20150529

『香港バリケード』

2014年9月26日。香港の若者たちは中華人民共和国に対して立ち上がった。
只、普通の選挙を求める運動だった。中心となっていた学生たちは皆、非暴力を示すために両手を挙げて運動していた。
それに対し、警察は28日から何度も催涙スプレーや胡椒スプレーを使用し、武器を持たない一般市民を「鎮圧」しようとした。
警察側は1日で計87発の催涙弾が使用されたと公表している。
この動きを私は主にTVで「怖々と」見詰めていた。

やはり1989年の「六四天安門事件」の記憶が未だに鮮明なのだ。あの時のような「事件」が起きることだけは避けて欲しかった。

若者たちは催涙スプレーや胡椒スプレーを避ける為に雨傘を差し、ゴーグルやマスクを付け、レインコートを着て身を守った。

その姿に雨傘革命"Umbrella Revolution"の名称を与えたのはイギリスのインデペンデントの記事が最初だった。

その呼称はすぐに世界中に広まることとなった。
Wikipediaなどでは、この運動は現在進行形の扱いをされている。異論はない。

その雨傘革命の本が出ると聞いて、矢も盾も溜まらずすぐに取り寄せた。NEWSなどではつかめなかった事が、この本にはぎっしりと詰まっていた。

主要な著者である遠藤誉は物理学者らしい、徹底した論理的で実証的な筆致で、様々な背景や情報を調べ上げ、中華人民共和国の圧倒的な力と人類の運命を左右するその深刻な危機とを描き出している。

何よりも香港という場所がどの様なところであるのかが詳しく示されていたので、この運動の特殊性をやっと私は理解することが出来た。

それを説明するために遠藤はアヘン戦争迄遡って解説している。

香港はアヘン戦争によってイギリスのものとなったが、それが1997年7月1日中華人民共和国に返還される。

この時鉄の女サッチャーは鋼の意志を持つ男鄧小平に、事実上「ひれ伏して」いる。

この時の共同声明が今回の雨傘革命に「仕組まれて」いる。

香港が返還されるとき一国二制度が用意されたがその期間は50年。長いように感じるが、大陸の時間感覚からすれば一瞬と言っても過言ではない。

しかもその50年の間に徐々に一制度に変わるのか、50年後一気に変わるのかは中華人民共和国の出方次第だ。

今回、選挙の方法を巡って、中華人民共和国は一国二制度の一国の方を表に出してきた。

事実上中国寄りの人物しか選ばれないような制度を押し付けてきたのだ。

元々香港には中華人民共和国の圧政から逃げて来た者たちが多く住む。またどこかに逃げるだろう。誰もがそう予想した。

しかし、香港新世代は新しいメンタリティを獲得していた。

「僕はこの香港を変える。この運動が20年後の香港になる。僕たちは逃げない。ここに踏み止まって、香港人として生きる!」
香港新世代は初めて登場した「香港人」なのだ。彼らは既にどこかに逃げれば済むという感性を持った「難民」ではなく香港を「生まれ育った家」だと認識している。だから中華人民共和国に立ち向かったのだ。


この本は2部構成になっている。

本の過半を占める序章と第1部を遠藤誉が担当し、残りを深尾葉子と安冨歩のグループが担当している。このグループにはジャーナリストの刈部謙一氏、獨協大学の学部生の伯川星矢氏が参加している。

独立した章立てになっているが、著者等は本を作る中で綿密にコミュニケーションを取っていたらしい。


今回の雨傘革命は台湾にも大きな影響を与えた。つまりこの運動は香港に閉じる性格は持っていないと言えるだろう。
つまり雨傘革命は広くアジアに向かって拡がってゆく戦いであり、それは終わったのではなく、始まったところであると言えるのではないだろうか。

