いつもtweetしている店ではない。
飯縄にあるよこ亭。
ここもお気に入りのお蕎麦屋さんだ。
月に一度は通う事にしている。
信州そばという言葉がある。
有名なのだ。だから皆、蕎麦も信州産だと信じ込んでいるところがある。
実は違う。
殆ど北海道産の蕎麦粉を使っている。
良心的な店では蕎麦の実を仕入れ、店で蕎麦粉にしている。その程度だ。流石に新そばの季節には信州産の蕎麦を使うことが多いが、その時期も限られている。
ここは違うのだ。1年を通して、正真正銘、信州産の蕎麦を使っている。
こうした店は実は少ない。
だから看板に本物の信州そばと謳っているのだと思う。
何しろ店が蕎麦畑を持っているのだ。そこで育てられた信濃1号という品種の蕎麦を使っている。
ここでいつも注文するのはえび野菜天ざるそば。
写真は並盛りだ。
他に大盛りとそれより更に多い特盛りがある。
今日は特盛りにした。
いつも通っている山とも庵より、天ぷらは美味しい。しかし、林檎の天ぷらがあるのはちょっと戸惑う。
この店にはいつも蕎麦打ち職人の名前が表示されている。
極めようと思ったら、誰が打った蕎麦が一番旨いかを探って行く事も出来る。それが出来る程頻繁に通えない場所にあるが、これからも贔屓にしてゆきたいお蕎麦屋さんだ。
流石に長野には良いお蕎麦屋さんが多い。
その事は誇って良いことだと思う。
しかしやはり蕎麦は江戸のものだと私は思う。つゆが…。
20130331
20130330
フランシーヌ・ルコントの場合
3月30日だ。
この日付はひとつの唄と共に記憶されている。
1969年の唄だ。
子どもの頃、何となく言っている事は分かったが、事情が詳しく分からないままだった。
ただ、時代の空気を感じ、この歌に寄り添うような気分でいた。
時代に対して何かをしなければと言う思いがあり、
時代に対して異議を申し立てて自殺したのであろうフランシーヌという人に共感めいた感覚を抱いていた。
まだ、自殺は社会的な問題になったし、哲学的な問題とも考えられていた。
「君はフランシーヌ・ルコントを知っているか」と言うエントリに小さな新聞記事の切り抜き写真があった。3月31日の朝日新聞らしい。
ようやく、フルネームを知る事が出来た。
冒頭のパリ拡大会談とは、ヴェトナム戦争の北爆停止に伴って拓かれた新局面に対して、戦争の終結に向け、米,北ヴェトナムに新たに南ヴェトナム、NLF(民族解放戦線)を加えたメンバーで1月25日から開かれていた会議の事だ。
その会場から200mの場所でフランシーヌ・ルコントさんはビアフラの記事の切り抜きを持って焼身自殺したのだ。
記事には精神病の事が仄めかされている。その影響もあったに違いない。だが、同時に政治的抗議のための焼身自殺であった事も否定は出来ないだろう。
耳にしてから54年。やっと事情が呑み込めた。
この歌は、1969年6月15日に発売されている。
もう誰も記憶していないだろうが、反安保の日だ。樺美智子さんが亡くなったのが1960年の6月15日。それに因んでいる。
この歌を歌った新谷のり子さんも、時代に翻弄されたようである。
そういった時代だったのだ。
ヴェトナム戦争はその実態が、マスメディアによって伝えられた最初の戦争だった。
それだけに衝撃も大きかった。
若者たちは今と比べ、遙かに無垢だった。
逆に言えば無垢でいることが許された時代だった。
時代に翻弄された若者は、世界中に数限りなく存在する。
フランシーヌ・ルコントさんが亡くなって、今日で丁度54年。
時代はどう変わってきたのだろうか?
どういう時代を、これから私たちは紡いでゆくのだろうか?
