20071218

白き山

歯医者から帰って来る途中、北に見える飯縄山、東に見える横手山など高い山々が白く雪化粧しているのが見えた。
「なかなかいいものではないか」
そう考えた。

東京から戻って来て初めての事かも知れない。

この3・4年、冬は恐れの対象でしかなかった。戻って来た最初の冬、19年振りという大雪だったからかも知れない。その翌年にはもっと降った。ほぼ完全に、わたしは冬に敗北した。

冬は毎年やって来る災害に等しかった。

例え遠い山々であったとしても、雪が付くと恐れを抱いた。

現在も10m程高い場所に移動すれば既に積雪ゾーンに入るかも知れない。低い山々にも積雪が認められる。一昨年はこの状態になってから「止まない雪」が降り続きとんでもない事になった。我が家は豪雪地帯にすっぽりと包まれた。

もともとそれ程雪に対して備えがある家の造りを、この辺りはしていない。ここ数年雪がなかったのだろうか?1階の屋根と2階の窓との間が、ほんの10cm程しかないような「新しい造りの」家々も目立って増えていた。それらの家は、大雪の後、必ずと言って良い程、窓から雪が溶けた水を汲み出していた。まるで船だ。

iMacが来る迄、我が家の最も高価い品物は、ダイニングキッチンに置かれた大きなストーブだった。私たちはそれを「主」と読んで敬っていた。最初の2年は本当にこのストーブで救われたと思っている。

わたしたちの借家はパチンコ屋の上にある。パチンコ屋には広い駐車場があり、来る人の殆どは車でやって来る。あの豪雪の時期にパチンコ屋にやって来る人々は雪の中で毎朝行列を作っていた。

「この人達はもしかすると、働き者なのではないか?」そう思わせる迫力があった。

それらの人々の為に、毎朝、除雪車がやって来る。最初のうちは5時頃から除雪が始まった。これは拷問に等しい。多分、他の住民から苦情が出たのだろう、そのうちに除雪は6時頃から始まるようになったが、それでも静かだった雪の朝に響き渡る除雪車の轟音は苦痛だった。

今でも朝方トラックがガラガラと音を立てて駐車場に入ってくると反射的に窓から外を見る。

除雪車の騒音が響き渡ると言う事は、車の除雪も行わなければならないと言う事だ。
まず女房度の車の屋根、ボンネット、窓などから雪を落とし、その雪を然るべき場所に運ぶ。次にわたしの車が停めてある駐車場まで行き、除雪を行う。この駐車場には雪を運ぶべき「然るべき場所」が無い。ひと掬い毎に10m以上の距離を歩いて駐車場の隅に運ばなければならない。どんなに寒い朝でも身体が熱くなる。尤もその熱さはすぐに醒め、汗は瞬く間に冷たい水になる。

次は家の前の除雪を行う。
豪雪の年は雪掻きをして振り返るとかなりの雪が既に積もっていた。足元から1mも離れると10cm位ある。まるで賽の河原だ。

かくして雪景色は拷問の象徴となった。
山に雪が着くと心の中にいや〜な気分が芽生えるようになった。

雪に覆われた遠い山を見て、「いいものだな」と思ったのは何年振りだろう?少し冬に慣れて来たのかも知れない。

尤もこれは遠くから見て、という条件付きの「いいものだな」である。

豪雪の年以来、肩と腰を痛めた人は何人居るだろう。わたしはもたもたしながらやっていたので身体的な被害は被っていない。

またまた北から寒気団が押し寄せて来た。善光寺平は寒気団の縁に位置している。さて、どうなる?

とりあえず遠くの白き山を見て、「美しい」と雪への感性を取り戻そうと思っている。

考えてみると大雪が降った後の朝、すっかり晴れ上がった雪映えが好きだった。

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