20240830

捜査・浴槽で発見された手記

スタニスワフ・レムを知ったのは、いつの事だったのだろうか?

かなり前、まだ膨大な本を所有していた頃、私はスタニスワフ・レムの『高い城・文学エッセイ』を持っていた。これが発行されたのが、2004年の事なので、ほぼその頃から、彼を意識していた事になる。

けれど、気になっていながら、私は彼の本を放置したままにしていた。

その後引っ越しで本を整理しなければならなくなって、スタニスワフ・レムの本は図書館で読める事もあって、古本屋に売ってしまっていた。

以来彼の本は、頭のどこかに鎮座していたものの、読む機会を常に逸し、手に取ることが無かった。

ようやく読んだ。スタニスワフ・レムを知ってから少なくとも20年経って、やっと1冊読み終える事が出来た。


読んだのはスタニスワフ・レムコレクション第2期に含まれている『捜査・浴槽で発見された手記』だ。

期待通り、スタニスワフ・レムの小説は一筋縄では行かない、読み応えがあるものだった。

「捜査」にはメタ推理小説という、また「浴槽で発見された手記」には擬似SF不条理小説という売り言葉が付されている。

「捜査」は、死体が動き、そして消えるという謎の犯罪が描かれている。普通推理小説ならば、その謎に探偵が果敢に挑み、丁々発止と謎を解き明かすという展開になる。だがそこはレムの事。その様には筋が進んで行かない。捜査の責任を負ったスコットランド・ヤードのグレゴリー警部補が、真相の解明に乗り出すが、真犯人に繋がる手掛かりは見つからない。そのまま捜査は難航を極める。推理小説には謎が付き物だが、その謎が哲学的なものだったらどうなるのか?レムの読者への挑戦は、スリリングな展開を示す。

「浴槽で発見された手記」はまえがきがそのままひとつの独立したSFの体を成しており、そこから展開される手記もまた、不条理に満ちた複雑極まる筋をなぞる。

この「浴槽で発見された手記」を読んでいる間、私はそのノリに、どこかで出会った事があるような、懐かしさを感じていた。

読了後読んだ芝田文乃さんの解説によると、「浴室で発見された手記」は、ヤン・ポトツキの『サラゴサ手稿』を下敷きにして書かれているとの事だった。

『サラゴサ手稿』はつい最近全訳が出版され、読んだばかりだった。私は大いに納得した。

20年スタニスフワフ・レムを放置したのは、単なる偶然の事だったのだが、お蔭で順番通りに作品を鑑賞出来た事になった。

この本を読んで感心したのは、スタニスワフ・レムの作品世界の広大さ、多面性だった。とてもひとりの作家から紡ぎ出されたものとは思えない程、作品の質感は万華鏡の様な多彩さを持っている。

スタニスワフ・レムコレクションも第2期を終了させており、彼の作品を日本語で読める環境は十分に整っている。

またひとつ人生に楽しみが増えた。

20240815

バトラー入門

読み進めるうちに、私はジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』を読んだ事があるのだろうか?と、基本的な事が不安になった。


本書は、

私は本書でひたすらに『ジェンダー・トラブル』に拘ることにする。他の著作や論文を参照することもあるが、それはあくまで『ジェンダー・トラブル』を理解するためである。私が『ジェンダー・トラブル』に拘るのは、もちろんそれだけ『ジェンダー・トラブル』が重要で面白いからでもあるが、それだけではなく、『ジェンダー・トラブル』を深く理解することが、バトラーの思想や理論の核心を理解することでもあると考えるからだ。

とあるように、ジュディス・バトラーの主著(というより象徴)である『ジェンダー・トラブル』に特化した解説書である。

ところが、本書で解説されている『ジェンダー・トラブル』と、私の記憶の中に整理されている『ジェンダー・トラブル』が、どうしても一致しないのだ。

日記にも2020年の3月から4月に掛けて、比較的丁寧に読んだ記録が残っている。それどころか、私は非常にこの『ジェンダー・トラブル』が面白く読め、読後の記憶がかなり鮮明に残ってもいるのだ。

本書には次の様な記述もある。

どれだけの人がこの本につまずいたのだろう。あるいは、どれだけの人が「読んだ気になって」いるのだろう(あるいは、私も?)。そこで本書では『ジェンダー・トラブル』を中心にバトラーの理論を紹介・解説していくことにしたいーただし、一風変わった、ヘンテコな、つまりクィアな方法で。

確かに『ジェンダー・トラブル』は、難解だった。だが、それも分からないレヴェルではなく、丁寧に読み解いてゆけば、理解可能だと、私は判断していた。だがそれも「読んだ気になって」いただけなのだろうか?

それ程、私の記憶の中の『ジェンダー・トラブル』と、本書で紹介されている『ジェンダー・トラブル』の間には、大きな齟齬があった。

著者は断言している。

言ってしまえば、本書はバトラーの『ジェンダー・トラブル』の非公式ファンブックである。一介の『ジェンダー・トラブル』ファンが書いたファンジンだ。

ところが、本文が始まるや否や、著者は、バトラーではない人物の賞賛から入る。第一章は「ブレイブ・ニュートン」と題された文章であり、そこにはエスター・ニュートンというひとりのレズビアンのブッチがどのようにレズビアン・フェミニズムを経験し、考えたかが、概観されている。

私たち読者は、この気まぐれな構成に振り回され、ただ戸惑うばかりだ。

だが、ジュディス・バトラーの引用が始まり、それに対する論考が行われる様になると、著者の筆の勢いも一段と増して来る。

その様な事、書いてあったっけ?と、原典を取り出して確認してみる事数度。驚いた事に、著者の読み解きは、かなり原典に忠実なのだ。

かと言って、私の読み解きも、そう間違ってはいなかった。

要は、ひとつの対象に、どの角度から光を当てるかという問題だったのだと思う。私はさまざまなセクシャリティとフェミニズムの相関に力点を置いて読解していた。

それに対し、著者はレズビアン・フェミニズムの聖典として、『ジェンダー・トラブル』を捉えている側面が強い。

だがそこから、ジュディス・バトラーの理論は、ジェンダーをなくす方向ではなく、むしろジェンダーの選択肢を増やすものであるという重要な指摘や、インターセクショナリティ─への架橋が、明示されている事などが、分かり易く、くだけた書き方で仄めかされている。

著者の読みには、十分な説得力と必然性があることが、十分に理解出来た。

私は、従来の私の読み方とは異なる。『ジェンダー・トラブル』の新たな視点を、著者から示して貰えたと、感謝している。

今月は図書館から本を大量に借りて来ているので無理だが、その内に時間を作って、『ジェンダー・トラブル』を、再度読んでみようと身構えている。

現代を代表する名著『ジェンダー・トラブル』だ。1回かそこら読んだだけで、理解したつもりになっている様では、「読んだ気になって」いるだけである事は、明らかだろう。

20240809

おえん遊行

遊行。ゆぎょうと読むらしい。

兎にも角にも文章が美しい。地の部分の標準語も、会話の日向弁も、それぞれが音楽のように響き合って、互いに美しさを引き立て合っている。


本文に続く「『おえん遊行』をめぐって」の中で、この作品を長編詩劇と表現しており、成る程と頷いた。

この文章は詩として書かれている。

舞台は江戸時代の熊本天草。そこに住む漁民たちの生活。流れ寄って来る客人(まろうど)。暮らしの中で歌われる、数々の歌などが、途方もなく美しい文章で記されている。

客人は希人(まれびと)でもある。

それは決して健常者に限られたものではなく、我が身に障碍を得た者たちも含まれるのだが、漁村の民たちは、絶妙な距離感で、彼等、彼女等と交流してゆく。

やって来るのは人だけではない。それは大嵐であり、雲のような蝗の群れであり、漁民たちは、それ等に翻弄されながらも、逞しく生き続ける。

あとがきを読んでみると、この作品は難産だったらしい。後から書き始めた『あやとりの記』の方が先に出来上がってしまったが、著者はそれを

今思えばその間、おえんたちを、わたしの意識の〈無時間〉の中で、遊べや遊べと思っていたからだろう。

と述べている。

全集で石牟礼道子作品を、発表順に読み進め、気が付いてみると、もう半分以上読んだ事になる。そのように彼女の作品に触れる事で、それぞれの作品が、独立したものであるのと同時に、互いに響き合っている事にも気付かされた。

全集では、主となる作品がひとつと、それをめぐる短文。そして、その作品が発表された時期に書かれたエセーが含まれている。

そのようにして、私は石牟礼道子世界を縦横無尽に駆け巡る。これは読み始めた時には期待もしていなかった読書体験だ。

これからも、全集による石牟礼道子体験を、私は続けてゆくのだろう。それは同行二人の長い旅であり、期せずして体験する、風雅な時の流れだ。

20240805

谷根千の編集後記

かつて、今から15年前まで25年間発刊し続けられた地域雑誌『谷根千』があった。

本書は、その『谷根千』の編集後記だけを集めて作られた本である。


雑誌の題名は谷中・根津・千駄木の頭の文字を連ねたもの。東京の下町にまだ残っている(逆に言えば失われつつある)自然・建築物・史跡・暮らしぶり・手の芸・人情を、古老たちが生き残っているうちに記録しておかねばという、一種の危機感から刊行された下町のタウン誌だ。