この日付はひとつの唄と共に記憶されている。
子どもの頃、何となく言っている事は分かったが、事情が詳しく分からないままだった。
ただ、時代の空気を感じ、この歌に寄り添うような気分でいた。
時代に対して何かをしなければと言う思いがあり、
時代に対して異議を申し立てて自殺したのであろうフランシーヌという人に共感めいた感覚を抱いていた。
まだ、自殺は社会的な問題になったし、哲学的な問題とも考えられていた。
「君はフランシーヌ・ルコントを知っているか」と言うエントリに小さな新聞記事の切り抜き写真があった。3月31日の朝日新聞らしい。
ようやく、フルネームを知る事が出来た。
冒頭のパリ拡大会談とは、ヴェトナム戦争の北爆停止に伴って拓かれた新局面に対して、戦争の終結に向け、米,北ヴェトナムに新たに南ヴェトナム、NLF(民族解放戦線)を加えたメンバーで1月25日から開かれていた会議の事だ。
その会場から200mの場所でフランシーヌ・ルコントさんはビアフラの記事の切り抜きを持って焼身自殺したのだ。
記事には精神病の事が仄めかされている。その影響もあったに違いない。だが、同時に政治的抗議のための焼身自殺であった事も否定は出来ないだろう。
耳にしてから54年。やっと事情が呑み込めた。
この歌は、1969年6月15日に発売されている。
もう誰も記憶していないだろうが、反安保の日だ。樺美智子さんが亡くなったのが1960年の6月15日。それに因んでいる。
この歌を歌った新谷のり子さんも、時代に翻弄されたようである。
そういった時代だったのだ。
ヴェトナム戦争はその実態が、マスメディアによって伝えられた最初の戦争だった。
それだけに衝撃も大きかった。
若者たちは今と比べ、遙かに無垢だった。
逆に言えば無垢でいることが許された時代だった。
時代に翻弄された若者は、世界中に数限りなく存在する。
フランシーヌ・ルコントさんが亡くなって、今日で丁度54年。
時代はどう変わってきたのだろうか?
どういう時代を、これから私たちは紡いでゆくのだろうか?
2
ホントのことを言ったらオリコウになれない
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
ホントのことを言ったらあまりにも悲しい
3月30日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
…
20130329
Mission Anny !
Anny Goodsたちがやって来た。
3月10日の「2周年」デモの時頼まれていたのだ。
誰でもMission Annyにメールさえ送れば入手出来るのだが、今回も"Mission"に参加することにした。
10色20枚のステッカーを頼んだ。
初期の頃より大分色が増えた。
より楽しくお洒落になった!
おまけなのだろうか?小さなAnnyたちも付いて来た。
何に使おうか?それを考えるだけでも楽しくなる。
他に缶バッジもある。
こちらにはBoysヴァージョンもあり、合計で15色!
今回は頼まなかったが、私は帽子と鞄に付けている。
Missionは海外にも展開中らしい。
もっともっと拡がってほしいと思う。
つながるということの大切さをこの"Mission"に参加する度に実感するのだ。
運動は、時に深刻な局面も迎えることがあるが、いつも気持ちに余裕を持っていたい。
このようなお洒落で楽しいGoodsが拡がっていることは、運動のひとつの発展だと私は思うのだ。
成熟と言っても良いと思う。
Mission Annyの「本部」は、4月から前橋になるらしい。
どこに移動しても私は"Mission"に参加しよう。
さて今回のMissionはどんな展開になるのだろうか?
3月10日の「2周年」デモの時頼まれていたのだ。
誰でもMission Annyにメールさえ送れば入手出来るのだが、今回も"Mission"に参加することにした。
10色20枚のステッカーを頼んだ。
初期の頃より大分色が増えた。
より楽しくお洒落になった!
おまけなのだろうか?小さなAnnyたちも付いて来た。
何に使おうか?それを考えるだけでも楽しくなる。
他に缶バッジもある。
こちらにはBoysヴァージョンもあり、合計で15色!
今回は頼まなかったが、私は帽子と鞄に付けている。
Missionは海外にも展開中らしい。
もっともっと拡がってほしいと思う。
つながるということの大切さをこの"Mission"に参加する度に実感するのだ。
運動は、時に深刻な局面も迎えることがあるが、いつも気持ちに余裕を持っていたい。
このようなお洒落で楽しいGoodsが拡がっていることは、運動のひとつの発展だと私は思うのだ。
成熟と言っても良いと思う。
Mission Annyの「本部」は、4月から前橋になるらしい。
どこに移動しても私は"Mission"に参加しよう。
さて今回のMissionはどんな展開になるのだろうか?
