20151112

『私の1960年代』

山本義隆という人物を語る上で、元東大全共闘代表という貌はやはり外せまい。その山本義隆が60年代をついに語るという。これは読まねばなるまい。
 勢い込んでこの本、山本義隆『私の1960年代』を読んだのだが、軽い肩透かしを食らったような気分に、途中で数回なった。

目当てにしていた68、9年の東大全共闘時代の話が予想より、遙かに少なかったからだ。

全体の1/3程だろうか。

その他は日本の大学制度や科学・科学技術の歴史の記述に当てられている。

彼は現在日本を代表する在野の科学史家であり、駿台予備校講師としての教育者でもある。そのバランスがこうした構成となって現れたのだろうか?と思った。

しかし内容は充実している。

中でもこの本の中に図として紹介されている当時のビラや、補注としてまとめられている若い頃の文章はどれも貴重な史料となっている。

驚くのは、記憶の確かさだ。

もう当時から4、50年が過ぎようとしている。

しかし山本義隆は当時の雰囲気や、重要な会議の様子・発言者・内容・意義などを、この本の中で昨日の事のように明確に語っている。

これは並みの記憶力だけで出来る技では無い。

当時、どれだけ考えながら事に当たっていたのか。そして、当時から現在に至るまで、どれだけこの事を考え続けていたのかを物語る証左だ。

さすがに60年安保は記憶にないが、68、9年は丁度私の思春期が始まる頃のことだった。それだけに私の人生の中でも、当時の運動は動かすことの出来ない、強い影響力を持った出来事として身体に染みついている。

当時、日本だけではなくヨーロッパで、アメリカ合衆国で、学生が反旗を翻していた。

それは一体何故だったのか?いかなる出来事だったのか?

そうした視点からこの本を読んでみると、多くが割かれている大学制度や科学・科学技術の記述も、大きな意味を持ってくる。

それを語らなければ東大闘争そのものの意味を語ることが出来ない事として、社会の大きな歴史があったのだ。


私としては68、9年当時、山本義隆は何を考えていたのかという興味からこの本を手に取ったのだが、そればかりか、どの様な経緯で現在の活動に移行したのかも理解出来た。山本義隆という人物の素顔の一端を知ることが出来たと思っている。

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