丁度3ヶ月になった26日に書くつもりでいた。だが、時間に追われ果たせなかった。
どうにかこうにか今の仕事を始めて3ヶ月が過ぎた。
この3ヶ月の間に起きた変化として、毎日二人ずつで仕事に当たることが出来るよう、社員のIさんがシフトに入って来た事が挙げられる。
これによってかなり楽になった。
加えてやはり慣れなのだろうが、私の仕事が早くなったようだ。
残業をすることがほぼゼロになった。
以前は当たり前のようだった蛍の光を聴く前に上がることが出来るようになった。
これは大きな変化だ。
この3ヶ月の間にいろいろなことがあった。
頼りにしていた社員Nさんが突然やめてしまった時は、殆どパニックに襲われた。何かと困ったことが起きるとすぐにNさんに聞いて対処していたからだ。
しかし、いなくなってしまった人のことをいつ迄も引き摺っている訳にも行かない。
この事は私たちの自立心をかえって促す結果になったと思っている。
問題はこの3ヶ月間、ただの1日として自分で今日は完璧だったと言い切れる日が無かったという現実だ。
何かしら不備がある。
1日でも今日の仕事は充実していたと実感出来る日が来るのを心待ちにしている。
今でも時々入社当時のメモ帳を読みかえすことがある。
1週間で全ての仕事を完璧に覚えなければならなかった。それなりに必死だった。
1日の仕事が終わると、立っているのがやっとなほど疲れていた。
今は力を抜くべき時がいつかが分かって来た。以前ほど疲れなくなってきた。
しかし、必死だった頃のメモ帳を読みかえすと、少し堕落したのかな?という気分にもなる。
いつでも初心に返ることは、すぐ堕落する傾向がある私には、やはり必要なことなのだろう。
何はともあれ、3ヶ月が過ぎていた。
20160629
20160430
『サウルの息子』
以下の文章には、映画『サウルの息子』に関するネタバレ、独断、偏見、不確定な解釈を多量に含みます。映画をご覧になっていない方はご遠慮下さい。
映画を見終わってから数時間悩んでいた。
感想をブログに載せて良いものか?
ネタバレを含まない形で書くとしたら、通り一遍の書き方しか出来ない。それでは意味が余りにもない。
ラストシーンを観るまでは、その通り一遍の見方しかしていなかった。だが、あの子どもとそれを見るサウルの微笑みは何を物語っているのだろうか?
写真やYouTube動画を観て分かるように、この映画は全編にわたって、極めて被写界深度の浅い画面で構成されている。
映画冒頭のシーンはどこにも焦点が合っていない画面だった事からも推察出来るが、この被写界深度は、監督ネメシュ・ラースローの意図的な演出なのだろう。
焦点が合っているのは、主に大写しされているサウルの顔だけ。そして昔のTVを思わせる1:1.3の正方形に近い画面。ただですらボケボケの背景はそもそも面積からして極めて限定されたものになっている。
舞台は1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。
サウルはそこで同胞のユダヤ人をガス室に送り込むゾンダーコマンドの任務に就いている。彼らは他の囚人と引き離され数ヶ月働かされた後、抹殺される。
ある日、サウルはガス室で生き延びた息子とおぼしき少年(観た後入手したパンフレットには気を付けて読んでみるとそう書いてある)を発見する。少年はサウルの目の前ですぐに処刑されてしまうのだがサウルは何とかユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬しようとして、ユダヤ教の聖職者ラビを探し出そうと収容所内を奔走する。
そんな中、ゾンダーコマンドたちの間には、収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた。
最初に気に掛かったのは、サウルが息子を埋葬したいと主張する度に、同僚から再三にわたって「お前には息子はいない」と諭されることだ。
なぜこの台詞が繰り返されるのか?
そしてラストシーン。
川で息子(とおぼしき)の遺体を失ってしまったサウルは同僚と共に逃げ、小屋の中で小休止を取る。その時地元ポーランドの少年が現れ、サウルたちを眺めるのだが、サウルはそこで幸福に満ちた微笑みを浮かべるのだ。
最初、息子が甦ったように見えて、微笑んだのだろうかと考えたのだが、それでは意味が浅すぎると考え直した。
そして分からなくなった。
『サウルの息子』原題は"Son of Saul"。この「息子」とは誰のことなのだろうか?