雨傘革命は日本では少なくともこの本を産んだ。
熱い、本だ。
それだけ熱い運動なのだろう。

20150508

『貧困襲来』

今迄の人生の中で金に縁があった例しがない。

学生時代は明確に私は住む部屋のあるホームレスだと実感していた。貧困はいつもすぐ脇にあった。けれど運が良いのだろうか、抜け出そうにも抜け出せないとされる貧困状態には辛うじて陥ることなく生きてきた。
けれどこのままでは近い将来確実に貧困に陥るだろう。全く人事ではなくこの本、湯浅誠の『貧困襲来』を手にした。

ゲラを読んだという方の「読み進めながら、驚き、悲しみ、怒り、憤り、恐怖を順番に感じました。」という言葉は実感だろう。だが、私はこの時期にこの本に巡り会えて、良かったと思っている。まだ間に合うという気持ちにさせてくれたからだ。なので感想の最後に僅かだが希望も感じたと付け加えたい。

本の中に繰り返し「溜め」という言葉が出て来る。当事者が浸かっている外からの衝撃を吸収する働きをしたり、エネルギー源として機能したりするものをそう呼んでいる。
貧困と単なる貧乏を区別するのはこの「溜め」のあるなしだという。私には何だかんだ言ってもこの「溜め」があったのだろう。

この本が書かれた2007年当時は、書かれ方で分かるように貧困は十分周知された事柄ではなかったようだ。だが現在TV等で貧困の文字を目にしない日は少ない。それだけ周知されてきたのでもあり、周知されざるを得ない程、貧困が広範になり、深刻化していると言う事でもあると思う。

貧困はまさに社会問題として存在感を増している。貧困には五重の排除が成されているとされている。

1.教育課程からの排除
2.企業福祉からの排除
3.家族福祉からの排除
4.公的福祉からの排除
5.自分自身からの排除

頷ける。

にも拘わらず未だに自己責任論は根強い。その論調に乗る形で、これからはどしどし公的福祉は切り捨てられてゆくのだろう。

だからまずこれをいかにして無化してゆくかが生き方の技法として必要になってくる。

それを含んでこの本の最後には10の提案が成されている。

1.自己責任論とオサラバする
2.自分を排除しない
3.疑ってみる
4.調べる、相談する
5.計算する
6.ぼやく
7.はじける
8.つながる、群れる
9.攻める
10.変える

これらが簡単に出来る人間ならば、そもそも貧困には陥っていないとも言える。だが、簡単でなくてもやってみる価値は十分にある。出来なかったら。次は出来るようにするだけだ。その時の為に「もやい」のホームページをリンクに加えた。

20150418

『さらば、愛の言葉よ』

無意味なことをして来たのかも知れない。
しかし、私はそう思ってはいない。

日本最古の映画館と言われる長野相生座・ロキシーのプレミアム会員になっている。
会員券の更新があった。

どうせ行くのなら1本くらい映画を観てきたい。

で、選んだのがジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『さらば、愛の言葉よ』だった。
ゴダールが3Dに挑戦した映画だと言うことだけは知っていた。だが、さすがに日本最古の映画館では2Dでしか上映していなかった。

この映画を2Dで観ることは殆ど意味がない。帰ってきて様々なサイトで評論を読むと軒並みそう書いてある。

つまりゴダール監督がこの映画で何をやりたかったかと言うと3Dの常識を覆すことだという辺りで見解はまとまっていたのだ。

異議は別にない。

娯楽の最終兵器のように扱われている3D映画を解体したい。そうした意気込みは2Dで観ても十分に伝わってきた。


恐ろしく引用が多用されている。

台詞だけでもフローベールの『感情教育』に始まり、ドストエフスキー、レヴィナス、サルトル、ボルヘス、リルケに、ジャック・デリダ。ハワード・ホークスに、フリッツ・ラング等々。それに加えて音楽もスラブ行進曲やベートーヴェンの第7などが繰り返し立ち現れては途切れる。

それに加えて斬新な映像がこれまた立ち現れては途切れる。

つまりこの映画は全体がコラージュなのだ。

そして3Dに加えて多重露出の映像も入る。

映画は2部構成になっており、それぞれよく似た容姿の女と男が出会い、すれ違い、ぶつかり合う。

よく似た二組の男女のよく似た物語。

つまりそこに主題があるように、私には思えた。


3Dが殆ど同じ画面の視差差を利用して画面を立体的に見せるのと同じように、この映画では殆ど同じ男女(そして犬)の物語の僅かなずれを見せる事によって、物語そのものを「立体的に」構成しようとしているのではないだろうか?