下町情緒あふれる表紙に、内容も毎回良く練られていて、上質。私は大学の生協などで、未読の巻を見つけてはそれを入手するのを習いとしていた。

同じ趣向を持っていた方も多いと思う。

中綴じで製本された、ごく薄い雑誌。今回編集後記をまとめて読んでみて、あの薄い雑誌のどこにこれ程の編集後記を納めるスペースがあったのかと感じるほど、ボリュームのある文章が並んでいる。

どれだけ人気のあった雑誌とは言え、その編集後記だけを集めた本は珍しいと思う。それが本として成立するだけ、『谷根千』は愛された雑誌だったと感じる。

編集後記には、本文に含ませる事が出来なかった、書きたかった事が滲み出る。

『谷根千の編集後記』にも、雑誌が発刊された時の時事問題、それに対する編者の思いが綴られ、エセー集と呼んでも遜色のない内容になっている。

それは震災あり、オリンピックあり、戦争ありで、『谷根千』が、それぞれの時代を敏感に捉えつつ編まれた雑誌であった事が手に取るように分かる。

びっくりしたのは、編集後記を読んでいると、その号の雑誌全体の内容が蘇って来た事だ。私としては、暇つぶしに漫然と『谷根千』を読んでいたと思っていたのだが、意外と集中して本文を読んでいたらしい。

本棚の片隅には、当時集めた『谷根千』のバックナンバーが、15cm程の幅を占めて並んでいる。好評だった号や記事を集めた『ベストオブ谷根千』も持っている。

懐かしくなって、私はそれらを取り出し、拾い読みしてみた。私の身体を打ち倒すように、若い時代の記憶が、どっと押し寄せて来た。

今更ながら、『谷根千』は、私の本郷時代を象徴する、大きな存在だった事が分かる。

本誌を編集していた森まゆみ、山﨑範子、仰木ひろみの各氏には、感謝の仕様がない。

20240725

卵のように軽やかに

これがエスプリというものか!

ページを捲る度に、感嘆のため息をついた。


副題に「サティによるサティ」とあるように、エリック・サティ自らが、自分を語る作品なのだが、そこは音楽界きっての変人サティ。素直に一筋縄で括れるような語り方はしていない。

例えば批評家を批評するエセーでは、表向き絶賛の嵐のような文章が並んでいるが、ちょっと角度を変えてその文章を読んでみると、それが底意地の悪い皮肉に満ちている事がわかるような仕掛けがしてある。

同様な仕掛けは、各文章殆ど全てに施されており、注意深い読書が促されている。

だがどの文章も、非常に洒落ており、読み進める度に、万華鏡の様に、千変万化するサティの新しい魅力が展開され、堪能することが出来る。

ひとまとまりの文章の切れ目には、サティによるペン画が挿入されているが、これがどれも洒落ているのだ。

本の後半には、サティによる詩と戯曲が載せられている。これがなかなかどうして、良いのだ。

サティに詩や戯曲の才能があったとは、この本を読むまで全く知らずにいた。

エリック・サティの音楽は、これまでも好んで聴いて来たが、その背景にこれ程迄の創造的な世界が展開されていようとは、つゆ知らずに来た。

これからは、全く新しい姿勢と意味合いで、サティの音楽が聴こえて来るに違いない。

尚、表題の卵のように軽やかには、普通Allegrettoと表示されるテンポ記号の代わりに付せられたもの。エリック・サティの手に掛かると楽譜から個性的だ。

20240720

サラゴサ手稿

複雑な構成を持った物語である。

ポーランドの貴族、ヤン・ポトツキが生きたのは1761年から1815年。だが彼がフランス語で著したこの奇想天外な物語の全貌が、やっと復元されたのは21世紀になってからだった。


シェラ・モレナの山中を彷徨うアルフォンソ・バン・ウォルデンの61日間の手記によって、彼が出会った謎めいた人々と、その数奇な運命が語られている。

だが、その語られ方は、一筋縄で済む筈がなく、話の中の登場人物が別の物語を語り出し、その中の登場人物がさらに新しい物語を語るという入れ子構造がふんだんに駆使され、多い時には5層まで、その入れ子は増える。


更には、第一日目に登場した人物が、第五十日を超えて、再び登場してくるなどは当たり前。登場人物の相関関係も、複雑に絡み合っている。

それらをきちんと理解するだけで、私の頭はパンクしそうになった。


歴史的に正しい王位継承戦争の頃の王族の血縁関係が語られているかと思えば、それに絡めて、著者の完全なフィクションも織り込まれており、どこまでが虚でどこからが実なのかも判然としておらず、訳註を飛び出して、Webでの検索に頼らざるを得なかった事も一度や二度ではない。

話はレコンキスタ終了直後のイベリア半島を中心として、とりあえず展開されている。私はこの時期のヨーロッパ史を、余りに図式的に理解していた様だ。グラダナが十字軍によって攻め落とされ、それ以降、ヨーロッパは再びキリスト教文化圏として、歩んだように思っていたが、この物語を読んでみると、レコンキスタ以降も、イスラーム勢力は残り続け、キリスト教勢力との交渉も意外と盛んに行われていた様だ。

それ故、イベリア半島独自の文化も、形成された訳で、むしろキリスト教とイスラーム教が混淆していたと考えたほうが、圧倒的にリアリティーがある。

それに加え、ユダヤ教やロマの文化が混ざり合う。また、物語の舞台も、全ヨーロッパ、北中米にまで拡大する。

その証左となるのは、主人公アルフォンソを凌ぐ勢いと量で語られる、ロマの族長の物語だ。彼の圧倒的な記憶力と構成力によって、幾晩にも渡って、芳醇な物語が語られる。それは聞く者(読む者)を決して飽きさせる事がない。

物語の複雑さから、予期していたより、遥かに時間が掛かってしまったが、それを差し引いても、私の中に残ったサラゴサ手稿を読んだ歓びは、余りあるものがある。

この読書体験は、私の中でも特別なものとして、残り続けるだろう。

10日に渡る長い旅が終わった。

ダリ版画展

長野県立美術館で開催されている、ダリ版画展「奇想のイメージ」を観に行って来た。


この展覧会、入場料が一般で1,400円掛かる。だが私は身体障害者なので、私自身と付き添い一人が入場無料になる。この制度を使わない手はなかろう。

ダリは大好きな画家だ。中学から高校に掛けて、強く影響され、ダリ風の絵を何枚も描いた。だが、当時私が観ていたのは、主に油絵であり、ダリの版画をまとまった形で鑑賞するのは、今回が初めてだ。


ダリが版画に本格的に取り組んだのは、50代後半かららしく、生涯に1,600点余りの作品を残している。今回の展覧会では、1960年代から70年代に精力的に制作された版画を中心に、晩年に掛けて制作された200点余りの作品が展示されていた。

そこには地平線、やわらかい時計、蟻など、ダリ得意のテーマがふんだんに展開されており、ダリファンとしてはそれだけで心踊るものがあった。

用いられている技法としては木口木版を始めとして、エッチング、リトグラフ、ステンシル、エングレーヴィングと幅広く、ダリの版画に対する態度が本気だった事を、十分に伺わさせるものだった。

最初に陳列されていたのは、ダンテ『神曲』からインスパイアされた作品全点で、地獄篇はあくまでもおどろおどろしく、煉獄でベアトリーチェと出逢うシーンはあくまでも感動的、そして天国篇は途方もなく清らかと、ダリのイメージ力がふんだんに発揮されていた。

ダリと言えばなんと言ってもシュルレアリスムだが、その技法を惜しみなく発揮している作品群がその後に続く。

だが、場内の静けさに圧倒されて、私も笑い出さなかったが、かなりウィットに富んだ、ユーモア溢れる作品も多かった。ダリはゲラゲラ笑いながら観るのが、正しいと私は思う。

難を言えば、展示の仕方が、迷路の様に複雑で分かりにくく、私たちは危うく一部屋分の作品を見逃しそうになった。

朝の涼しいうちにと、やや早めに出掛けたのだが、200点と言えど、展覧会は充実しており、3時間半があっと言う間に流れ過ぎた。

だが、流石にダリは鑑賞に体力を使う。観終わった後、昼食に向かったのだが、その間、両足が攣った。

20240713

エブリデイ・ユートピア

21世紀になって、ユートピアを思い描く事を辞めてしまった。

きっかけとして、やはり1991年のソ連の崩壊が大きかった。マルキシズムによる労働者国家の建設は、中学時代からの具体的に実現可能な、ユートピア建設のヴィジョンだった。その歴史上の壮大な実験が、ソ連の崩壊というこれまた歴史上の大きな現実として、冷酷に突き付けられてしまった。私にはそう思えた。大きなショックだった。

