20140112

桜島噴火記

本棚から古い本を取り出し、読み始めた。
柳川喜郎『桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ』

神保町で50円で買ったものだ。
しかしこの本、未だに高値で古書店に出回っている。

この程東大地震研の方々のご尽力により再版され、適正な価格で入手する事が出来るようになった。

復刻  桜島噴火記─住民ハ理論ニ信頼セズ

今日(12日)はここに書かれた桜島の大正噴火から丁度100年に当たる。

100年前の今頃、桜島は大噴火していたのだ。

それを思い浮かべながらこの本を読んだ。

この本の冒頭付近に
50cm程の台石の上に建てられた細長い2mぐらいの新しい石碑
に書かれている問題の文章が引用されている。

 大正三年一月十二日、桜島の爆発ハ安永八年以来の大惨禍ニシテ、全島猛火ニ包マレ火石落下シ、降灰天地ヲ覆ヒ光景惨膽ヲ極メテ、八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ。
 其爆発数日前ヨリ、地震頻発シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ、海岸ニハ熱湯湧沸シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等、刻刻容易ナラザル現象ナリシヲ以テ、村長ハ数回測候所ニ判定ヲ求メシモ、桜島ニハ噴火ナシト答フ。
 故ニ村長は残留ノ住民ニ、狼狽シテ避難スルニ及バズト論達セシガ、間モナク大爆発シテ、測候所ニ信頼セシ知識階級ノ人、却テ災禍ニ罹リ、村長一行ハ難ヲ避クル土地ナク、各々身ヲ以テ海に投ジ漂流中、山下収入役、大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂グルニ至レリ。
 本島ノ爆発ハ古来歴史ニ照シ、後日復亦免レザルハ必然ノコトナルベシ。
 住民ハ理論ニ信頼セズ、異変ヲ認知スル時ハ、未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ、平素勤倹産ヲ治メ、何時変災ニ遭モ路途ニ迷ハザル覚悟ナカルベカラズ。茲に碑ヲ建テ以テ記念トス。
 大正十三年一月                東桜島村

この碑文は重く、大切な教えを今に伝えている。

大正三年の桜島噴火に先だって、現地の桜島では、さまざまな異常現象が認められたので、村長が対岸の鹿児島測候所に、「噴火の前兆なのではないか」と問い合わせたところ、「噴火はない」という回答であった。しかし桜島は噴火し、測候所の予測を信じて島に残留していた人たちが死亡したと碑文は語っている。

防災・減災に関心を寄せる者としては、耳の痛い、重い事実だ。

2011年新燃岳噴火では住民が「理論ニ信頼セズ」避難したら、その行動を非難した人たちがいた。

100年経っても何も分かっていない。


科学を信じるなと言っているのではない。

科学者を過信するなと言っているのだ。権威に平伏するなと言い換えても良い。


この本が出版されて、30年経つ。

丁度100年目の日に、準リアルタイムでこの本を読み終え、その記述が全く古びていないことに驚かされた。

この本の終わり辺りに「尾生(びせい)の信」という言葉が出て来る。

史記蘇秦伝にある故事で、尾生という若者が橋の下で女と会う約束をして、待ち続けるうちに大雨による増水で溺死してしまう、というものだ。

固く約束を守るということを意味すると共に、融通が利かず愚直であるという例えでもある。


福島第一原発事故の時、当時を振り返って斑目元安全委員長は
「首相から炉心が露出したらどうなるか問われた。水素ができると答えると、爆発が起きるのかと問い返された。そこで格納容器の中は窒素で置換されていて(酸素はないので)爆発は起きませんと答えた。」と証言している。

それに対して当時の総理大臣菅直人は著書で、斑目元委員長の言葉を聞いて安心したのが『大間違いだった』と書いている。

ちょっと見たところ斑目元委員長の無責任な態度だけが際立つ。
だが、これこそが尾生の信を菅元首相がそのまま演じた姿だったのではないだろうか?

