20071224

目出たい時期には雪が沈む

もう、昨日の事になってしまった。午前中、激しく天候が変わった。

朝、雨だったが本格的な雪になった。大粒の湿った雪だ。…と書いているうちに霙になり、止み始めている。Blogを書くのも大変だ。天候を書くだけでもどんどん変わってゆく。午後にはすっかり晴れ上がってしまった。ホワイトクリスマスが夢であるような、「普通の」冬に戻って来ているのかも知れない。

世の中はクリスマスだ。

過去に縛られているのだろうか?この時期になると気が沈む。
この時期になると収入が減るという要因も大きいと思う。世の中の人は三連休があり、年末年始の休みがあり、嬉しいのかも知れないが、わたしにとってはこの休みは失業を意味する。

そんな生き方を、若い頃からずっとして来た。東京にいる時にはしょうがないのでバイトを入れた。

殆どの時間、からかいの対象になる。世の中の人ははしゃいでいるので自分だけが軽口を叩いているのだと思うのかも知れないが、そんな客ばかりを相手にケーキを売る。または松飾りを売る。デパートの催事も良い収入源だった。

そのように土俵際でこらえて食費を確保し、独りの部屋に帰る。それが年末年始だった。

地方に来て困った事にそれらがない。単純な年末年始失業者となる。困り方も単純になった。


世の中は…そうなのだ、いつの頃からか世の中に揉まれながら、世の中に入れないような生き方になってしまった。なかなか居場所を作る事が難しい。


数年前から女房殿とふたりでクリスマスイブを祝うようになった。喜ばしい事だ。だが、それにまだ巧く付いてゆけない自分も感じている。慣れていない。

年末年始失業者なので祝い方は実に質素だ。その質素さは年々著しくなる。今年はスパゲッティーと鳥の足、それにポトフ。それでもゴージャスに感じる。こんなに贅沢していいのか?という気分になる。

どこか、ぎこちない。ここはわたしの居場所ではないと、誰かに告げられているような気分が押し寄せる。そんな筈はない。ここがわたしの居場所なのだ。


年末年始は夏目漱石を読みながら過ごす事になりそうだ。彼も、居場所を探し続けた。

20071220

意外に大切な宙ぶらりん

妙な時間に寝てしまった。お蔭で妙な時間にBlogを書き初めている。妙に宙ぶらりんな気分だ。

最近、この宙ぶらりんという状態は意外に大切なのではないかと思い始めた。
拙速な答えを出すくらいならば、宙ぶらりん状態に耐えている方が遥かに生産的だ。…生産的か?

人間にとって宙ぶらりん状態で耐えているというのは結構厳しいものがある。

肉親が重い病気を患って入院していると、例えば、その病気が癌であれば癌の本を夢中で貪り読む。何らかの答えが欲しいのだと思う。だが、大抵本には答えは書いてない。ただ、傍らに佇むしかない自分に耐えられず、病気を放ったらかしにして病気の本を読んでいるだけだ。

ならば、病んでいる人のそばに佇んで、宙ぶらりんの状態のまま看病を続けていた方が良い。これは自分自身に対しても当て嵌まる。


今日も、宙ぶらりんな日だったので、仕方なく仕事をする。
仕事時間が過ぎたら本を読む。
mixiに的外れなコメントを書く。

殆ど外に出なかった。

外に出た時、久し振りに遠くの山々が見えた。今迄雲に隠れていたのだが、その雲が上がると絵の具が塗られたようにくっきりと境を作って、見えていなかった所の白が濃くなっている。

衛星画像ではほんの小さな雲なのだが、その小さな雲は、確実にひとつ深い冬を伝える。

何故、部屋から見ないのか?
暖房費を節約する為にカーテンを閉め、防寒具を着込んで仕事をしているからだ。我ながら情けない状態だと思う。世の中ではこれを引き蘢りと言う。実際にそうだと思う。否定出来ない。