それは3Dを解体することによって得られる豪華な遊びだ。

その意味でこの映画を3Dで観ることが出来なかったのはくれぐれも残念だった。監督の施した遊びが殆ど味わえなかったからだ。
だが、2Dだったから気付けた主題だったようにも思えるのだ。

原題は"ADIEU AU LANGAGE"

直訳すると『さらば、言葉』という事になるのだろうか?

それにしてはコラージュされている言葉は豊潤だった。それを追っていると何も理解出来ずに映画を見終えてしまうことになりかねないのだが。

83歳になるジャン=リュック・ゴダール監督の若々しい意欲作だと思う。この映画を残して下さった事に最大級の賛辞を送りたい。

20150415

『サイコパス・インサイド』

この本も都合3回読み直す事になった。

私は心理の専門家でもなく、脳科学に従事している訳でも無い。門外漢だ。なので友人の臨床心理士にこの本を紹介し、専門家から見たらこの本はどう映るかを確認してから感想を述べようと狡いことを考えていたのだ。
そのうちに時間が経って本の記憶も薄れ、再読したのだが、図書館で借りていたため予約が入り、2度目は途中で中断せざるを得なくなった。

そして今回3度目の再読となった。

最初前回読んだところから読み直せば良いだろうと思っていたのだが、内容をすっかり忘れていたため、最初からの再読となった。

それで良かったと思う。読んだ記憶はあるものの、前回読んだ内容は全くと言って良いほど頭に入っておらず、実に新鮮な気持ちで読み進めることが出来た。それに、3度目でようやく脳科学や解剖学用語が頭に入ってきたのだ。やっと理解したのだと思う。

サイコパスの定義は未だ確立されていない。だが「芸術作品」のようにそれを語ることは出来る。

定義できない。だがそれと分かる。

多くの人びとはサイコパスとして『羊たちの沈黙』のレクター教授を思い浮かべるだろう。

特徴は対人関係における共感性の欠如である。

ある日神経科学者である著者は大量の脳スキャン画像の中に奇妙な特徴を持つ画像を見いだす。それはサイコパスに特徴的な脳の部分的な領域における機能低下を示していた。そして次により驚くべき事実に遭遇する。その脳スキャン画像は著者自身のものだったのだ。

サイコパスの専門家自身がサイコパスの脳を持っていた。

この衝撃的な事実からこの本の物語は始まる。
眼窩皮質(目の上あたり)と扁桃体周囲の活動低下がよく分かる。

しかし著者はさほど動じなかった。彼は自分はサイコパスではないという確固たる自信があったのだ。

著者は人殺しや危険な犯罪を犯したことなどなかったし、それどころか科学者として成功し、幸せな結婚生活を送り、3人の子宝にも恵まれていたのである。

この事実は著者の科学的信念を大きく動揺させる。

サイコパスがサイコパスとして存在する条件とは何か?

それを探求し始めた頃、母から次なる衝撃的な事実を聞かされることになる。

父方の家系に数多くの殺人者が存在し、そのいずれもが近親者を殺害した疑いがあるという事実だった。

彼は遺伝的にも犯罪者の家系に属していたのだ。

著者は「三脚スツール」という名の理論を確立していく。サイコパスの要因となる3本の脚とは、
①前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機 能低下
②いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体
③幼少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待、異常
である。それは著者自身の人生との間にも、十分 に折り合いを付けられるものであった。

この研究成果発表に乗じたカミングアウトもまた、パンドラの箱を開ける行為であった。ある日講演前の打ち合わせにおいて、同席した医師から双極性障害を患っているのではないかという指摘を受けるのだ。

