20220915

iOS16.0

私のiMacは古い。なのでOSは未だBig Surだ。一昨日(13日)そのBig Surのバージョンアップがあった。11.7にupした。Safariも16.0にupdateした。これは別にどうって事はない。ただ新しいOS、Montereyは一体どのようなOSなのだろうか?と憧れ、空想するばかりだ。

そうこうしているうちに次期macOS Venturaの噂も耳に入ってくる様になった。iMacを当分の間古いまま使う事にしている。どうやらmacOS Montereyには縁がないうちに終わってしまうようだ。

だがiPhoneは新しい。まだ最新のiOSを使う事が出来る。macOSのupdateに合わせる様に、iOSのupdateもあった。

最初に15.7にupするようにアプリで指令が入った。言われるがままにupdateした。すると何と16.0へのupが可能である事が分かった。大きなupdateだ。upせざるを得ない。

40分程掛けてupdateし、その日はそのまま予定されていたClubhouseに参加した。

しかし、時が経つにつれて、どうにも気にかかる事が起きていた。

IPhoneはロック画面になると、時刻が表示されるのだが、そのフォントがやたら太くて、ぼってりしており、はっきり言ってダサいのだ。

私は以前持っていたiPhoneから引き継がれた、スレートの壁紙を愛用していた。これはデザインと言い、色の濃さと言い申し分ないもので、変更の予定は全く無かった。


だがフォントのダサさがどうにも気に掛かった。変更の手立ては無いのか?調べてみると、これがiOS16の新機能のひとつとなっており、様々に変更出来る事が分かった。

すぐに変更作業に取り掛かり、色々試してみたのだが、時刻のフォントだけを替える事は、どうやら不可能らしい事が分かって来た。変更しようとすると、新規を追加と表示され、壁紙毎の変更を余儀なくされた。

どうする?壁紙を変更するか?ダサいフォントのまま我慢するか?

だがそのフォントは、Appleが新機能を使わせる為に、わざとダサく設定したとしか思えないものだった。

恐る恐る新しい壁紙にしてみる。そうするとフォントは変更出来た。フォントだけではなく、文字の色も変更出来る事が分かった。

調べてみると、ロック画面は簡単に元に戻す事も出来るようだ。やってみると以前のスレートがそのまま残っている。

ならば!と調子付いて用意されている画面から6種、自分で撮影した写真で2種、計8種のロック画面を作ってみた。画面は単に絵が用意されているだけではなかった。例えば天候の画面では、その時の天候に合わせて画面が変わる。

折角iOSを16.0に上げたのだ。心機一転、壁紙も替えてみよう!決心した。


中でも地球が映っている画面と、月が映っている画面が気に入った。昼は地球、夜は月でやって行こう。そう決心した。飽きてきたらまたスレートに戻せば良い。

地球の画面はロック画面の時、地球の中に自分の現在位置が緑色のスポットで表示される仕様になっていた。なかなか心憎い演出だ。しかも地球の姿は時刻によって変わって行くのだ。


月の壁紙は、時刻が月に隠れるように配置されており、加えてその日の月の名前が分かる仕様になっている。今夜は寝待ちの月である事を知った。


壁紙の変更を切っ掛けとして、iOS16の新機能を色々調べてみた。これはかなり凄いupdateだ。例えば送信したメールを15分以内ならば変更したり、取り消したり出来る。

他にも調べれば調べる程、魅力的な新機能を発見出来た。

当分の間、私はiOS16.0で遊ぶ事が出来そうだ。

20220827

読書メーター

先週から、今迄使うのを避けていた読書メーターを導入する事にした。

基本、ブログとInstagramに読んだ本について上げる事にしていた。だが、本を読むペースが落ちて来て、図書館から借りている本を、とにかく読む事という事を優先し始めたら、なかなかブログには上げられなくなってしまった。これでは読書の記録が殆ど残らなくなってしまう。何等かの形で残さねば。そう考えて、導入に踏み切ったのだ。

pushucaで登録している。


最初はtwitterとの連携の仕方も分からず、右往左往するばかりだったが、1週間使い続けたら、設定の仕方も分かり、何となく、コツが掴めてきた。

まだ5人しかフォローしていない。読んだ本も5冊しかない。それでも今迄twitterと三中信宏さんの日録からしか入って来なかった本の情報の経路に、新たにもうひとつが加わった。

