20130829

ドタキャン

あと1週間で商品が届くはずだったのだが、Vladimir Horowitz live at Carnegie HallとCentenary Edition 1913-13 Berliner PhirharmonikerのBox setを土壇場でキャンセルした。

都合2.5万円程の節約になる。

BrendelのHaydnの演奏を聴いていて思ったのだ。私は音楽をきちんと理解して聴いているのだろうか?
Haydnはリサイタルなどで積極的に採り上げられる作曲家ではない。
聴くとしたら、習っているピアノの演奏の参考にするといった聴き方が殆どなのではないだろうか?

NHK・FMの放送をUSBメモリに録音しようとして失敗した。失敗したお蔭で予約録音を含め、やり方は身に染みて良く理解出来た。

Horowitzの放送は再放送を予約録音することでカヴァー出来る。

だが、吉田秀和さんの放送は残念ながら再放送がない。

特にGouldとBrendelのHaydnは良い演奏であった。またCDを買う予定もなかったので録音を逃したことが大変無念に思えた。

無念の余りかっ!とした。
頭に血が登ってそのCDを買おうとしたのだ。

だが、そこ迄つぎ込む資金は私にはない。少しは将来のことをぼちぼち考えて行かねばならない。

煙草も止めてしまったので長生きする可能性すら出て来てしまっている。それにもう早死にする計画は頓挫してしまっている。

それより何より、そこ迄して買う程私に音楽を理解する能力があるのだろうか?

BrendelのHaydnは良い演奏だと思う。だが、私には十分理解出来ないという事も、はっきりと分かってしまう演奏だった。

画期的なペダルの使い方をしているのかも知れない。聴く人が聴けばそれが分かるのかも知れない。
ピアノを演奏する人は、それを参考にして自分の演奏に活かして行く事も出来るのかも知れない。

だが、私はピアノのレッスンをした事もない。
理解出来る訳がないではないか。


この所聞き込んで、以前よりクラシック音楽への理解は以前より深まったと思う。だが、所詮は音楽素人の余技に過ぎない。

ならばFMやネットラジオで愉しむ程度でも十分なのではないか?それに、今ならばYouTubeもある。


Boxセットは確かに1枚当たりの値段を考えたら得なのかも知れない。けれど問題は総額だ。

消費税が上がる前に高額な買い物をしてしまおうと思ったのだが、買い物そのものを控えるという手もある。

勢い込んで数十枚のCDを購入しても、1回だけ聴いてそれでお仕舞いでは余りに無駄というものだ。

CDを購入して満足するのはもしかしたら物欲という魔物だけなのではないだろうか?


計画していたBoxセットのCDの枚数は150枚余りに上る。1日1枚聴いたとして3ヶ月掛かる。

商品の到着が遅れるというメールがamazonからあった。
本来ならばもう届いている頃だ。
これは何のお達しだ?

今なら未だ間に合う。

止めよう!

そう思ったのだ。

私の脳はまだ暴走を起こすが、この所それを土壇場で引き留める事が出来るようになってきた。

20130825

"世界のピアニスト"

NHK・FMがやってくれるもうひとつの企画はこれ

吉田秀和が語った“世界のピアニスト”

これは月曜日から金曜日にかけて5日連続で放送される。

吉田秀和さんの『名曲のたのしみ』 はかなりの確率で聴いていた。けれど、私はそれを十分活かしてきたとは思っていない。

クラシック音楽、それもピアニストにのめり込んだのはつい最近の事だ。

その吉田秀和さんもピアニストには格段の関心を寄せていた。むしろそれ故に余りにレベルが高く、吉田さんの助言を活かすことが出来なかったのだと思う。


この所、私の部屋には昼間、間断なく音楽が鳴り響いている。

ホロヴィッツを聴き直したのが切っ掛けだった。だから最初はYouTubeでこれと思う演奏者の動画を拾い集めていた。

そのうちにそれだけでは満足できなくなっていった。

まだ始まったばかりだが、そしてすぐ資金が尽きるだろうがクラシック音楽のCD、それもBoxセットを1万位で買い求め、それを中心に聴くようになった。


ピアニストが多い。

なので往年の吉田秀和さんの放送、それもピアニストを語っている吉田秀和さんの声を聞くことが出来るのは大変有り難い。

今ならば、吉田さんにもう少し寄り添ってお話を伺うことが出来そうな気がしている。

放送予定は次の通り。

26日(月)「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」
27日(火)「グールド、ブレンデルのハイドン」
28日(水)「シフのシューマン、ピレシュのシューベルト」
29日(木)「ガヴリロフとヒューイットのラヴェル」
30日(金)「リパッティ、ツィマーマンのショパン」