現実に、原発は次々に爆発した。


災厄は必ず起きる。
それが起きた時、誰かのせいにしても何も始まらない。

必ず起きるものに対して、柔軟に対応できる姿勢は常に取っておきたいし、またそれを促す防災・減災技術にしてゆかねばならないのだろう。


100年前の今日。測候所の予測は外れ、桜島は大噴火した。

20140109

時と共に在る

かなりの充実を、生活に感じ始めている。

酷い鬱の時は、時が水飴で出来ているようで、なかなか進んでくれなくて、それに耐えることが出来ず、自分を滅ぼしてしまいたい衝動に駆られていた。

今、そうした感覚はない。

自分の存在がきちんと時と共に在り、関係は整合している。

年末からミシェル・フーコーの『狂気の歴史』を読み始めた。
DVDで『アマデウス』を観、『うさこさんと映画』の中でそのエンディングについて「かつてフーコーが提示した「狂気」の定義そのもののような迫力が漂う。」と書かれているのを読み、フーコーは狂気をどの様に定義しているのだろうと関心を抱いたのが切っ掛けだった。

不純な動機である。

だから完全な敗北だった。フーコーのフの字も解読できず、その浩瀚な書物のかけらすらものに出来なかった。

暫くフーコーは放置しておいた。

10月頃、ふと気が付くと、今迄殆ど機械的に未読を既読にするだけで、殆ど目も通すことがなかったRSS Readerをこまめにチェックしている自分に気が付いた。

英語やドイツ語の記事にも(分からないなりに)取り敢えず目を通している。

これなら難解なフーコーにも食いついて行く事が出来るのではないかと(気の迷いだが)思ったのだ。

で、11月頃再挑戦、再敗北。

そこで中山元さんの『フーコー入門』を紐解いてみた。

これが正解だった。
丁寧な解説書だった。

分かり易く、それでいて肝心なところを外していない。

フーコーの知的な誠実さを良く拾い上げた内容だった。

この本で『狂気の歴史』の大筋を教えて頂いたので、ようやく私にもフーコーは解読可能な本になった。

狂気の歴史を描くということは、実は心理学というものが誕生するための条件を描くことだった。狂気は心理学の一つの対象ではなく、心理学の成立の条件そのものであり、この心理学という学問は、十九世紀以来の西洋世界に固有の文化的な事件であった。狂気の歴史はある意味では心理学の誕生の歴史でもあった。『狂気の歴史』のサブタイトルを〈心理学の考古学〉としてもよかったのである。