その内に、宙ぶらりんと寒さに耐えられず、布団の中に潜り込んでしまった。寝転がって本を読もうと思っていたのだが、寒くて手を出す気になれない。で、妙な時間に眠り込んでしまった。

宙ぶらりんは意外に大切だと書いたが、それはその状態を耐えて初めて言える事だとつくづく感じた。耐えられなければ単なる怠惰な状態に変貌する。

20071218

白き山

歯医者から帰って来る途中、北に見える飯縄山、東に見える横手山など高い山々が白く雪化粧しているのが見えた。
「なかなかいいものではないか」
そう考えた。

東京から戻って来て初めての事かも知れない。

この3・4年、冬は恐れの対象でしかなかった。戻って来た最初の冬、19年振りという大雪だったからかも知れない。その翌年にはもっと降った。ほぼ完全に、わたしは冬に敗北した。

冬は毎年やって来る災害に等しかった。

例え遠い山々であったとしても、雪が付くと恐れを抱いた。

現在も10m程高い場所に移動すれば既に積雪ゾーンに入るかも知れない。低い山々にも積雪が認められる。一昨年はこの状態になってから「止まない雪」が降り続きとんでもない事になった。我が家は豪雪地帯にすっぽりと包まれた。

もともとそれ程雪に対して備えがある家の造りを、この辺りはしていない。ここ数年雪がなかったのだろうか?1階の屋根と2階の窓との間が、ほんの10cm程しかないような「新しい造りの」家々も目立って増えていた。それらの家は、大雪の後、必ずと言って良い程、窓から雪が溶けた水を汲み出していた。まるで船だ。

iMacが来る迄、我が家の最も高価い品物は、ダイニングキッチンに置かれた大きなストーブだった。私たちはそれを「主」と読んで敬っていた。最初の2年は本当にこのストーブで救われたと思っている。

わたしたちの借家はパチンコ屋の上にある。パチンコ屋には広い駐車場があり、来る人の殆どは車でやって来る。あの豪雪の時期にパチンコ屋にやって来る人々は雪の中で毎朝行列を作っていた。

「この人達はもしかすると、働き者なのではないか?」そう思わせる迫力があった。

それらの人々の為に、毎朝、除雪車がやって来る。最初のうちは5時頃から除雪が始まった。これは拷問に等しい。多分、他の住民から苦情が出たのだろう、そのうちに除雪は6時頃から始まるようになったが、それでも静かだった雪の朝に響き渡る除雪車の轟音は苦痛だった。

今でも朝方トラックがガラガラと音を立てて駐車場に入ってくると反射的に窓から外を見る。

除雪車の騒音が響き渡ると言う事は、車の除雪も行わなければならないと言う事だ。
まず女房度の車の屋根、ボンネット、窓などから雪を落とし、その雪を然るべき場所に運ぶ。次にわたしの車が停めてある駐車場まで行き、除雪を行う。この駐車場には雪を運ぶべき「然るべき場所」が無い。ひと掬い毎に10m以上の距離を歩いて駐車場の隅に運ばなければならない。どんなに寒い朝でも身体が熱くなる。尤もその熱さはすぐに醒め、汗は瞬く間に冷たい水になる。

次は家の前の除雪を行う。
豪雪の年は雪掻きをして振り返るとかなりの雪が既に積もっていた。足元から1mも離れると10cm位ある。まるで賽の河原だ。

かくして雪景色は拷問の象徴となった。
山に雪が着くと心の中にいや〜な気分が芽生えるようになった。

雪に覆われた遠い山を見て、「いいものだな」と思ったのは何年振りだろう?少し冬に慣れて来たのかも知れない。

尤もこれは遠くから見て、という条件付きの「いいものだな」である。

豪雪の年以来、肩と腰を痛めた人は何人居るだろう。わたしはもたもたしながらやっていたので身体的な被害は被っていない。

またまた北から寒気団が押し寄せて来た。善光寺平は寒気団の縁に位置している。さて、どうなる?

