20110624

Schönauの快挙!

ドイツの小都市Schönauで、脱原発への取り組みが行われている事は、以前教えて貰っていました。
大変貴重な映像です。是非ご覧下さい。

脱原発への第一歩 ショウナウでの取り組みから

その街に、「緑のノーベル賞」とも言われるゴールドマン環境賞が与えられました。

"Grüner Nobelpreis" für die Mutter der Stromrebellen

Ursula Sladek

1986年、「黒い森」にあるこの町にもチェルノブイリの雲はやって来ました。多くの市民、特に小さな子供を持つ親たちは不安を感じたようです。
「外で子供を遊ばせてもいいの? 母乳は? それとも事故前に製造された牛乳の方が安全?」
今の日本と同じです。

10人の親が「原子力のない未来を求める親の会」を結成しました。
中心人物であるUrsula Sladekさんは5人の子供を持つ母親でした。
「以前は政治にもエコにも興味はなかったけど、自分の子どもの未来を考えたら…」

活動が始まった90年代初め、Schönauでは、街にそれまで電力を供給していたラインフェルデン発電所とさらに20年間、電力供給の独占を延長する契約の更改が迫っていました。当初、ラインフェルデン発電所の基本料金設定は電力を多く使用した方が得という仕組みだったため、市民は省エネをした方が得となるよう余剰電力の買い取りや比例料金体制の導入を訴えたのですが、発電所はそうした取り組みに冷淡な対応を取り、原子力使用の廃止にも興味を示しませんでした。
これも現在の日本と似ています。

そこでSladekさんら市民たちが考えた対抗策は、市民がお金を出して独占契約を買い取り、自らの手で市民所有の水力、太陽光、天然ガス、再生可能エネルギーによるエコ電力会社を作ることでした。

ドイツの歴史上初めて実現されたこのプラン。1997年に創立されたEWS - Elektrizitaetswerke Schoenauは、社員40人弱という小さな会社ながら、いまでは全ドイツ、10万を超す顧客に原子力と石炭フリーのエコ電力を供給する会社に成長し、新たな電力供給プランとして注目を浴びています。福島第1原発の事故の後、通常の10倍以上の問い合わせが殺到したそうです。

旧い友人がノーベル賞を貰ったような、嬉しい気分です。
やれば出来るんです!

Sladekさんは語ります。
「私たちは、のんきで、あまり後先考えずに行動してしまったから、逆に実現できてしまったのかもしれないわ」

以上自分のエネルギーは自分で決める! 独シェーナウがめざすもの より引用。

素晴らしい行動力と持続力を感じました。

20110517

carpe diem

Tu ne quaesieris, scire nefas, quem mihi, quem tibi
finem di dederint, Leuconoe, nec Babylonios
temptaris numeros. ut melius quicquid erit pati,
seu pluris hiemes seu tribuit Iuppiter ultimam,
quae nunc oppositis debilitat pumicibus mare
Tyrrhenum: sapias, vina liques et spatio brevi
spem longam reseces. dum loquimur, fugerit invida
aetas: carpe diem, quam minimum credula postero.
                                    ─Quintus Horatius Flaccus




神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、
レウコノエ、そんなことを尋ねてはいけない。
それを知ることは、神の道に背くことだから。
君はまた、バビロンの数占いにも手を出してはいけない。
死がどのようなものであれ、
それを進んで受け入れる方がどんなにかいいだろう。
仮にユピテル様が、これから僕らに何度も冬を迎えさせてくれるにせよ、
或いは逆に、立ちはだかる岩によって
テュッレニア海を疲弊させている今年の冬が最後の冬になるにせよ。
だから君には賢明であってほしい。
酒を漉し、短い人生の中で遠大な希望を抱くことは慎もう。
なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも、
意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから。
今日一日の花を摘みとることだ。
明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。

─ホラーティウス

20110510

これは「脱原発宣言」だ!