この場合の考古学は、勿論フーコーの『知の考古学』を引いている。


ひとつのものが見えてくると、他のものも急にはっきりと見え始めることがある。

フーコーが少しだけ見え始めてから、観る映画、聴く音楽が急に深いところで捕まえているという実感を伴うようになった。

今迄何を観てきたのか?そして聴いてきたのか?地団駄踏みたい気分だった。

実際、クラシック音楽に限っても、この1年間で4回程、今迄何も聴いてこなかった!と思い知らされるような感覚に襲われた。急に見えてくるのだ。

そうなると今迄無為に過ごしてきた時間が途方も無く勿体なく思えてくる。

自分の身の丈に合ったものをようやく読むようになったなどと自分に言い訳をして、下らないものを読んできた時間や金もとても勿体なく感じるのだ。

ものの値段というものは、それなりに合理的に付けられていると、時々感じる。安いものはそれなりのものしかない。

それなりに値段の張る、「よいもの」にきちんと触れた方が良い。


勿体ないことをして来たと思う思いは大切だが、半面しょうがなかったとも思う。

何しろ気力が湧かなかった。

長い鬱を抜け、結構被害もあった躁状態も過ぎ、ようやく努力できる精神状態を獲得することが出来てきたと感じている。

年始としてはこの上ない好発進だと思う。

この感覚を大切にして、「よいもの」に出会いたいと思っている。

20131114

再び映画に嵌まる

再びと言っても一度目は途方も無い昔の話だ。

10代の終わりから東京に出た。
独り暮らしの自由さに歓喜していた。

池袋に住んだこともあって、受験勉強もせずに名画座に入り浸って映画三昧の日々を送ったことがあると言う話だ。

大学に入ってからはむしろ映画を観なくなった。

映画好きの人間のマニアックな口調に耐えきれなくなったのと、地質の勉強が面白くて他の分野への関心が薄らいだせいだ。

以来、私の中での映画の時代は終わったと思っていた。

時々観るもののそれ程夢中になることは無かった。
NHK・BSで古い映画が放映される。
それを録画するくらいが関の山だった。

けれどそこで『風と共に去りぬ』などを観ると、映画はさすがに凄いな…と思わされもしていた。

amazonなどでごくたまにDVDなどを購入していた。


ふと、最近のレンタルビデオ店がどうなっているのかと思った。
さすがにビデオを買うのがかなり負担になってきたからだ。

切っ掛けはtwitterでGlenn Gouldの話になり、音楽好きの方から『グレン・グールド─天才ピアニストの愛と孤独』という映画を薦められたからだ。

amazonで探してみるとかなりの値段がする事が分かった。

GEOに登録し、探してみるとあった。早速借りてみた。

良かった。

最初はグレン・グールドの恋愛に焦点を絞った内容なのだと思い込んでいた。だがそうでは無く、グレン・グールド本人が登場し、かなり貴重な映像と証言が込められた本格的なドキュメンタリーだった。

過去のメールを再確認してみると、 楽天でもDVDをレンタルしていることが分かった。

これも登録してみた。
こちらの方が送料は高いが1本の単価は安い。そして驚くほど値引きセールが多い。

借りると旧作が何本か無料で借りることが出来るクーポンが付いてくる。
吝嗇な私はそれを無駄にするのが惜しなった。

そこから怒濤の映画漬けが始まってしまったというのが真相だ。


知り合いに映画好きは沢山いる。
それに映画と言えば貴重な情報源として「うさこさんと映画」というBlogも以前から読んでいた。

そのBlogの最新記事は『ブラディ・サンデー』という映画についてのものだった。これも借りてみた。
確かに観るべき映画だ。

そのBlogで以前採り上げられていて、いつか観なければと感じた『アレクサンドリア』を次に借りた。

素晴らしい映画だった。


以来、一日に2本くらいのペースで映画を観ている。


昨日は『 アマデウス』を観た。以前から気になり続けていた映画だ。良かった。
モーツァルトを直接採り上げず、サリエリの目から見たモーツァルトにした視座が何と言っても成功の鍵だろう。
役者も皆達者で極めつけで面白かった。

しかし、映画という世界は何と言う完璧主義の世界なのだろう。

モーツァルトに関して余り知識が無くても十分に楽しめる映画だったが、知識があるともっと楽しめる映画になっている。

時代考証が極められている。

そして付けられている音楽が何と本格的である事か。


地質をやっていて、学問というものは娯楽が極まったものだと感じた。

しかし、「娯楽が極まったもの」は他にも沢山あるのだ。

音楽がそうであるし、本の世界も途方も無く深い。

そして映画。


こうした「娯楽が極まったもの」に触れる度に、私は世界の広さに打ちのめされる。


地球は小さな惑星だ。
だがその上で繰り広げられている人間の営みは、人の一生なんぞでは到底極められないほど広い。

20131107

音楽史たん

遂に朝6:00からの『古楽の楽しみ』を聴き始めてしまった。

Twitterを始めとして、SNSには、どこか上手くいっていないという感覚が付きまとっていた。

だが、余り気にしなくなった。
そもそもそれ程有益なことを沢山発信している方では無かった。人気が出る訳が無い。

フォローされることをそれ程気にしなくなったら、何となく物事が巧く行き始めたような気もし始めた。

いや、気のせいだけではあるまい。

twitterやFacebookがそれなりに面白く感じ始めたのだ。

そのうちのひとつに最近twitterでフォローした音楽史たんというアカウントがある。

古代から始めて音楽史をYoutubeで実際に音を聴きながら概観してくれる。

面白いのだ!

