20210115

Josquin Desprez

 Spotifyは毎日、こちらの好みの音楽を50曲選び出し、それらを並べたプレイリストをいくつか作ってくれる。私は主にこの中からMix1とMix6と名付けられたプレイリストを聴くことが多い。それらが古楽を中心に襟抜かれているからだ。

当然、教会音楽が多くなる。勢い、毎日合唱を中心に聴く生活が続いている。

これら教会音楽の合唱曲の中で、私が最も惹かれるのはJosqin Desprezという作曲家だ。

ジョスカン・デ・プレと読む。Josquin Des Prezと書かれる事も多い。15世紀から16世紀に掛けて活躍した音楽家だ。

作品もとてつもなく多いがその中から、"Ave Maria"を紹介したい。

その和音感覚には、いつも驚かされざるを得ない。

高校の時2年間、合唱をやった。今でも合唱はよく聴く音楽だ。私がやっていたパートはバス。なのでどうしても、バスに耳が向く。

偏見なのかも知れないが、古楽の方が、近代の音楽より、バスが生かされているように思える。主に対位法を用いて、音楽が形作られているからかも知れない。

私は低い声を出す事には、それなりに自信があった。けれど、教会音楽を聴くようになって、その自信が突き崩された。

教会音楽のバスは、充実しまくっている。兎に角その響きが凄い。発声の方法からして、違うのだ。Josquin Desprezは、とりわけバスの使い方が上手い。私はこれほど重要なパートを任されていたのか!と思い知らされる程、効果的にバスが使われている。

紹介した"Ave Maria"は、私が好きな男声合唱団The Hilliard Ensembleが演奏している。

どうか、イヤホンかヘッドホンを使い、そのバスの魅力に取り憑かれて貰いたい。

                  *

"Ave Maria"は、思ったより、あまりバスが活躍していないようなので、もう1曲紹介したい。

Josquin Desprez - Motets & ChansonsこれもHilliard Ensembleの演奏。これなら澄んだ高音から、充実した低音まで堪能できるだろう。


20201230

Arianna Savall

Spotifyのプレイリストは、本当に私好みの音楽を探し出して来てくれる。

リュート奏者ではない。同じ撥音楽器だがハープを弾く。そして歌う。すっかりこのArianna Savallという音楽家に惹かれてしまった。

ハープと歌、そのどちらもしっかりとした技量に裏打ちされた演奏をする。古典歌手と紹介されているが、自ら作曲もする。

暫くの間、ソロの音源を聴いていたが、他の音楽家との共演も見事なものがある。

そのうちのひとつ、特に惹かれたのが"Scaborough Fair"だった。

かなりハイレベルな編曲が施されている。演奏も素晴らしい。

しかし、このArianna Savallという人、一体何ヶ国語で歌えるのだろうか?

20201210

リュートに嵌る

 嵌った。それもかなり重症の嵌り方だ。

ブログの左上の固定位置にLute Playerという題の絵を貼り付けてあるのでも分かる通り、昔から嫌いな楽器ではなかった。だが、これ程集中してリュートの音楽ばかりを聴いているのは、初めての事だ。

お蔭でSpotifyがその半数がリュートのプレイリストを作ってくれる迄になった。


最初はリュート奏者であれば、誰でも良かった。片端から聴いた。するとその内に好みというものが出来て来て、今ではお気に入りのリュート奏者が何人かいるようになった。

Christopher Wilson、Joachim Held、John Johnson(彼には自作の音楽に自作の詩を朗読で載せるという意欲的なCDもある)、Jordi Savall、Rosario Conte、女性ではShirly Ramseyと言ったところが光芒を放っている。

リュートが巧いかどうかより、ちょっとした癖とか節回しが、こちらの感覚にフィットするかどうかが、好みの判断基準になっているようだ。

いずれもルネサンス期及びその前後の音楽を中心に演奏してくれるのも嬉しいところだ。

しかしあれ程調弦が不安定な楽器と、良く根気強く付き合っているものだと感心してしまう。勿論、演奏に音程の不安定さはない。

ギターの前身として位置付けられる楽器だ。ギターより少しくぐもった音質を持っており、何より、その低音の充実ぶりが魅力のひとつだ。

リュート音楽に嵌り始めてかなり経つが、少しも飽きる事がない。それどころか、明日はどんなリュート奏者に逢えるか、楽しみで仕方がない。

音楽を聴いていると、その世界の広大さにいつも驚かされる。

いくら聴いても、リュート音楽が尽きる事はない。正に汲めども尽きずという状態だ。

嬉しい事だ。

当分空いた時間はリュートを聴いて過ごす毎日が続くのだろう。

20201124

ながらが出来ない

 Spotifyが3ヶ月980円のキャンペーンを始めたので、プレミアムに復帰。最初はAndrás SchiffのピアノでBach English Suitesを聴く。仄かに香る薔薇の様な芳香感が拡がる。


この感覚はクラシックならではのものだ。我が家に帰って来た様な、ほっとした気分になる。

プレミアムにしたので、広告も入らず、時間も気にする事なく聴ける。

だがその内にままならない事態が発生している事に気が付いた。

私は音楽を聴きながら本を読む事が出来ないのだ。

音楽を聴いている時には、活字が目に入って来ない。なんとかして本を読み始めると今度は音楽が全く耳に入って来なくなる。

折角プレミアムにしたのだから、音楽は聴いていたい。だが本を読まない訳には行かない。

妥協して、1時間ずつ本と音楽に振り分けて鑑賞する事にした。

考えてみるとこれは音楽と本に留まる問題ではなく、仕事から料理に至る様々な作業の中で、私はながらが出来ないのだ。洗い物をしながら魚を焼くなどという芸当は、とても無理な話だ。

その為、私の作業効率はすこぶる悪い。

本と音楽の様な趣味の領域では許されても、仕事となるとそうは行かない。

何とかしなければと感じている。だがこの癖が着いて64年。そう簡単に治るものではない。

どうしたものか?