サウルの微笑と「息子」の意味について監督はアメリカの公共放送ラジオのインタビューでこう答えている。
サウルが埋葬しようとした息子とおぼしき少年は、自分が送り込んだガス室で、救えなかった全ての子どもたちの象徴だったのではないか?
ラストシーンで響く銃声。それはサウルたち全員の死を暗示しているのだろう。
サウルもまたそれを覚悟していた筈だ。
だが、ポーランドの少年に「見られる」事で、サウルたちゾンダーコマンドの存在は後生に伝えられるだろうという安堵の気持ちが、あの微笑みを産んだのではないか?
ゾンダーコマンドの、そして収容所で死んだ数限りないユダヤ人たちの未来と希望。それを「サウルの息子」は意味していたのではないか?
極端に浅い被写界深度によって、暗示されているアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の地獄のような風景。
それも、多くの「サウルの息子」を産んだ悪夢の描写と考えれば効果的な演出だと思えてくるだろう。
映画を見終わってから数時間悩んでいた。
感想をブログに載せて良いものか?
ネタバレを含まない形で書くとしたら、通り一遍の書き方しか出来ない。それでは意味が余りにもない。
ラストシーンを観るまでは、その通り一遍の見方しかしていなかった。だが、あの子どもとそれを見るサウルの微笑みは何を物語っているのだろうか?
写真やYouTube動画を観て分かるように、この映画は全編にわたって、極めて被写界深度の浅い画面で構成されている。
映画冒頭のシーンはどこにも焦点が合っていない画面だった事からも推察出来るが、この被写界深度は、監督ネメシュ・ラースローの意図的な演出なのだろう。
焦点が合っているのは、主に大写しされているサウルの顔だけ。そして昔のTVを思わせる1:1.3の正方形に近い画面。ただですらボケボケの背景はそもそも面積からして極めて限定されたものになっている。
舞台は1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。
サウルはそこで同胞のユダヤ人をガス室に送り込むゾンダーコマンドの任務に就いている。彼らは他の囚人と引き離され数ヶ月働かされた後、抹殺される。
ある日、サウルはガス室で生き延びた息子とおぼしき少年(観た後入手したパンフレットには気を付けて読んでみるとそう書いてある)を発見する。少年はサウルの目の前ですぐに処刑されてしまうのだがサウルは何とかユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬しようとして、ユダヤ教の聖職者ラビを探し出そうと収容所内を奔走する。
そんな中、ゾンダーコマンドたちの間には、収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた。
なぜこの台詞が繰り返されるのか?
そしてラストシーン。
川で息子(とおぼしき)の遺体を失ってしまったサウルは同僚と共に逃げ、小屋の中で小休止を取る。その時地元ポーランドの少年が現れ、サウルたちを眺めるのだが、サウルはそこで幸福に満ちた微笑みを浮かべるのだ。
最初、息子が甦ったように見えて、微笑んだのだろうかと考えたのだが、それでは意味が浅すぎると考え直した。
そして分からなくなった。
『サウルの息子』原題は"Son of Saul"。この「息子」とは誰のことなのだろうか?
サウルの微笑と「息子」の意味について監督はアメリカの公共放送ラジオのインタビューでこう答えている。
And you have to bring the message to the future. That's the idea. So the question is whether there's hope that can still exist in the midst of utter loss of humanity and death.
メッセージを未来に伝えていかねばならない。そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でもそれでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです。
サウルが埋葬しようとした息子とおぼしき少年は、自分が送り込んだガス室で、救えなかった全ての子どもたちの象徴だったのではないか?
ラストシーンで響く銃声。それはサウルたち全員の死を暗示しているのだろう。
サウルもまたそれを覚悟していた筈だ。
だが、ポーランドの少年に「見られる」事で、サウルたちゾンダーコマンドの存在は後生に伝えられるだろうという安堵の気持ちが、あの微笑みを産んだのではないか?
ゾンダーコマンドの、そして収容所で死んだ数限りないユダヤ人たちの未来と希望。それを「サウルの息子」は意味していたのではないか?
