20141211

iMacがやって来た!

それ程手放しで喜べない日になってしまった昨日、11時頃遂にiMacが我が家にやって来た。

開封の儀の写真を撮るつもりだったが、箱と格闘している内に忘れ、気が付いたらTime Capsuleからのデータ転送を行っていた。

2時間半ほどそれに費やしただろうか。

私の机の上にiMacが復活した。

どれ程この瞬間を待ち望んだことだろう。


16日の朝起きたらiMacが壊れていた。

起動して画面が明るくなってもカチカチ音がするだけで、きちんと起動してくれない。暫く経つとはてなマークの描かれたフォルダのアイコンだけが出る。

調べてみるとどうやらHDDが壊れた徴らしい。何度か再起動を試みたが駄目。

ヤマダ電機に持ち込んで修理できないか訊いてみるとAppleのサポートセンターの電話番号を教えてくれただけだった。試しにK's電機に電話しても同じ。

Appleのサポセンに電話してみるときちんと3番を押したにも拘わらず矢鱈待たされた挙げ句にiPhoneの係に繋がってしまった、これは以前にもあったことだ。電話機が古すぎるのだろう。また矢鱈待たされて、その挙げ句に分かったのは、最初予想したとおり部品がもうないので修理できないというお達しだった。

意を決したのは18日になってからだった。新しいiMacを買うことにした。

けれど、以前の環境を取り戻すことが出来るのか、ずっと不安だった。Time Capsuleでデータをこまめに保存はしてあったが、新しいiMacできちんと作動してくれるかどうか分からない。

不慣れなWindows環境では、どうもモチベーションを保つことが出来ず、ブログを更新する事も無く、3週間、ただひたすら新しいiMacがやってくるのを待ち続けていた。

私はMacでなければ駄目だと言う事をつくづく痛感させられた3週間だった。


そして遂に来たのだ!

驚いたのは起動直後の設定画面でTime Machineからの転送という項目が出た事だ。これは予想外だった。真っ新の画面を確認できないのは惜しいがそれに代え難い嬉しさがある。

Time Capsuleからのデータ転送は巧く行き、私は11月15日以前の環境を再び取り戻すことが出来た。とても嬉しい。


写真を見れば分かる人には分かるかも知れないが、Track Padを付けた。結構便利だ。マウスと併用して使うつもりだ。

これを導入する時、Magic Mouseは古いものを流用するつもりでいた。だが、何となく不安になってMouseも同時に購入した。

これが大正解だった。

古いMagic Mouseは何故かどうやっても接続出来なかったのだ。


何よりも画面の美しさが際立つ。
Retina Display。

そしてそれ以上に驚いたのが、処理速度の圧倒的な速さだ。

新しくなったのだからある程度は処理能力も向上しているだろうと予想していたが、古いiMacと比較して、これ程の差が出るとは夢にも思っていなかった。

iMacがなかった頃に様々な事が起きた。
大きな地震もあった。

そして昨日、大切な人が亡くなったという知らせを受けた。

正直、未だに体が崩れ落ちそうな気分ではある。

過去は狼のように追いかけて、私に襲いかかってくる。それを一匹一匹撃ち殺しながら、未来へ進んで行かねばならない。

そんな詩があったと記憶している。

新しいiMacと共に、未来へ橇を走らせよう。

20141104

『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』

クラシック界最大のピアニストのひとり。そう呼んでもそれ程異論はなかろう。アルゼンチンで生まれ、スイスで育った天才、マルタ・アルゲリッチの事だ。
そのマルタ・アルゲリッチを実の娘のステファニー・アルゲリッチが映画にした。これは観に行かなければファンとして話になるまい。

自分の肉親を映画にする。それがいかに困難な作業かは少し想像するだけで、理解出来る。日本語の題名は『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』とあって、鵜呑みにすると彼女の演奏が主体になっているのかと思うが、原題を知るとそうは行くまいと思えてくる。"Bloody daughter"がこの映画の題名である。「厄介な娘」と訳せば良いのだろうか?