重要な記者会見がありました。

菅内閣総理大臣記者会見-平成23年5月10日

37分くらいありますが、まだ見ていない人は先ず見て下さい。
話はそれからです。

-

どうして日本中が大騒ぎになっていないのか?
わたしは不思議でなりません。

菅首相が脱原発を宣言しました。
原発をやめるとも縮小するとも言っていません。
けれどわたしには脱原発宣言としか聞こえません。


--菅首相--00:08:50--
今後のエネルギー政策について、
いろいろと議論が巻き起きております。
先ず、原子力については何よりも、
安全性をしっかりと確保すると言う事が重要であります。
そして、この原子力と化石燃料というものが、
これまで、特に電力においては、
大きなふたつの柱として活用されていました。
これに加えて、今回の事故を踏まえて、
また、地球温暖化の問題も踏まえて、
あとふたつの柱が重要だと考えています。
そのひとつは太陽、風力、バイオマスといった
再生可能な自然エネルギーを、
基幹エネルギーのひとつに加えて行く、
そのことであります。
そしてもうひとつは省エネ。
エネルギーを沢山使う社会の在り方が
このままでいいのか、
いろいろな工夫によって、
或いは
いろいろな社会の在り方を選択する事によって、
エネルギーを今程は使わない
省エネ社会を作って行く、
この事が、わたくしはもうひとつの
エネルギー政策の柱になり得ると、
このように考えております。
そう言った意味で
これまでの、原子力については安全性を、
そして化石燃料についてはCO2の削減を
しっかり進めて行くと同時に、
自然エネルギーと省エネというものを
もうふたつの柱として、
そこに、これまで以上に、
大きな力を注いでいくべきだと、
このような考え方で、
エネルギー政策全体の見直しの
議論を進めて参りたいと、
このように考えております。
--


更に(重要!)西日本新聞の記者からの質問に答えて

--菅首相--
(浜岡原発について、及びその他の原発について)

--00:16:55--
もう一点、今後のエネルギーの在り方について、
原子力をどのように続けるかというご質問ですが、
現在のエネルギー基本計画では、
2030年に於いて、総電力に占める割合として、
原子力は50%以上。
再生可能エネルギーは20%
を目指すとなっております。
しかし、今回の大きな事故が起きた事によって、
この従来決まっているエネルギー基本計画は、
一旦白紙に戻して、議論をする必要があるだろうと、
このように考えております。
そう言う中で、原子力については
一層の安全性を確保する。
そしてもう一方、
自然エネルギー、再生エネルギーについては
より大きな力で推進する。
そういう方向性が、必要ではないかと、
そういう方向性を念頭に置きながら、
議論を進めて行きたいと、
このように考えている所です。
--

と、
もう記録したぞ!


(おまけ)質問に答えて

--菅首相--

--00:30:12--
それに加えて、先ほど申しあげましたように
原子力、化石燃料に加えて、
欧米の多くの国も風力や或いは太陽エネルギーに
力を注いでおります。
我が国はややこの分野で、出遅れているところがありますので、
そういった分野についても、一層力を入れて参りたい、
そういった姿勢を含めて、国際社会にも
日本の姿勢をお示しをしたいと、
こう思っております。
--

前言を繰り返し述べ、国際社会にも約束をしています。


(長めに文字起こししました。
好きなようにコピペして使って下さい。)


十分です。
これがエネルギー政策の転換でなくて
他の何なのだろう?

原発をやめるとは言っていない。
けれどわたしはそれも評価しています。
いきなり止めると言い出すのは乱暴すぎます。
その意味で
浜岡原発が止まった事には、
わたしは素直に喜べなかった。

地元との協議もなく
いきなり強権で止めた。
その事を嬉しがっていて良いのか?
それでは強権によって原発を建てるというのも
批判出来なくなる。

原発を止める事によるリスクは
どの様に評価したのか?

強権を発動させる程
浜岡原発は逼迫した状態だったのか?

止めれば安全なのか?

様々な疑問が出て来ます。

その意味で浜岡原発の止め方は拙かった。
わたしはそう考えています。


だから、
(暫くは)原子力と化石燃料による発電と共に
再生可能エネルギーに力を入れる方向に転換し、
加えて省エネを進める。
エネルギー基本計画を白紙に戻して議論する。
発言はそこまででいいと思っています。
それ以上踏み込む必要はないし
踏み込んでもならない。

地元ともしっかり協議して
段階を踏んで行かなければならない。


わたしには
自然エネルギー、再生エネルギーの方向に
舵を切ったとしか読めません。

これは記者会見ではなく
国民への演説という形で発表すべき事だったと思います。
それだけ重要な政策転換を表明したと思えます。


やってもらいましょう!
きっちりと。
やり切ってもらいましょう!