訓練すれば、何とか治るものなのだろうか?

20201020

1991年の記憶がない

 立石洋子の『スターリン時代の記憶』という本を読んでいる。ソ連解体後のロシアの歴史認識に関する記述が並んでいる。ロシアも、過去の罪業に苦しんでいるのだ。

ところが、読んでいて気付いたのだが、私にはソ連解体の具体的な記憶がない。これだけの大事件なのに、気付いた時にはソ連は解体しており、国旗も代わっていた。

何故なのだろう?訝しんで自分の記憶を辿ってみて驚いた。私にはソ連が解体した1991年の記憶が完膚なきまでに失われているのだ。

1990年や1992年ならば、自分が何をしていたのか、おおよその記憶がある。だが、1991年に関しては、何も思い出せない。

Wikipediaで1991年を調べてみた。載っている項目のどれにも思い当たるところがない。流行語も事件も、ピンと来るところが全くない。

私は1991年、本当に生きていたのだろうか?急に不安になった。

今から29年前の事だ。完全に忘れ去る程昔ではない。

何故なのだろう。そう思って理由を探ってみるが、何しろ記憶が全くないので、手掛かりも掴めない。

次にまたWikipediaで1991年の日本を調べてみた。やはり思い当たる事がない。

だが、ひとつだけ、リアルに思い出せる項目が見つかった。

雲仙・普賢岳の火砕流だ。


このことに関しては、無闇矢鱈と鮮明な記憶がある。

と言うより、未だにその記憶から逃れられない。

特に6月3日の火砕流では、報道陣、消防団員など41人の方々が亡くなった。

それ以前から、現地の人々の余りな緊張感の無さに、言い知れぬ不安感を抱いていた。その果てにあの大参事が起きた。

今でもあのときもっと出来た事があったのではと思う。

私にとって痛恨の出来事だった。

私の1991年は雲仙・普賢岳の火砕流で、全てが占められているのだ。

火砕流は他の記憶の全てを押し流すに足る。大事件だったのだろう。

20201001

これが正規版になるのだろう

朝、macOS Big Sur Beta 9 11.0がupされた。すぐにインストールした。

実はこのupdateには、あまり期待していなかった。そろそろ正規版が出る筈だ。だが、にも関わらず、表示にはBeta 9とある。もしかすると、ベータチャンネルで登録してある限り、upされるのはあくまでもß版であり、いつまで経っても付き纏っているバグは、そのまま残されるのではないかと疑っていたのだ。

50分ほどの時間を掛けて、インストール作業を進めた。

いざ、起動してみると、何と!あの、散々悩まされていた「アプリケーション"com.avg proxy"へのネットワーク接続を許可しますか」のダイアログがいつまで経っても出て来ない。

これは!と、ようやく期待した。1分間待ってみた。やはり出ない。

無くなったのだ!

この様に、長文を入力していてもダイアログが出て邪魔されることはない。

なんと言う自由さだろう!

ようやくあのダイアログから解放されたのだ。

次に、開いているアプリをそのままにfinderを選択し、ほかを非表示にしてみる。そして、すべてを表示を選んでみる。全てが表示された。今迄これが出来なかったのだ。やった!このバグも解消されているのだ。

恐らく、これがそのまま正規版になるのだろう。それ迄バグをそのままにしておくとは、何と言う意地悪さだろうか。

これでやっと新macOS Big Surも「使える」OSになったのではないだろうか。

8月13日にBig Surのß版を最初にインストールしてから一月半、この時をずっと待っていたのだ。

それにしても気持ちが良い。バグのないOSとは、何と気持ちが良いものなのだろう。

20200929

いつ鑑賞するか

  フェデリコ・フェリーニの代表作『道』を録画できた。今からいつ観ようかと楽しみだ。けれどその「いつ」がどのくらい先になるかが分からないので、困っている。

録画したのは、『道』だけではない。他にも『ガッテン』や『ブラタモリ』を始め、タリス・スコラーズが出ている音楽番組や『NHKスペシャル』など幾つもある。

基本的にテレビのチャンネル権は女房殿に預けてあるので、どうしても観たい番組は、録画して、一人のとき観ることにしている。

だが、その一人のときが問題なのだ。

録画をまず話題に載せたが、している事はそれだけではない。NetRadioHunterというソフトを手に入れたので、ラジオの番組で、これはと思うものをどしどし録音している。

月曜から木曜の14:00から15:50までの『クラシックカフェ』を始めとして、その直前の『ビートルズは終わらない』。月曜から金曜の19:30から21:10の 『ベストオブクラシック』は必ず録音している。


  

昼、録音した番組は基本、その場で聴くようにしている。それでないと、どんどん溜まる一方なのでこれは欠かせない。

また、月に一度、県立長野図書館と市立長野図書館から、それぞれ5冊ずつ本を借りているので、それも読まねばならない。

月に10冊というと、かなりの量になる。実質自由になる時間は、主にこれらの本を読む事に充てられている。

そうなると、録画したテレビ番組をいつ観るかが問題となってくるのだ。

それらを観る、まとまった時間がなかなか取れない。

ブルーレイは、録画してから5年が限界だと言う。

5年というと長い月日のような気がするが、現実問題として、もう限界を超えてしまったブルーレイも何枚もある。

これでは無駄にディスクを消費しているだけで、ただですらない金を浪費しているだけという、悲惨な状態を招いているだけという事になってしまう。これは避けたい。

どうすればいいのか。

今のところ、解決策は見つかっていない。

私にフェデリコ・フェリーニの『道』を観る日はやってくるのだろうか?