しかし、観てみるとそれ程の緊張感はない。
湿り気もなく、適切な距離感を保って、母を描いている。


とは言えやはり平凡ではありえなかった母を持つことの複雑さはそこここにほの見える。

演奏会の場面で
「母の演奏会を何回も見た。おそらくは何百回も。子どもの頃の私には、演奏会とは母のいない時間。母を失う時間だった。」

サイン会の場面で
「昔はなぜサインに時間を費やすのか分からなかった。ファンに献身する母の姿は私を苛立たせた。ファンに噛み付いたことも─」

「今はファンの姿が私を感動させ、子どもの頃の確信を思い出す─」
「母は超自然的な存在で、常人には手の届かない高みにいる。」
「つまり私は女神の娘なのだ」

などのナレーションにそれは見え隠れする。

女神の娘。だから厄介な娘なのだろうか?


だがその他のシーンでは、母と娘の複雑な関係は表立って現れてこない。むしろ長年接してきた者でなければ撮れなかったであろう貴重なシーンが目を引く。


日常を撮っている。

だが、それを逆から見れば日常的に撮り・撮られるという関係にあると言う事だ。そうした母と娘とは一体どんな感じなのだろう?と不思議にも思えてくる。
つまり、余りにも自然なステファニーの距離の取り方が逆に気に掛かってくるのだ。

この映画を撮って、ステファニーは
「母がもっと好きになった」
と語っている。

それはそれで良いのだろうが、どことなくステファニーには、母マルタから離れられないものを、この映画を通して感じてしまった。そこにやや不安を感じてならない。

「音楽は説明するものではなく,感じるものであり,言葉を超越するものだ」そうマルタ・アルゲリッチは言う。

この映画は名作ではあるまい。けれど、母と娘という関係も、同様に説明を拒絶するものであって、この映画は家族というものを、そしてその中の母という存在を感じる映画となり、言葉を超越することは出来ているのではないかとふと感じさせられた。

2012年 スイス、フランス
監督    ステファニー・アルゲリッチ
出演    マルタ・アルゲリッチ,スティーヴン・コヴァセヴィッチ,シャルル・デュトワ,リダ・チェン,アニー・デュトワ,ステファニー・アルゲリッチ

20141026

iPadアームスタンド

強力な武器を手に入れた。

期待して購入したものの、使う時手に持たなければならないのが意外に面倒で、iPadは使いこなしているとはとても言えない状態にあった。

確かに便利なのだ。PCと違い、ケータイ感覚で殆ど常時起動していられる。使わない時は特製カヴァーを閉じればスリープ状態にしておくことが出来る。
なので思い立った時すぐに立ち上げることが出来、発想から作業までの距離はぐんと縮まった。

だが、本格的な作業にはスペックが足りない。

最新のものに買い替えれば問題はなくなるようだ。だが金はない!

その為、主に外出時の作業に限定して使うようになっていた。


気になることがあった。

以前からAirDisplayというアプリをiPadとiMacにインストールしてあったのだ。

iPadをiMacのセカンドディスプレイとして使うことが出来る。

便利だと思って導入した。決して安いアプリではなかった筈だ。

だがiMacのディスプレイとの位置関係に問題があった。机の上に置いてこのアプリを使うと微妙に視線が強制的に動かされ、姿勢も安定しない。使っていて疲れる。

いつの間にか使わなくなっていた。


iPad用のアームスタンドがある事は知っていた。だが当時知っていた品物は1万5千円以上するもので、とても手が出なかった。

何とかならないか?

探してみると安いiPad用のスタンドがあった。それを買ってみた。

けれど届いてみて分かったのだが、この商品はカメラの三脚などに付けるヘッドであり、単独では使用できないものだった。

かっとなって三脚も買ってしまった。

けれど冷静になって考えてみると、カメラの三脚を机の上に置いて作業すると言うのは何かと不便だ。置き場所に困ることが予見できた。

何とも諦めが付かず、「iPad アームスタンド」で検索してみた。iMacに取り付けるものではないようだが、よく似た商品が圧倒的に安い値段で存在していることが分かった。

即買った!