極端に浅い被写界深度によって、暗示されているアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の地獄のような風景。
それも、多くの「サウルの息子」を産んだ悪夢の描写と考えれば効果的な演出だと思えてくるだろう。
20160426
就労1ヶ月経過
よもや私が大手のスーパーに勤めることになろうとは思っても見なかった。
その思っても見なかった事が現実となってひと月が経った。
最初の内は一日の労働が終わると疲れ果て、一滴の余裕もなく家に帰ってきたものだ。
それを振り返ると少しは慣れが出て、余裕が出てきたのかとも思える。
確かに慣れはあり、最初の内次にやることを必死に思い出しながら当たっていた作業も、ある程度は無意識に身体が反応するようになっては来た。その分疲れ方も多少は減ってきたように思える。
だが、一日の作業が終わると疲れ果てているのは未だに変わりがない。
思えば無茶振りとも言える就労の開始だった。
前任者が二人辞めるので雇われたと知ったのはかなり後。辞めるまでに5日しかなく、その間にどっさりある仕事内容を全て覚えなければならなかったのだ。
更にはすぐ後に入って来た若者に、仕事を指導する立場にも立たされた。普通なら指導される側にいる筈の期日だった。
さすがに大手だなと思うところは多々ある。
労働環境は全くブラックではない。
職種の関係で、土日やゴールデンウィークはおろか盆も正月もない事になったのは仕方ないだろうが、今迄体験してきた会社で常にあったサービス残業は極力撲滅する努力が支払われている。
そして何より生まれて初めての事なのだが、ボーナスや有給休暇というものを体験出来るようだ。
職場は波瀾万丈とも言い得る多くの出来事が満載の状態。
これから先もいろいろなことがあるだろう。
兎に角、何とかひと月という区切りを迎えることが出来た。
正直ほっとしている。
その思っても見なかった事が現実となってひと月が経った。
最初の内は一日の労働が終わると疲れ果て、一滴の余裕もなく家に帰ってきたものだ。
それを振り返ると少しは慣れが出て、余裕が出てきたのかとも思える。
確かに慣れはあり、最初の内次にやることを必死に思い出しながら当たっていた作業も、ある程度は無意識に身体が反応するようになっては来た。その分疲れ方も多少は減ってきたように思える。
だが、一日の作業が終わると疲れ果てているのは未だに変わりがない。
思えば無茶振りとも言える就労の開始だった。
前任者が二人辞めるので雇われたと知ったのはかなり後。辞めるまでに5日しかなく、その間にどっさりある仕事内容を全て覚えなければならなかったのだ。
更にはすぐ後に入って来た若者に、仕事を指導する立場にも立たされた。普通なら指導される側にいる筈の期日だった。
さすがに大手だなと思うところは多々ある。
労働環境は全くブラックではない。
職種の関係で、土日やゴールデンウィークはおろか盆も正月もない事になったのは仕方ないだろうが、今迄体験してきた会社で常にあったサービス残業は極力撲滅する努力が支払われている。
そして何より生まれて初めての事なのだが、ボーナスや有給休暇というものを体験出来るようだ。
職場は波瀾万丈とも言い得る多くの出来事が満載の状態。
これから先もいろいろなことがあるだろう。
兎に角、何とかひと月という区切りを迎えることが出来た。
正直ほっとしている。
20160309
県営住宅抽選会
暫くブログから遠ざかっていた。
人生最大の危機を迎えてしまったからだ。その危機の内容は書かない。ややこしい上に、少しばかり恥ずかしいと感じているのだ。身内のみっともない姿は見たくなかった。けれど、避けられなかった。
何にしてもその最大の危機から脱出を図らねばならない。
その一環として住居をもっと安い、出来れば公営の住宅に移す事を考えている。
今日は県営住宅の入居抽選会があった。
すべてをこの(正式名称知ってたかな?)新井式回転抽選器に託して、天命を待つ事にした訳だ。
ここに1から100迄の数字が書かれた玉を入れ、右に回し、出た玉の数が小さい順に入居が決まると言う段取りだった。
私たちは、私が身体障害者なので2回、籤を引くことが出来る。
事前にはこれが有利に働く物と思っていたのだが、いざ会場に行ってみると、殆どの人が2回の抽選権を持っていた。
そうした人しか抽選会に応募しないのかも知れない。
最初に3LDKの部屋から抽選会開始。
何と!当たったのは最初に引いた、1回しか抽選権を持っていない人だった。幸運は誰の上に輝くのか分からない。
私たちが応募したのは2LDKの部屋。即入居が2世帯。空き待ちの補欠が7世帯。数は多いのだが、その分応募者数も多く、倍率としては3LDKより高めの3.6倍程度だった。
事前にじゃんけんで順番を決めていたので私が先に新井式回転抽選器を回した。
結果!