とりあえず遠くの白き山を見て、「美しい」と雪への感性を取り戻そうと思っている。

考えてみると大雪が降った後の朝、すっかり晴れ上がった雪映えが好きだった。

20071211

男を病む

今回は間が空いた事を認めざるを得ない。まるまる1週間空けないように慌てて書いている。


テレンス・リアルの『男はプライドの生きものだから』(講談社,2000,原題:I Don't Want To Talk About It)を読み始める。

最初原書を読み始めたのだがすぐに日本語訳が出版されている事を知り、慌てて入手した。たまに図書館なんぞに行くとこういう事になる。

だが、原書が図書館にあるということが分かっただけ良かったかも知れない。…読まないだろうけれど。

読むうちに、男になると言う事は「男を病む」と言う事なのかも知れないと思い始める。

それがこの本の主題なのだろう。


えこまさんのBlog「悟り方 女と男の違い」を読む。
男と女では(と、きっぱりと分けることが出来るかどうかはとりあえず置いといて)悟り方が違うのだそうだ。
読み始めた本と呼応して身体の中にストンと腑に落ちるものがあった。
だがこの会話が東京下町の言葉を無理やり標準とした(アメリカみたいだな…)標準語で書かれていたら大いに引っ掛かったであろう事は、容易に想像が付く。話法と言うものは物事の受け止め方の中の重要なファクターだ。と思い知らされもした。

ここでは男、女、とかなり乱暴に言葉を使って話を進めたい。

男は感→知→徳→→悟と進むのだそうだ。矢印がふたつあるのはそこをなかなか乗り越えにくい事を示す。(Blogでは図で示されていてわかりやすい)。
それに対して女は感→悟と直接進むことが出来るのだそうだ。事の真偽は女になったことが無いので分からない。
その大切な要素として家や子供の世話をすること、つまり愛情無しではやり切れない事柄を背負う事があるとの事。説得力あり。だが…う~ん、中には愛情無しでやっている人も多いのではないのかなぁ。

とりあえず、子育ては愛情無しではやりきれないだろう。だから子供と遊べない女たちが増えてきている。
男は子育てに関してはどうか?…どうしようもない。が現状だろう。子供と遊べない男たちが増えてきたとは報道されない。そんなの当たり前だからだ。

男には人を愛する能力があるのだろうか?

かなり前に真剣にその事を考えた。無いのはないか?或いは奪われているのか?
この事を裏付ける事例は豊富に知っている。
テレンス・リアルは言う。「伝統的な男女の社会化は女の子から『声』を奪い、男の子から『心』を奪う」


精神病院に通っていると女性の患者が多いことに気付かされる。
中には(以前通っていた大きな病院ほどではないが)待ち時間に耐えられず、椅子に寝転がってしまっている方も居る。

テレンス・リアルさんの本にもあったが、鬱病の患者の数は女性の方が遥かに多いと言う。
ならば男性は鬱病に罹りにくいのか?
そうとは全く思えない。
何故ならば、自殺者の数は男性の方が圧倒的に多いからだ。

自殺者の全てが鬱病だと決め付ける訳にはゆくまい。だが、鬱状態でない自殺者と言うものを想像する事は、わたしには困難なのだ。

男は精神的にも強い自分を装う。子供に対しては怒っていれば良い。所謂パターナリズムと言う奴がここで厄介な現象を引き起こす。父は強く、正しいのだ。だから息子は父親の外傷性転移、またはacting outを丸裸の状態でまともに受け止め、父親の病気をそのまま受け継ぐ。

自分を精神病だと認められない男が多い。それは自分の弱さを認めることにも繫がっていると考えるのかも知れない。
だから頑張ってしまう。頑張って、自分の病気を認めず、ころっと自殺してしまう。傍迷惑な事夥しい。

椅子に寝転がっている患者さんは殆ど全てが女性だ。男性は待合室でも頑張っている。こんな事を観察しているとリアルさんの言う事の妥当性を認めたくなる。寝転がってしまえば良いのに…わたしはそう思う。思いつつ、きちんと坐って本を読んでいる。大差ない。