フォローする人は敢えて、余り増やさない様にしている。

特殊な名前で登録している人が多く、なかなか目当ての人が見つからない。

また、私は読書傾向が余り一般的ではない。その事は薄々気が付いている。手当たり次第増やしても、読まないであろう本を沢山紹介されても、どうしようもない。

困っているのは、今読んでいるスティーヴン・ジェイ・グールドの進化論エセー集のような本を登録した場合など、本の内容が多岐に渡っていると、短かな文章で、感想を纏める事が難しい事だ。

だがこれは上げる対象がブログであっても同じ事で、どうせ簡潔には纏められそうにない。読書メーターには読んだ本として追加するという機能もあるので、そこに上げておく事にしている。これはなかなか便利だ。

驚いたのは『がんばれカミナリ竜』が、登録されている本のデータとして、上がっていなかった事だ。仕方なく、オリジナル本として登録し直した。読んだ本の書影を全てスキャンしてあったのが役に立った。

今のところ私は1日に72ページのペースで本を読んでいるらしく、8月の読書量も1947ページに及んでいる様だ。思ったよりかなりハイペースで読んでいる。

本を読むペースが遅くなってしまったのには困っている。最初の頃1日に1冊のペースで読んでいたスティーヴン・ジェイ・グールドの進化論エセーも、1日に2章を読むのが精一杯になってしまった。これでは県立・市立両図書館から借りている、月に10冊の本も、読み切る事がなかなかできなくなってしまっている。

盛夏のうちは、暑さの為に読めないと思っていたが、少し暑さが緩んでも、本を読むペースは上がらない。

読書メーターに、手を出して来なかった理由は、本を読む動機が、アプリに上げる事になったらつまらないと思って来たからだ。

今のところ読書メーターは、純粋な読書記録であり、読書の動機にはなっていない。

少しほっとするが、気を緩めるとすぐに本末転倒するのが私の常だ。気を付けたい。

20220817

そろそろ『晩夏』の時期だ

西から大雨をもたらす雨雲が近づいている。秋雨前線の雨だという。

立秋はとうの昔に過ぎ、夜にはコオロギの声も聞こえ始めた。秋の気配が確実に近づいている。だが昼間はまだ暑く、蝉の声も絶えない。

そろそろアレの出番かと思い、本棚から引っ張り出して来た。

アレというのはアーダルベルト・シュティフターの『晩夏』のことである。


夏の終わりにアーダルベルト・シュティフターの『晩夏』を読み、真冬に鈴木牧之の『北越雪譜』を紐解く。そうした習慣が出来てから10年が経つ。

余りに暑かったので、出遅れの感があるが、そろそろ『晩夏』を読み始めないと本格的な秋になってしまいそうだ。


暑さと鬱で余り本を読む事が出来ずにいる。

今読んでいるのはスティーヴン・ジェイ・グールドの『がんばれカミナリ竜』だ。進化論をめぐるエセー集も第5集目に入った。

第1集の『ダーウィン以来』の頃は上下巻を2日で読んでいた筈なのだが、この頃は2週間位掛かる。グールドの責任ではない。むしろエセーは日増しに洗練され、筆致は鋭くなっている。読み進めるのが遅くなっているのは、主に私の側の問題だ。

エセー集を中断する事に不安はない。いつでも戻って来る事が出来るだろう。だが、本が読めない状態が続いている事に関しては、酷く不安を感じる。

『晩夏』をいつもの様に読む事が出来るだろうか?