99
何と言う事だ。よりによって最低に近い玉を出してしまった。
みゆきさんは63。
かすりもしない外れだった。
ま、応募したのが今回が初めてだった訳でもあるし、そうとんとん拍子に事が進むとは、最初から思っていない。
次回は5月頃になるらしい。何度も応募して、運を引き寄せるしかないだろう。
私より後に回した人の中には100を引き当てた人も居た。
帰り際に役員の人に「頑張って!」と声を掛けられたが、正直言って頑張りようがないのだ。
抽選器の正式名称を知っていたところで何の足しにもなりはしない。
人生最大の危機を迎えてしまったからだ。その危機の内容は書かない。ややこしい上に、少しばかり恥ずかしいと感じているのだ。身内のみっともない姿は見たくなかった。けれど、避けられなかった。
何にしてもその最大の危機から脱出を図らねばならない。
その一環として住居をもっと安い、出来れば公営の住宅に移す事を考えている。
今日は県営住宅の入居抽選会があった。
すべてをこの(正式名称知ってたかな?)新井式回転抽選器に託して、天命を待つ事にした訳だ。
ここに1から100迄の数字が書かれた玉を入れ、右に回し、出た玉の数が小さい順に入居が決まると言う段取りだった。
私たちは、私が身体障害者なので2回、籤を引くことが出来る。
事前にはこれが有利に働く物と思っていたのだが、いざ会場に行ってみると、殆どの人が2回の抽選権を持っていた。
そうした人しか抽選会に応募しないのかも知れない。
最初に3LDKの部屋から抽選会開始。
何と!当たったのは最初に引いた、1回しか抽選権を持っていない人だった。幸運は誰の上に輝くのか分からない。
私たちが応募したのは2LDKの部屋。即入居が2世帯。空き待ちの補欠が7世帯。数は多いのだが、その分応募者数も多く、倍率としては3LDKより高めの3.6倍程度だった。
事前にじゃんけんで順番を決めていたので私が先に新井式回転抽選器を回した。
結果!
99
何と言う事だ。よりによって最低に近い玉を出してしまった。
みゆきさんは63。
かすりもしない外れだった。
ま、応募したのが今回が初めてだった訳でもあるし、そうとんとん拍子に事が進むとは、最初から思っていない。
次回は5月頃になるらしい。何度も応募して、運を引き寄せるしかないだろう。
私より後に回した人の中には100を引き当てた人も居た。
帰り際に役員の人に「頑張って!」と声を掛けられたが、正直言って頑張りようがないのだ。
抽選器の正式名称を知っていたところで何の足しにもなりはしない。
20151125
『断片的なものの社会学』
不思議な本だ。何一つ主張していない。しかしその文章は、どこか人を捕らえて離さない魅力に満ちている。
岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだ。路上のギター弾き、元風俗嬢、元ヤクザ…。様々な人が登場する。様々な人生が語られる。それを丹念に描写している。だがそれらのどれひとつとして、そこに教訓めいた、深い意味を見出すことは出来ない。
著者岸政彦が社会学者としておこなっている個人の生活史の聞きとり調査からこぼれ落ちた、分析からも解釈からも拒絶されたようなエピソードが、ありきたりな、たわいもないものとして語られている。
冒頭付近で子どもの頃の著者の「奇妙な癖」が記されている。路上に転がっている無数の小石のうちひとつを拾い上げ、何十分かうっとりとそれを眺めていたという。
それぞれの人生は、著者が子どもの頃、たまたま手にとってしまった事によって特別なものになった「この」小石のように、たまたま出会ってしまった「この」人生なのだ。
世の中は無意味な欠片の集積から出来ており、私たちもまた意味のない、断片的な欠片の集積である。言っている事をひとことでまとめたらそう言う事になる。だが、それを声高に主張している訳でもない。著者は淡淡とその断片的な欠片を記載している。
それらは誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないものとして記されている。
マジョリティとはどんな存在か?