20130328
ホッケースティック論争
甚だ自信が無い。
このテーマを書く資格が私にあるのだろうか?と疑問すら湧いた。
けれど、先ずは自分の為に、ちょこっと読んだだけのWebからの情報を整理しておこうと思う。
これを俎上にあげる。
もう少し詳しい図もあった。
縦軸に記されている数字は異なるが、意味するところは同じだ。
過去1,000年から2.000年の気温変化を主に樹木年輪を用いて、その他には氷コア、珊瑚などの記録を活用して復元したもの(Mann,1999)とされている。
地球の気温は1,000年越しに徐々に寒冷してきたが、20世紀になると鋭く上向きになる。ということを言っている。
近年の気温上昇は過去の傾向と全く異なるフェーズに入ったのだと言っているのだろう。
私が読んだIPCCの報告書(IPCC第四次報告書)に、この図はなかった。それ以前に「論争」が起きたのかも知れない。
「論争」とは、このホッケースティック曲線は偽造なのでは無いかという疑念が持たれたのだ。
私はこの図を見て、ペスト禍の遠因を作った中世の温暖化やその後のマウンダー極小期に見られた小氷期が読み取れないことにちょっと疑問を抱いた。
それ程局地的な現象だったとは思えないのだが…。
その辺りは第一次報告書に載せられていた図の方が(かなり誤差を無視しているが)腑に落ちた。
この図の原典を探していたのだが、1日掛かりでようやく当てが付いた。
“Climate, History and the Modern World.” (Hubert Horace Lamb , 1995)
「論争」の趣旨はホッケースティックという形は統計的方法(主成分分析)による必然な結果だと言うことだ。15世紀の気温はブリストルコーンパイン(イガゴヨウマツ)の記録だけで構成されているとの批判もあった(私はこの批判の意味が良く分からない)。
その批判があったせいか、第四次報告書には他の数多くの気温変化曲線と共に載せられるようになった。
Mannは訂正の論文を出したが、訂正は出典の誤記だけであり、論文の結果には変更がないと明言している。
ここまで採り上げた曲線を見ると、Mannのホッケースティック曲線は段違いに突出しているものの、20世紀の気温変化が顕著なものであるとする結論に変わりは無いと思える。
だが、
現状の気温データでは、温暖化を証明するには極めて不十分!
に載せられているような数多くの気温変化曲線を見ると話しは別になってくる。
現在より中世温暖期の方が気温が高いという結果が示されている図があるのだ。
今迄の図と合わせて、まとまって表示されているものがあったので、それを示しておく。
一番下の海底コアから推定した海水面の気温変化曲線は、明らかに現代の気温がそれ程特殊で無い事を表している。
問題はこのような経緯を辿ってきたホッケースティック曲線が未だに唯一の気温変化曲線として採り上げられる傾向を持っている事だ。
ただし私はホッケースティック曲線が完全なでっち上げであるという立場を取らない。
むしろひとつのデータとして尊重しようと思う。
だが、Mannのホッケースティック曲線だけが、過去の気温を復元したデータでは無いのだ。
その事は強調しておきたい。
つまり、過去の気温を復元した曲線には、いろいろなものがあり、ホッケースティック曲線はその中で十分確実なデータとは言い難いと言うことだ。
確かに現在得られているデータからは、地球温暖化を結論付けるのはちょっと不十分だと感じる。
だが、だからと言って人為的なCO2排出による地球温暖化が進行しつつあると言う話しは否定されると結論付けるのは早急だ。
単純なCO2悪者論が単純化の行き過ぎであるのと同じように、事態はそれ程単純では無いのだから。
このテーマを書く資格が私にあるのだろうか?と疑問すら湧いた。
けれど、先ずは自分の為に、ちょこっと読んだだけのWebからの情報を整理しておこうと思う。
ホッケースティック曲線
これを俎上にあげる。
もう少し詳しい図もあった。
縦軸に記されている数字は異なるが、意味するところは同じだ。
過去1,000年から2.000年の気温変化を主に樹木年輪を用いて、その他には氷コア、珊瑚などの記録を活用して復元したもの(Mann,1999)とされている。