案ずるより産むが易しと言う。実際に読み始めれば、どうにかなるだろう。そうした楽観も心のどこかにある。だから不安なく『晩夏』を本棚から引っ張り出して来る事が出来る。

かれこれ15回以上は読んでいる。読み始めても何か新しい事に出会えるとは思っていない。実際何も起こらない。

だが元々どれを読んでも同じような作風の作家だ。

かえって安心して読書を進める事が出来る。

物語はゆっくりと、急ぐ事なく、静かに進んで行く。私はその物語に心ゆく迄身を委ねるだけで良い。

この作品はトーマス・マンが

世界文学のなかでも最も奥深く、最も内密な大胆さを持ち、最も不思議な感動をあたえる。

と評した本である。

ニーチェも

再読三読に値する

と言っている。

この頃奇妙な緊張感に取り憑かれている。それが読書の足を引っ張る原因のひとつにもなってきた。このアーダルベルト・シュティフターの悠久な作品に浸る事で、その緊張感からも開放されるのではないか?そうした期待感も実は持っている。

20220719

準備だけはできていた

今回の記事は出来ればスマホで開いて貰いたい。Stand.fmはスマホアプリだからだ。

 森哲平さん(moriteppeiで検索して下さい)のStand.fmを毎回聴いている。非常に役に立つ。

7月6日の放送ではSimplenoteの使い方を教わった。このアプリ、実は数年前からインストールしてあった。だが便利さがよく分からず、全く使っていなかった。考えてみればiMacからiPhoneに即座に同期してくれる。これだけでも十分便利なアプリだ。だが、Simplenoteというアプリの便利さはこれだけではなかった。そもそもMarkdownという記法を全く知らなかった。なので、その便利さに気付かなかったのも無理はない。このMarkdown、簡単で実に便利な記法なのだ。早速学習して、基本的な使い方はマスターした(これが実に簡単に出来てしまうのだ)。SimplenoteはこのMarkdownに対応したメモアプリなのだ。なのでこのアプリだけを使って、簡単なホームページくらいは作り上げる事が出来てしまう。これだけの実力を持っていて只。本当に良いのだろうか?とこちらが心配になってしまう程、至れり尽せりのアプリなのだ。

更にSimplenoteでは、各項目毎にURLを付ける事が出来る。これを使えば、iMacで得た情報をiPhoneで他の人と共有する事も、簡単に出来てしまう。

放送を聴いたその日から、SimplenoteはiMacに常駐するアプリになった。ちょっとした情報を得たら取り敢えずSimplenoteに放り込んでおく。それだけでその情報をiMacでもiPhoneでも即利用することが出来る。私のWeb環境は1日で劇的に変化した。

7月16日の放送ではDeepLを用いた、英語の本の読み方を教わった。

DeepLが実力を持った翻訳サイトであることは前から知っていた。だがその実力を十分に生かすだけの機会が訪れず、殆ど使っていなかった。

ここでGoogle lensの登場となる。Googleアプリからカメラアイコンをタップすることで、Google lensはiPhoneでも使える。これも以前から知っていた。だが昆虫や植物の同定を行う事以外には使っておらず、これを用いてtextがコピー出来る事も、単なる知識としてのみ、私の中では存在してた。

この機能、かなり前から知っていたが、日に日に実力を高めている。検索、コピー共に、実に高い精度でこなしてくれる。

知らなかったのはuniversal clipboardという機能だ。

これは例えばiPhoneでコピーした情報を、そのままiMacに転送する事が出来るという画期的な機能だ。

つまり、Kindleで英文の本を開き、iPhoneのGoogle lensでその画面を撮影し、textをコピー。それをuniversal clipboardを用いてiMacに転送。そしてDeepLにそれをペーストして翻訳してやれば、無い英語の知識を振り絞って、英文と格闘しなくても、英語の本を日本語で読む事が出来るという訳だ。

個々の機能はシンプルなものだが、それを組み合わせて使うと、実に画期的な作業がこなせてしまう。

幾つかの設定が必要なようであったので、確認してみると、何と!私は既にその設定を全てクリアしてあった。準備だけはできていたのだ。

早速Ernst Mayerの”What evolution is”を訳してみた。


DeepLが優れているとは聞いていたが、これ程の実力を持ったサイトだとは思っても見なかった。まだ最初の数ページしか訳していないが、テクニカル・ワードもなんのその。分かり易く整った日本語で翻訳されて出て来たではないか!