ソ連ばかりではなく、他の社会主義陣営の現実も、それまで思い描いて来たユートピアのイメージからは程遠く、「歴史上の壮大な実験」は、事実上失敗に終わった。そうとしか考えられなかった。

なので本書、クリステン・R・ゴトシーの『エブリデイ・ユートピア』も、それ程期待もせずに、図書館から借りて来た。


だが、著者の本気度は、私の貧弱な想像力を遥かに凌いでいた。

彼女は、実際に試みられている、ユートピア建設の実例を、豊富に示している。

これには、正直驚かされた。

世界には、実に多くの人たちが、ユートピアを夢みる事を辞めずに、実現の可能性を探り、そして、実践していたのだ。

世の中は冷笑的な雰囲気に包まれている。ユートピアを語ると、それだけで、お花畑と片付けられ、手酷く打ち捨てられる。私もどちらかと言うと、その雰囲気に負けていた。

だが、こうしてユートピア実現の数多くの実例を示されると、遠い昔に捨て去ってしまっていた思いが、むくむくと蘇ってくるのだ。

まず、夢みることを辞めない。それが肝心なのだ。それはつまり、想像力をフルに働かせるという事だ。現実に縛られる今からその束縛を解き、想像力を思う存分飛翔させる事。そこからしか、ユートピア実現の実践は始まらない。

それは、今の私たちの現実に、疑問符を付けてみるという事でもある。

本書には、その疑問符の実例も豊富に示されている。

読み進めるうちに、私は次第に「その気」になって行くのを感じた。それは意外にも、心地良い解放感を伴う勇気だった。

私はこの本を、現実に敗北し、屈服しまくっている、現在の若者たちに、是非手に取ってもらいたいと願う。

ユートピアは死んではいない。それは十分実現可能なのだ。資本主義の行き詰まりは、もう誰の目にも明らかに進んでいる。もはや、新しいユートピアの建設を、私たちの手で掴み取るしか、未来はない。

必要なのは想像力、勇気、そして決断力。

その事を、本書はそっと私に教えてくれた。

20240627

「むなしさ」の味わい方

むなしさには取り憑かれ易い方だ。最近も自分がどうしても存在価値のない人間に思えて、そこから抜け出そうと足掻いて、無理をしては墓穴を掘るというような行為ばかりを繰り返していた。

そんな折、この本と出逢った。渡りに船とばかりに飛び付いた。


著者きたやまおさむさんは、以前フォーク・クルセーダースのメンバーとして活躍していた。ご存知の方も多いと思う。

現在は芸能活動からは足を洗い、精神科医として活動している。著書も多い。

ミュージシャンから医者への転身については、『コブのない駱駝』に詳しく書かれている。

本書の中できたやまおさむさんは、「むなしさ」という心理を、精神分析の文脈から分析し、それがどんな状態のものであり、どんな発生のメカニズムを持っているかを、丁寧に説明している。

その上で、「むなしさ」は、どんな人にも、必ずと言って良い程訪れる心理状態であり、避け得ないものであると結論している。

「むなしさ」が避けられないものであるとしたら、どうすれば良いのか?

「むなしさ」をじっくり噛み締めて、味わってしまえ。著者はそう述べている。

それがこの本の主旨だ。

そうすれば、「むなしさ」は、単なる苦しみから、何事か新しいものを産み出す、契機となるかも知れない。

この提案に、私は目から鱗が落ちる思いを感じた。

私はむなしさから逃げる事ばかりを考えていた。そこから姿勢を転じ、まずむなしさと積極的に向き合ってみる事から始めよう。そう思えて来たのだ。

この本の中で著者は、現代という時代が、「喪失」を喪失した時代だと指摘している。成程現代では、不足しているものは何もなく、欲しい物は何でも、Webを使うなどすればすぐに届けられる時代だ。だが、だからこそ、現代人が一旦「むなしさ」に取り憑かれると、深刻な状態に陥ってしまうのではないだろうか?むなしさを埋め合わせる為に、与えられる物は既に何もないのだから。

読み終えて、著者きたやまおさむさんが、何故この本を書く気になったのか?そこが気になった。今、何故「むなしさ」なのか?

私には、その答えが、本書の中に散りばめられているような気がするのだ。

この本は、かつての盟友加藤和彦に宛てて書かれた本なのではないか?

私の周りでも、何人もの友が自ら死を選んだ。私はその度に、やり切れない思いに沈んだ。同時に、いつも自死したのが何故彼であって、私ではないのか?そうした疑問の渦に巻き込まれた。

きたやまおさむさんにとっても、加藤和彦さんの自死は、やり切れない体験だっただろう。避けられないものだったか?そうした思いに、常に付き纏われただろう事は、想像に難くない。それは、ともすれば、自分をも巻き込む、大きな渦巻きだ。そこから抜け出すにはどうしたら良いか?

本書はそうした思いから書かれたように、私には思える。

「むなしさ」に付き纏われている、全ての人に、この本を勧めたい。

20240623

ロシア文学の教室

著者奈倉有里さんの作品を読むのは、これで3冊目になる。

最初に読んだのは、創元社から出されている「あいだで考える」シリーズの中の1冊、『ことばの白地図を歩くー翻訳と魔法のあいだ』だった。この本は本当に魔法で、ロシア語を学ぶ、学び方を指南する内容だったのだが、その誘い方が巧く、私はその魔法に本当に掛かり、この歳になっても、ロシア語をマスターする事が出来るような気にさせられて、学習を始めてしまった。

次に読んだのは、『夕暮れに夜明けの歌をー文学を探しにロシアに行く』だった。ソ連崩壊直後というタイミングで、ロシア国立ゴーリキー文学大学に学んだ体験談だった。ちなみに奈倉有里さんは日本人で初めてこの大学を卒業した経歴を持っている。

今回選んだのは、出版されたばかりの、『ロシア文学の教室』。


シンプルなロシア文学の紹介かと思っていたのだが、何と青春小説仕立てになっており、子どもの頃から小説を読み始めると没頭して周りが見えなくなる、不器用ながら真っ直ぐな青年、湯浦葵を主人公にして、大学でロシア文学を学ぶ学生と教授のやり取りが描かれている。

勿論、ロシア文学の紹介も、12人の文豪を採り上げて詳しく解説されており、予想は必ずしも間違ってはいなかった。

私は、自分を本好きだと自覚していた。それなりに本を読んで来たという自負もあった。

だが、奈倉有里さんと彼女の描く学生達の言動を読んでみると、その自負は、単なる自惚れだったと分かる。

私は、理系にしては、文学に親しんで来たという程度の存在であり、ちっとも大したことない。大学で文学を学ぼうと集まって来る学生達は、読んで来た本の数も多ければ、読みも深い猛者達であり、私なんぞは到底歯が立たない。

小説で採り上げられている文豪達の、選ばれた作品で、読んだ事があるのは、ドストエフスキーの『白夜』と、ゴンチャロフの『オブローモフ』だけで、他は全くの未読。中には初めて聞く名前の文豪もおり、ロシア文学の層の厚さを、これでもかという程、思い知らされた。

それを読んでの、学生達の感想もどれも鋭く、深く、それに対する枚下教授の受け応えも見事で舌を巻いた。

調べてみると、この作品に採り上げられている小説は、どれもメジャーで、全て図書館で読める事が分かった。

この小説に出て来る小説を、近いうちに全て読んでみたい。読み終えて、私の中にそんな野望が沸々と湧き上がって来るのを抑えられなかった。

ロシア文学の紹介だけでなく、本作は小説としても出来が良い。恋あり友情ありで、物語世界に、思う存分遊ぶ事が出来た。

私は著者奈倉有里さんと、幸福な出逢い方が出来たと感じている。この著者には才能がある。

20240614

魔の山

トーマス・マン『魔の山』を読み終えた。


今回で5回目になる。内1回は対訳と名打ってある抄訳だったので、完全に通読したのは正確には4回目だ。高橋義孝訳を選んだ。これが現在のところ最も新しい訳だからだ。これに加えて、原書、Thomas Mann “Der Zauberberg”を併読した。結果としては、これが功を奏したと思う。


長編である。だが今回通読して、感じたのは、これだけの長編でありながら、無駄が全く無いという事だった。巨大で純粋な結晶の様に、混ざり物を全く感じない作品だった。


今迄読んだ時には、主人公ハンス・カストルプにどうしても魅力を感じられず、感情移入出来ない事を強く感じていたが、今回は、苦手意識はやはりあるものの、それに捉われる事があまりなく、それを補って余りある、周辺を固める登場人物の魅力を味わう事が出来、するすると読み進める事が出来た。

病というものが、人間とその精神にいかなる作用を与えるのか?一言で言えば、これがこの小説のテーマだと思う。

それに加えて、執筆時に晴天の霹靂の様に勃発した、第一次世界大戦の影響が、この作品には色濃く現れている。

トーマス・マンは、極め付けで美しい「雪」の章の後、小説を続けてしまった事を、「構造的欠陥」と表現しているが、私はそうとは感じなかった。むしろ「雪」以降の展開が、『魔の山』という作品に、深みを与え、魅力になっている。そう感じた。