その商品が今日先に届いた。
名前は「寝ながら仰向けくねくねタブレットスタンド」という。何ともダサい名前だ。だが商品はイメージ通り。

確かにくねくねとしたアーム。これでタブレットの位置を自由に設定することが出来る。

使ってみて驚いたのは、手が塞がらないことがこれ程便利なこととは想像もしていなかったほど自由なことだった。
姿勢を殆ど変える事なく、iPadを操作できる。

これだけでも十分に便利だ。

早速iMacと並べて設置し、AirDisplayを起動、接続して同期させてみた。
大きなWindowを設定してあるソフトはiMacのディスプレイの大きさに替わってしまうことが分かった。だがWindowの大きさをそれ程必要としないソフトは十分に、ストレスなしに使えることが分かった。

このブログも最近導入したBeitelというアウトラインプロセッサをiPadに表示させ、それを見ながら作成している。

実を言うとAirDisplayがこれ程便利なアプリだとは想像もしていなかった。マルチディスプレイは確かに使い勝手がとても良い。
いちいちアプリを切り替える手間を全く必要としないので、仕事の効率がぐんと上がる。

しかし、三脚はカメラ用に使うこともあるだろうが、最初に間違って買ってしまったiPadホルダーは全くの無駄になってしまうのだろうか?

何か使い途は無いものか?

20140930

御嶽山噴火

TVを観ていたらもう少し早く気付いたのかも知れない。twitterで地質関連の方々が騒ぎ始めたので知った。

9月27日11時52分、御嶽山が噴火した。

突然の噴火だった。
前兆と呼べるものはなかったと言って良いだろう。

41分頃から火山性微動が発生しており、山体も膨張してはいたらしい。

噴火7分前、山体の膨張を観測 気象庁、予知は困難か

だが10分前からの前兆が何の役に立つだろう。

タイミングも最悪に近かった。紅葉シーズンの始まった快晴の土曜日、それも昼頃。
当然登山者は多く、火口付近にも大勢の人がいた。

噴火としては小規模のものだったと思える。だがその小規模な噴火でも大惨事と呼べる被害が発
生してしまった。

現在(141030)12名の死亡が確認されている。これは医師の診断が下ったものであり、山中にはまだ少なくとも26名の心肺停止状態の方々の存在が確認されている。行方不明者の総数はまだ確認されていない。

死者は50名を越えるのではないかと憂慮している。

噴火はマグマによるものでは無く、水蒸気爆発だったようだ。

マグマが関与していれば火山ガラスなどのマグマ由来物質が観察されるはずだ。
だがそれらは観察されていない。

御嶽山2014年9月27日噴火の火山灰について

この事が前兆がなかった主な原因だろう。

だが、原理的に噴火の予知は可能と言えるのだろうか?

前兆と噴火の間には

異常あり→噴火あり
異常あり→噴火なし
異常なし→噴火あり
異常なし→噴火なし

という関係が成り立つだろう。

このうち予知が出来たとされるのは

異常あり→噴火あり

の場合に限られる。
つまり予知は極めて限られた場合のみに限られると言うことが出来る。

厄介なのは
異常あり→噴火なし
の場合が余りにも多いという事実だ。

これをいちいち気にしていたら日常生活は成り立たないという言い方を、私は乱暴だとは思わない。

それに加えて今回の噴火のような
異常なし→噴火あり
と言う場合が無視できない頻度であるという事実を目の前にして私は噴火予知に対して楽観的になれない。

火山活動レベル1でも死者が出る火山噴火は十分にあり得るのだ。

そしてまたマグマ噴火ならば予想できたという考えを私は嘘だと言い切れる。
2011年新燃岳噴火は数100年に1度の規模のマグマ噴火だったが、事前に見られた地殻変動をもとに「噴火するぞ」とは誰も言えなかった。

噴火予知が全く不可能とは言わない。

有珠山などでは現実にその噴火の予知に成功している。

しかし、全ての火山で予知が可能ではない。災害が起き、死者が出るのは予知できない火山だ。そしてそちらの方が多数派であるということが現実であり、重要なことだ。

私は地震や火山噴火の予知が出来ないことは、「現在の」科学の限界なのではなく、原理的な限界だと考える。

金を掛け、もっと研究を進めれば予知が可能であるかのような言い方は妄想だと考える。

私たちが暮らす国土は、プレート境界にあり、もともと地震や火山噴火によって形作られたものだ。

私たちは活動的縁辺部に住んでいる。その事実にもっと謙虚であるべきだと思う。

また火山で死者を出してしまった痛みを堪えながら私はそう考える。

自然を畏敬すること。それを現代人はいつの間にかどこかに置き忘れてしまったのではないだろうか?

