20211120

時を刻む湖

日本国内より、海外の方が有名な場所がある。この若狭湾に臨む水月湖もそうした場所のひとつだろう。水月湖の湖底に堆積している地層は、世界の地質時代の標準時計として用いられているのだ。世界に誇るべき湖と言えるだろう。


本書には、その水月湖の堆積物の研究に携わって来た研究者自身の手によって、二十数年に渡る研究の一部始終がドラマチックに描かれている。

水月湖の湖底をサンプリングすると、縞模様の堆積物を得る事ができる。これは明暗色からなる地層が、1年に1枚ずつ堆積して出来た地層だ。その地層=年縞を数え、調べることによって、過去の地質時代の環境を年単位で知る事が出来る。一言で言ってしまえばそう言う事になる。だが、それを実行する事は、それ程安易な作業ではない。その事が本書を読む事によって理解出来る。

何しろ連続的なサンプルを得る事自体が難しい事なのだ。

ボーリングを行っても、そのサンプルにはどうしても欠落が出る。研究者たちは、複数のボーリングデータを対比する事によって、その欠落を補った。

対比はどうやって行うのか?堆積物の顔付きを、丹念に比較して、同定して行くしかない。これは言葉で言うと簡単だが、それ程安易に出来る事ではない。

しかもその地層の枚数が半端ではない。研究者たちはそうした地道な、そして難しい作業を7万枚の地層に対して行った。これを快挙と呼ばずして何と言ったら良いのだろうか?

7万年の連続したデータが得られるのだ。そしてその誤差30年前後。通常この程度の年数のデータには数千年の誤差が付き纏う。それを考えると、水月湖で行われた研究の誤差は、極めて正確なデータである事が分かる。

未知の出土品がいつの時代によるものかを知る手段のひとつが放射性炭素年代測定である。これは生物の体に含まれ、時間の経過と共に一定のペースで量が減少する放射性炭素の残量を測定し、年代を逆算して行く手法だ。

しかし、この放射性炭素年代測定法では時代によって数百年から数千年のズレがあるのが悩みだった。生物の体に含まれる放射性炭素は、元は大気中の放射性炭素を取り込んだものなのだが、時代によって待機中に含まれる放射性炭素(炭素14)の量にバラつきがある為、全く同じ生物でも時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるからだ。

このズレを補正する為には、年代ごとの正確な放射性炭素の量がきっちりと整った「ものさし」が必要になる。

この「ものさし」となるのが年縞なのだ。

新しい科学の誕生期には、少なくとも3人ほどの、同じ発想を持つ研究者がいるものだ。

水月湖の研究者にもそうしたライバルがいた。ベネズエラのカリアコ海盆を研究していたコンラッド・ヒューエンがそのライバルだった。

水月湖とカリアコ海盆とでは、どちらに軍配が上がるのか?

当初、カリアコ海盆から得られた気候変動のデータによって、カリアコ海盆の研究の方が優れているという評価が与えられた。水月湖のチームは深い挫折を味わったのだ。

しかしチームはそこで諦めなかった。

1mmの欠落もなく年縞を数え、1200枚の葉を拾い上げ、丹念な研究を積み重ねる事によって、初期の不利を克服して行く。

そうして水月湖の年縞が考古学や地質学における「世界標準のものさし」として、君臨するに至る過程は、まさにドラマチックと言うしかない。

是非本書を手に取り、そして水月湖畔にある年縞博物館を訪れて欲しい。必ず深い感動を味わう事が出来るだろう。それは約束しても良い。

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