20220518

パンダの親指

 前作『ダーウィン以来』も面白かったが、著者スティーヴン・ジェイ・グールドが彼のエセーの手応えをしっかり掴んだのは、本書『パンダの親指』からだったのではないかという感触を得た。導入のエピソードを選択するセンス、その掘り下げ方、各章の全体像をはっきりと打ち出す統一感が、格段に違うのだ。


パンダは何故手に6本の指を持っているように見えるのか?ダニのヌンク・ディミッティスは何故母親の胎内にいる間に交尾を済ませ、死んでしまうのか?何故ミッキーマウスが可愛らしく、悪役のモーティマーが憎らしく見えるのか?世紀の詐欺事件、ピルトダウン事件にテイヤール=ド=シャルダンは本当に関わっていたのか?ダウン症の事を「蒙古症」と呼ぶのは何故か?


こうした話題を通して、生物体の「不完全性」が、進化を見事に説明し得る事を、白日の元に明らかにして行く。その手腕はやはり只者ではない。

自然史のエセーというものは動物たちの特異性、たとえばビーバーの不可解な工事の仕方とかクモがしなやかな網を編む方法とかを記述するだけにとどまることが多い。たしかにそこには楽しさがあり、そのことを否定する人はいない。しかし、生物はみなそれよりはるかに多くのことをわれわれに物語ることができる。つまり生物の形態や行動は、それを読みとることを知ってさえいれば、一般的なメッセージを表現している。そして、この教えに用いられる言語は、進化論にほかならない。楽しさプラス説明が肝要なのだ。

プロローグにある著者のこの言葉は、本書の性格を最も端的に言い表している。

著者は、豊かな着想と非常に興味深いさまざまな話題を駆使しつつ、このエセー集を統一感のある全体としてまとめた。言い換えれば、本書はクラブサンドウィッチ式の構成m、つまり基礎となる4枚のパン(第一部、二部、五部、八部)に、肉や野菜の層を挟み込んだ構成になっている。そのパンとは生物進化の証拠、ダーウィン進化論と適応の意味、生物が変化する際のテンポと時間、生物の大きさと時間の尺度の関係である。

さらに著者は、このサンドウィッチを一本の爪楊枝─全てのセクションに通じる副次的テーマ─で刺し通した。それは文化的偏見と科学が不可分の関係にあるという認識で、この認識なくして科学を理解することは不可能だと、著者は主張している。

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