少し暖かくなった。最低気温も0℃を下回ることがこのところ無い。
身体は楽なのだが、精神状態は途端に不安定になった。これは実は順番が逆で、急に鬱状態に突入してしまった事に困惑していたのだが、その時期と寒さが緩んだ時期とが完全に重なる事に、今日気が付いた。

11月中旬に沢山雪が降った。めっきり寒さに弱くなったわたしは、あまりに早い冬の到来に畏れを抱いた。不安が原因の躁鬱病ならば、ここで鬱状態に突入しても何の不思議も無い。けれど逆に精神状態は安定した。

かなり困った事だ。もはや子供の頃と違って冬は大の苦手になってしまった。その苦手な季節にしか動けないようではどうしようもない。それも、ほんの少し暖かくなった途端、乱れ始めるような安定の仕方ではどの様に生きて行ったら良いのか思案に暮れる。

子供の頃、男社会からころころと転がり落ちてしまった。この事は幸か不幸か?

20071205

12月になった

5日も過ぎてから何を言い出すのか?わたしもそう思う。随分間を空けてしまったとこの前書いてから1週間が過ぎた。
5日か6日にはもっと冷え込むらしい。と書いたその5日になったが、…冷え込んでいる。
朝、外に出て、北に見える飯縄山を見た。真っ白だった。這々の体で部屋に逃げ込んだ。

4日の雪の予報は少なくとも山沿い地方では当たっていたらしい。盆地部では一瞬霙になったが、雪と称する天候にはならなかった。その一瞬の霙時間に、わたしはわざわざ通院していたのだが…。…お蔭で、待ち時間は全くなかった。

1週間も何をしていたのかと言うと、ただ本を読み続けていた。あ、仕事もしていました。ほんの少し…。

本を読むという行為が、どうしても宜しくない習慣のように思える。
大抵、本を読み続けている時、あまりものを考えていない。

と、言うと語弊があるかも知れない。本の内容を理解する為にかろうじて頭は使っているようだ。だが、それと「ものを考えている」という行為は、どこか違うような気がするのだ。

途中、Bolg『冬の砦』に「Mummified dinosaur」を書いていたので、実はBlogの間が空いたという実感はないのだ。
とは言えそれも3日の事。全体的に精神活動が低調だったという事実は確かなようだ。

何をするにも億劫で、灯油が少なくなるのも気掛かりになり点けずに過ごす。
春や夏程ではないが、頭の中がごしゃごしゃしていてかなり苦しい。このような時期には何故か精神医学や心理学の本を読んだりする。

本をはじめとして、文書を読む時、感情移入は避けられない。加えて、ただ結論が断定的に書かれているものより、基礎的なデータ、この場合臨床例という事になるのだろうが、それが含まれている本を、わたしは好む。
臨床例が頭の中に侵入して来るような気分になる。
鬱傾向は更に悪化する。

読む事への体力が無くなって来たのだろうか?

バランスを保とうと、詩や小説、ヨーガの本、なども読む。
しかし、いつの間にか論文が最も読みやすい頭になっている自分に気付く。

論文にはきちんと引用文献が示されている。そうすると重要な文献というものが自ずから分かって来る。J.L.ハーマンの『心的外傷と回復』は、どの論文にも引用されている。これは読みたい。しかし、…高価い。

Webでこの本のダイジェストというか、輪読の為のレジュメが載せられているものを見付けた。最初はありがたいと思ったが、それを読んでいるとなおの事本をきちんと読みたくなる。
本を読みつつ、このサイトで自分の理解度を確かめたくなるのだ。

また、灯油の値段が上がった。

夕食に、シチューを食べる。少し、身体が暖かい。

20071128

灯油を買いに行きながら

目の前に灯油を売って下さるお店があるという事だけでも、大変重宝している。灯油を買いに行く為に、わざわざガソリンを消費しなくて済む。
先日捻挫した左足首はまだ少し痛む。重いものを持つにはやや辛い。けれど灯油は日々、消費してしまう。そうしないとやわになったわたしは、満足にキーボードで文字を打つ事もままならぬ。