地球の気温は1,000年越しに徐々に寒冷してきたが、20世紀になると鋭く上向きになる。ということを言っている。
近年の気温上昇は過去の傾向と全く異なるフェーズに入ったのだと言っているのだろう。
私が読んだIPCCの報告書(IPCC第四次報告書)に、この図はなかった。それ以前に「論争」が起きたのかも知れない。
「論争」とは、このホッケースティック曲線は偽造なのでは無いかという疑念が持たれたのだ。
私はこの図を見て、ペスト禍の遠因を作った中世の温暖化やその後のマウンダー極小期に見られた小氷期が読み取れないことにちょっと疑問を抱いた。
それ程局地的な現象だったとは思えないのだが…。
その辺りは第一次報告書に載せられていた図の方が(かなり誤差を無視しているが)腑に落ちた。
この図の原典を探していたのだが、1日掛かりでようやく当てが付いた。
“Climate, History and the Modern World.” (Hubert Horace Lamb , 1995)
「論争」の趣旨はホッケースティックという形は統計的方法(主成分分析)による必然な結果だと言うことだ。15世紀の気温はブリストルコーンパイン(イガゴヨウマツ)の記録だけで構成されているとの批判もあった(私はこの批判の意味が良く分からない)。
その批判があったせいか、第四次報告書には他の数多くの気温変化曲線と共に載せられるようになった。
Mannは訂正の論文を出したが、訂正は出典の誤記だけであり、論文の結果には変更がないと明言している。
ここまで採り上げた曲線を見ると、Mannのホッケースティック曲線は段違いに突出しているものの、20世紀の気温変化が顕著なものであるとする結論に変わりは無いと思える。
だが、
現状の気温データでは、温暖化を証明するには極めて不十分!
に載せられているような数多くの気温変化曲線を見ると話しは別になってくる。
現在より中世温暖期の方が気温が高いという結果が示されている図があるのだ。
今迄の図と合わせて、まとまって表示されているものがあったので、それを示しておく。一番下の海底コアから推定した海水面の気温変化曲線は、明らかに現代の気温がそれ程特殊で無い事を表している。
問題はこのような経緯を辿ってきたホッケースティック曲線が未だに唯一の気温変化曲線として採り上げられる傾向を持っている事だ。
ただし私はホッケースティック曲線が完全なでっち上げであるという立場を取らない。
むしろひとつのデータとして尊重しようと思う。
だが、Mannのホッケースティック曲線だけが、過去の気温を復元したデータでは無いのだ。
その事は強調しておきたい。
つまり、過去の気温を復元した曲線には、いろいろなものがあり、ホッケースティック曲線はその中で十分確実なデータとは言い難いと言うことだ。
確かに現在得られているデータからは、地球温暖化を結論付けるのはちょっと不十分だと感じる。
だが、だからと言って人為的なCO2排出による地球温暖化が進行しつつあると言う話しは否定されると結論付けるのは早急だ。
単純なCO2悪者論が単純化の行き過ぎであるのと同じように、事態はそれ程単純では無いのだから。
20130326
温暖化をどう考えるか?─序
ちょっとびっくりした。
Facebookで地球温暖化防止の為に政府が進めようとしている、石炭火力発電の推進に反対する要旨のリンクを貼った。
それに対し、立て続けにコメントがあった。
いずれも地球温暖化懐疑論に基づくものだった。
予期せぬ論戦に、私は巻き込まれてしまった。
どうやら脱原発派の中には地球温暖化を原子力推進の為に仕組まれた陰謀の様に考えているらしい方々が多数いる事が分かった。
私は古くから原子力には反対してきた。
だが、同様に古くから過剰なCO2排出が地球温暖化を招くであろうという考えも持ってきた。
原子力を擁護する時、地球温暖化が良く持ち出される。
最初この論法を聞いた時は悪い冗談に違いないと思った。
原子力をクリーンと言い出すなんて…。
…あり得ない話しだ。
原子力はその核燃料を焼き固める際に、膨大な量のCO2を排出する。加えて、原子力発電所が成り立つにはその数に見合った火力発電所が必要である。