昨日の夜の段階で、ルネサンス後期・器楽のリュートでDowland(1563-1626)まで進んだ。

音楽の聴き方が丸っきり変わってしまった。

古楽を聴くようになったのは、このアカウントと一緒に音楽史を概観し始めてからだ。

だが、それ以上にクラシック全般、とりわけ現代音楽の聴き方が変わってしまった。

10月の下旬にはByrdの名前が出て来て軽く驚いた。

私の無知が驚かせたに過ぎないのだが。

彼、William Byrd(1543?-1623)の名前を知ったのはつい最近の事だ。YouTubeでGlenn Gouldの演奏を漁っていて、頻繁にこの人の名前が出て来たのだ。
Glenn Gouldは現代音楽も弾いているが、最も関心を寄せ、採り上げたのはBachだった。
けれど伝統芸能をやろうとしていたのでは無い。BachやByrd、Gibbonsなどの古い音楽を現代音楽として弾くことを試みた音楽家だったと私は理解している。

なのでByrdもどこか現代音楽の感覚で聴く姿勢が出来てしまっていた。
この姿勢があながち間違いでは無かったのだと気付かせてくれたのが音楽史たんの講義だった。

古代や中世の音楽の響きはまるで現代音楽だった。

中世のオルガヌムなどの中にはスティーブ・ライヒに影響を与えたり、20世紀にならないと復活しなかった書式で書かれているものもかなりあるのだ。



吉田秀和さんの本『名曲三〇〇選』の中の記述を実際の音で実感と共に振り返ることも出来るようになった。


現代音楽は古い音楽の基礎の上にしっかりと建っているのだ。

音楽史を辿ることは、そのまま音楽の多様性に気付くことでもある。


音楽史たんのtweetは初期のものがまとめられている。

音楽史たんまとめ①【古代】編

音楽史たんまとめ②【中世】編


twitterをやっていなくてもここで古代・中世の音楽を振り返ることが出来る。

まだまだ音楽史たんのtweetは続くのでtwitterをやっている方にはフォローする事をお奨めする。


実にスリリングなのだ!

20131025

Ataokoloinona

すぐ北杜夫好きの友人にメールした。

先月の半ば頃の事だった。

私はWebを始めた時、最初に検索した語を覚えている。

『アタオコロイノナ』

だ。

多分北杜夫最大のベストセラーであろう『どくとるマンボウ航海記』の冒頭にその名は出て来る。

マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは土人の言葉で「何だかへんてこりんなもの」というくらいの意味である。私の友人にはこのアタオコロイノナの息吹きのかかったにちがいない男がかなりいる。

中学生の頃、私は確信した。私も大人になったら、北杜夫の様に、知っていたからと言って何かの役に立つ訳ではない。けれど知っていると無闇矢鱈と愉しいそんな所謂雑学を沢山仕入れる事が出来るに違いない。

どの様な神さまなのであろうか?あれこれ想像した。しかし、高校生辺りでふと、これは「やられた」な?!と感じたのだ。

そもそもアタオコロイノナなどという名前自体が怪しい。これは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。