一昨日、昨日に比べ、今日は更に寒い。予報では5日か6日にはもっと冷え込むらしい。4日には雪の予報も出ている。丁度昨日灯油を使い切ったので(体力的に、精神的に、そして何より経済的に…)思い切って外に出る。

「あっ!」と思わず声を上げそうになった。灯油が昨日より3円値上がっているではないか。

1ℓあたり3円という事は18ℓでは…。などと無駄な暗算をしながら横断歩道を渡る。

ずしっと重い灯油を持って帰る時、今月の医療費の事など、また無駄な算段をしながら信号を待つ。

昨日、久し振りにかなりの数のBlogを読む。
幾つかのBlogで石油高騰の事が触れられ、幾つかのBlogでは社会情勢が語られていた。皆様怒ったり、嘆いたりしていた。問題提起や提言をなさっている方もいた。

皆様偉いなぁ…と思うのだ。
わたしも少し社会問題など取り上げて、このBlogにも「社会性」を持たせねばいかんかな?
正直に言うと真剣に悩んだ。

石油高騰についてもその原因分析や、そうした情勢の意味するところが様々な視点から語られていた。

確かに貧しい生活をしていると、その中から無理してお金を絞り出して灯油を買いに行く、そのお金が、投資という名のギャンブルの寺銭に流れているのか!と思うと、面白くはない。

養老孟司さんは経済のグローバリゼーションを落語の『花見酒』が世界規模で行われているものと言っていた。説得力があった。

だが、今日感じた事は、そうした分析から下された感情ではなかった。少なくともなかった筈だ。

灯油を買いに行ったら高価くて驚いた。だが、他に買いに行くより総合的に判断すると安く済み、このお店が潰れてしまうとそれも困るので「ここ」で「灯油」を買う事を決定した。それだけの事なのだ。

そのお金がどのように流れ、どのように使われるのかは、極論を言ってしまえば「知ったこっちゃねぇ」(…『花見酒』は早くやめろよな。危なっかしいから)。

東京で暮らしていた頃は、特に暮らし始めた頃驚いたのだが、我慢すれば暖房費を完璧に節約する事も可能だった。どうしようもなくなったら電気ごたつを買おうと思っているうちに春になってしまったのだ。

その感覚からどうも抜け出せずにいる。暖房費が必須である場所で、何故石油が高価いのか?

この設問が適切でない事は分かっている。供給が同じならば、需要が多ければその分だけ単価は高価くなる。これが経済の常識なのだろう。
そして、投資ファンドほどではないにしろ、日本に運ばれてくるまでに石油を使い、更に国内に到達してから、車で更に高騰したガソリンを消費して運ばれて来る。高価くて当たり前。

その常識がバブルという非常識な時期に大きく変わった事もうすうす感じてはいる。お金は遊び道具になった。
遊び道具で遊ぶ人が居る事にいちいち腹を立てていたら、世の中腹を立てる事だらけで人生の日が暮れる。その筋の勉強など始めたら、本を買う為に多分石油高騰以上の負担を強いられる事になるだろう。

それでなくともわたしの家には無駄に本が沢山ある。表に出ている本だけでも、これらを再読するには残りの人生全ての時間を費やして、足りるかどうか…?

にも拘らず、わたしはまだ、本を買う。更に買いたいと思っても居る。

はっきり言ってこれほど無駄な事はない。これらを知的投資と呼んでみた事もあったが、その投資が利益と共に還って来た事はない。ただ、出てゆくだけだ。
さして知的になったとも思えない。

本や音楽、そして科学で遊んで来た。それらの時代は頭の中では何故か非常に苦しい時代として記憶されているのだが、振り返ってみると面白い場所を沢山垣間見て来たとも思っている。
先日のように、思いもしなかったのに、ステージに上がらせて貰えるような、そんな人生だった(おいおい、何かわたし、既に振り返っているよ)。