それについて思い巡らせる文章がある。
例えば「在日コリアン」としての経験があるとする。その他方に「日本人」としての経験があるのだろうか?そうでは無い。あるのは
だからこそマジョリティの人生は誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない。
ならばマイノリティが普通になるとは、どの様にして達成出来る事柄なのだろうか?
自分の出身を隠してずっと生きると言う事はそれ自体とても困難な辛いことであろうし、そもそもそれ自体が常に「自分とは誰か」という問いを絶え間なく問いかける契機となることだろう。
もうひとつ、時間についての思い巡らしが、私の印象に残った。
はっとした。
私たちは本を読み、音楽を聴いて生きているが、それらの営みの殆どは、時間を潰すこと。つまり時を数える様な生き方から逃れる為に行っている営みなのではないだろうか?
部屋には膨大な数の本が本棚にひしめいており、その横にはこれまた膨大な数のCDが並んでいる。
これらは私が生きている限りに於いて意味を持つが、私の存在がなくなれば、処理に困る単なる無意味なゴミの集積としてしか扱われないだろう。
そもそも、私という存在はそれ程意味のあるものなのだろうか?
本やCDという欠片の集積の中で、私という欠片の集積が生きている。
しかし、そのありきたりさの語りに触れる度に、私たちは胸がかきむしられるような、いとおしさを感じもするのだ。
私たちに許されているのは断片的な欠片の集積の前で、ただ戸惑うことしかないのかも知れない。
岸政彦『断片的なものの社会学』を読んだ。路上のギター弾き、元風俗嬢、元ヤクザ…。様々な人が登場する。様々な人生が語られる。それを丹念に描写している。だがそれらのどれひとつとして、そこに教訓めいた、深い意味を見出すことは出来ない。
著者岸政彦が社会学者としておこなっている個人の生活史の聞きとり調査からこぼれ落ちた、分析からも解釈からも拒絶されたようなエピソードが、ありきたりな、たわいもないものとして語られている。
冒頭付近で子どもの頃の著者の「奇妙な癖」が記されている。路上に転がっている無数の小石のうちひとつを拾い上げ、何十分かうっとりとそれを眺めていたという。
広い地球で、「この」瞬間に「この」場所で「この」私によって拾われた「この」石。そのかけがえのなさと無意味に、いつまでも震えるほど感動していた。
それぞれの人生は、著者が子どもの頃、たまたま手にとってしまった事によって特別なものになった「この」小石のように、たまたま出会ってしまった「この」人生なのだ。
世の中は無意味な欠片の集積から出来ており、私たちもまた意味のない、断片的な欠片の集積である。言っている事をひとことでまとめたらそう言う事になる。だが、それを声高に主張している訳でもない。著者は淡淡とその断片的な欠片を記載している。
それらは誰にも隠されていないが、誰の目にも触れないものとして記されている。
マジョリティとはどんな存在か?
それについて思い巡らせる文章がある。
多数者とは何か、一般市民とは何かということを考えていて、いつも思うのは、それが「大きな構造のなかで、その存在を指し示せない/指し示されないようになっている」ということである。
例えば「在日コリアン」としての経験があるとする。その他方に「日本人」としての経験があるのだろうか?そうでは無い。あるのは
「そもそも民族というものについて何も経験せず、それについて考えることもない」人びとがいるのである。
それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。
だからこそマジョリティの人生は誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない。
ならばマイノリティが普通になるとは、どの様にして達成出来る事柄なのだろうか?
自分の出身を隠してずっと生きると言う事はそれ自体とても困難な辛いことであろうし、そもそもそれ自体が常に「自分とは誰か」という問いを絶え間なく問いかける契機となることだろう。
もうひとつ、時間についての思い巡らしが、私の印象に残った。
私たちは、時間を意識しない状態を「楽しい」、時間を意識させられる状態を「苦しい」といって表現しているのかもしれない。
はっとした。
私たちは本を読み、音楽を聴いて生きているが、それらの営みの殆どは、時間を潰すこと。つまり時を数える様な生き方から逃れる為に行っている営みなのではないだろうか?