この瞬間、彼の人生で起こってきた出来事、喘息、アレルギー、パニック発作、強迫性障害、高度の宗教性、不眠、快楽主義、個人主義...。様々な症候群が、一本の線でつながり出す。

やがて彼は、自分自身が向社会的サイコパスであることを受け入れる。たしかに反社会的な特性はなく、怒りをコントロールすることが可能で、犯罪歴がないことも紛れもない事実であった。だが、対人関係的特性、情動的特性、そして行動的特性に関して、サイコパスの特性となる項目の多くが該当していたのである。

これまでの人生における自己認識そのものを疑う必要性に迫られた彼は、自分に共感が欠けていたことを確信し、周囲の人間に自分の人物像を聞き回っていく。 自らが主観と客観の架け橋となり、同一性のギャップを埋めようとしていく様は、それ自体が数奇な物語であり、自分探しのための巡礼の旅でもあった。

この本は自己発見、自己理解、自己変革を遂げてゆく波乱に満ちた自伝であると共に、最新の脳科学の解説と科学的発見─その挑戦と冒険の物語になっている。溢れかえる脳科学の用語、特に解剖学用語にはかなり翻弄されたがお蔭で脳科学の知識が飛躍的に増えた。

20150412

『複雑さを生きる』

安冨歩の本『複雑さを生きる─やわらかな制御』を読んだ。

この本で旅をする世界は非常に広い。だが、主張している事は一貫している。
 世界は複雑系で出来ている。その複雑さを生きる為に必要な事は、頭で考える前に感じなければならないと言うことだ。その感覚を信じ抜いた上で考える事によって初めて私たちは宮沢賢治が言う「因果交流電灯」のひとつとしてたしかに灯り続けることが出来るのだろう。

この本の内容から少し離れるが、ひとはしばしば数学なんて社会に出たら役に立たないと言う。確かに2次方程式を解くと言うような機会は日常生活でそう滅多に訪れるものではない。本当に役に立たないのだろうか?
そうでは無いのではないか。この本を読みながら、ふとそのようなことを考えた。

この本は人間同士の様々なコミュニケーションにまつわる問題を、カオスや複雑系を導入することによって解決可能なものに出来る事を示している。
そればかりかそれは発展の契機となる可能性も示唆している。

それは「知る」という行為についての考察に始まり、コミュニケーションの持つダイナミズムとそれに潜むハラスメントの可能性にどの様に対処してゆくかという問題圏を経て、殆ど訳に立たない計画制御の代替案として「やわらかな制御」を提案し、その果てに現在の資本主義的な市場も関係を断ち切る敵対的なマーケットではなく「物資と情報と人間関係が入り乱れて飛び交う」バザールとして成立していること。それ故に未来に希望を繋ぐことが出来る事を示している。

複雑系を通して世の中を見ると、それは途方も無くダイナミックで柔軟性と躍動感に溢れた魅力的なものとして映る。複雑系は実際に世の中で役に立つ。それを理解するためにも基礎数学を学ぶ価値がある。そう実感することが出来た。

他の本の中で端的に表現されていた幾つかの概念の内実を、私はこの本を読むことでようやく納得する形で理解することが出来た。

安冨歩の思想の核を形成する本のひとつだと思う。

20150405

『最後の親鸞』

2度ほど、読むことを放棄している。

3月25日の日記には

心に響いてこないので中断
とすら書かれている。
その後何とか読了したものの、殆ど内容を把握することが出来ず、辛うじて末尾のテープ起こし「『最後の親鸞』ノート」でようやく意味を拾い上げることが出来た有様だった。

友人から親鸞のなにに魅力を感じているのか?と問うメールを頂き、それを探すために読みかえしてみた。

ようやく理解出来た。

深く頷ける。

吉本隆明はこの本で、記録されることがないままに放置されている親鸞の「到達点」を、記録された文言から再構成する事を試みているのだろう。

親鸞がその思想を築き上げていた時代、世の中は平穏ではなかった。災害や飢饉が頻発し、それに対する人間の側の力は無に等しかった。

極言すれば親鸞は飢えて死につつある人びとに向かって、どんな自力の計らいをも捨てよ。〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が阿弥陀の本願に近づきやすいのだと説いていたのだ。

しかも親鸞は宗教という一種の組織人としては恐ろしく大胆な宣言も発している。

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり(歎異抄)

これはどの様に解釈したら良いのだろうか?