エルンスト・マイアーは進化論の分野で、総合説という学説を一人で立ち上げてしまった重要な人物なのだが、今のところ1冊も本が翻訳されていないという厄介な存在だったが、これで全く恐れる事は無くなった。

背伸びして、購入してある英文の本は何冊もある。この方法を使えば、殆ど死蔵されていたそれらの本がいよいよ生きて来る。

調子に乗ってGoetheの”Faust”もこの方法で開いてみた。ドイツ語も英語と遜色ない品質で日本語に翻訳してくれることが分かった。

DeepLは28言語に対応している。それだけあれば、何語の本であっても、十分対処する事が出来るだろう。

情報の入口が画期的に拡がった。

細々とした作業はあるが、それを含めて、今迄の3倍から5倍くらいのスピードで外国語の本を読む事が出来るようになった。

森哲平さんも放送の中で仰っておられたが、日本語に翻訳された外国語の本は高い。更に日本語の本は紙媒体とKindleの差がさほどないのに比べ、外国語の本は、紙媒体の本よりKindleで購入した方が半額近い値段で入手出来る。これなら外国人の本は原語の本を購入した方が圧倒的に経済的でもある。

これは大袈裟でなく、私の生活をガラリと変える、革命的なテクニックだ。

他にも森哲平さんのStand.fmは役に立つライフハックで満ちている。話に聞くところでは、この放送、あまり聴かれていないらしい。

勿体無い。

このブログもさほど役に立つ程には読まれていないが、皆さん!もっと森哲平さんの放送を聴こうではありませんか!

20220712

いきなりJazz

実を言うと少々古楽に飽きが来てもいたのだ。

しかし驚いた。いつものようにSpotifyでPlay Listを朝から聴いていたのだが、そんな心の隙を見透かしたように、今日のDaily Mix 3はいきなりずらりとモダン・ジャズを並べて来た。


並んでいるのはキース・ジャレット、チャールズ・ミンガス、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン等。

元々Jazzは嫌いな方ではない。高校生の頃はジャズ喫茶に入り浸って、これらのジャズマンの演奏に耽溺していた。

そうした私にとって、このラインナップは文句の付けようが無い。

しかし、最近6年程はSpotifyで古楽ばかりを聴いてきた。他のジャンルの曲を聴くときはYouTubeかCDを音源にしていた。

SpotifyのPlay listは元々、リスナーの好みをAIを用いて分析し、そこから似たようなジャンルの音楽を選択するという仕組みになっている。

折角Play listが古楽一色になってくれたのが勿体無くて、少なくともSpotifyでは古楽以外の音楽を聴いた事はない。古典派以降のクラシックすら避けて来た程だ。

なのに何故ここに来てJazzになったのだろうか?

心当たりがあるとすればヤン・ガルバレイクがザ・ヒリヤード・アンサンブルと共演した曲を聴いた事しかない。

これを切っ掛けにSpotifyが古楽からいきなりJazzに切り替えて来たとするならば、余りにも大胆なチャレンジと言う他ない。

突然鳴り始めたJazzに、最初は戸惑い、Play listを切り替えようかとも思い、まあ待てと耳を傾ける迄数分。気持ちを若い頃のままに切り替えると、やはりJazzはこれはこれで十分に良い。

50曲4時間49分を、すっかり堪能してしまった。

しかしSpotifyはなんのデータも与えていないのに、どの様にして私の好みのジャズマンを割り出したのだろうか?そのアルゴリズムを何とかして知りたいものだ。

もうすぐSpotifyのサーヴィス期間が終了する。またコマーシャル付きのfreeプランに戻さねばならない。その時が来たらと思っていたのだが、Spotifyの方から方針を変更して来たのであれば、それに乗って、そろそろ古楽一辺倒から卒業しても良い時節なのかも知れない。