20140912

宇井純セレクション

何もしていなかったわけでは無い。

まず、最近希に見る充実した読書体験として、ハンナ・アーレントの『人間の条件』読破があった。

そして、何よりも「技術的・科学的な」とハードルを上げられた、川内原発再稼働に関するパブリックコメントなどの作成があった。

総じて、かなり充実した日々を送っていたと言っても叱られないと思う。

それらを記録しなかった事はこれから響いてくるだろうが、充実していたが故に気持ちがブログに向かわなかったという側面があった事を付け加えておく。

2週間に1度県立長野図書館に行き、そこで5冊本を借りる。そしてそれを読む。それが日課になっている。かなりの仕事量になる。その為に時間が取れなかったという面もある。

さて…。

7月に3冊の本が出版された。

新聞でその書評を読み、すぐに図書館でリクエストした。

それを読んでいた。

宇井純セレクションである。

『原点としての水俣病─宇井純セレクション1』
『公害に第三者はない─宇井純セレクション2』
『加害者からの出発─宇井純セレクション3』

という構成になっている。

適切な構成だと思う。

宇井純さんは確かに水俣病を原点として活動し始め、加害者から出発し、公害に第三者はない事を初期の段階から訴え続けていた。

この三巻本は亡くなる直前まで書かれていた1,100を越える宇井純さんの文章の中から118編を選び、編集した労作である。

1956年に水俣病は発見されている。

この年は、私の生まれた年でもある。

それだけに水俣病は私にとって逃れる事の出来ないテーマとして長年存在し続けていた。

けれど高校生の頃、水俣病を調べたいと相談した倫社の先生から、
「水俣病は生半可な覚悟で取り組むテーマではない」
と釘を刺されたこともあって、深入りしない程度に留めていた。

それでも宇井純という存在は大きく、常に意識せざるを得ない人物のひとりとして、私の中で存在し続けていた。

しかし、深入りしないようにというブレーキから、東京に居ながら彼の自主講座『公害原論』に参加することが無かったことは、今になっても悔やまれる。

今回改めて宇井純という存在を概観して、彼が成した仕事の多彩さと重要さに目を開かれる思いだった。

中でも科学者としての宇井純を浮き彫りにした第3巻の記述は驚きだった。

水俣病を始めとする公害に対しての闘士としての宇井純さんは良く知っていた。けれど、科学者としての宇井純さんは知らずに居たのだと気付かされた。

彼を批判する人々は、宇井純は批判はするが代案を出さないとしばしば口にしていた。

けれど宇井純さんは汚染水処理技術の開発・設計・建設という仕事を通して、オルタナティブな科学・技術の実践者でもあった。

と言うより公害問題を含め、彼は常に実践の人であったと言った方が正確なのだろう。

編者のひとり宮内泰介は解題にこう記している。

この三冊は、宇井純さんという人を懐かしむため、あるいはかつての運動を懐かしむためのセレクションではない。現代世界のいまだ解決されない種々の問題を解決するために、これからもずっと参照されるべきものとして編まれた。─宮内泰介・解説「宇井純さんが切りひらいた科学のかたち」-本セレクションについて
この言葉はこの三巻本を紹介する、最適な言葉になっている。

20140701

『アクト・オブ・キリング』

観て、心地良い映画ではない。それは始めから分かっていた。だが、この映画は観なければならない。心の底でそう思い続けてきた。

今日ようやく観てきた。
1960年代、インドネシアで100万人規模の虐殺が起きた。

1965年9月30日深夜、スカルノ大統領派の陸軍左派がクーデター未遂事件を起こした。それを後に大統領になるスハルト少将(当時)が鎮圧。事件の黒幕は共産党とされた。これを切っ掛けに共産主義者やその疑いが掛けられた人々が虐殺されたのだ。

その後30余年にわたるスハルト独裁体制のもと、事件に触れることはタブーになり、加害者は訴追されていない。

当初オッペンハイマー監督は虐殺生存者を取材し、映画を作り始めたようだ。だが軍の妨害によってそれは中断せざるを得なくなったと言う。

そこでオッペンハイマー監督は逆に加害者を取材し、虐殺の再現を持ちかける。

「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか。」


するとスマトラ島メダン市で「1000人以上は殺した」と豪語する殺人部隊リーダーのアンワル・コンゴらが、喜々として大虐殺の方法を演じ始めたのだ。

更に驚くべき事に、彼らは非常に協力的ですらあった。

自ら出演者を仕切り、衣装やメークを考え、演出にも進んでアイデアを出す。

「俺たちの歴史を知らしめるチャンスだ」

殺人の方法についてアンワルは、「最初は殴り殺していたが、血が出すぎて面倒になる。だから針金を使うことにした」と説明。実際の虐殺現場を訪れ、被害者役の俳優の首に針金を巻き、笑顔で「こうやって締め上げるんだ」と語る。

