20211125

災害特派員

 先日採り上げた『南三陸日記』と同じ、三浦英之記者による本。『南三陸日記』とは合わせ鏡のような内容になっている。

『南三陸日記』はジャーナリストとしての三浦英之の仕事であったのに対し、この『災害特派員』は三浦英之の個人的な手記である。


三浦英之には答える事が出来なかった問いがあった。

東京からバスで現地を訪れた小学生たちに

「どうしてこんなに多くの人が死んだのですか」と問われていたのだ。

この本は、その答えられなかった問いに対する答えとして存在している。

三浦英之は答える。

原因の一つはたぶん、メディアにあるのだと思う。

そして畳み掛けるように言う。

人を殺すのは「災害」ではない。いつだって「忘却」なのだ。

この姿勢が、彼がジャーナリストとして災害現場で深く刻まれた教訓になっているのだろう。

記者は、仕事を通じて、多くの人々と出逢って行く。ライバルであり、友人でもあるジャーナリストたち。尊敬出来る先輩。取材に応じてくれた現地の人々。そして記者はそれらの人々との出逢いを、逐一大切なものとして、抱き締めて行く。

手記はどこまでも記者の誠実さに貫かれている。だから読んでいて、思わず引き込まれるような迫力を感じざるを得ない。

この本を読み終えて、私はBlu-rayに録画しておいた、3.11以後のビデオを見返してみた。当時の記憶がまざまざと蘇って来た。同時に、当時この映像を見た時は、それを記録したジャーナリストの存在を気に留める事なく見ていた事に気が付いた。

どの映像、どの記事にも、それを伝えようとしたジャーナリストが居た。その存在は、ともすると表に現れる事なく終わってしまう。だが我々はそうしたジャーナリストの努力の上に、災害や戦争の記録を鑑賞する事が出来ているのだ。

そうした取材の現場では、ジャーナリストたちが命を落としたり、精神的に病んだりもしている。

私たちは安全な茶の間で、それらの仕事を鑑賞する。

思わず、いたたまれなくなって目を落とす。それではいけないと、再び前を向く。

この本は、取材現場に自らの前存在を賭けて臨んだ一ジャーナリストの貴重な記録だ。

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