20220704

涼しくなって読書復活

一時はこのまま再起不能かと不安に駆られた。

暑さと鬱が重なり、本を3日間で10ページ程しか読み進める事が出来なくなった。余りの不甲斐なさに吐き気すら覚えた。

読んでいたのがハンナ・アーレントの『革命論』だった事も、読書が進まなかった理由のひとつだったのだろう。


この本は志水速雄訳で『革命について』と題してちくま学芸文庫から出版されていたものを、森一郎がドイツ語版からの新訳として出版されたものだ。

ハンナ・アーレントは英語では難解だが、ドイツ語では筆が走り過ぎる。そう良く言われる。だが、私にはドイツ語版からの翻訳でも、十分に難解だった。序論と第1章までは快調だったのだが、第2章から難渋し始めた。

とにかく進まない。そして意味を掬い上げるのにひどく苦労する。同じ箇所を3、4回読んで、ようやく文意が理解できるという有様だった。

いつも聴いているNHK・FMの『古楽の楽しみ』が5:00からの放送になった。その為、遅くとも4:30には起床する事にしている。それもあって昼間になると、ぐったりと疲れてしまうようになった。解消する為に午睡を必要とするようになった。

2、3時間の午睡で疲れと眠気は取れるが、その分だけ読書に充てる時間は減る。遅い読書が更に遅くなった。

4号颱風アイレーが接近しつつある。その影響もあるのか、今日になってかなり暑さが緩んだ。最高気温でも30℃に届かない程度で、朝のうちは肌寒さすら覚える程だった。

相変わらず鬱は去らない。なので完全復活と迄は行かないが、午前中の読書では第3章をそれなりのペースで読み進める事が出来た。

嬉しかった。

今日常生活でやっている事と言ったら、古楽を聴く事と本を読む事くらいだ。そのうち読書が再起不能になったら、私の人生は目も当てられない事になってしまう。

他に望む事は何もない。どうかあの猛暑の復活だけは、何とかして避けてもらえないものだろうか?

9日には通院と同時に、県立・市立両図書館へ図書の返却と借り出しに行かねばならない。ハンナ・アーレント『革命論』は、延長で借りる事になるだろう。だが、先に読んでおきたい本も借りてくるので、また一旦中断する事になるだろう。

だが、伊達に何度も読み返しをしている訳ではない。今迄読んだ箇所は何とか覚えている。

要は慌てない事だ。この本はハンナ・アーレントの主著のひとつに数えられている。読み飛ばしてしまっては勿体ない。時間をかけて、じっくり取り組んで行こう。

私は読書のペースが少し取り戻せたので、すっかり気を良くしているのだ。

20220628

暑さに負けている

6月が終わろうとしている。史上最短の梅雨も明けた。

この間、スティーヴン・ジェイ・グールド『ニワトリの歯上・下』、ハンス・ペーター・リヒター『あのころはフリードリヒがいた』、大串尚代『立ちどまらない少女たち─〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』、岸本良彦訳・注『ディオスコリデス薬物誌』を読破した。


その度にブログに纏めねばと思うのだが、思うに任せず、放置したまま次の本に手を出してしまっている。


ただひたすら暑いのだ。

読破する度に思うところはあるのだが、暑さに思考が溶かされ、文章として纏める事が出来ずにいる。


実を言うと本を読むのにもままならない状態だ。


図書館の返却期限が近いので、それが気になり、何とか本のページを捲る。


だが急転直下来てしまった鬱も重なり、捗らない。読破した本が何冊かあるので、それで満足しようと思うに至っている。

猛暑は後3ヶ月は続くと予想されている。鬱もその程度、或いはそれ以上続くだろう。それに加えて大渦巻きのように押し寄せる自己嫌悪と希死念慮に抗って、青息吐息で何とか日々を送っている。

それが今の所の私の限界だ。