彼らが言う程には原子力は低炭素ではない。
けれど、火力発電所をぼんぼん使うのに比べたら、比較の対象ではあるまい。
原子力を否定すれば現代の病根を廃絶出来るとは全く思わない。
地球温暖化は私たちが抱える、もうひとつの大問題だと認識している。
脱原発派は環境に対してセンシティブであるのなら、もっと地球温暖化に対してもセンシティブであるべきだ。
ところが、地球温暖化を懸念する側にも、かなりいい加減な論法が見られるのも確かな事なのだ。
この辺りを懐疑論者は突いてくるのだと感じる。
再びちょっと勉強してみるつもりになった。
ひょっとすると、このBlogをお読みの方は、私が「懐疑論者」になったと思われるかも知れない。そこまで突っ込んでみようと思っている。
けれど、それ程単純な問題では無いことを、私は一応理解している心算だ。
2冊、本を読んだ。
ひとつはジェイムズ・ハンセンの『地球温暖化との闘い─すべては未来の子どもたちのために』
この人から地球温暖化の議論は始まったのだ。
批判されることが多い。ブッシュ政権に利用されただけではないかと言うのだ。
だが、彼は科学者として出来る範囲で、最大限行動してきたと、私は評価する。
この本はそんな彼の自伝的な内容が色濃く出ている。
この本の中で彼が非難しているのはグリーンウォッシュと呼ばれる態度だ。
地球温暖化や環境について懸念を表明しておきながら、実際に気候の安定化や環境保護のための行動を何も取らないことで、米国やその他の国々に広く見られる態度だと言う。
彼は地球温暖化についてもそうだが、このグリーンウォッシュに対してもその証人になることをこの本の中で表明している。
地球温暖化のメカニズムを説明している箇所は、とても分かり易い。
もう一冊はもう少しアカデミックな内容だった。
カート・ステージャの『10万年の未来地球史─気候、地形、生命はどうなるか? 』
今年は矢鱈早く春が来た。
その事を地球温暖化に絡めて語る人も多い。
一理はあるだろう。
けれど、この本を読んで、私はもう一度地球温暖化という現象のタイムスケールを考えてみた。
問題の本質を掴むには、10万年単位の時間軸で考えることが必要だろう。
この本は地層に記されたデータから、丹念に「超温暖化」の徴を読み取ってゆく。かつてはどうだったのか?
その作業は極めて実証的だ。こうした態度が地球温暖化を語るには必須なのだと教えてくれる。
そして、未来はどうなりそうなのか?
…どうすべきなのだろうか?
ハンセンの本と殆ど同時に出版された。
その為、同時に買うようにamazonなどでは誘導される。余り芳しくない。この2冊は全く異なる内容だ。
それを自覚した上でなら、同時に読んでも差し支えないだろう。
Facebookで地球温暖化防止の為に政府が進めようとしている、石炭火力発電の推進に反対する要旨のリンクを貼った。
それに対し、立て続けにコメントがあった。
いずれも地球温暖化懐疑論に基づくものだった。
予期せぬ論戦に、私は巻き込まれてしまった。
どうやら脱原発派の中には地球温暖化を原子力推進の為に仕組まれた陰謀の様に考えているらしい方々が多数いる事が分かった。
私は古くから原子力には反対してきた。
だが、同様に古くから過剰なCO2排出が地球温暖化を招くであろうという考えも持ってきた。
原子力を擁護する時、地球温暖化が良く持ち出される。
最初この論法を聞いた時は悪い冗談に違いないと思った。
原子力をクリーンと言い出すなんて…。
…あり得ない話しだ。
原子力はその核燃料を焼き固める際に、膨大な量のCO2を排出する。加えて、原子力発電所が成り立つにはその数に見合った火力発電所が必要である。
彼らが言う程には原子力は低炭素ではない。
けれど、火力発電所をぼんぼん使うのに比べたら、比較の対象ではあるまい。
原子力を否定すれば現代の病根を廃絶出来るとは全く思わない。
地球温暖化は私たちが抱える、もうひとつの大問題だと認識している。
脱原発派は環境に対してセンシティブであるのなら、もっと地球温暖化に対してもセンシティブであるべきだ。
ところが、地球温暖化を懸念する側にも、かなりいい加減な論法が見られるのも確かな事なのだ。