いや、北杜夫自身がそうしたファンレターを沢山貰っていた事は知っていた。

『どくとるマンボウ昆虫記』ではそうした手紙に反論してかなり詳しくアタオコロイノナについて記している。

少し長いがまた引用してみよう。

『どくとるマンボウ航海記』というあまりまっとうでない書物は、マダガスカル島の変ちくりんな神アタオコロイノナの話からはじまっている。人々はこの名前からして信用できぬものを感じた。現に「おそらく暗号と思い、逆さまからよんだりいろいろと文字を組み合わせてみたりしましたが意味がわかりません」という手紙を著者は受け取っている。
しかし、これはマダガスカル島南西部に残る正当な伝説である。
むかしむかし、途方もない昔、天にましますヌドリアナナハリ(神の意)は、息子のアタオコロイノナ(何だか変てこりんなものの意)を地上に遣わし、そこに生きるものを創造することが可能かどうかを調べさせることにした。父の命をうけたアタオコロイノナが地上に降りてくると、どこもかしこも息もつけぬほどの酷熱である。おそらく彼はまだ熔岩が支配していた地上の冷えきらぬ地球にやってきたものらしい。彼はおったまげ、地中にもぐったならいくらかの涼気が得られるものと、慌ててズブズブと地面の底へもぐってしまった。そして、そのまま二度と地上に現れずじまいであった。つまり完全に行方不明になってしまったので、ここのところがアタオコロイノナたる所以である。

さて、北杜夫を信用する気になっただろうか?

最初に『昆虫記』を読んだ時、私は北杜夫が余りにもアタオコロイノナを信じてもらえない事を地団駄踏んで悔しがりつつ、この部分を書いたのだと思った。

どこ迄も青臭いほどに純真な少年だったのだ。だが、しかし、まてよ…!?私は更に考えた。

どこ迄作家という人種に騙されたら私は悟るのだろうか?彼らは頭が良く、想像力抜群でしかも人が悪く、 何よりも嘘をつくのが商売なのだ。
かなりの時間を図書館で過ごし、何の成果も上げられない高校生活を過ごし、私は段々と確信していった。

アタオコロイノナは北杜夫の創作或いは法螺に違いない。

しかし、ファンというものは仕方のない存在であって、それでも尚私は心のどこかでアタオコロイノナを信じていて、それについて何かを知る日が来るに違いないと思い続けてきた。

そして時代はWebというものを持つ。

始めたのはかなり遅かった。金がなくてなかなかコンピュータを買えなかったのだ。だが、だから始めた時にはかなりWebの環境が整っていた。

Webならば何か引っ掛かってくるに違いない。何しろ世の中は博識に満ちた方々がひしめいているのだ。誰かが調べ何かを突き止めているに違いない。

そう思って私は最初にWebで「アタオコロイノナ」を検索した。

何も引っ掛かって来なかった。


駄目か…。


かなり意気消沈した事を覚えている。

やはり騙されたのか…。

そのうちにWikipedia日本語版に「アタオコロイノナ」の項が立ち

「北杜夫の著作以外の登場が無いこと、多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられる。」

と、書かれるに至っていた。


私はアタオコロイノナについて検索する事を段々と止めていった。…かと言うとそうでは無く、それでも諦めきれずに数年に一遍は検索を繰り返していた。


先月、先述の友人とメールで北杜夫の話をした。

それが切っ掛けとなって、また久し振りに検索してみようと思い立った。けれど「アタオコロイノナ」で検索してもまたWikipediaの項を見るだけだよなぁ…とも思う。

で、何の気なしに適当にスペルを付けてみて「Ataokoloinona」で検索してみたのだ。初めての事では無かったのだが。

すると!何と日本語のサイトを含め、ずらっと検索結果が並ぶでは無いか!!

日本語の検索結果は何あろう、あのWikipediaであったが。

何回も見た結果と、少し違っているように見えたのでそれを開いて見た。

すると!「北杜夫の創作」という言葉が消えているではないか!

更に「研究の進展」という項が立ち

元東邦大学薬学部非常勤講師の長谷川亮一[2]は、Googleブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみたところ、北杜夫が『どくとるマンボウ昆虫記』で紹介したものとほぼ同じ内容の話を南西マダガスカルにつたわる神話として記載した英語の文献を見つけることができたため、アタオコロイノナの伝承は北杜夫の創作ではないだろうと結論付けている[3]。

とあるではないか!

私は小躍りした。同じことをした人がいるのだ。

早速そのBlogを読んでみた。

該当Blog
アタオコロイノナは北杜夫の創作ではない

このリンクを貼れば、実は本日の話題はすべて語った事になる。

2011年6月15日の日付のあるその記事には必要な事柄がすべて書かれている。

「様々な神話集・伝承集などに一切記述が無い」というのは間違い。これは、 Google ブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみれば、すぐにわかることである(→検索結果)。

ブック検索という手があったか!