読んでいて、「面白い!」と思わず声を挙げてしまった程だ。

久し振りに、小説らしい小説を読破した。読み終えて、一人言い知れぬ感動に酔いしれた。満足している。

20240501

ちよう、はたり

志村ふくみさんの文章に、最初に触れたのは、石牟礼道子さんとの対談『遺言』だったと思う。

ものの分かった者同士の話は面白いと感じ、以来気に掛けて来たが、評価の高いエセーを読んだのは、今回が初めてだ。

良い。


長年染色という仕事に携わって来た者が、到達した、深い境地を、私にも分かる、深く透明な文章で、垣間見させてくれる。

例えば、

「物を創ることは汚すことだ」と、まずみずからを戒めたい。

という言葉が、私の心に突き刺さる。

真っ白な糸、布、それらに手を下す。人の手が触れればまず汚れる。無垢のものをそのまま手の内にとどめることは不可能である。

それなのに人は物を創る。

創っている時はそんなことを考えず、ひたすら美しいものを創りたいと願って仕事をしてきた。

なんという崇高な矛盾なのだろうか。

また、次のような言葉がある。

植物の緑、その緑がなぜか染まらない。あの瑞々しい緑の葉っぱを絞って白い糸に染めようとしても、緑は数刻にして消えてゆく。どこへ──。この緑の秘密が私を色彩世界へ導いて行った。

山の岩肌から化石を採取する。岩から割ったばかりの化石の断面は、モルフォ蝶の様な、鮮やかな色彩を帯びていることがある。だがそれは、数分で消え、手には灰色のサンプルが残る。そんな体験は、私も何度もして来た。還元的な環境で残っていた色彩が、酸化した。科学的にはそれだけの事なのだ。だが、心の内にどうしようもないもどかしさが残る。

続きにこうある。

原則としては、花からは色は染まらない。というのは、あの美しい花の色はすでにこの世に出てしまった色なのである。植物はその周期によって色の質がちがう。たとえば桜は花の咲く前に幹全体に貯えた色をこちらがいただくのである。

やがて、色彩を仕事として来た志村ふくみさんは、ゲーテの『色彩論』に辿り着く。ゲーテが言いたかった事に、仕事の中で出逢う。

何という深い境地に、身を置いているのだろうかと驚く。

志村ふくみさんのエセーは、その境地に、私たちを優しく誘ってくれる。

私はこれからも、志村ふくみさんのエセーを、味わう事をやめないだろう。それは、私の中で育まれる、風雅な時の流れなのだ。

20240414

アーレント政治思想集成

どのアレント本を読んでも、必ずと言って良い程引用されている。

丁度今月は図書館から借りた本を全て読み終える事が出来たので、その本を本棚から取り出して来た。読み始めてすぐに強く引き摺り込まれた。

比較的短い、41篇の論考が収められている。それらが、息をも付かせない迫力で、次々と迫って来るのだ。


ハンナ・アレントの思考は、大戦間期という虚な、そして思想的に厳しい空間でまずは養われ、第二次世界大戦後という、困難な時代に開花した。まさに時代が産んだ思想家と呼んで構わないだろう。

だが、その環境を十全に活かしたのは、彼女が終始抱いていた、理解する事への強い衝動があった事を、本書は鮮やかに照らし出している。


ハンナ・アレントは哲学者と呼ばれる事を嫌っていた。「私の職業は政治論です」と明確に言い切っている。

ハイデガー、ヤスパースと言った錚々たる哲学者の指導を受けたハンナ・アレントは、しかし、哲学と訣別したとも言っている。これも彼女をして哲学者であり続ける事を、時代が許さなかったのだろう。

ドイツからの亡命ユダヤ人。その境遇は第二次世界大戦後の世界の中で、決して穏やかなものではなかった。何故ドイツ人はヒトラーを支持したのか?何故ユダヤ人は、迫害されなければならなかったのか?それらの疑問は、次々にアレントに襲い掛かり、アレントは必然的に、それらを理解する衝動を獲得したのだろう。全体主義とは一体何だったのだろうか?

彼女は書く。

理解することは、正しい情報や科学的知識をもつこととは違い、曖昧さのない成果をけっして生み出すことのない複雑な過程である。それは、それによって、絶え間ない変化や変動のなかで私たちがリアリティと折り合い、それと和解しようとする、すなわち世界のなかで安らおうとする終わりのない活動なのである。

この理解の定義に、私は大きく頷く。そして、自らに問いかける。私は、私たちを取り巻く世界を、ハンナ・アレントの様に明晰に理解しているだろうかと。

私には、私たちが、アレントと同様な、困難な不安定な世紀を生きているという自覚がある。そうした時代を生き抜く上で、十分に信頼できるとは、決して言えない政治家たちに命運を握られ、先行き定まらないままに、漂っている。

私もまた、それらを理解したいと強く意志しているのだ。

本書を読んでいて、その理解への衝動が、アレントと共鳴する事を、私は自分に禁ずることが出来なかった。

私には、政治的な才覚が、根本的に欠けている。その事を、大学時代、嫌という程思い知った。そんな私だが、政治は、私を避けては通ってくれない。どんなに嫌でも、面つき合わせて生きて行かざるを得ない。むしろそれだからこそ、私は世界を理解する事を強く望む。

幸いな事に、私たちは暗い時代を生きているのではない。それも確かな事。その行程を、後ろから、強い光で照らし出してくれる。ハンナ・アレントとは私にとって、そんな存在なのだ。

今回、不完全ながらも、それなりの集中力を持続して、大著を読み切る事が出来た。これからも、ハンナ・アレントやその他の著作を、一冊ずつ、私は読んで行くだろう。その根底に、今回自覚した理解への衝動がある事を、私は半ば誇らしく、半ば恥ずかし気に感じている。良い読書体験が出来た。

20240402

緋の舟

染色の人間国宝にして、随筆の名手である志村ふくみさんと、最も良心的な作家のひとりである若松英輔さんが往復書簡を交わし合っている。それだけで、内容に深みがある事を期待しないではいられない。


だが私は甘かった様だ。ゆっくりと読み進めるうちに、その手紙たちの深みが、私の予想を遥かに越えたものである事に気が付いた。

お二人は手紙の中で、リルケをそして柳宗悦などを語り合っている。その読みの深さが、私には想像も出来ないレベルで、深いのだ。

往復書簡は1年を費やし、12往復している。春に始まり冬で終わるその手紙たちは、お互いに尊敬し合い、理解し合っている事が、文面に溢れんばかりに横溢している愛情の深さから、察する事が出来る。

美しい本である。その表紙の色合い。途中に織り込まれたカラー写真の美しさはもとより、栞紐の色にまで、気を配って造られている。

その装丁の美しさが、内容の美しさと呼応している。

書を読む者として、この様な美しい本に出逢えるのは、法外な喜びである。

本の終わり付近に、編集者の粋な計らいが添えられている。

「鍵の海」と題されたコラムに、手紙たちの中に現れるキーワードを、原文の引用を含む文献集として纏めてあるのだが、これを読んで、私の力量ではとても読み解けなかった、手紙たちの更なる深みを、ようやく理解する事が出来たのだ。

手紙たちの内容に踏み込むのは、敢えて避けようと思う。その方が、この本をこれから読む方たちにとって、フレッシュな姿勢で、臨む事が出来るだろうと思うからだ。

ひとりでも多くの方と、この本の深みを共有したいと、私は心から望んでいる。

20240327

椿の海の記

水俣病を知る以前の水俣の風土が描かれている。

石牟礼道子の自伝的小説と読んで間違いはなかろう。

春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。

この1行目から、作品のリアルさと深さに嵌まり込んでしまった。


描かれているのは、みっちんと呼ばれていた子どもの頃の石牟礼道子と、それを取り巻く大人達の生き方だ。

それは、知的でも近代的でもないが、周囲の自然に溶け込んだ、素朴な、それでいて力強い生き方を営んでいた事が、伸びのある、美しい文章で記されている。

子どもだった石牟礼道子は、不思議な力を持っていた様だ。他の誰にも心を開かない、精神を病んでしまった神経どん、おもかさまや、進出していた窒素肥料の「会社ゆき」を当てにして開かれた娼館の遊女たちも、みっちんには心を開き、交流を深めて行く。

それは椿の海と呼んでいた水俣の海も同様であり、潮の満ち引きや、巻き起こる漣を通して、そこで遊ぶみっちんに語り掛けて来る様だ。

貧しい漁村の風景。そう呼んでしまえばそこで終わってしまうのかも知れない。だが、そうした近代的経済の用語とは別の、自然と調和した豊かさが、そこにはあったのではなかろうか?

