20211007

氏名の誕生

 ややこしい。

この本は、戦国時代から明治に至る氏名の歴史を丹念に辿ったものだ。


私たちは現在使っているような名前は、昔からの伝統だと思っている。だがそれは150年前、明治新政府によって創出されたものだという。歴史の教科書には大久保利通として知られる人物は大久保利通と出ている。だがこれは当時一般に用いられていた名前ではない。従三位守藤原朝臣利通大久保が正式名称だ。そう呼ばれていた。何故か?それが常識だったからとしか言いようがない。

だが事はそれほど単純ではない。例えば江戸時代、武家社会の常識と朝廷の常識には大きな隔たりがあった。朝廷の常識と武家の常識、そして一般の常識という多くの違いを持つ、いくつもの常識が並行して存在していたのだ。

江戸時代における一般的な「名前」の常識としては、それが社会的立場をも反映していた。つまり「官位」と呼ばれるものと密接不可分の関係にあった。

江戸時代には特殊な名前がある。播磨守、図書頭など正式な官名と分類された名前である。元々はこれらの官位は好き勝手に選べるものではなかったのだが、戦国時代、朝廷の権威が失墜すると共に、正式な官名を自ら選択して、それへの「改名」を申請し、将軍の許可の上で名乗った。その時どの様な名前を選ぶかは、何となく自分の立場に相応しい、そこそこの名前を「常識」で選んでいた様だ。

京都の朝廷社会には、正式な官名を一般の「名前」の用途に使用する者たちが、局地的に多く存在した。彼らは叙位任官して、正式な官名を世間一般で言う「名前」にしている。官名を「下の名前」として使用する事実、及びそれが社会的地位を示す指標として機能していた点は、武家や一般の常識とも共通する。

だが、朝廷で使用される正式な官名の種類は、武家官位とは比較にならないほど多種多様で、更にその「官名」は「転任」などと称して変更も頻繁に行われた。

この本の前半はこの様な江戸時代における名前の常識の解説に充てられている。だがこれは言わばプロローグに過ぎない。

世の中にはやたらと「正しさ」にこだわる人間が存在する。従来朝廷の許可の元名乗られていた名前が、今や殆ど勝手に名乗られている。その事に嘆息する知識人がやがて増えていった。「正名」論の影響を受けた尊皇論者は、名実不一致の現状を是正する事、すなわち「正名」の実現を目標に掲げる様になる。今は世の勢いから江戸幕府に禄を頂いているが、そもそも自分が従うのは朝廷の筈だと考える風潮が強くなってゆくのだ。この「正名」の希求こそが、明治初年における人名の混乱に大きく関係してゆく事になる。

七官制となった慶応4年閏4月21日以降、叙位された徴士はその位階を名前として用いた。すなわち「三岡八郎」は「三岡四位」へ、「中根雪江」は「中根五位」へ、「大隈八太郎」は「大隈五位」などと呼ばれる様になった。

ところが徴士は元来藩士である。その藩との関係から主君(諸侯)と同格の位階を帯びる事に抵抗があったのか、叙位を遠慮する者が続出した。そのため同職の徴士の中に、位階を拝受した優位者が「三岡四位」と名乗る一方、辞退した優位者が「後藤象二郎」など従来の一般通称を称し続け、両者が混在する状況が生じてしまった。これでは「名前」による地位の判別は出来ない。

正しい名前に拘った余り、事態を余計にややこしいものに変えてしまったのだ。

これに平民への苗字の強制が加わる。

苗字の公称は身分標識である。そんな常識が通用していた最中の明治3年9月19日、政府は突如「自今平民苗字被差許候事」という僅か11字の布告文を発した。

だが平民にとって苗字は、いちいち自分の名前にくっつけて名乗るものでも、毎度呼ぶものでもないのが常識だった。「苗字が名乗れなくて悲しい」とか「苗字を名乗れなくて不便だ」と言った意識は江戸時代の人間には皆無である。それが江戸時代の常識だったのだ。

だが僧侶にせよ平民にせよ、苗字が一族名であるか否かなんぞ、どうでもいいのである。「なんでもいいから」管理識別記号の「苗字」を「名」の上につけろ。それが政府の真意であった。

同月29日、政府は「取調に於て不都合」、つまり国民管理の上で不都合だと、苗字使用を強制する新たな布告を出すことを決した。「明治3年に苗字公称を自由化しているが、今後は必ず苗字を名乗れ。先祖代々の苗字が分からないなら、新たに決めて名乗れ」というのである。だが「なぜ苗字を名乗らないといけないのか」その理由を、政府は人々に何一つ説明しなかった。

本書の副題には「江戸時代の名前はなぜ消えたのか」とあるが、筆者はそれが「常識」だったから以外の何の説明もしていない。しかもその「常識」は、時に行き過ぎ、時に大混乱に陥り、時に無理矢理な押し付けといった、必ずしも合理的なものではなかったという事を、史料を示しつつ、丹念に解説している。

改めて伝統とは何かを考えてしまう本だった。

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