この辺りを懐疑論者は突いてくるのだと感じる。
再びちょっと勉強してみるつもりになった。
ひょっとすると、このBlogをお読みの方は、私が「懐疑論者」になったと思われるかも知れない。そこまで突っ込んでみようと思っている。
けれど、それ程単純な問題では無いことを、私は一応理解している心算だ。
2冊、本を読んだ。
ひとつはジェイムズ・ハンセンの『地球温暖化との闘い─すべては未来の子どもたちのために』
この人から地球温暖化の議論は始まったのだ。
批判されることが多い。ブッシュ政権に利用されただけではないかと言うのだ。
だが、彼は科学者として出来る範囲で、最大限行動してきたと、私は評価する。
この本はそんな彼の自伝的な内容が色濃く出ている。
この本の中で彼が非難しているのはグリーンウォッシュと呼ばれる態度だ。
地球温暖化や環境について懸念を表明しておきながら、実際に気候の安定化や環境保護のための行動を何も取らないことで、米国やその他の国々に広く見られる態度だと言う。
彼は地球温暖化についてもそうだが、このグリーンウォッシュに対してもその証人になることをこの本の中で表明している。
地球温暖化のメカニズムを説明している箇所は、とても分かり易い。
もう一冊はもう少しアカデミックな内容だった。
カート・ステージャの『10万年の未来地球史─気候、地形、生命はどうなるか? 』
今年は矢鱈早く春が来た。
その事を地球温暖化に絡めて語る人も多い。
一理はあるだろう。
けれど、この本を読んで、私はもう一度地球温暖化という現象のタイムスケールを考えてみた。
問題の本質を掴むには、10万年単位の時間軸で考えることが必要だろう。
この本は地層に記されたデータから、丹念に「超温暖化」の徴を読み取ってゆく。かつてはどうだったのか?
その作業は極めて実証的だ。こうした態度が地球温暖化を語るには必須なのだと教えてくれる。
そして、未来はどうなりそうなのか?
…どうすべきなのだろうか?
ハンセンの本と殆ど同時に出版された。
その為、同時に買うようにamazonなどでは誘導される。余り芳しくない。この2冊は全く異なる内容だ。
それを自覚した上でなら、同時に読んでも差し支えないだろう。
20130325
武水別神社へ
昨日、我が家に新車がやって来た。
TOYOTAのVitzである。
中途半端だと女房殿は悩んでいたが、私としてはそれ程悪い色ではないと思う。
ボタンひとつで四駆になる。
燃費も良いとの事。何よりだ。
今日は交通安全を祈願しに、千曲市にある武水別神社八幡宮に行ってきた。
その前に以前教えて貰ったネパール・カレーの店「ザ・エベレスト」で昼食を摂った。
意外に近い。
扉を開けると入り口までカレーの薫りが漂ってくる。
予想より、こじんまりとした佇まいだ。
入るとネパール人の店員さんが迎えて下さった。
平日のお昼なのでランチメニューがある。
いやが上にも期待が高まると言うものだ。
中は普通の定食屋と同じような感じ。お座敷もある。
私たちは椅子席に陣取った。
ネパールのタペストリーを通して春の光が差し込んでくる。
私としては本日の主目的はここだった。ネパール・インド系の料理が大好きなのだ。
1200円ほどのランチもあったが、今日は初めてという事もあり、680円の普通のランチを注文した。本日のカレーは何だろう?
女房殿はHotを、私はVery Hotを注文。
最初、ナンはスーパーで売られている程度のものを予想していた。
だが、出て来たものは予想を遙かに超えていた。
でかいのだ。
皿の直径は30cm程。そこから大幅にはみ出すナン!
このナンが美味しかった!カレーなしでも十分いける。
サラダも美味!
これで680円は激安だ。
今日のカレーはミックスベジタブルだった。
自宅からは少し離れるが、ここは頻繁に訪れたい。
満足である!
さて、腹ごしらえが出来たところで、武水別神社へ。
私は知らなかったのだが、かなり大きな神社だ。
午後イチで受け付けをして貰い、殆ど独占状態でお祓いを済ませた。
これから先、Vitzとは長い付き合いになる。
何よりも安全第一で行きたいものである。
帰り道、ようやくオーディオ関連の設定の仕方が分かった。
ちょっと直感的な操作性に欠けるのではないか?
