20211230

Clubhouseその後

殆ど行かなくなった。

僅かに笹沼弘志さんが時々開いてくれる法学の議論を聞きに行くだけで、全くと言って良い程発言はしていない。

この夏、女房殿のみゆきさんが定年退職を迎えた。全く仕事をしなくなった訳ではないが、在宅時間は桁外れに増えた。その影響が大きい。同じ部屋にふたりでいると、おいそれと音声SNSをするのに気が引ける。やはり発言を聞かれたくないのだ。

Clubhouseで発言しているうちに、実生活と微妙に異なるClubhouse人格が作られてしまった。見栄を張っている訳ではないが、物事にはモノの弾みと言うものがある。

その違いを指摘されると、どうにも気恥ずかしい。

音声SNSで見知らぬ人たちと話し合うより、まずは身近なみゆきさんとコミュニケーションを計りたい。

だが、それだけがClubhouseに行かなくなった理由ではない。

空いている時間は読書に充てたい。その意識が強い。図書館から月に10冊本を借りて、それを読み切る事にしている。

私は本を読むのが遅いほうだ。なので月に10冊の本を読破するだけでも、かなりの努力を必要とする。それだけで精一杯なのだ。

SpotifyをPremiumに引き上げたのも大きい。主に古楽を聴いている。耳はそちらに使いたい。

それに、Clubhouseで立ち上げられるroomに、さほど魅力を感じなくなった事も、大きく影響している。

雑談が多い。元々雑談を楽しめる方ではない。喋る事がどうにも苦手だ。なので発言は常に力一杯頑張る事になる。小一時間音声SNSで発言していると、それだけで疲れ果ててしまう。おわっった後は少しの間、何も手に付かなくなる。時のコストパフォーマンスが私にはかなり低いものになってしまうのだ。

体力・気力をフル回転して、得るものはそれ程多く無い。そうなるとどうしても音声SNSに食指が動かなるなる。

音声SNSは、そこを自分の居場所と認識出来る人が入り浸る。私はそうした態度に違和感を覚える。聞いているうちにどうしようもなく白けてしまうのだ。

またClubhouseの特徴として、若い人が圧倒的に多く、相手を否定する事を、強く嫌う傾向がある。私はこれにどうしても馴染めない。還暦を過ぎた私には、Clubhouseは似合わないのだ。

巧く行っている時には、Clubhouseにようやく見つけた自分に合ったSNSという感覚を抱いた事もあった。だがその時期はもう遠く去ってしまったようだ。

自分ひとりの時間がまた持てるようになったら、Clubhouseにもまた戻る事があるかも知れない。だが、今はその時ではない。

私とSNSの相性はそれ程良いものではない。

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