どれも斬新な切り口だ。

しかも吉田秀和さんでなければ出来ないような選曲もされている。

例えば26日の「巨匠たちのベートーベン ~ケンプ、アラウ、ゼルキン~」では、選ばれている曲はベートーヴェンのピアノソナタの中で決して人気曲とは言えない第32番ハ短調のみなのだ。

このような番組編成は吉田さんでなければ許されないだろう。

いやが上にも期待感が盛り上がる。

これら放送には再放送が予定されていない。

20130824

ホロヴィッツ変奏曲

来週はNHK・FMが来ている。長い間、エアチェックという言葉も死語になっていたが、これは録音しておこうと思っている企画がふたつほど続く。

その内のひとつ。

ホロヴィッツ変奏曲 ~名盤を通して知る大芸術家~

神と崇めるピアニストのひとりだ。

だが、苦い思い出もある。

80年代も半ばのことだったと思う。
私にも付き合っていた女の子がいた。

私は椎名町の下宿で、その彼女にキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を聴かせた。

好きな曲だし、今でも良いと思っている。

その女の子はこんな感想を述べた。
「あのお爺ちゃんよりずっと上手!」
あのお爺ちゃんとは誰あろうウラジミール・ホロヴィッツその人のことだった。

かなり愕然とした事を覚えている。

キース・ジャレットは下手なピアニストでは決してない。むしろ巧い。だが、あのホロヴィッツと比べようというその発想そのものが私にはなかった。

ホロヴィッツは神様だった。


その頃TVは持っていなかった。だからNEWSを観たのではない。
どうやって知ったのかよく分からない。

だがホロヴィッツが来日し、かなり残念なリサイタルを開いたと言う話は知っていた。
愕然としたのはその女の子が熱心な音楽ファンではなく、むしろ純然たる音楽素人だったことに起因する。

その女の子が聴いてもはっきり分かるほど駄目だったのか!

私は思わず黙り込んでしまった。

以後、長い間ホロヴィッツを聴かなかった。

ホロヴィッツを聴かなくなったのは私にとっては吉田秀和のせいではない。この女の子のこのひと言が大きかった。

中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』にはこんな描写もある。

私は1965年にニューヨークのカーネギーホールで行われた、ホロヴィッツの12年ぶりのカムバック・リサイタルを聴いている。その時彼は60歳をわずかに過ぎたばかりで、日本で「ヒビの入った骨董品」などといわれる20年も前のことだったが、私は最初の1音を聴くなり「ああ、我らがホロヴィッツも老いたり」と思ったものだった。

老いたホロヴィッツ。その存在を私は認めたくなかった。

自分の神だった存在を神のままにしておきたかったのかも知れない。私はあからさまにホロヴィッツを聴くのを恐れ、封印した。


つい最近、恐る恐るYouTubeでホロヴィッツの演奏を聴いてみた。それも来日したときより老いている年代の録音のものをだ。

良い!

はっきりとそう思った。

ホロヴィッツは老いて駄目になってしまったのではなかったのだと理解した。あの1983年という年が偶々駄目だったのだ(来日の直前のニューヨークでの演奏もあまり良くなかった)。


そして悟ったのだ。
あの中村紘子の文章は、ホロヴィッツが駄目になってしまったと言いたかったのではなかったのだ。
若き日のホロヴィッツが如何に想像を絶して凄かったかと、そう言いたかったのだ。


その凄いホロヴィッツは、私は体験したことがない。今度のNHK・FMの放送で、古い録音は放送されるのだろうか?

