20211013

環状島へようこそ

 トラウマのアナロジーである環状島モデルの発案者宮地尚子さんが7人の社会的発言者を相手に対話し、環状島モデルの深化を目指した意欲作。対話者は映画監督の坂上香さんを除き、ほぼ全員が臨床家となったのは、この目的から必然的な結果だったのだろう。

専門家同士の対話なので、話の内容はどうしても専門用語が飛び交う難しいものになった。特に略語で話されている時には、初出のページまでいちいち戻って何の略語だったかを確認せねばならず、かなり我慢が必要だった。

だが、それぞれの対話はかなり充実したものになっていると思う。


宮地尚子さんが提唱した環状島に、それぞれの専門と実践から肉付けを行い、モデルがどんどん育ってゆくのが手に取るように感じられた。

環状島は、大海原の中にある孤島である。島はドーナツ状の形をしていて真ん中に〈内海〉がある。〈内海〉の中心がトラウマを受けるきっかけとなる出来事の〈ゼロ地点〉である。〈内海〉から島に上がるところには〈波打ち際〉があり、水と陸との境界をなす。その先の〈内斜面〉を登ると〈尾根〉があり、〈尾根〉を超えると〈外斜面〉を下って〈外海〉へとひらけてゆく。被傷者は、〈ゼロ地点〉付近にいる時は、もっと悲惨な例があると考えてしまい、悲鳴すらあげられない。だが、〈ゼロ地点〉から少し遠ざかると次第に悲鳴をあげられるようになってゆく。そして〈外斜面〉に辿り着くと被傷者は支援者と出会う事も出来る様になり(支援者は〈内斜面〉には入る事が出来ない)、次第にトラウマから解放されてゆく。

環状島の環境は一定ではない。影響を与えるのは、トラウマ反応や症状としての〈重力〉、対人関係の混乱や葛藤としての〈風〉、トラウマに対する社会の無理解を示す〈水位〉の三つである。

それぞれの具体例を挙げているが、その中で編者が、支援・被支援は、しばしば支配・非支配の関係に近づいてしまい、強い〈風〉を巻き起こしやすい。としている箇所が印象的だった。

対話はどれも深く、実りの多いものになっているが、その中でも、境界性パーソナリティ障害(対話ではボーダーと略して語られている)をテーマとした林直樹さんとの対話。そして映画『プリズン・サークル』を観た事もあって、坂上香さんとの対話が興味深かった。

坂上香さんは、監獄をテーマとした映画を観たある女性に「なんかうちの子どもの学校を見てるみたいです」と言われた事が記憶に残っていると言う。聞くと最近「黙食」というのがあって、昼食の時に最初の5分だか10分は、みんなきちんと大人しくした状態で、黙って食べる。その後は喋ってもいいのだけれど、最後の数分はまた急がなければならない。一人でも姿勢が悪かったりする子がいる班は、いつまでも食べる事が出来なくて、時間がなくなっていくから、お代わりが出来ない。そうした例が広まっているようだ。他にも「無言清掃」というものもある。もっとひどくなると「無音清掃」となる。それに比べたら刑務所の方が緩いのかも知れない。と語っていた。

本の内容とは若干離れるが、読み終わって、私がこの手の心理学本に、少し距離を置いていた事に気付いてハッとした。昔はトラウマとなると完全に我が事として、もっとがむしゃらに、没入するようにして読んでいた。

それだけ、私自身の症状が恢復して来たのだろうか?とも感じる出来事だった。

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