20071111

ヨーガを始める

10日ほど前からヨーガ(正確には自分ではヨーガだと思っているシロモノ)を始めている。

興味はあった。だがやる気は全くなかった。
始めようと思い立ったのは他人の影響が非常に大きい。

そもそも生まれ付き足が悪いので、わたしは胡坐さえ組む事が出来ない。増してや結跏趺坐(蓮華座よりこちらの方が本格的な感じがして格好が良さそう)なんぞ夢のまた夢。この事がヨーガからわたしを遠ざける原因となっていた。

mixiを通して知り合いになった方から、ヨーガについてはBlogからいろいろ教えて頂いていた。また、お蔭でNHKのプレミアム10で放映された菅野美穂さんが出演されていたインドのヨーガを紹介する番組を見ることが出来た。

その中から聞こえてきた、ヨーガは身体と心を繋ぐ、という言葉が妙に腑に落ちた。

以前から女房殿がフィットネス・クラブで簡単なヨーガを始めていた。これはエアロビクスの先生がシェイプアップを目的としてヨーガも取り入れたと言うもので、所謂パワーヨーガと呼ばれる奴だ。最初のうちわたしは批判的だった。わたしは頭でっかちである。

だが、この番組を二人で観ていて、より深いヨーガに少しだけ触れることが出来たような気がしたのだ。多分錯覚だろう。

ヨーガを始めた、などと言ったら本格的にヨーガをやっている方から笑われるか怒られるかするに違いない。ただ、椅子に坐って姿勢と呼吸を整え、首回しなど、ヨーガのウォーミングアップ的な動作をしている。
だから他の人が見たら、ヨーガをやっているとは気付かないかも知れない。自分でもヨーガをやっていると、時々思えなくなる。何しろ姿勢を整えることすら難しい。
子供の頃からの病気のせいで(これは単なる言い訳)、身体全体がかなり歪んでいる。正中線を真っ直ぐにする事そのものが出来ない。

ふと、操体法などでは「間違った姿勢にもそれなりの必然性がある」と言われていた事が気になったりする。先ず身体の歪みを整えることのほうが先なのではないか?と迷う。
このような時、指導者の存在が必要だと感じる。姿勢の微調整を自分の感覚で行っても、より良くなっているのか、間違った方向に向かっているのか自覚する事は酷く難しい。

次に躁鬱病の関係で(沢山言い訳があるなぁ…)朝は大変苦しい。
高校時代以来、爽やかな朝と言うものを経験したことがない。いつも同じ悪夢でうなされて目覚め、一人暮らしのときは七転八倒していたが、ふたりになるとそれも出来ないので布団の中で手足を抱えながらうんうん唸っている。
「目覚めのヨーガ」なるものを、まだ2回くらいしかやったことがない。

それでも少しずつ変化は現れている。

物事を始めるのが苦手だ。動き始めてしまえば何とかなるのだが、なかなか身体が思うように動いてくれず、そのうちにイライラし始める。

ヨーガを始めてからそれが少なくなったような気がする。

また、逆に我慢できなくて苛立つ事も少なくなった。

以前なら今回のように今迄心血をそれなりに注いできた掲示板がなくなったりすると、背中が粟立つような焦燥感に駆られ、何とか以前と同じ様な事が出来る場所を探し回っていたかも知れない。
けれど今回はすんなりと方向転換できた。

それなりに準備を進めていたこともあったのだろうが、事が起きてから心が全く波立たなかった。これには驚いた。

これはほんの僅かな例。僅かな事しかわたしにはまだ分からない。増してやヨーガについて語ることなど(語っているけど)、キリスト教やイスラム教について語るようなもので、その資格は全くない。そのことは自覚している。

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