愉しみだ。

放送の予定は次の通り。

26日(月)第1変奏
「奇跡のピアニスト、ホロヴィッツ ~その魔性のピアニズムに迫る~」
27日(火)第2変奏
「ガラスのハート ~繰り返される引退、そしてカムバック~」
28日(水)第3変奏
「ロシア郷愁 ~晩年の録音とロシアへの思い~」
29日(木)第4変奏
「ホロヴィッツの愛した名曲たち ~唯一無二のレパートリーを聴く~」

実はホロヴィッツのカーネギーホールのリサイタルを網羅したらしいBoxセットをもう注文してしまっている。少し到着が遅れるという報せがあった。

それを楽しみにして、来週の放送も愉しもうと思っている。

20130715

Gould Bach Edition

2ヶ月ひとつの商品をチェックし続けた。その結果、かなり良い買い物が出来たと思っている。

円安という現象が実際に進行しているのだと言うことも肌で感じることが出来た。正規の値段が高くなってしまったのだ。

だが、ひと月に使える金額を超えてしまっていた。じっとセコハンで安い商品が出るのを待ち続けていた。

出た!すぐ注文した。すぐ届いた。

何か不都合があって、相手が焦っているのかと思う程だった。なので再生可能かどうかをすべてチェックしてみた。大丈夫だった。完動美品だ。

Glenn Gouldが演奏してる全てのBachが手に入る訳ではないようだ。だが38枚のCDと6枚のDVDで1万。かなり安いと思える。

これで当分何も買えない。

だが、当分楽しみは続く。

箱が布張りなのは商品の説明で知っていた。だが例の椅子がプリントされているとは思わなかった。

Glenn Gouldを象徴するものは彼がこだわった椅子なのか!

一緒に付いて来た分厚い解説書(英語!)の表紙も椅子だった。

20130703

グールドをめぐる32章

7月はGlenn Gouldで始めたい。

本が揃ってきた。

いずれも古書サイトで見付けたものだが状態は良い。
あちこち覗いてみて、拾い読みをしている段階だがどれも面白い。これ程Gouldに文才があるとは知らなかった。

依然としてYouTubeでピアノ曲を中心に聴いているのだが、以前ほど自分の好みだけで聴かなくなってきたように思う。
どちらかと言えば、「誰でも良く」なってきた。

一定の水準を満たしていればどの演奏にもすばらしさを見いだすことが出来る。

だが、やはり特別なピアニストは特別なのだ。

そして、Glenn Gouldは、やはり今でも私にとって特別なピアニストであり、音楽家であり、そして書き手だ。最後が最近加わった要素だ。

私の生活にGlenn Gouldの言葉を読む喜びが加わった。これは彼の音楽を聴くのと同じ位スリリングな体験だ。


今日はそのGouldを描いたYouTube動画のもうひとつを紹介したい。

『グレン・グールドをめぐる32章』というドキュメンタリー映画。と言うより純粋に映画だ。

原題は『Thirty Two Short Films about Glenn Gould. 』
1993年にカナダで作られた。
監督はFrancois Girard。製作はNiv Fichman。脚本はFrancois GirardとDon McKellar。撮影はAlain Dostie。編集はGaetan Huotとなっている。

不可思議に満ちた音楽家Glenn Gouldを描いた、不思議なドラマになっている。私は魅了された。

10分程度の10つの動画に分けられている。ご覧頂きたい。

グレン・グールドをめぐる32章_1


グレン・グールドをめぐる32章_2


グレン・グールドをめぐる32章_3


グレン・グールドをめぐる32章_4


グレン・グールドをめぐる32章_5


グレン・グールドをめぐる32章_6


グレン・グールドをめぐる32章_7


グレン・グールドをめぐる32章_8


グレン・グールドをめぐる32章_9


グレン・グールドをめぐる32章_10

20130625

おふざけベートーヴェン

このところピアノ曲を中心に、クラシック音楽ばかりを聴いている。お金が無いのでYouTubeが多くなるが、関連リンクに時折何じゃこりゃ?!というものが引っ掛かってくる。