部屋には膨大な数の本が本棚にひしめいており、その横にはこれまた膨大な数のCDが並んでいる。
これらは私が生きている限りに於いて意味を持つが、私の存在がなくなれば、処理に困る単なる無意味なゴミの集積としてしか扱われないだろう。
そもそも、私という存在はそれ程意味のあるものなのだろうか?
本やCDという欠片の集積の中で、私という欠片の集積が生きている。
しかし、そのありきたりさの語りに触れる度に、私たちは胸がかきむしられるような、いとおしさを感じもするのだ。
私たちに許されているのは断片的な欠片の集積の前で、ただ戸惑うことしかないのかも知れない。
私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。
20151122
『近代科学再考』
出会うのが2、30年遅かった様に思う。大学に在籍していたときこの本を読んでいたら、もっとのめり込めたかも知れない。
今私は自然科学から少し距離を置いたところで生きている。
それ故、科学と社会の関係やその歴史について、それ程切実な問題意識を持てずにいる。かつてそれと深く関係したことがある分野。現在の私にとって科学とはそうした存在になっている。
しかし、自然科学は私にとって大切な分野である事は変わりがないだろう。
未だ、地質学の発表などを見聞すると、知らず知らずのめり込んでいる自分を発見することがある。私は本当に地質学が好きだったのだと、自覚する瞬間だ。
何故地質学を続けることが出来なかったか。それを語る事はブログではとても手に負えない問題だが、地質学を使って生きて行く事が、原子力発電所の新増設に荷担することとイコールであった事を無視して語る訳には行かない。
原発産業の落とす金は地質学をも飲み込み、活断層の研究や地盤工学などを生業とする地質コンサルタントなどは、その下請けの形で仕事を貰っていた。
その事で随分私は悩みもした。
その事を思い返しても、やはりこの本ともっと早く出会っていたら、と思わざるを得ない。この本には科学が制度となり、そして体制の一翼を担うようになった過程について、そして、日本の大学理学部の歴史が詳しく語られているからだ。
もっと早く出会っていたら、地質学と原発の問題、つまり科学の体制化の問題などを、より広い見地から考えることが出来たかも知れない。
この本、廣重徹『近代科学再考』は彼が近代科学について書いた4つの文章から成っている。
丁度社会に対する学生の叛乱が起きていた'60年代後半から'70年代にかけて書かれた文章を彼の没後にまとめた本だ。
社会に対する異議申し立ては、核兵器や公害などを生んだ自然科学そのものへの批判も含んでおり、それは時に反科学論として噴出したりもしていた時期だ。
廣重徹はそれらの運動に理解を示しつつも、
と批判している。
'60年代に世界的な科学技術振興ブームがあり、当時の反科学論はそれへの反発という側面があったのだ。
現在はどうか?
ノーベル賞などで日本人の受賞者が出ると、一瞬、科学はニュースになり、耳目を集める。だがかつてあった科学への信仰心は、正直言ってどこにも見られないように思う。子どもや若者は科学に過度の期待を抱かず、理科離れとして静かに科学に背を向けている。
理科系の大学を選択して進学した若者たちは、金の卵のように大切に扱われ、それぞれの分野ごとの閉鎖的な社会に安住してしまい、自分の選択が社会的にどの様な意味を持つのかといった疑問を抱くことなく、過ごしている。
この本に書かれていることの重要性は、一見浮世離れしているように見える科学も、社会的な現象であり、戦争を含めた世の動きとしっかり連携とって発展してきたことを、豊富な実例を挙げて論証しているところにある。
物理学がルーチン化し、新しい学問的視野を開けなくなっていることに対し、
とする彼の結語は現代の科学者にとっても、未だ果たせていない課題として突き付けられている。
しかしよく調べられている。
ニュートンは古典力学をほぼ完成させた偉人として認識されているが、彼は彼の万有引力の法則、また、それを含む力学の体系を正当化する上で、それを神の働きに帰している事など、この本を読むまで全く知らなかった事実だ。
彼の考えによれば
のだそうだ。
この『近代科学再考』は2008年に文庫化されたが、今はもう絶版になっており、古書で入手するか図書館に頼るしかない。
