珊瑚を

  そして一番きれいな宝石を探しにね


  運がいいのよ、トム・ピリビは

  そしてわたしはね彼の彼女のつもりよ

  彼はうらやましいくらいのお金持ち

  とってもお金持ちなの

  とんでもないトム・ピリビ


  トム・ピリビには秘密が二つあって

  それを誰にも打ち明けないのよ

  トム・ピリビには秘密が二つあって

  わたしだけがね、それを知ってるの


  王様の娘が彼に微笑みかけ

  彼を寝室で待ってるのよ

  王様の娘が彼に微笑みかけ

  羊飼いの娘もそうするの


  運がいいのよ、トム・ピリビは

  そしてわたしはね彼の恋人のつもりよ

  どんな幸運の星が彼を見守っているのかしら?

  どんな幸運の星が?

  とんでもないトム・ピリビ


  トム・ピリビには欠点が一つしかない

  たいしたことじゃないのよ

  トム・ピリビには欠点が一つしかない

  大きなことじゃないのよ


  彼はチャーミングで、いい人よ

  とっても勇気があるわ

  彼はチャーミングで、いい人よ

  でもねとってもホラ吹きで

  ぜんぶ本当のことじゃないのよ

  だけど彼の腕に抱かれているときには気にならないわ

  だってわたしは大きな国の女王ですもの

  そこに彼はわたしを連れて行ってくれるのよ

  とんでもないトム・ピリビ


元唄の”Tom Pillibi”は、彼が好きな女性の視点から、彼がつくホラ(嘘)も許してしまう、盲目的な恋心が描写されている。れっきとしたオトナの歌なのだ。

20221118

60年の電話番号

今年、1月16日に母が死んだ。98歳だった。大往生であろう。

それに伴い、使用していた電話などを解約した。作業は女房殿がてきぱきと行ってくれたが、私だったらあれ程効率的に行動出来たかどうか分からない。


使用していた電話は、私が小学1年の時に時の電電公社と契約して、導入したものだ。

与えられた電話番号は、4や9が並んだとても縁起が良いとは言い難い番号だった。就寝前、家族全員でどうしたものかと話し合った事を、昨日の事の様に覚えている。

3歳年上の姉が、気の利いた語呂合わせを考え出した。私は途端にその電話番号がとても気に入ってしまった。私の気分屋は、幼少の頃からの傾向らしい。

以来丁度60年に渡って、その電話番号を使い続けて来た。それ故に、名伏し難い思い入れがある。

高校を卒業する時、私は故郷を完全に捨てる覚悟で家を出た。もう2度と帰る事はない場所。それが故郷だった。

その時から15年に渡って、私は本当に家族と連絡を断ち、下宿生活を続けた。それでも正月になると、年に1回だけ両親の家に電話を掛けた。そう、件のその番号の電話だ。

それ故に、その電話番号は、いつでも、どこに行っても忘れる事のない、特別な番号になった。

何かと言うと、その電話番号を使用した。もう、住んでいる場所が異なるのだから良いだろうと。

18年前、今の女房殿と一緒に暮らす決断をして、私は故郷に帰って来た。青春の誓いはあっさりと破られた。母とは同居せず、独立した住まいを構えた。

帰って来てむしろ、私は母と連絡を取らなくなった。近くに住んでいるのだから良いだろうと思ったからだ。

「特別な」電話番号も、暫くは使わず仕舞いだった。

けれど、解約するとなると話は別だ。その電話番号に関わる、あらゆる思い出がどっと私を押し倒して行った。

女房殿はあっさりと電話を解約した。

何はともあれ60年は長い。その間、常に共にあった、件の電話番号が、遂にこの世から消え去るのだ。

女房殿が外出した隙に、私はそっとその電話番号に電話してみた。勿論誰も出ない。留守番電話機能は使ってないらしく、通信音はいつ迄も鳴り続けていた。多分これが、その電話番号に電話した、最後の電話になるだろう。そう思うと、意味もないのにその電話を、なかなか切れなくなってしまった。

通信音はいつ迄も鳴り続けていた。いつ迄も、いつ迄も。

20221113

51年振りの邂逅

中学生の頃、T野R子さんという片想いの女性がいた。恋としては全く実らなかったが、彼女は私の詩や絵を大層買ってくれた。良き友であった。

その彼女が私の15歳の誕生日に、リルケの詩を贈って下さった事がいまだに忘れられない。

だがその詩は、いくらリルケの詩集を繰っても見つからず、どの詩集に載せられた、なんという詩なのか全く分からずにいた。

(写真は偶然見付けたJim HallとBill Evansの"Undercurrent"のカヴァー写真カラー版。彼女のイメージは、私の中でこのアルバムと共にある。)


最近、沖縄に住むIGさんという方が、「もちよる詩集」という名で、ClubhouseでRoomを開いて下さる様になった。毎週ひとつずつ詩を携えて集まり、それぞれ開陳し合うという趣向だ。

私はそこで、外国語の詩を紹介する事を旨としている。

引っ越しの時、図書館にある本は処分する事になり、日本語訳の詩集は殆ど売ってしまった。残っているのは、主に原文だ。そこで、私はそれらの詩を自分なりに翻訳して披露する事にしている。

だが、各週のテーマに沿った詩は殆どなく、ネタ探しにGutenberg Projectを漁る事が多くなった。

一昨日も次のテーマを探しにGutenberg Projectをうろついていた。困った時のヘッセとリルケ。主にこの二人の詩を当てもなく読み散らかしていた。

そのうちにRainer Maria Rilkeの”Die Sonette an Orpheus”に辿り着いた。この詩集を私は読んだ事がない。

綺羅星の如きドイツ語が並んでいる。

リルケの詩には、題名が付いていないものがかなりある。この詩集の詩も、番号が振られているだけで、個々の詩には題名はない。

そのうちにXXI番の詩に辿り着いた。何気なく読んでみると

似ている!