無論、そのままを読めば良いという立場も十分に成り立つだろう。

だが、これを言いながら親鸞は教えを「広め」つつあったのだ。
それが両立したのはいかなる〈業縁〉だったのだろうか?

信徒を突き放すような言動はこれに留まらない。

念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおんはからひなりと云々

もはや念仏を唱えよという教えすら放棄している。
宗派人としての親鸞の、自己放棄を意味する言葉でもある。

思えば自力作善というものは、それ自体が自我への深い執着なのではないか?それが私が他力の思想に惹かれた最初の気付きだった。

親鸞はその他力の思想を極限まで突き詰めた。

その結果として組織としての宗教性をも解体する境地にまで達したのではないだろうか?

つまり称名念仏そのものにも自力の匂いをかぎ分けてしまうほどに。

そこまで達してしまった親鸞という人物の言動が(完全に親鸞のみの言動とは断定できないのかも知れないが)現代にまで生き延びてきたと言う事は、それ自体が奇蹟のように、私には思えるのだ。

20150319

『1995年』

あれから20年経った。

阪神・淡路大震災が起き、引き続いてオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。

この2つの出来事だけでも、1995年は記憶に深く刻み込まれた特別な年だった。

20年目の節目という動機から、1995年を振り返ってみようと思った。
漠然とあの年に何かが終わったと言う感触を持っていたからだ。それが何か確かめたかったのだ。

最初に速水健朗の『1995年』を読んだ。期待していなかったが、その予想は当たり、さほど深い内容を持った本ではなかった。新書なので仕方がないか。とも思ったが、1995年という年を中心に何が起きたのかは網羅されており、それをチェックするには都合の良い本だった。

それよりも期待していたのは中西新太郎・編『1995年─未了の問題圏』の方だった。
この本は横浜市立大学教授の文化社会学者中西新太郎が、雨宮処凛、中島岳志、湯浅誠、栗田隆子、杉田俊介の5人と対談し、

95年をエポックとして何が変わったのかを検討(対論を終えて)

しようとする意欲的な対談集だった。

しかし奇妙な本だった。

1995年に焦点を定めて語れば語るほどに1995年が後景化してしまう奇妙な対談集だったのだ。

湯浅誠を除いて他の4人は1995年に二十歳だった論客が並ぶ。そこで語られるものは労働(生きること)性(フェミニズム)そして政治・文化(マンガ・サブカルチャー)など多岐に及ぶ。
近過去を様々な局面から振り返る事が目的ならば、この対談は成功している。

しかし何度も1995年に立ち戻ろうと苦心惨憺しているが失敗している。

何故か?

気分や雰囲気は確かに1995年何かが終わったと言う実感にあるのだが、具体的に検討を始めると時代の分岐点はそこになかったことが白日の下に明らかになってしまうのだ。

その為に実質的にこの対談集は90年代後半から2000年付近で何が起きたのかを回顧する内容になってしまっている。


本の題名は素晴らしいのだ。
確かに1995年に起きた出来事はどれもが未了の問題として放置されている。

だがそれは怠惰の結果として放置されているのだろうか?

そうではなく、誰もが1995年に何が終わって何が始まったのか?何から何への変化だったのかを探し求め、しかし見付けられずに途方に暮れてきた「問題圏」なのではないだろうか?

1995年が時代の節目だったという実感が実は虚妄のものではなかったのかという史実に気付くという予想外の結果を遺してこの本は終わっている。

勿論本にはそうは書いてないのだが。