20221113

51年振りの邂逅

中学生の頃、T野R子さんという片想いの女性がいた。恋としては全く実らなかったが、彼女は私の詩や絵を大層買ってくれた。良き友であった。

その彼女が私の15歳の誕生日に、リルケの詩を贈って下さった事がいまだに忘れられない。

だがその詩は、いくらリルケの詩集を繰っても見つからず、どの詩集に載せられた、なんという詩なのか全く分からずにいた。

(写真は偶然見付けたJim HallとBill Evansの"Undercurrent"のカヴァー写真カラー版。彼女のイメージは、私の中でこのアルバムと共にある。)


最近、沖縄に住むIGさんという方が、「もちよる詩集」という名で、ClubhouseでRoomを開いて下さる様になった。毎週ひとつずつ詩を携えて集まり、それぞれ開陳し合うという趣向だ。

私はそこで、外国語の詩を紹介する事を旨としている。

引っ越しの時、図書館にある本は処分する事になり、日本語訳の詩集は殆ど売ってしまった。残っているのは、主に原文だ。そこで、私はそれらの詩を自分なりに翻訳して披露する事にしている。

だが、各週のテーマに沿った詩は殆どなく、ネタ探しにGutenberg Projectを漁る事が多くなった。

一昨日も次のテーマを探しにGutenberg Projectをうろついていた。困った時のヘッセとリルケ。主にこの二人の詩を当てもなく読み散らかしていた。

そのうちにRainer Maria Rilkeの”Die Sonette an Orpheus”に辿り着いた。この詩集を私は読んだ事がない。

綺羅星の如きドイツ語が並んでいる。

リルケの詩には、題名が付いていないものがかなりある。この詩集の詩も、番号が振られているだけで、個々の詩には題名はない。

そのうちにXXI番の詩に辿り着いた。何気なく読んでみると

似ている!

T野R子さんが下さった詩に、XXIは確かに似ている!

急いでDeep Lで訳してみると確かにこれだ!

ようやく見付けた!!

その詩は彼女が贈って下さった詩そのものだと、私は確信が持てた。

51年の年月を経て、私はこの詩と再会する事が出来たのだ。

今、私は幸福である。


その詩を紹介したい。

Deep Lは外国語の大意を掴むには便利なツールだが、詩の翻訳には殆ど役に立たない。

仕方がないのでいつも外国語と格闘して、日本語に訳している。その際に51年前の記憶が役立っている事は言うまでもない。


XXI


Frühling ist wiedergekommen. Die Erde

ist wie ein Kind, das Gedichte weiß;

viele, o viele ... Für die Beschwerde

langen Lernens bekommt sie den Preis.


Streng war ihr Lehrer. Wir mochten das Weiße

an dem Barte des alten Manns.

Nun, wie du Grüne, das Blaue heiße,

dürfen wir fragen: sie kanns, sie kanns!


Erde, die frei hat, du glückliche, spiele

nun mit den Kindern. Wir wollen dich fangen,

fröhliche Erde. Dem Frohsten gelingt.


O, was der Lehrer sie lehrte, das Viele,

und was gedruckt steht in Wurzeln und langen

schwierigen Stämmen: sie singts, sie singts!


21

春がまた来た。大地は

詩を覚えた子どものようだ。

たくさんの、おぉ、たくさんの詩を…長く苦しい

勉強のおかげで今ご褒美をもらうのだ。


彼女の先生は厳しかった。僕たちは

老人の白い髭が好きだった。

今度は僕たちが、あの緑は何、青は何と

尋ねてもいいのだ。彼女はできる、きっとできる!


大地よ、休暇になった幸福な大地よ、

さあ子どもらと遊ぼう。さあ掴まえるよ。

楽しい大地よ。一番楽しい人が捕まえるのだ。


おぉ、先生が教えたことを、たくさんの事を、

それから木の根や、長い難しい幹に

印刷されたものを、彼女は歌う、彼女は歌う。

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