20200511

飯島耕一さん

7日間ブックカバーチャレンジ3日目。
今でこそ、その習慣も潰えてしまったが、息を吸うように詩を読み、息を吐くように詩を書いていた時期があった。
その頃最も影響を受けたのが、飯島耕一さんだった。
彼の『シュルレアリスムの彼方へ』を読んで、それまで只単に難解なだけだった現代詩が急に分かるようになってしまってからの習慣だ。
この『ゴヤのファーストネームは』を読んで、隅から隅まで理解出来ると感じた。
ここから『バルセロナ』『ウィリアム・ブレイクを憶い出す詩』『[next]』と読み継ぎ、飯島耕一さんの詩は、常に私の傍らにあった。
それどころかすっかり影響を受けてしまい、書く詩が飯島耕一さんの様なものに変わってしまいもした。
正直に告白しよう。私は飯島耕一さんのエピゴーネンだった。

今、飯島耕一さんの詩を読むと、ほろ苦い思いが伴う。

私が詩を書かなくなったのは、双極性障害の投薬を始めてからだった。
それ迄、詩を書かないと苦しくて仕方なかったのだが、薬が効いたのか、詩がなくても息が出来るようになったのだ。

私の詩は、「症状」のひとつの現れだったのかも知れない。

しかし、大学時代山梨の高校生に、私の詩は愛読されたこともあったのだ。

今住んでいる団地に引っ越すとき、蔵書の2/3を売り、日記、自作詩集の類は全て捨てた。
私は私が作った詩を読むことが、もう2度と出来なくなった。
その事は、少し残念な気がする。

しかし、詩は、間違いなく私のひとつの時代を形成していた。
飯島耕一さんの『ゴヤのファーストネームは』は、その時代を象徴する、大切な本なのだ。

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