近代はその豊かさを根こそぎ破壊し、やがて水俣は水俣病の荒波に押し流されていった。

それは時代の必然だったのかも知れない。失われた豊かさを振り返るのは、感傷なのかも知れない。だがそれでもなお、近代が破壊し尽くしたものに、かけがえのない大切なものを感じることを、私は否定する事が出来ずにいる。

調和した豊な椿の海。それは石牟礼道子という貴重な語り部によって記されなければ、とうの昔に失われ去っていた光景なのかも知れない。

その意味で、この『椿の海の記』は、貴重な、そして奇跡的な記録文学であるように、私には思える。

読み終えた時、私は不思議なそして深い感銘に包まれた。

20240319

怪物君

再読である。

前回は新しいiMacが届いたのと重なってしまい、十分にこの詩集に集中する事が出来なかった。加えて、吉増剛造の朗読を意識し過ぎてしまい、速く読み過ぎたとも反省していた。

今回は、意識的に、極めてゆっくりと読む事を心掛けて読んだ。


詩に書かれている事が、十分に腑に落ちる迄、ひとつひとつの節を噛み締め、それが出来る迄詩集を閉じて熟成させて読み進めた。

考えるな、感じろ!はブルース・リーの言葉だが、これは詩を読む時にも言える事だと思う。

現代詩は難解だと言われる。私はそう感じたことがない。現代国語の授業やテストの様に「作者の意図を答えよ」と問われたら、答えに窮するだろうが、それは詩を理解する事ではないと考えている。詩は、書かれた言葉を読んで、そこから何かを感じれば良い。

音楽を聴いて、作曲者の意図を答えよと問う者はいない。それと同じ事だ。

今回、『怪物君』を読んで、吉増剛造によって「書かれた」詩であるという事が、妙に説得力を持って感じられた。この詩集は書かれた言葉であるということに、とりわけ意味がある。

勿論、私は吉増剛造の声を想起する事なしには、彼の詩が理解出来ない。私は吉増剛造の声に導かれて、彼の詩の世界を旅する。

だが、この『怪物君』という詩集は、既に失われているという原稿に書かれた文字を想起する事で、理解出来た側面が大きく存在する。

その詩の言葉が、どの様な形態で書かれた言葉であったのかが、この詩集では、極限まで再現されている。その形態が必然である事を、私は素直に理解出来る。

吉増剛造の詩は、読者を選ぶ側面があると思う。彼の詩に感性を開けない者は容赦無く切り捨てられる。

吉増剛造の詩を読み始めてもう45年経つ、既に老境にある彼は、だが、今も尚新しい表現の方法に挑戦し続けている。私は全力を尽くして、その試みにどうにかこうにか追い付く事が出来ている。これは幸福な出逢いだ。

そして思うのだ、私の幸福は、吉増剛造の詩集を選んだ事ではなく、彼の詩集に選ばれた事にあるのだと。

私は多くの詩人の詩に、全身を晒して生きて来た。これからもそうあるだろう。私は詩人に選ばれて、生きながらえている。

20240302

だれか、来る

ノーベル賞作家ヨン・フォッセの代表作『だれか、来る』とエセー『魚の大きな目』、そして訳者河合純枝の『解説』が収められている。


『だれか、来る』は、何とも不思議な戯曲だ。

「彼」と「彼女」は、過去を捨て、二人だけの楽園を夢見て「家」にやって来る。しかし過去からは逃れられない。古い家には、先住者の遺物があり、その人たちの若い頃の写真がいっぱい貼られている。否応なしに、過去の時間に引き戻され、過去は現在となり、同じ平面で重層する。

そして突然、やっと得たと思えた楽園への入り口に立ちはだかる若い「男」。

「彼」と「彼女」は「男」の出現により、微妙にすれ違い始める。

話はこの様に要約出来る。と言うより、それしかない。

それしかないが故に、酷く難解だ。

ヨン・フォッセは何が言いたいのか?その問いに答えは無い。

台詞は非常に短く、断片的で、何度も反復する同じ表現。そして、この戯曲では、記載は少ないが「間」という言葉と言葉との間隔。言葉の断片の行き交うその間隙から滲み出す微妙な揺れ。観客はそれらからヨン・フォッセの「表現」を探り当てなければならなくなる。

読者は芝居で発せられる「声」を、嫌が上にも想定して読まねば、この戯曲からは何も与えられないだろう。

「声」と「間」、それがこの戯曲の全てだと言っても過言ではあるまい。

読んでいて、これと似た読書体験を、最近したと思い当たった。吉増剛造の詩。彼の詩は、彼の朗読を思い浮かべながらでないと、理解不能になる。

それと似た味覚が、この戯曲にはある。

そうなのだ。この戯曲を読んでいて、強く思ったことがある。これは戯曲の形をした詩なのでは無いか?

そう思うと、この戯曲が「分かる」。私たちはこの「声」と「間」に身を委ね、思う存分それを味わえば良い。

そうすれば、この戯曲に登場する「彼」と「彼女」は、現代のアダムとイブだと言う事に、素直に頷けるだろう。

良質な戯曲に出逢えた。

20240226

初期作品集

『石牟礼道子全集不知火第一巻』に収められた作品群である。

石牟礼道子の原点が『苦海浄土』にあるとするならば、この作品集に収められた作品群は、原点以前の作品たちと呼べるのかも知れない。

全集ではそれらをエッセイ、詩、短歌とジャンル分けし、それぞれを、ほぼ作成年代順に纏めてある。石牟礼道子はその作家人生を、詩人、歌人としてスタートさせた事が分かる。


『苦海浄土』以後に見られる、魂を高みに運んでくれるような精神性はまだない。若書きの荒削りな作品が並ぶ。だが、そこには異様なまでに荒々しい、激しさと力強さがある。

石牟礼道子が師と仰ぐ蒲池正紀さんは、石牟礼道子を歌誌『南風』に誘う時、

あなたの歌には、猛獣のようなものがひそんでいるから、これをうまくとりおさえて、檻に入れるがよい

と批評したそうだ。よくぞ見抜いて下さったものだ。

作品に一貫として流れているのは、弱い者、小さい者に寄り添おうとする姿勢だと思う。最初期の詩は、蟻に向けられている。これは石牟礼道子の全生涯を通じて、貫かれている姿勢なのではないだろうか?

エッセイでは、早くもその目が水俣病に向けられている。石牟礼道子にとって水俣病は、社会問題以前に、身の回りの郷里に起こった、ひとつの事件としてあったのだ。

石牟礼道子は、本によって育てられた作家ではない。本は教科書くらいしか読まなかったと言う。彼女の歌のリズムは、母親の話し言葉にあったとエッセイで語っている。母親の話し言葉は美しく、殆ど歌であったと言う。

そこで合点が行くのだ。彼女の方言へのこだわりは、(初期作品に既に現れているが)体裁の調った「標準語」による本からではなく、話し言葉から文学を学んだ故なのではないか?

エッセイにしろ詩にしろ短歌にしろ、その作品は年代を経るにつれて表現力が研ぎ澄まされ、「魂の秘境」へと近づいてゆくのが分かる。そのダイナミズムは、石牟礼道子を読んで来た者が『石牟礼道子全集不知火第一巻』に辿り着いて知る、何よりの醍醐味だ。

20240216

CBDの科学

日本はいつもアメリカを追い駆ける。

日本では1万年以上前から大麻を生活用品として利用してきた歴史がある。第二次世界大戦直後のGHQの占領下でメモランダム(覚書)が発行され、全ての大麻類が全面禁止になり、大麻草の利用も全面禁止となった。ところが、当時の農林省は、繊維製品や魚網などで、生活に不可欠な農作物であるとGHQに進言し、都道府県知事の許可制となって、栽培が継続されることになった。

一方で麻薬取締法と大麻取締法は1948年7月10日という同日に施行されたが、医師の取り扱う「医療品」と農家の取り扱う「農作物」が区別された為、別々の法律として、管理下に置かれた。

アメリカの力によって、大麻の使用は禁止されたと考えて良い。

だが、そのアメリカが動き始めた。

医療用大麻の使用を認める州が続出し、嗜好品としても認める流れになって来たのだ。

こうなると日本もそれを追い駆け始める。

大麻取締法の改正に向けた動きが出始めたのだ。


本書は、医療用大麻の第一人者による、大麻由来成分CBD(時にはTHCも)の薬効を、網羅的に概観した医学書である。

原題はCBD:What Does the Science Say?