わたしも遊ぶ。だから、誰が何で遊ぼうと、その事にいちいち文句を言う気にはなれない。

だが、お金で遊んでいる人たち。社会問題で遊んでいる人たち。何かが、どこかが、間違っているよ。と薄っすらとだが感じるのだ。

遊び道具は安全なものの方がいいに決まっている。
それ以上に遊んでいるのならば、遊びを遊んでいると自覚して、つまり腹を括って、遊んだ方が良い。

お酒は(殆ど飲まないのだが)美味しい飲み物だと思う。けれど悪酔いする程飲むのは迷惑だ。

何やら彼らには、妙な使命感がつきまとっている。その使命感とやらが、かつてのオウム真理教の事を思い出させるのだ。使命感の背後には弱かれ強かれ、絶望感が潜んでいる。

(この頃、足が痛くて少し実技の方がおろそかになっているが)ヨーガをやり始めて、オウム真理教の道場のような場所は、少なくともヨーガを真面目にやりたい人には、理想的とも言える場所だったのだろうな…。と、今迄とは異なった理解の仕方が出来るようになった。←参考:えこまさん『えこまの部屋』─「駆け込み訴えの悲しみ

彼らは(少なくとも幹部は)、何か知らんが世の中が「分かっちゃった」人たちだった。

20071126

渋さ知らズというバンド

随分間が空いた。
23日朝から鬱状態に突入し、しかも24日は前から期待し続けていた「渋さ知らズ 大オーケストラ in 松本」。このバンドは結成時から関ってきた。非常に思い入れがあり、ここでしか会えない方々との再会も出来たら…と期待していた。

再会以上の、期待以上のかかわりを持つ事が出来た。嬉しくてたまらない。

勿論、それらの個人的な関わりが無くともこの集団は画期的だ。舞台美術が素晴しく、ダンサー、舞踏、絵描きの即興パフォーマンスと、総合芸術と呼ぶに相応しい舞台を繰り広げてくれる。

わたしたちは縮めて「渋さ」と呼ぶ。

不安定な精神状態のままだったが、渋さはそのエネルギーでとりあえず鬱状態を吹き飛ばしてくれた。ありがたい。

ところが今度は呆けている。困ったので、mixiに載せた日記を殆どそのまま転載すると言う、自分に対しての禁じ手を使ってしまおうかと思っている。

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満身創痍だ。

捻挫した左足首を筆頭として、体中が打ち身、筋肉痛で痛い。翌日になって気付いた打ち所もあった。これが歳というものなのか。

松本に行ってきた。
24日、『渋さ知らズ オーケストラ』という「何が何だか分からない」素晴しいバンドのライブが松本であった。このバンドは発生初期からバンドという形態を越えていた。その越え方がさらに尋常ではないものとなっていた。嬉しかった。

席は左端。だが、前から6列目というのは名ばかりのことで、前には席は無く、立つも坐るも踊るも自由自在。…やや舞台全容が見渡せないのが残念だったが…。しかし、ベースが、ドラムスがまるで自分の心臓の音のように体中に血を送り込む。この場所は、わたしの好みの場所だ。

演奏が(客席後方から)始まるや否や、身体は席を離れていた。

ところが身体が思うように(若い頃のように)動かない。激しく踊る事は諦めた。

あまりの人気に大人数の「…オーケストラ」に行かなくなってから、何年経っただろう?「…チビズ」と呼ばれる小編成の渋さ知らズや、バンドに参加しているそれぞれの演奏を聴きに行ったりしていた。実力者揃いなのでそれでも充分満足できる。

だが、今回「大オーケストラ」に行って、バンドのメンバーはかなり変わったが、渋さはやはり渋さだ。と再確認できたのが個人的にはいちばん嬉しかった事だった。

バンドだが、聴きに行ったとはあまり書きたくない。あの舞台を観に行ったのだ。現場に身を晒したかった。

北信濃に住むようになり、このようなバンドに接する機会が激減した。皆無と言っても良い。

ただ、昔の仲間たちのサイトに「そのうちに観に行くからねー」などと書き、主にお金の無さから果たせずにいたのだった。渋さが向こうから信州にやって来る。ならば、行くしかあるまい。