私は図書館から借りて読んだが、長野の県立・市立両図書館とも在庫がなく、相互貸借制度を利用してやっと手に取ることが出来た。
内容の深さと豊かさ、そして何より必要性を考えると、余りに残念な現実だ。
今私は自然科学から少し距離を置いたところで生きている。それ故、科学と社会の関係やその歴史について、それ程切実な問題意識を持てずにいる。かつてそれと深く関係したことがある分野。現在の私にとって科学とはそうした存在になっている。
しかし、自然科学は私にとって大切な分野である事は変わりがないだろう。
未だ、地質学の発表などを見聞すると、知らず知らずのめり込んでいる自分を発見することがある。私は本当に地質学が好きだったのだと、自覚する瞬間だ。
何故地質学を続けることが出来なかったか。それを語る事はブログではとても手に負えない問題だが、地質学を使って生きて行く事が、原子力発電所の新増設に荷担することとイコールであった事を無視して語る訳には行かない。
原発産業の落とす金は地質学をも飲み込み、活断層の研究や地盤工学などを生業とする地質コンサルタントなどは、その下請けの形で仕事を貰っていた。
その事で随分私は悩みもした。
その事を思い返しても、やはりこの本ともっと早く出会っていたら、と思わざるを得ない。この本には科学が制度となり、そして体制の一翼を担うようになった過程について、そして、日本の大学理学部の歴史が詳しく語られているからだ。
もっと早く出会っていたら、地質学と原発の問題、つまり科学の体制化の問題などを、より広い見地から考えることが出来たかも知れない。
この本、廣重徹『近代科学再考』は彼が近代科学について書いた4つの文章から成っている。
丁度社会に対する学生の叛乱が起きていた'60年代後半から'70年代にかけて書かれた文章を彼の没後にまとめた本だ。
社会に対する異議申し立ては、核兵器や公害などを生んだ自然科学そのものへの批判も含んでおり、それは時に反科学論として噴出したりもしていた時期だ。
廣重徹はそれらの運動に理解を示しつつも、
そこでいっきょに反科学と非合理に身をまかせてしまうのは、科学に未来をまかせてしまった未来学の流行と同じ軽薄さを逆向きに繰り返すことになろう。
と批判している。
'60年代に世界的な科学技術振興ブームがあり、当時の反科学論はそれへの反発という側面があったのだ。
現在はどうか?
ノーベル賞などで日本人の受賞者が出ると、一瞬、科学はニュースになり、耳目を集める。だがかつてあった科学への信仰心は、正直言ってどこにも見られないように思う。子どもや若者は科学に過度の期待を抱かず、理科離れとして静かに科学に背を向けている。
理科系の大学を選択して進学した若者たちは、金の卵のように大切に扱われ、それぞれの分野ごとの閉鎖的な社会に安住してしまい、自分の選択が社会的にどの様な意味を持つのかといった疑問を抱くことなく、過ごしている。
この本に書かれていることの重要性は、一見浮世離れしているように見える科学も、社会的な現象であり、戦争を含めた世の動きとしっかり連携とって発展してきたことを、豊富な実例を挙げて論証しているところにある。
物理学がルーチン化し、新しい学問的視野を開けなくなっていることに対し、
こんにちの科学を規定している社会基盤にまでつき進むするどい批判こそが何よりも必要
とする彼の結語は現代の科学者にとっても、未だ果たせていない課題として突き付けられている。
しかしよく調べられている。
ニュートンは古典力学をほぼ完成させた偉人として認識されているが、彼は彼の万有引力の法則、また、それを含む力学の体系を正当化する上で、それを神の働きに帰している事など、この本を読むまで全く知らなかった事実だ。
彼の考えによれば
神はいたるところに偏在している。空間とは神の感覚中枢にほかならな。神はこの感覚中枢において物体の運動を感知し、それが法則どおりに行われるようにガイドする。この働きが重力なのである。ニュートンはざっとこのような解釈を、たんなる比喩でなく、文字どおりに確信していた。
のだそうだ。
この『近代科学再考』は2008年に文庫化されたが、今はもう絶版になっており、古書で入手するか図書館に頼るしかない。
私は図書館から借りて読んだが、長野の県立・市立両図書館とも在庫がなく、相互貸借制度を利用してやっと手に取ることが出来た。
内容の深さと豊かさ、そして何より必要性を考えると、余りに残念な現実だ。
20151112
『私の1960年代』