様々な憶測や噂が飛び交っているが、現代医学では、どう見られているのか?それを纏めている。

読解には苦労した。予備知識が40年も前の受験生物学のものしか持ち合わせていない。本書には、様々な病気の、最先端の知識が詰め込まれている。それをいちいちネットで調べながら読んだので、時間が掛かってしまったのだ。

本書はCBDの化学的及び薬学的特徴から始まり、てんかん、癌、自己免疫疾患、不安、PTSD、うつ病、統合失調症、依存症などとありとあらゆる角度から大麻由来成分の働きを、事細かくチェックしている。

読んでいて歯痒かったのは、至る所で「〜の検査が必要」「〜の研究が不足している」と結ばれている事だった。

医療用大麻の歴史は浅い。つい最近になって、ようやく議論が始まったばかりなのだ。研究がそれ程進んでいない事は、驚く事では無かったのかも知れない。

殆どの研究はin vitroによるもの、in vivoでの研究は少し。と殆どが前臨床試験の段階であり、ヒト臨床試験が組織的に行われているものは、僅かな例に留まっていた。

分かった事は、CBDは万能薬ではない。だが、かなり広範囲に薬効が認められるか、その可能性がある成分で、しかも副反応がないという事実だ。

本書で、議論は極めて慎重に進められている。決して楽観視していない。むしろ大麻研究が何十年も放置されてきた歴史に苛立っている。

本書の結論は12章の「科学はここからどこに進むのか?」に述べられている事に尽きるだろう。

ヒトのさまざまな疾患に対するCBDの医療効果については、in vitroおよび前臨床in vivo試験からのエビデンスが豊富に存在することは明らかだが、こうしたエビデンスを裏付ける、ヒトを対象とした臨床試験はほとんどない。これらの主張は、質の高いRCT(ランダム化比較試験)で評価されることが極めて重要である。今のところ、CBDが持っていると主張されている効果の多くは、臨床試験が完了してその主張が裏付けられる、あるいは反証されるまでは、誇大広告の域を出ない。主張されている効果は、抗不安作用について最近報告されている(Spinella et al.2021)のように単に期待に基づくプラセボ効果にすぎないのか、それとも本当に臨床効果があるのか、その答えを提供するのはRCTのみである。

本書は、CBDに医療効果があるという主張が何らかの基本的な科学的根拠に裏付けられている適応症について概観したものである。つまり本書はこの、(薬物代謝肝酵素との相互作用には注意が必要ではあるが)毒性が比較的低く、THCのような「ハイ」を生じない非常に興味深いカンビノイド化合物がもたらす希望と単なる誇大広告を見分けるための、少なくとも出発点にはなるだろう。

議論は始まったばかりだ。そうした段階にある現在、冷静で網羅的な本書が出版され、日本語に訳されたという事実は、その議論を慎重に行う為に、極めて意義深いものになると、読み終わって感じた。

基礎はじっくりと作られたのだ。

20240210

土偶を読むを読む

『土偶を読む』という本が売れている。

噂には聞いていた。読んでいない。地質学をやって来て、「素人の斬新な発想」にはうんざりして来た。それと同じ匂いが、この本にはある。そんな気がする。

その本に危機意識を抱いた考古学者たちが、『土偶を読むを読む』という本を出した。『土偶を読む』のどこが専門家の目で見るとおかしいのか。それを徹底検証している。必要な事だと思う。


図書館で、この本も読まれていて、なかなか順番が周って来なかった。ようやく読めた。

縄文学は人気のジャンルだ。参入しようとする素人もまた、多い。

専門家は保守的だ。それら素人(困った事に一部の「認められない専門家」も)には、その思いが強い。だが専門家はそのジャンルを網羅的体系的に基礎から学んでいる。持っている基礎知識もまた多い。

素人の「斬新な発想」はそれらを軽々とすっ飛ばしてくれる。

一部の方々にとって、そうした姿勢は、爽快感も感じるようだが、実際には困った事であることが多い。

本書『土偶を読むを読む』を読んで、『土偶を読む』に欠けている視点の最大の欠陥は、編年と類例にあるのではないかと感じた。

ひとつの土偶にイコノロジーの手法を応用して、「何に似ているか」を探る。それもいいだろう。だが、ひとつの土偶が作成される迄、類例となる同系列の土偶は幾つも作られている。それを年代順に追跡する事で、土偶の編年が編まれる。

まさに「土偶は変化する」(本書p292金子昭彦)のだ。

例えば栗に見える土偶が、その類例を含めて栗に見えるのであれば、その土偶の作成意図に栗の精を想定しても良いだろう。だが、編年・類例を追跡してみると、そうではない例ばかりなのだ。

また、ある角度から捕らえられた写真を見ると、何かに似ているように思えても、その土偶を立体的に見てみるとそうではない。そうした例も多い。

学問に王道なしとはユークリッドの言葉だが、『土偶を読む』の著者も、縄文学の基礎くらいは、きちんと身に付けてから、ものを言って欲しいと感じる。

『土偶を読む』を読んでいないので、公平な評価とは言い難いが、今回もまた、新説・奇説より、学問のメインストリートの方が、面白くて深い。そう感じた。

だが、『土偶を読む』が発表された事で、縄文学の裾野が、今迄より拡がった事は確かだろう。それに対するアンサーである本書を読んで、私も縄文学の現在に、少しだけ触れる事が出来た。その事には何を置いても感謝したい。

20240204

全身詩人吉増剛造

最初は活字からだった。

ヘルマン・ヘッセにノックアウトされて、詩に目覚めた私は、高校に入ると、思潮社から出版されている現代詩文庫を少しずつ買い集め、愛読していた。その中の1冊に吉増剛造詩集があった。

それは時経る毎に続・続々と増えていった。

私の中で詩人は特別な存在として位置付けられていた。聖なる存在と言って良かった。その中でも吉増剛造は、他の詩人と比べても、段違いに特殊な、特別な存在だった。

安い現代詩文庫で読むという行為だけでも、彼の詩は、それが特別なオーラを放っている事が理解できたし、そのオーラを浴びる事だけでも、当時の私には掛け替えの無い体験だった。

後に東京の大学に進学すると、私はばね仕掛けの人形の様に、東京の「文化」を体験し始めた。その中に、当然の様に吉増剛造の詩の朗読があった。

最初にそれを体験した時の衝撃は今も忘れない。今迄の吉増剛造体験は、一体何だったのだろうかと、乱暴に否定したくなる程朗読による吉増剛造の詩体験は強烈だったのだ。

活字では決して体験する事の出来ない吉増剛造がそこに居た。


本書は吉増剛造の専門家を自称する、自らも詩人であり、TVディレクターでもある林浩平が、吉増剛造の現在を語らなければならないという、切羽詰まった衝動に突き動かされて書かれた、2冊目の吉増剛造論である。
私は本書から多くの吉増剛造作品を知る事が出来た。

読んでびっくりした。決して吉増剛造から、目を離した心算ではなかったのだが、本書で紹介されている吉増剛造は、私の知っている吉増剛造と比べ物にならない程、大きな変貌を遂げていた。

私の知っている吉増剛造は、活字の詩とその朗読に限られていた。

だが、彼はかなり以前から多重露光写真による作品を多数発表しており、その上近年ではgozoCinéと呼ばれる映像表現にも活路を広げていた様だ。

迂闊にも、私はその全てを見逃していた。

調べると、写真集の幾つかは図書館で、映像表現はYouTubeである程度追える事が分かった。地方都市に住む貧乏人である私は、ほっと胸を撫で下ろした。

思いがけない発見もあった。『詩とは何か』からの引用。

もう一つ、『我が詩的自伝』では「言葉を枯らす」ということを言いました。言葉を豊穣にするんじゃないんです、逆なんです。むしろ逆に、意味的、想像的、文学的、そういった次元において言語を少し弱くして萎えさせて、そんなときにふっと立ち上がってくる、こっそり立ち上がってくる幽霊のようなもの。論理学的な言い方をすると「否定」。否定した瞬間に違う種類の肯定が立ち上がってくる。そのすきを狙って何かが出てくるのを待っているような詩を書くようになったのです。

こうした姿勢は、彼の詩を漫然と読んでいただけでは、見出せなかった境地だ。

著者林浩平は、吉増剛造の全貌を捕まえるべく、本書の中で、評論で、往復書簡で、対談で、多面的に吉増剛造をデッサンしてゆく。

しかし、詩人吉増剛造は、その追跡を軽くかわして、身軽にもっと先へと進んでしまう。だが大切な視点がある。吉増剛造のこの一見移り気な身軽さは、彼の詩への生真面目さ、真摯さから滲み出たものであるということだ。

本書の終わり付近の座談会の中で、林浩平はこう呟いている。

しかも加速している。やっとつかまえた、と思っても、もう先に行ってしまっている。

同感である。

もはや老境にある吉増剛造は、しかし、その感性に於いて、いつまで経っても若々しい。今も、そしてこれからも、現代詩のトップランナーとして、彼は最先端を疾走し続けるのだろう。

我々はそれを追いながら、とぼとぼとしかし必死に、後をついて行くしかない。

だがそうする事で、私たちは今迄見たこともない景色を目撃する事が出来るのだ。

20240127

天の魚

─第三部 終─

昨日、2024.01.26 20:26私はこの行を読み終えた。第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』、第3部『天の魚』。昨年末から続けて来た、石牟礼道子『苦海浄土』三部作を、読み切ってしまった瞬間だった。

『天の魚』最終章「供護(くご)者たち」は長かった。だが、私の中で、この章はもっと長くて良いという思いが生まれていた。『苦海浄土』と伴にある時間が、もっと長く、出来れば永遠に続いて欲しいとする願いだった。


第1部『苦海浄土』、第2部『神々の村』とは違って、第3部『天の魚』は、水俣の病者たちと加害企業「チッソ」との交渉が描かれていた。

それは単なる公害交渉では、決して無かった。文字通り血飛沫が飛ぶ「死闘」だった。

水俣を企業城下町としてきたチッソ。病者たちは、故郷の水俣で、手厚く扱われていたのではない。チッソと死闘を繰り広げる病者たちに、加えられる相次ぐ妨害、中傷。彼らはそれとも闘わなければならなかったのだ。