渋さが松本に来る事を知ったのはかなり遅かったように思う。東京感覚で、もうダメだろう…と諦めていたのだったが、女房殿がどこからかこの情報を嗅ぎ付け、遅いだろうが、とりあえず試してみようとチケット購入したら、意外と良い席が取れた。

楽しみにしていたのだが、23日、急に激しい鬱状態に取り付かれ、これは充分楽しめないかも知れないと不安を抱えたまま、松本へ。

結果。充分に楽しめた。

前で、音ばかり堪能しているのも勿体無いと思い、席を離れ(尤も、坐っていた事など殆ど無かったのだが)いちばん後に行く。

美しい!照明が、舞踏が、セクシーに踊るダンサーが、背後に音楽と同時に描かれてゆく絵画が映像が渾然一体となって、傍若無人に(褒め言葉)展開され、あまりにも美しい舞台となっていた。

見惚れて、階段を降りてくる途中で、激しく転倒し、足首を捻挫し、膝を強打した。

大人しくしていようと、いちど坐る。「ひこうき」。気が付いたら立ち上がっていた。石川啄木の詩に曲を付けたものだ。

そうして大団円に向かう。やはり身体は踊りだしていた。曲は「本田工務店のテーマ」に移る。フザケた題名だが、この曲はわたしたちの、そして渋さの象徴ともなっている。後から踊りに来る人が沢山いた。やはり(少なすぎるけど)渋さはこうでなければ。

と、感慨に浸っていると、バンマスと言うより、ダンドリスト(いろんな段取りをする人という意味で、渋さではこのように呼ぶ)の不破さんがわたしを見付け、あろう事かステージに上げてくれた。ステージに上がったからには今迄のようなヘロヘロダンスではあかんだろう。
歳を考えつつ、16ビートで踊る事は諦め、4ビートで何とか身体を動かす。気持ちが良い。

何だかんだ言ってもステージの上は気持ちが良い!この場所が、或いはステージの袖がわたしは好きなのだ。
だが、もう戻れないだろうと諦めていただけに、いっときでもそこにまたたつことが出来たのは嬉しくて堪らなかった。

楽器も何も持っていないので、「本田工務店」が終わって、すぐに銭湯の湯船からあがるように恥ずかしげに(もう少し格好付けられなかったのかー!)舞台を去る。

それにしても不破さんと握手し、抱き合えたのは嬉しさで一杯だったが、ダンサーのペロさんと抱き合った時には、客席から明確な殺気を感じた。その後は身の危険を感じて、こそこそと行動する。

楽屋入り口から許可を得て、楽屋に侵入。
この楽屋の雰囲気も好きなのだ。

何人も長い間ご無沙汰の限りを尽くしてきた人たちと会う。まるで、昨日会ったばかりのように、当たり前に迎えてくれた。嬉しかった。

腹を括り、遊びの世界に生きている彼らは、やはり凄い。
彼らには素晴しく良いセンスがあり、しかも努力家で、何よりその世界に棲み続けている。

わたしはこれらのどれも持っていない。

さて、何をして生きて行こうかね。もうわたしは50の坂を越えた。

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今日も(昨日より雲量は多かったが)晴れ渡った良い天気だった。この気候がどれだけ続いてくれるだろう。今週中には崩れそうだ。
台風は、フィリピンで被害を出し続けて、まだそこにいる。西に進路を取り、ゆっくりと進んでいるが、偏西風にぶつかっている。恐らく、中国大陸に上陸する振りをして、急に方向を変えるに違いない。

極めて稀な、好天がこの渋さ知らズのライブと重なってくれた事に大きな感謝を感じざるを得ない。

思いもかけない時期に雪で閉ざされた黒姫から、鳥の報せが届く。黒姫も暖かないちにちであったようだ。また、いつもの生活に戻ろうと思わされた。この暖かさが暫く続いてくれることを祈る。