20130404

夏目漱石『こころ』

久し振りに100分de名著が面白い。

この番組が新年度も続いてくれたことは嬉しかった。

と言っても最初から観ていた訳ではなかった。15分間の英会話の番組が終わった後、何気なしに見るようになった。

意識して観始めたのは『源氏物語』の回からだったと記憶している。


今回は夏目漱石の『こころ』が採り上げられている。

この小説を中学生の頃読んだ。
幾ら何でも早すぎたと思う。

漱石は教科書にも採り上げられている国民作家だが、その書くものはなかなか分かりにくい。大人にならなければ分からない悩みが沢山登場する。

『こころ』もそうした大人の為の文学だろう。

中学生の頃は先生がKの死を知った時の描写
私の眼は彼の室の中を見るや否や、恰も硝子で作った義眼のように、動く能力を失ひました。私は棒立ちに立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私はああ失策ったと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未来を貫いて一瞬間に私の前に横わる全生涯を物凄く照らしました。
という表現などにただ驚愕していた。

今読んでも凄い表現だと思う。

表現主義者としての漱石という存在も無視してはならないと思っている。


ただ、中学生だった私が先生とKの「特殊な関係」などを十分に理解していたとはとても言えない。先生やKの悩みがどの様なものだったかを理解していたかどうかは推して知るべし。



さて、100分de名著『こころ』のナビゲーターは姜尚中。

これが実に良いのだ。

早速テキストをダウンロードした。

余程漱石が、そして『こころ』が好きなのだろう。気持ちのこもった解説が繰り広げられている。このシリーズはきちんと観ようと決意するに至った。

書籍部屋を探してみると、漱石の『こころ』は3冊あった。新潮文庫版『こころ』。これには江藤淳の「漱石の文学」と三好行雄の「『こころ』について」いう解説が付けられている。ちくま文庫の夏目漱石全集8の『こころ』。そして何よりも岩波書店が出している漱石全集第十二巻『心』。今回はこれを選んだ。やはり歴史的仮名遣いの漱石は味わいが違う。


漱石の小説『こころ』を通読し、姜尚中のテキストを夢中で読んだ。

一級の漱石論になっていると思う。単にテキストとして出版されているのが勿体ない位だ。


夏目漱石は真面目だった。
近代に失望した。だからと言って、森鴎外のように歴史小説に逃れるのでは無かった。あくまでも真面目に近代に踏み留まった。

「涙を呑んで」近代を上滑りに滑っていったのだ。

その漱石の真面目さと姜尚中の真面目さが共鳴している。

テキストを読んでそう思った。

一日掛けて『こころ』を読んでその感慨を再び強くしている。


この小説は子どもが読んでも意味は無いと述べた。同様に社会がある程度成熟し、時代が前のめりは無くなった時代で無ければ。余り意味を持つ小説にはならなかったのでは無いだろうかと考える。


テキストには『こころ』を中心に、そしてそこからはみ出る漱石が豊富に引用されている。

そのひとつひとつが現代を射貫いている事に驚くのだ。

漱石は近代に踏み留まった。そしてそれ故に現代を予見している。


漱石を必要としているのは、現代の大人の全てだ!



言うに言えないじれったさを感じてならない。

姜尚中という時代の寵児を得て、今、漱石が蘇ろうとしている。
その復活劇の現場に私は身を置いている。そうした実感がある。

それを伝えきれない自分にじれったさを感じてならないのだ。


但し、漱石の女性観は現代のものでは全くない。残念だ。それは歴史的な過去にキッパリと属している。

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