ベートーヴェンにこんな曲があるとは知らなかった。


ベートーヴェン:「なくした小銭への怒り」

いや、知らないはずだった。

だが、この曲、子供の頃確実に聴いたことがある。

多分、ピアノを習っていた友人経由で聴いたのだと思う。
だが、小学生が弾いていたのだろうか?聴いた限りではこの曲、結構難しい。


調べてみると、どうやらベートーヴェン自身が付けた題名ではないようだ。
正式な題名は『Rondo a capriccio Op.129』-「ロンド・ア・カプリッチョ ト長調」と言う。

有名な表題《奇想曲の中へぶちまけた、なくした小銭への怒り》は、第三者が自筆譜に書き込んだもので、ベートーヴェンの命名ではない。
との事。 

しかし、これでようやくNAXOSが延々と連載している漫画の意味が分かった。

WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」~Op.3「失われた小銭のゆくえ」~

今迄単なるギャグだと思っていた。この曲が背景にあったのだ。

この漫画マイナーだと思うのだが、それでは勿体ないほどベートーヴェンに詳しい。
逆に詳しくないと分からない部分が多い。

WEB4コマ劇場「運命と呼ばないで」特設ページに最新作と今迄の作品へのリンクがあるので是非読んでもらいたい。


この曲をFacobookやtwitterで広めていたらhugujoという方からこんな曲を紹介された。


Ludwig van Beethoven - Der Kuß Op. 128

ベートーヴェンってときどき「これモーツァルトの役目じゃないの?」みたいなおふざけ(?)をしますね
とあった。

このtweetがなかったら、例え偶然にこの曲に辿り着いても詩の意味を探ろうともしなかったろう。

Christian Felix Weisse (1726-1804)という詩人が作った詩に晩年のベートーヴェンが曲を付けたものだ。

Ich war bei Chloen ganz allein,
Und küssen wollt ich sie:
Jedoch sie sprach,
Sie würde schrein,
Es sei vergebne Müh.

Ich wagt es doch und küßte sie,
Trotz ihrer Gegenwehr.
Und schrie sie nicht?
Jawohl,sie schrie,
Doch lange hinterher.

ぼくはクロエのそばで全くのふたりきり
それで彼女にキスしようとした。
だけど彼女は言った
キャーって叫ぶから
しようとしても無理よって
それでもぼくは思い切ってキスしたんだ、
彼女の抵抗をものともせず
で、彼女は叫ばなかったのかって?
もちろん、彼女は叫んだよ
でもずっと後でね。

確かにまるでモーツァルトだ。

20130622

グレン・グールドの肖像

私には、私にとってとても重要なピアニストという存在がある。

Vladimir Horowitz、Arturo Benedetti Michelangeli、そしてGlenn Gouldがそれだ。冷静でいられなくなる。
演奏だけでなく、その人となりも知りたくなってくる。
彼の著作も読んでみたいが、噂に聞く彼の独自の言い回しを理解出来るほど英語に堪能ではない。残念だ。


この所、クラシック音楽ばかりを聴いている。当然この3人の演奏が多くなる。

今迄買ったCDも多いがYouTube動画でかなりのものが視聴できるようになった。これは有り難いことだ。以前ならCDを買わない限り聴くことが出来なかったものも手軽に視聴できる。

いや、それどころかTVやラジオ向けに制作されたものは、殆ど視聴することが不可能だった。
それらのうちの幾つかを、今は観ることが出来る。

これは幸運なことだと感じる。

そのYouTube動画で、Glenn Gouldに関する興味深いドキュメントをふたつ見付けた。

それを紹介したいと思う。

両方ともかなり長い。だが小分けにされているので、少しずつ観る事も出来る。

今日は1985年に制作された『グレン・グールドの肖像』を採り上げる。
父親や従姉妹を始めとする関係者の証言もふんだんにある。貴重な映像だと思う。

全部で12本あるが、いずれも10分以内の長さなので全部観ても2時間は掛からないだろう。


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)1の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)2の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)3の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)4の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)5の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)6の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)7の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)8の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)9の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)10の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)11の12


グレン・グールドの肖像 ドキュメンタリー(1985年)12の12