そして、微妙に擦れ違う、支援者たちとの溝。

著者石牟礼道子は孤立する病者たちと、常に伴にあった。

石牟礼道子が、彼らと伴に歩む事がなかったら、水俣病はこれ程の深い意味合いを持つことはなかっただろう。

昨年末に第1部『苦海浄土』と第2部『神々の村』を読んだ後、図書館の都合で暫く間が空いた。だがその間も私は常に『苦海浄土』を意識して生きざるを得なかった。

石牟礼道子に釜鶴松の魂魄が棲みついたように、『苦海浄土』は私に取り憑いた。

それは今回に限った事ではなく、最初に『苦海浄土』を読んだ頃からそうだったのではないかと、今回読み終えて思った。

私は決して病者の方々と常に伴にあったわけではない。

だが、石牟礼道子の言の葉に導かれて、病者に寄り添うとは、どんな心構えなのかを、常に考え、模索し、辿り着いてはまた見失いを繰り返して来た。それは永遠に続くかのような、長い旅だった。

ふと思う。近年、特にこの2年間程の間で、社会は水俣病を、急速に見失い続けて来たのではないだろうかと。

それは風化と呼ぶにも程遠い、むしろ忘却と呼んだ方が正確なのではないかと思う程の見失い方だ。

私もそうだった。日常的に増え続ける気に掛かる問題たち。それについて考えるのに忙しく、私もつい、水俣病の事を考えるのを止めていた。

『石牟礼道子全集不知火』を全巻読破したい。昨年その思いが募った。なぜ石牟礼道子だったのか?それはもう思い出せない。

多分私は、石牟礼道子の魂に呼ばれたのだと感ずる。

水俣病を忘れつつある私を、石牟礼道子は的確に見抜き、私を『苦海浄土』三部作の世界に引き摺り戻してくれたのではなかろうか?

そう思ってしまう程に、今回この瞬間に『苦海浄土』三部作を読み終える事が出来たのは、私にとって幸運な出来事だったと思える。

『苦海浄土』三部作を読破して感じたのは、『苦海浄土』という作品は、三部作で初めて完結する作品だという事だ。どれも無駄がなく、必要不可欠な作品であり、三部作それぞれが互いに響き合い、それら全てが寄り添い合って初めて完結する。そうした作品になっている。その事を強く感じさせられた。

全集を選んだのも正解だったと思う。第三巻はこの後「『苦海浄土』をめぐって」という段が続く。私はもう暫くの間、『苦海浄土』と伴に生きる事が出来るのだ。

そして多分、この後ずっと、『苦海浄土』は私の意識の中にあり続けるだろう。

『苦海浄土』三部作とはそうした作品だ。

20240123

魂の秘境から

石牟礼道子最晩年のエセーとも日記とも判別が付かない遺作。だがそこには彼女の確かな肉声が響いている。

そしてその肉声は、ひと作品毎に挿入されている芥川仁の写真と響き合い。書物自体が作品である様な、見事な著作に仕上がっている。

石牟礼道子は2018年2月10日に逝去されている。本書には、著作の掲載された日付が付されており、最後の作品には2018年1月31日と記されている。本当に最後の最後迄、石牟礼道子は著作に取り組んでいたのが分かる。

そして驚くのは、その作品の質が、最後迄極めて高い水準を保っている事だ。文章に衰えは全く感じられない。

それは折に触れ描かれる子ども時代の回想に迄及び、90歳という年齢を全く感じさせない鮮明さで、遠い過去の記憶が語られている。

それら幼年期の記載を辿ると、石牟礼道子という存在が、最初から異界に棲んでいたと思わざるを得ない不思議な感触を得る。


その感触は、近代を厳しく拒絶している。

「原初の渚」にはこうある。

海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。 
水俣病の患者さんたちはそのことを身をもって、言葉を尽くして訴えた。だが「言葉と文字とは、生命を売買する契約のためにある」と言わんばかりの近代企業とは、絶望的にすれ違ったのである。

石牟礼道子が魂と書くとき、そこには深く透明な意味が宿る。決して軽々しい言葉ではない。

本書を読んでいて、あ、と思った箇所がある。

花に酔ったのだろうか。「椿の花になりたい」と思った。それは幼いながら切実ともいえる思いで、畑仕事の手を休めた母にはどうしても伝えたい。けれど、そう願うばかり、そのころのわたしの内には、言葉というものがまだ生まれていなかったのである。言葉の出ない歯がゆさというものを覚えたのは、その時のことであったろうか。

彼女の最初の記憶なのだろうか?

その中に言葉の出ない歯がゆさと言う語句を発見して、私ははっとする。

石牟礼道子は生涯、その歯がゆさと格闘していたのでは無いだろうか?それ故に彼女が魂と書くとき、その語には魂が宿るのでは無いだろうか?

決して器用な書き手では無かった。『苦海浄土』を書き終えた時には、片方の視覚と聴覚を失っていたと聞く。石牟礼道子はまさに、全身全霊を賭けて、身を削りながら、数多の作品をこの世に産み出して来たのだと思う。私たちはそれ故に、彼女の作品から、途方もない深みと高みを授かることが出来るのでは無いか?

石牟礼道子の遺作である本書を読んでいて、彼女が最後迄、水俣病の事に触れていた事に、私は静かな、けれど強い感動を覚えた。石牟礼道子は最後の最後まで水俣病の作家であり続けたのだ。揺るがない、確かな、気高さがそこにある。

20240121

過去を復元する

地質学を専攻して来た。当然過去を復元する事には、強い興味がある。古生物を経由して、進化論にも強い関心を抱いて来た。

なので、名著の誉高きエリオット・ソーバーの『過去を復元する』が復刊されると聞いて、即座に購入した。

けれどどことなく敷居が高く感じられて、今迄手に取る事はなかった。図書館から借りている本が少なく、全て読了してしまったので、これはチャンスだと感じて、今回思い切って読み始めた。


予想していた以上の数式の嵐だった。

だが、慣れとは恐ろしいもので、そのうちに数式の持つ意味が分かり始めると、展開する毎に変化してゆく意味合いのダイナミズムに、快感すら感じる様になった。

本書は系統学を、哲学の立場から切り込んでいる。

推論の原則として、最節約原理と呼ばれるものがある。

世にオッカムの剃刀として知られる原理で、仮説を設定する場合、その仮説は複雑なものより、単純なものの方が真理に近いとする原理だ。

プトレマイオスの天動説は、当時の観測精度の範囲では、ほぼ十分に現象を説明していた。だが、コペルニクスの地動説は、天体の運動を、より単純に表現する事が出来る。軍配はコペルニクスに上がる。

だが、この最節約原理、一体どの様な論理的基盤を持っているのだろうか?

エリオット・ソーバーはこの難問に、論理哲学の方法を駆使して、大胆に取り組んでいる。

その論理形態は緻密で、文の一行、数式のひとつでも読み飛ばすと、滑り落ちてしまいそうなスリリングな筆致を有しており、私は予想していた以上の、知的冒険に晒される事になった。

結論から言うと、オッカムの剃刀は、数学的な検証をしてみると、それ程万能な道具ではないようだ。

これは思い掛けない結論だった。

最節約原理は、経験からは十分に信頼出来、進化の分岐図を描く時など、私もいつものように使用して来た。だがホモプラシーが成立する様な場面では、最節約原理では、説明がつかない分岐図が採用される可能性があると言う。

本書はその事を言う為に、1冊を丸ごと費やしたと言っても過言では無い。

言葉を変えれば、エリオット・ソーバーは、最節約原理をポパーの反証理論や検証度理論に結び付けるのではなく、むしろ統計学で影響力を増しつつあるモデル選択論を踏まえた際節約基準の正当化を目指していると言う事になるのだろう。

翻訳は三中信宏さん。論者の名前や基本的概念が原語で示してあったり、注釈・訳註が巻末ではなく、そのページに示してあったり、丁寧で読み易い翻訳になっていた。

本書には、数式だけでなく、理論哲学の様々なパラドクスも紹介されている。それ等読み知る事だけでも、本書を読む価値がある。

巻末の訳者あとがきや、訳者解説が付けられているのも有り難かった。本書の全体像、20年前に発表されている本書の現代的価値などは、ここから教えられた。

進化論に興味を持つ人には、必読の書と言えると思う。

20240116

四つの未来

始まったばかりだが、今年読んだ最もショッキングな本になる予感が強くある。

資本主義が限界を迎えつつある。それを指摘する本は数多ある。だが、それでは資本主義の次に来る社会は何か?と言う問いに十分な説得力を持って展望している本は少ない。

本書はその少ない本の中でも、最も説得力とリアリティを持った本のひとつに数えられるだろう。


本書では、既に資本主義の限界を強く訴えない。それは既定の事として、認識されている様に思う。筆者が現代の問題として挙げるのは、エコロジカルな破局と自動機械(オートマトン)の隆盛と言う事実(!)だ。その上で筆者は資本主義後の社会として、コミュニズム、レンティズム、ソーシャリズム、エクスターミニズムの四類型を挙げている。つまり資本主義後の世界として、ふたつのユートピアとふたつのディストピアを想定しているのだ。

