ハンナ・アーレント『人間の条件』を読み始めた。
ハンナ・アーレントの主著のひとつであり、充実した本だ。読んだ方も沢山あるに違いない。
第7節「公的領域─共通なるもの」の注釈42でリルケの詩が引用されている。
志水速雄訳では原文が部分的にそのまま載せられているだけで全文もなければ訳もない。そこでWebと本棚の詩集から全文と訳を見つけ出した。紹介したい。
‘Komm Du...’
Komm du, du letzter, den ich anerkenne,
heilloser Schmerz im leiblichen Geweb:
wie ich im Geiste brannte, sieh, ich brenne
in dir; das Holz hat lange widerstrebt,
der Flamme, die du loderst, zuzustimmen,
nun aber nähr’ ich dich und brenn in dir.
Mein hiesig Mildsein wird in deinem Grimmen
ein Grimm der Hölle nicht von hier.
Ganz rein, ganz planlos frei von Zukunft stieg
ich auf des Leidens wirren Scheiterhaufen,
so sicher nirgend Künftiges zu kaufen
um dieses Herz, darin der Vorrat schwieg.
Bin ich es noch, der da unkenntlich brennt?
Erinnerungen reiß ich nicht herein.
O Leben, Leben: Draußensein.
Und ich in Lohe. Niemand der mich kennt.
来るがいい 最後の苦痛よ
来るがいい 最後の苦痛よ 私はお前を肯っている
肉体の組織のなかの癒やしがたい苦痛よ
嘗て精神のなかで燃えたように ごらん 私はいま燃えているのだ
お前のなかで。薪は久しく抗っていた
お前が燃やす焔に同意することに。
けれどもいま 私はお前を養い お前のなかで燃えている
私のこの世での穏和は お前の憤怒のなかで
この世のものならぬ冥府の怒りとなっている
全く純粋に なんの計画(プラン)もなく 未来からも解放されながら
私は苦悩の乱雑な薪の山のうえにのぼっていった
なかに無言の貯えがしまってあるこの心を代償に
このように確実に未来を購うことは 何処でもできはしない
いま 人目にたたず燃えている これがまだ私なのだろうか?
思い出を私はもってゆきはしない
ああ 生 生とは外にいることだ
だが 焔のなかにいる私 その私を知っている者は誰もいない
(放棄。これは嘗ての幼年時代の病気とは違ったものだ。幼い時の病気は一種の猶予期間であり、さらに成長するための口実であった。そこではすべてが叫び、ささやいていた。幼い時にお前を驚かしたものを、いまの病気のなかへ混合してはならない)
ヴァル=モンにて。恐らく1926年12月中頃のもの。最後の手帳のなかへ書き込まれた最後の詩。
(富士川英郎訳)
20140624
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