20211130

フェミニズムに出会って長生きしたくなった

 いきなり著者アルテイシアさん独特の言語感覚が炸裂する。

著者は自分をJJと呼ぶ。熟女の略だ。女子高生をJKと称するのなら、熟女をJJと呼んでも構わないだろう。だが、著者はそうした断り書きなしに、当然のように熟女をJJと略す。

他にも膝パーカッション(激しく同意の意)、エシディシ泣き(号泣)など、説明など不要だろうとばかりに、自由奔放な造語が飛び交う。


だが、言っている事に踏み外しはない。フェミニズムの粋を見事に捉え、強烈に自己主張する。読んでいて爽快な気分にさせてくれる。

20代でフェミニズムに出会い、怒るべき時には怒っていいのだと言う事に気づいたと言う。それまでは全てを自分のせいにして、肩身の狭い生き方をしていたらしい。

独親に育てられたと自己紹介している。それ故に、いつ死んでも構わないと、半分自暴自棄にもなっていたようだ。だがフェミニズムに出会い、愉快にJJライフを送るようになった。こうなれば生を楽しむしかない。長生きしたいと思うようになったのだ。

世間ではフェミニストというと、怖いおばさんの事だと思われているらしい。けれど、実際のフェミニストに触れてみると、自分は自分であって良いのだと気付いた女たちだと言う事に気付く。それだけの事なのだが、世間のフェミニストに対する風当たりは強い。女は黙って男の言うがままにしていれば良いのだという差別意識が、日本では未だに大手を振っているのだ。

なので勢い、女たちは怒る。怒ると余計風当たりが強くなる。男たちもじっくりと怒る女たちの言い分を聞いてみた方が良い。その方が両者のためになる。男たちも余計な男らしさの呪縛から解放された方が自由に生きることが出来るだろう。

この本を読んで、最も為になった事は、男にも出来る事があるという事に気付かせてくれた事だ。セクハラ・パワハラ(アルテイシアさんはこれをセパ両リーグと呼ぶ)に遭っている女がいたら、それをしている男にそれはセパ両リーグだと、さりげなく忠告してやれば良いのだ。

いじめをしている者にそれを傍観せず、いじめをやめるように言ってやる事と同じだ。子どもたちに勧める事を、大人もやれば良いのだ。それをactivebystanderと呼ぶらしい。

言うは易く行うは難い。いざとなったら自分にそれが出来るかどうか自信が今ひとつない。だが、心掛けることは出来る。男はどう生きて行けば良いのだろうかと、ただ悩んでいるだけより、余程いい。

著者アルテイシアさんの自由な言葉と生き方は、必ずやフェミニズムの裾野を広げる事だろう。無論、その裾野には男も含まれている。

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