だが(筆者が「結論」で強調している様に)この著作は未来予測(フューチャーリズム)の試みではない。

何故ならば、そうした予言と言うものは、これまでに相当外れてきたし、それだけではなく、予言は、宿命のオーラを醸し出し、それによって私たちを傍観者にし、運命を受動的に甘受する様に促してしまうからだ。

本書がひとつの未来ではなく、四つの未来を描いた理由は、自動的に起きる事など何もないと言う事を示す為だと言う。前途を定めるのは、私たち自身なのだ。

本書を読めば、レンティズムとエクスターミニズムが悪の側、ソーシャリズムとコミュニズムが善の側の希望を表現していると考えるだろう。だが、これらのどれもが純粋な形態で可能であることはない。端的に、歴史はそうするには余りに複雑なものだからだ。そして、現実の社会は、いかなる理論的モデルのパラメーターを超えている。

それ故、私たちは最終的な目的地の正確な性格よりも、こうしたユートピアやディストピアに向かう過程に特に関心を寄せるべきなのだ。とりわけユートピアに向かう道のりは、必ずしもそれ自体がユートピアではないが故にそうなのだ。

豊かさと平等の世界への移行は、波乱と抗争に充ちたものになるだろう。富裕層が自らの特権を自発的に手放す事がない(その可能性の方が大きい)とすれば、実力で没収せねばならないのだが、そうした闘争は双方の側に、悲惨な結果をもたらす可能性がある。フリードリヒ・ニーチェが有名なアフォリズムに於いて述べたように「怪物と闘う者は、そのため己自身も怪物とならぬよう気をつけるが良い。お前が永い間深淵を覗き込んでいれば、深淵もまたお前を覗き込む」。

だが筆者が四類型を提出する中で、エクスターミニズム(絶滅主義と訳せば良いだろうか?)の記述が持つ、既に始まっているのではないか?とすら思わせる、切羽詰まるようなリアリティは何なのだろうか?

繰り返しになるが、本書は読者に対し、歴史の傍観者になる事を、強く拒否するよう促す。現在進行中の資本主義の崩壊を傍観しているのならば、その後に訪れるのは、エクスターミニズムのそれに他ならないのだ。

本書は未来を建設する上で、読者にその主体である事を強く促している。私はそのメッセージを、確かに受け取った。決して心地よくはない、本書の読後感と共に、その決意は強くある。

20240112

ソース焼きそばの謎

ソース焼きそばは私の得意料理のひとつに数えられる。

と言うより、ソース焼きそばは誰にでも手軽に作ることが出来る軽食として存在しているのだろう。焼きそばと言えばやはりスタンダードはソースであり、決して塩や醤油ではない。

ところで、そのソース焼きそば。いつから存在しているのだろう?


この本に出逢う迄、私はそんな事を意識すらせずに、当たり前に存在する料理として、ソース焼きそばを食して来た。

その謎に、敢然と立ち向かっているのがこの本である。

ソース焼きそばは大阪。それも戦後に誕生したという説をどこかで耳にした事がある。その説にも、本書は触れている。それによると、それは広く行き渡っている俗説であり、どうやら間違いであるらしい。

本書によると、ソース焼きそばの発祥を突き止めるのは、かなり困難な作業であった様だ。

筆者は、幅広い文献、詳細な聞き込みを軸として、時には大胆な仮説を交えて、この謎に挑んでいる。

それによると、焼きそばはお好み焼きの一種として、醤油ベースのソースを用いた、子ども相手の食べ物として誕生したらしい。それがやがて、安価なウスターソースを用いる様になり、現在のソース焼きそばに近づいていったものだと言う。

発祥については、決定的な文献は存在せず、聞き込みや状況証拠を積み重ねる事で、浅草の千束町にあるデンキヤホールと言う店で、大正初期から提供されていたらしいという結論に至る。

その結論に至る経過は、一流の推理小説を読む様なスリリングな筆致が冴える。

状況証拠として面白かったのは、日清製粉の前身である館林製粉が、群馬県館林市で明治33年に創業を開始するのだが、それが東武鉄道の開設とほぼ時を同じくしており、館林から浅草への小麦粉の運搬に大きく影響したと言う点だ。

ソース焼きそばに、小麦粉は欠かせない。その運搬の便が、浅草で整っていたと言う事実は、ソース焼きそば浅草発祥説に大きな傍証となる。

だが、ソース焼きそばが全国的に広まり、隆盛を誇る様になったのは、やはり戦後の事らしい。当初小麦粉は国産のうどん粉と、アメリカ産のメリケン粉に分かれており、メリケン粉は、輸入に頼るしか無かった。これが緩むのは、アメリカ産のメリケン粉に、関税が課される様になってからであり、特に戦後は、闇市を中心に、供給されていた様だ。

ソース焼きそば大阪起源説を否定する、ひとつの材料として、関西では、焼きそばの元になる中華麺がなかなか手に入らず、戦後も焼きそばではなく、焼きうどんが主流であったという事実がある。

本書によると、長野県は北海道と並んで、ソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばが主流な特殊な地方として挙げられている。あまり外食をしないので、詳しくは知らないが、以前住んでいた住宅の隣にあった中華料理店では、確かにソース焼きそばではなく、餡掛け焼きそばを提供していた。

筆者は、「焼きそば名店探訪録」と言うブログを公開しており、そこに筆者自らが足で訪ね歩いた全国の焼きそば、焼きうどんの記録が残されている。

東日本大震災で、東北の主だった焼きそば店が無くなって行くのに気付いたのが、このブログを始める動機だったらしいが、焼いた粉物に賭けるその情熱の半端なさは、本書でもブログでも遺憾無く発揮されている。

本書を読み終えた日、昼食にソース焼きそばを食べた。それはいつもの味の普通のソース焼きそばの筈だったのだが、本書で様々な知識を得て、それを元に味わうと、ソース焼きそばが経験してきた100年の歴史が、我が家にたどり着いたような気になり、格別の味わいを持っているような気がした。

面白い本だった。

20240109

私たちはいつから「孤独」になったのか

孤独には強い方だ。そう思って生きて来た。

学生時代は、独りで安下宿に沈殿し、地質学の勉強や、楽器の練習に勤しんでいた。それらは、安易な友人関係に流されるより、孤独を飼い慣らし、むしろ愛していなければ、到底実現出来ない、自己鍛錬だった。

今でもやりたい事は幾つも抱えている。私には孤独な時間が何よりも大切なものだと確信すらしていた。

そんな私がこの本に手を出したのは、この本の原題が “A Biography of Loneliness”直訳すれば「孤独の来歴」と記されていたからだ。


孤独について語る本を、孤独を愛する私が読んだらどんな感想を持つのだろうか?そこに興味があった。

日本語で孤独と訳し得る英語は幾つかある。

ひとつはこの本で主に採り上げるloneliness。他にはoneliness, solitude, isolationなどが挙げられるだろう。

それではlonelinessとsolitudeはどう違うのか?

改めて考えると即答は困難だ。

この本でもlonelinessを孤独、solitudeをソリチュードと訳している。

本人が望まない、主観的に欠落感や喪失感を伴うものをlonelinessと定義しているようだ。

そう考えると、私が飼い慣らし、愛して来た孤独なるものはlonelinessではないようだ。むしろただひとりでいることを意味するonelinessの方がしっくり来る。もしくは正しい意味でのsolitudeか?

私が孤独に対して、超然としていられたのも、私が孤独つまりlonelinessを経験した事が無かったからだとも言えるのではないか?

Lonelinessという言葉の歴史は、この本によるとかなり浅い。それが前景化されるのは、少なくとも19世紀を待たなければならない。

そしてその概念はジェンダーやエスニシティ、年齢、社会的経済的地位、環境、宗教、科学などによって異なる経験であるとされる。

私は今、妻帯者であるが自分の子どもはいない。もし仮に、女房殿に先立たれたら、私は即孤独な状態に陥るだろう。

もはや音楽や地質学は、私の人間関係を保つものではなくなっている。私はそれでも孤独に対して、超然としていられるのだろうか?私が愛した孤独solitudeについても、この本は1章を費やして、論じている。孤独が贈り物(ギフト)である場合もあるが、それは、その孤独が自分から望んだものであり、一時的なものであるからだと記している。

安下宿に沈殿して没頭していた地質学や音楽は、やがてそれを用いて、人間関係を形成する事が可能な営みだった。そこには欠落感や喪失感はなく、むしろ充実感があった。私が愛して来たのは決してlonelinessでは無かったのだ。

孤独の解消の手段として、ソーシャルメディアがより大きな役割を果たすだろうという指摘は当たっていると思う。

2018年一月、イギリスのメイ政権は、孤独担当大臣まで設置した。

孤独(loneliness)という病理はもはや、社会問題として認識された、一大課題にまでなっているのだ。