普天間の時のようにぶれることなく。

20110508

平和に生きる権利

わたしが望むものは、闘いの高揚感や連帯の陶酔感ではない。ただ、静かに暮らすと言う事だ。もう、止めようではないか!戦争を始めたり原発を作ったり、静かに暮らす事を不可能にする全ての事を、止めようではないか!

20110318

スマトラではどうだったか

東北地方太平洋沖地震は現在進行形の地震です。

M9レベルの地震の影響は?
今後の地震活動はどのように推移するのだろう?
そう考えた時
これまでの同様の巨大地震を見たほうが良いのではないかと考えています。

たとえばスマトラ島沖地震です。
スマトラでは一度巨大地震が起きたあと、
何度も大きな地震が起きています。

Wikipedia『スマトラ沖地震』を見ると

マグニチュード7以上の「主なスマトラ沖地震」だけでも

2004年12月26日  スマトラ島沖地震 (2004年)  9.1  スマトラ島北西沖 
2005年3月28日  スマトラ島沖地震 (2005年)  8.6  メダン南西沖 
2007年9月12日  スマトラ島沖地震 (2007年)  8.5  ブンクル南西沖 
2009年9月30日  スマトラ島沖地震 (2009年)  7.5  パダン西北西沖 
2010年4月6日  スマトラ島沖地震 (2010年4月)  7.8  バニャック諸島付近 
2010年5月9日  スマトラ島沖地震 (2010年5月)  7.2  バンダアチェ南南東沖 
2010年10月25日  スマトラ島沖地震 (2010年10月)  7.7  パダン南沖

こうなっています。
この後も続いています。

規模とその地震が起こった年月日、地域の拡がりに注目して下さい。

これまでの地震での「余震」とは
まったく別物クラスの「余震」があると
考えるほうが妥当だと思います。

これらの地震はひとつひとつが「本震」とされています。
しかし余震の減衰曲線に乗ってしまうのも確かな事です。
本震であるのか、余震であるのかは
解釈に過ぎません。

スマトラは特殊な地域なのかも知れません
けれど少なくともスマトラでは
このように事態は推移しました。

ある程度の覚悟は必要だと考えます。

東北地方太平洋沖地震は
3つの巨大地震が連動したものとされています。
例え僅かな時間であっても
途中で止まった事にも注目したいと思っています。
今後の余震はM8.4(気象庁マグニチュード)の余震として
推移して行くのかも知れません。

スマトラ地震のマグニチュードは気象庁マグニチュードではなく
アメリカのUSGSマグニチュードです
USGSとは世界の地震をまとめているアメリカの科学者団体です。)
USGSマグニチュードでも東北地方太平洋沖地震の規模は9.0でした。

スマトラ地震は東北地方太平洋沖地震の倍近くのエネルギーを持つ地震でした。

20091228

急に楽になった

こんな事が起こるのかといった気分。半ば感心している。

すぐに元に戻ってしまうのかも知れない程あやふやな感覚だが、18時頃、楽な場所にすとん!と降りた様な感覚が訪れる。

あやふやなので記しておきたい。

あれ程しつこくつきまとっていた煙草がわたしから離れた。
今は、過去の自分が何故煙草の様なシロモノを欲しがっていたのかそれすら理解出来ない。何であんなものを吸っていたのだろう?

「抜けた」感触がある。
この感触は、いつまでも捕まえておきたい。今年のうちにこんな感触を持つ事が出来るとは、今日の夕方になる迄想像も出来ない事だった。

断煙した人は、皆、こんな感触をどこかでつかんでいるのだろうか?強制的に閉じ込められていた、暗く冷たい場所から解放された様な不思議な感覚だ。

だが、油断しない様に!
そして、あやふやさを確かめようとしない様に。
あやふやさは不安と紙一重だが、光が射し込んで来る様な期待感もまた確かにあるのだから。