合理的で後始末にも手間が掛からない方法を編み出したことに誇りすら抱いているかのようだ。


一方「9月30日事件」の背景には、米国など西側諸国の関与も指摘されている。

事件はスカルノ大統領の失脚とそれに続くスハルト大統領誕生のきっかけになり、以後インドネシアでは30年以上にわたる独裁体制に至る。

大虐殺を隠蔽するスハルト政権を西側は支援し続けた。冷戦時代に「反共」は都合のいいスローガンだった。


人間にとって悪とは何なのか?


オッペンハイマー監督は語る。

「政権を支持してきた日本などの国々に関係する問題だ。大虐殺は冷戦の産物だったのではないか。南の豊かな土地を支配するため、日本を含む先進国は政権を支援した。安い賃金と資源が魅力だった。自らの行為を正当化するため、反共の旗印を掲げたのだ」

しかし映画を撮り続ける中で、アンワルらの心理は少しずつ変化を見せ始める。

最初、映画を撮る共同作業は、殺人という行為の再現そのものであると同時に、演じることで殺人と距離を取る作業だった。

終盤、アンワルは「殺された1000人分の恐怖」を感じ取ることで心身に変化を来す。
その瞬間に私たちは途轍もない心の闇を垣間見ることになる。

「人が自分の見たくないものを、見ないようにするためにどうするか。うそを1枚ずつはがし、苦しさと痛みを発掘した。本物の自分と和解するためには、つらい真実と向き合わなければならないと思う」

オッペンハイマー監督はそう語る。

20140626

『チョコレートドーナツ』

この私が思わず泣いてしまった。

泣ける映画という言い回しは好きではない。だが、この映画の場合には肯定的に敢えて使いたい。

愛を描いた映画である。

それは男女の恋愛でもなければ、所謂家族愛でもない。

だが人が人を互いに大切に思い、人の為に奔走する姿は、観る者に大きな感動を残す。その姿が確実に描かれている。
1979年のカリフォルニア。まだマイノリティに対する風当たりはとても強かった時代、シンガーを夢見ながらもショーダンサーで日銭を稼ぐルディ、正義を信じながらも、ゲイであることを隠して生きる弁護士のポール、母から見放されて育ったダウン症の少年マルコ。その3人が出会い、愛情を育む。彼らはすぐに共に暮らすようになる。まるで「家族」の様に。

学校の手続きをし、初めて友達とともに学ぶマルコ。夢は叶うかに見えた。

だが幸福な時間は長くは続かなかった。

ありとあらゆる偏見と理不尽が3人を引き裂こうとする。

ゲイのカップルが子どもを育てている。悪影響があるに違いないという理由で。

ささやかな幸せを取り戻すために、ルディとポールは奔走する。

だが法律も彼らの味方ではなかった。


ルディはなぜマルコにそれ程の愛情を抱いたのだろうか?
その説明は映画のなかに殆ど無い。

けれどルディの姿を追ううちに、だんだんとその理由が分かってくる。

偏見や無理解に晒されて、彼はいかに孤独だったか。その孤独と同じ孤独をルディはマルコの中に見たのだろう。

3人が暮らすようになり、マルコに部屋が与えられる。自分の部屋に佇んでマルコは

「ここがぼくのうち?」と訊ねる。

「そうよ。」

そう答えるとマルコは泣き始める。嬉しいと言って。
そのシーンが上にあげた写真だ。


社会派ドラマという側面ももっているが、人間ドラマとしての深さとリアリティこそが胸を打つ。

マルコが好きだったもの。人形のアシュリー、ディスコダンス、ハッピーエンドのお伽話、そしてチョコレートドーナツ。


マルコはうちに帰ろうとしたに違いない。

公式サイト

最後に切々と歌い上げられる「I Shall Be Released」がとても印象的だ。

原題は「Any Day Now」