該当BlogにはFelix Guirand (ed.), Richard Aldington & Delano Ames (transl.), New Larousse Encyclopedia of Mythology, London: Hamlyn Publishing, 1968, pp. 473-474が引用されている。
私もそのままコピペする

A legend of south-west Madagascar deals with the origins of death and rain among the Malagasy, and at the same time explains the appearance of mankind on earth.

‘Once upon a time Ndriananahary (God) sent down to earth his son Ataokoloinona (Water-a-Strange-Thing) to Look into everything and advise on the possibility of creating living beings. At his father's order Ataokoloinona left the sky, and came down to the globe of the world. But, they say, it was so insufferably hot on earth that Ataokoloinona could not live there, and plunged into the depths of the ground to find a little coolness. He never appeared again.

‘Ndriananahary waited a long time for his son to return. Extremely uneasy at not seeing him return at the time agreed, he sent servants to look for Ataokoloinona. They were men, who came down to earth, and each of them went a different way to try to find the missing person. But all their searching was fruitless.

‘Ndriananahary's servants were wretched, for the earth was almost uninhabitable, it was so dry and hot, so arid and bare, and for lack of rain not one plant could grow on this barren soil.

‘Seeing the uselessness of their efforts, men from time to time sent one of their number to inform Ndriananahary of the failure of their search, and to ask for fresh instructions.

‘Numbers of them were thus despatched to the Creator, but unluckily not one returned to earth. They are the Dead. To this day messengers are stiu sent to Heaven since Ataokoloinona has not yet been found, and no reply from Ndriananahary has yet reached the earth, where the first men settled down and have multiplied. They don't know what to do – should they go on looking? Should they give up? Alas, not one of the messengers has returned to give up information on this point. And yet we still keep sending them, and the unsuccessful search continues.

‘For this reason it is said that the dead never return to earth. To reward mankind for their persistence in looking for his son, Ndriananahary sent rain to cool the earth and to allow his servants to cultivate the plants they need for food.

‘Such is the origin of fruitful rain.’

[大略――南西マダガスカルにつたわる神話によれば、神ンドリアナナハリ(ヌドリアナナハリ)は、その息子アタオコロイノナを、地上に生命を生み出すことが可能かどうかを調べさるために、地上に使わした。ところが、そのころの地上はものすごく熱かったので、アタオコロイノナは地下にもぐりこんでしまい、そのまま姿を消してしまった。ンドリアナナハリは、息子が帰ってこないので、それを捜すために使用人を地上につかわせた。すなわち、これが人間の起源である。しかしアタオコロイノナがどうしても見つからないので、人間はンドリアナナハリに使者を寄こして新たなる指示をあおごうとした。これがすなわち「死」の起源である。しかし、ンドリアナナハリのもとに派遣した使者は誰一人として戻ってこなかった。そのため人間はいまだにアタオコロイノナを捜し続けている。また、雨は、ンドリアナナハリが、人間がアタオコロイノナを捜しやすくするよう、地上を冷やし、食べ物をもたらすために降らせているものである。]

何と!『どくとるマンボウ昆虫記』にあるのと殆ど同じでは無いか。


矢鱈と長いエントリになったのは私が興奮したからに他ならない。長い間検索し続けた!
遂にこの日がやってきたのだ。
これに興奮しないで何に喜ぶというのだろうか?