山本義隆という人物を語る上で、元東大全共闘代表という貌はやはり外せまい。その山本義隆が60年代をついに語るという。これは読まねばなるまい。
勢い込んでこの本、山本義隆『私の1960年代』を読んだのだが、軽い肩透かしを食らったような気分に、途中で数回なった。
目当てにしていた68、9年の東大全共闘時代の話が予想より、遙かに少なかったからだ。
全体の1/3程だろうか。
その他は日本の大学制度や科学・科学技術の歴史の記述に当てられている。
彼は現在日本を代表する在野の科学史家であり、駿台予備校講師としての教育者でもある。そのバランスがこうした構成となって現れたのだろうか?と思った。
しかし内容は充実している。
中でもこの本の中に図として紹介されている当時のビラや、補注としてまとめられている若い頃の文章はどれも貴重な史料となっている。
驚くのは、記憶の確かさだ。
もう当時から4、50年が過ぎようとしている。
しかし山本義隆は当時の雰囲気や、重要な会議の様子・発言者・内容・意義などを、この本の中で昨日の事のように明確に語っている。
これは並みの記憶力だけで出来る技では無い。
当時、どれだけ考えながら事に当たっていたのか。そして、当時から現在に至るまで、どれだけこの事を考え続けていたのかを物語る証左だ。
さすがに60年安保は記憶にないが、68、9年は丁度私の思春期が始まる頃のことだった。それだけに私の人生の中でも、当時の運動は動かすことの出来ない、強い影響力を持った出来事として身体に染みついている。
当時、日本だけではなくヨーロッパで、アメリカ合衆国で、学生が反旗を翻していた。
それは一体何故だったのか?いかなる出来事だったのか?
そうした視点からこの本を読んでみると、多くが割かれている大学制度や科学・科学技術の記述も、大きな意味を持ってくる。
それを語らなければ東大闘争そのものの意味を語ることが出来ない事として、社会の大きな歴史があったのだ。
私としては68、9年当時、山本義隆は何を考えていたのかという興味からこの本を手に取ったのだが、そればかりか、どの様な経緯で現在の活動に移行したのかも理解出来た。山本義隆という人物の素顔の一端を知ることが出来たと思っている。
勢い込んでこの本、山本義隆『私の1960年代』を読んだのだが、軽い肩透かしを食らったような気分に、途中で数回なった。
目当てにしていた68、9年の東大全共闘時代の話が予想より、遙かに少なかったからだ。
全体の1/3程だろうか。
その他は日本の大学制度や科学・科学技術の歴史の記述に当てられている。
彼は現在日本を代表する在野の科学史家であり、駿台予備校講師としての教育者でもある。そのバランスがこうした構成となって現れたのだろうか?と思った。
しかし内容は充実している。
中でもこの本の中に図として紹介されている当時のビラや、補注としてまとめられている若い頃の文章はどれも貴重な史料となっている。
驚くのは、記憶の確かさだ。
もう当時から4、50年が過ぎようとしている。
しかし山本義隆は当時の雰囲気や、重要な会議の様子・発言者・内容・意義などを、この本の中で昨日の事のように明確に語っている。
これは並みの記憶力だけで出来る技では無い。
当時、どれだけ考えながら事に当たっていたのか。そして、当時から現在に至るまで、どれだけこの事を考え続けていたのかを物語る証左だ。
さすがに60年安保は記憶にないが、68、9年は丁度私の思春期が始まる頃のことだった。それだけに私の人生の中でも、当時の運動は動かすことの出来ない、強い影響力を持った出来事として身体に染みついている。
当時、日本だけではなくヨーロッパで、アメリカ合衆国で、学生が反旗を翻していた。
それは一体何故だったのか?いかなる出来事だったのか?
そうした視点からこの本を読んでみると、多くが割かれている大学制度や科学・科学技術の記述も、大きな意味を持ってくる。
それを語らなければ東大闘争そのものの意味を語ることが出来ない事として、社会の大きな歴史があったのだ。
私としては68、9年当時、山本義隆は何を考えていたのかという興味からこの本を手に取ったのだが、そればかりか、どの様な経緯で現在の活動に移行したのかも理解出来た。山本義隆という人物の素顔の一端を知ることが出来たと思っている。
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