最近は進歩したもので、カーナビの精度もかなりのものがあり、驚かされた。
何よりも新車独特の香りが心地良い。
煙草を止めておいて良かったな…。内心その事が最も喜ばしく思えたのだった。
あちこちで梅が満開だった。
春遅き信州にもようやく春が巡ってきたのだ。
TOYOTAのVitzである。
中途半端だと女房殿は悩んでいたが、私としてはそれ程悪い色ではないと思う。
ボタンひとつで四駆になる。
燃費も良いとの事。何よりだ。
今日は交通安全を祈願しに、千曲市にある武水別神社八幡宮に行ってきた。
その前に以前教えて貰ったネパール・カレーの店「ザ・エベレスト」で昼食を摂った。
意外に近い。
扉を開けると入り口までカレーの薫りが漂ってくる。
予想より、こじんまりとした佇まいだ。
入るとネパール人の店員さんが迎えて下さった。
平日のお昼なのでランチメニューがある。
いやが上にも期待が高まると言うものだ。
中は普通の定食屋と同じような感じ。お座敷もある。
私たちは椅子席に陣取った。
ネパールのタペストリーを通して春の光が差し込んでくる。
私としては本日の主目的はここだった。ネパール・インド系の料理が大好きなのだ。
1200円ほどのランチもあったが、今日は初めてという事もあり、680円の普通のランチを注文した。本日のカレーは何だろう?
女房殿はHotを、私はVery Hotを注文。
最初、ナンはスーパーで売られている程度のものを予想していた。
だが、出て来たものは予想を遙かに超えていた。
でかいのだ。皿の直径は30cm程。そこから大幅にはみ出すナン!
このナンが美味しかった!カレーなしでも十分いける。
サラダも美味!
これで680円は激安だ。
今日のカレーはミックスベジタブルだった。
自宅からは少し離れるが、ここは頻繁に訪れたい。
満足である!
さて、腹ごしらえが出来たところで、武水別神社へ。
私は知らなかったのだが、かなり大きな神社だ。
午後イチで受け付けをして貰い、殆ど独占状態でお祓いを済ませた。
これから先、Vitzとは長い付き合いになる。
何よりも安全第一で行きたいものである。
帰り道、ようやくオーディオ関連の設定の仕方が分かった。
ちょっと直感的な操作性に欠けるのではないか?
最近は進歩したもので、カーナビの精度もかなりのものがあり、驚かされた。
何よりも新車独特の香りが心地良い。
煙草を止めておいて良かったな…。内心その事が最も喜ばしく思えたのだった。
あちこちで梅が満開だった。
春遅き信州にもようやく春が巡ってきたのだ。
20130324
さらば!パルサー
女房殿がNissanのパルサーを手放す。
12年乗ってきたと言う。私より付き合いが長い。
随分と愛着もあるのだろう。
もう乗らないというのに、きちんと洗車して来た。
私も随分お世話になった。
どこに行くのもこの車だった。
その最後の勇姿。
所々錆が出て来ている。
昨日、最後の遠乗りをして来た。
流石にエンジンが妙な音を出し始めている。
最後に向かったのは、
飯縄にあるいつものパン屋さん、ベッカライ麦星だ。
まだ雪が残っていた。
しかしこれでも随分少なくなったのだ。もう春になったと言っても良いだろう。
借りていた本を返し、パンを5つ買う。
ここに通う為に、新しく買う車も四駆にした。
ちょっと高価いパンになるがそれでも良い。
今日、新しい車が来る。
かなり悩んでいたようだが、それもお楽しみの一部だろう。
果たして私は新しい車を覚える事が出来るのだろうか?
12年乗ってきたと言う。私より付き合いが長い。
随分と愛着もあるのだろう。
もう乗らないというのに、きちんと洗車して来た。
私も随分お世話になった。
どこに行くのもこの車だった。
その最後の勇姿。
所々錆が出て来ている。
昨日、最後の遠乗りをして来た。
流石にエンジンが妙な音を出し始めている。
最後に向かったのは、
飯縄にあるいつものパン屋さん、ベッカライ麦星だ。
まだ雪が残っていた。
しかしこれでも随分少なくなったのだ。もう春になったと言っても良いだろう。
借りていた本を返し、パンを5つ買う。
ここに通う為に、新しく買う車も四駆にした。
ちょっと高価いパンになるがそれでも良い。
今日、新しい車が来る。
かなり悩んでいたようだが、それもお楽しみの一部だろう。
果たして私は新しい車を覚える事が出来るのだろうか?
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