T野R子さんが下さった詩に、XXIは確かに似ている!

急いでDeep Lで訳してみると確かにこれだ!

ようやく見付けた!!

その詩は彼女が贈って下さった詩そのものだと、私は確信が持てた。

51年の年月を経て、私はこの詩と再会する事が出来たのだ。

今、私は幸福である。


その詩を紹介したい。

Deep Lは外国語の大意を掴むには便利なツールだが、詩の翻訳には殆ど役に立たない。

仕方がないのでいつも外国語と格闘して、日本語に訳している。その際に51年前の記憶が役立っている事は言うまでもない。


XXI


Frühling ist wiedergekommen. Die Erde

ist wie ein Kind, das Gedichte weiß;

viele, o viele ... Für die Beschwerde

langen Lernens bekommt sie den Preis.


Streng war ihr Lehrer. Wir mochten das Weiße

an dem Barte des alten Manns.

Nun, wie du Grüne, das Blaue heiße,

dürfen wir fragen: sie kanns, sie kanns!


Erde, die frei hat, du glückliche, spiele

nun mit den Kindern. Wir wollen dich fangen,

fröhliche Erde. Dem Frohsten gelingt.


O, was der Lehrer sie lehrte, das Viele,

und was gedruckt steht in Wurzeln und langen

schwierigen Stämmen: sie singts, sie singts!


21

春がまた来た。大地は

詩を覚えた子どものようだ。

たくさんの、おぉ、たくさんの詩を…長く苦しい

勉強のおかげで今ご褒美をもらうのだ。


彼女の先生は厳しかった。僕たちは

老人の白い髭が好きだった。

今度は僕たちが、あの緑は何、青は何と

尋ねてもいいのだ。彼女はできる、きっとできる!


大地よ、休暇になった幸福な大地よ、

さあ子どもらと遊ぼう。さあ掴まえるよ。

楽しい大地よ。一番楽しい人が捕まえるのだ。


おぉ、先生が教えたことを、たくさんの事を、

それから木の根や、長い難しい幹に

印刷されたものを、彼女は歌う、彼女は歌う。

20221109

私の源である暗黒よ

 Du Dunkelheit, aus der ich stamme - Rainer M. Rilke (1919)を苦労して訳した。

祈念にここに記しておきたい。


Du Dunkelheit, aus der ich stamme 

ich liebe dich mehr als die Flamme, 

welche die Welt begrenzt, 

indem sie glänzt 

mich nicht so sehr verhinderte am Wachen -: 

für irgend einen Kreis, 

aus dem heraus kein Wesen von ihr weiß.


Aber die Dunkelheit hält alles an sich: 

Gestalten und Flammen, Tiere und mich, wie sie's errafft, 

Menschen und Mächte -


Und es kann sein: eine große Kraft 

rührt sich in meiner Nachbarschaft.


Ich glaube an Nächte.


私の源であるおんみ暗黒よ

焔にも増して、私はおんみを愛する

焔は輝いて世界を限定するが

その眩い輝きは

定まった範囲を照らすに過ぎぬ


だが暗黒は あらゆるものを抱き寄せる

さまざまな姿を焔を けだものをそして私を─

暗黒は奪い取るのだ

人間たちを また諸々の力を─


闇に包まれる私の横で

何かは知らぬ大きな力が 身じろいでいるかも知れぬ


私は夜を信じる

20221107

鴨脚樹の変遷3

 私はこの風景を石垣りんさんの詩で飾りたいと思う。


用意

 

それは凋落であろうか


百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落とすあのさかんな行為


太陽は澄んだ瞳を

身も焦がさんばかりに濯ぎ

風は枝にすがってその衣をはげと哭く


そのとき、りんごは枝もたわわにみのり

ぶどうの汁は、つぶらな実もしたたるばかりの甘さに重くなるのだ


ゆたかなるこの秋

誰が何を惜しみ、何を悲しむのか

私は私の持つ一切をなげうって

大空に手をのべる

これが私の意志、これが私の願いのすべて!


空は日毎に深く、澄み、光り

私はその底ふかくつきささる一本の樹木となる


それは凋落であろうか、


いっせいに満身の葉を振り落とす

あのさかんな行為は─


私はいまこそ自分のいのちを確信する

私は身内ふかく、遠い春を抱く

そして私の表情は静かに、冬に向かってひき緊る。

鴨脚樹の変遷2

 


次は10月30日。左側の樹は、全体が色付いている。


そして11月の3日。右側の樹も色付き始めた。この頃から左側の鴨脚樹は、その葉を散らすようになった。


11月6日。葉はあるか無しかの風で、ハラハラと散って行く。もう左側の樹はスカスカだ。