改めて北杜夫のどうでも良い事に関する、果てしない博識に驚嘆するばかりだ。

20131020

断煙350日

方々から初冠雪の報せが舞い込んできている。季節は移り変わっているのだ。

まだ1年経っていない。
しかし、また一区切りを無事迎える事が出来た。

このような季節の中で、私は次第に断煙への決意を固めつつあったのだ。

断煙してから350日が経った。
吸うはずだった煙草の本数は7,000本に上る。凄まじい本数だ。

繰り返しになるがまだ1年経っていないのだ。

得したタバコ代は154,000円。

かつては(もっと本数を吸っていたが)タバコ代は安かった。仮に1年で15万とすると、40年吸っていたので600万円になる。

車が買える。それもかなり良いのをだ。

それだけの金額を私は灰にして来たのだ。あの赤貧洗うがごとき状況の下で。

もう煙草を吸う事は考えられない事だ。あり得ない。

ようやくここ迄来た。

余談では済ます事が出来ない事だが、母の家の隣の家が火事になった。
一時は母の家の中まで煙が入って来て、母は知り合いの家に避難する騒ぎになったが、幸いな事に誰も被害に遭わずに済んだ。

何よりも火元でなく、そして類焼もなかった事は良かったと感じる。

このような事があると煙草を止めておいて良かったとつくづく感じるのだ。火事の原因の、それも件数が多い原因のひとつを予め断つことが出来たと言う事だ。

これは大きな成果だと思う。

もし止めていなければ私はこの1年で583時間もの時を、ベランダに坐って過ごしていたのだ。

それだけでも途方もない数字だと思う。

最初から吸わなければより良かったのだがそれはもはや考えても仕方のない事だ。兎に角、ひとつの大事業を成し遂げたのだと考えた方が良いだろう。

1年経たない今、積み重ねられた数字の大きさに圧倒されている。

確かに大事業だったのだ!

20131019

東洋文庫マイブック

東洋文庫読者倶楽部というものが出来た。

Twitterで知り、早速入会。その後、音沙汰がなく、どうしたのだろうと思っていた。

昼に郵便受けをチェックしに行った。どうせ何も届いているものは無いだろうと高を括っていたのだが、郵便受けからはみ出す本の様な形状を持つ封筒が目に付いた。

何だろう?

封筒には平凡社と書かれていた。

この段階では分からずにいた。開けてみて、「あ!」と声を出した。

根強い人気がある文庫だ。私が入会したのもかなり後だろうと半ば諦めていたのだが、先着300人に滑り込む事が出来たようだ。

縦書きの罫線だけが入っている、何も書かれていない東洋文庫を手に入れる事が出来た。

何に使おうか?それを思い巡らすだけでも愉しい。


東洋文庫は1963年に創刊され、今年10月で50周年を迎えるのだそうだ。

創刊時は
『楼蘭─流砂に埋もれた王都』『唐代伝奇集1』『鸚鵡七十話─インド風流譚』『日本史1─キリシタン伝来のころ』『アラビアのロレンス』の5点。偶然だがすべて所有している。
かなり渋いラインナップだ。
グラフィック誌「太陽」も同年63年6月の創刊。
「どちらも当時は実に売れなかった」とは荒俣宏さんの証言。

今も爆発的なベストセラーがここから出るとは思えない。

だが、確実にファンは存在する。

かく言う私がそのうちのひとりだ。実にお世話になった。

装幀は原弘(はら・ひろむ)氏によるもの。いつ迄も触っていたくなる飽きの来ない装幀だ。

なので私だけのものになるのであろうこのマイブックが当たった事は結構嬉しい。

難点を挙げれば東洋文庫は高い。
買う時はやはり身構えてしまう。

そしてかなり難しい。
やはり身構えてしまう。

けれどいつ迄もファンでありたいと思う。

地味だが、マイブックと一緒に付いて来た東洋文庫の解説目録も結構嬉しい。これと年2回送られてくると言う「東洋文庫通信」でほぼ完璧なチェックが出来る。

「日本も含めた「基層アジア」「民族アジア」「周辺アジア」「交流するアジア」を描き続ける「アジアのエスノグラフィ(ethnography)」への─完結しない「未完のプロジェクト」」(「東洋文庫通信」)をこのまま見守りたいと願うのだ。

音楽もそうだが、エスノグラフィもまた途方もない大海だと感じる。

しかし大海に漂う一艘の小舟であり続ける事は、幸福のひとつの形態だと私は思う。