20150415

『サイコパス・インサイド』

この本も都合3回読み直す事になった。

私は心理の専門家でもなく、脳科学に従事している訳でも無い。門外漢だ。なので友人の臨床心理士にこの本を紹介し、専門家から見たらこの本はどう映るかを確認してから感想を述べようと狡いことを考えていたのだ。
そのうちに時間が経って本の記憶も薄れ、再読したのだが、図書館で借りていたため予約が入り、2度目は途中で中断せざるを得なくなった。

そして今回3度目の再読となった。

最初前回読んだところから読み直せば良いだろうと思っていたのだが、内容をすっかり忘れていたため、最初からの再読となった。

それで良かったと思う。読んだ記憶はあるものの、前回読んだ内容は全くと言って良いほど頭に入っておらず、実に新鮮な気持ちで読み進めることが出来た。それに、3度目でようやく脳科学や解剖学用語が頭に入ってきたのだ。やっと理解したのだと思う。

サイコパスの定義は未だ確立されていない。だが「芸術作品」のようにそれを語ることは出来る。

定義できない。だがそれと分かる。

多くの人びとはサイコパスとして『羊たちの沈黙』のレクター教授を思い浮かべるだろう。

特徴は対人関係における共感性の欠如である。

ある日神経科学者である著者は大量の脳スキャン画像の中に奇妙な特徴を持つ画像を見いだす。それはサイコパスに特徴的な脳の部分的な領域における機能低下を示していた。そして次により驚くべき事実に遭遇する。その脳スキャン画像は著者自身のものだったのだ。

サイコパスの専門家自身がサイコパスの脳を持っていた。

この衝撃的な事実からこの本の物語は始まる。
眼窩皮質(目の上あたり)と扁桃体周囲の活動低下がよく分かる。

しかし著者はさほど動じなかった。彼は自分はサイコパスではないという確固たる自信があったのだ。

著者は人殺しや危険な犯罪を犯したことなどなかったし、それどころか科学者として成功し、幸せな結婚生活を送り、3人の子宝にも恵まれていたのである。

この事実は著者の科学的信念を大きく動揺させる。

サイコパスがサイコパスとして存在する条件とは何か?

それを探求し始めた頃、母から次なる衝撃的な事実を聞かされることになる。

父方の家系に数多くの殺人者が存在し、そのいずれもが近親者を殺害した疑いがあるという事実だった。

彼は遺伝的にも犯罪者の家系に属していたのだ。

著者は「三脚スツール」という名の理論を確立していく。サイコパスの要因となる3本の脚とは、
①前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機 能低下
②いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体
③幼少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待、異常
である。それは著者自身の人生との間にも、十分 に折り合いを付けられるものであった。

この研究成果発表に乗じたカミングアウトもまた、パンドラの箱を開ける行為であった。ある日講演前の打ち合わせにおいて、同席した医師から双極性障害を患っているのではないかという指摘を受けるのだ。

この瞬間、彼の人生で起こってきた出来事、喘息、アレルギー、パニック発作、強迫性障害、高度の宗教性、不眠、快楽主義、個人主義...。様々な症候群が、一本の線でつながり出す。

やがて彼は、自分自身が向社会的サイコパスであることを受け入れる。たしかに反社会的な特性はなく、怒りをコントロールすることが可能で、犯罪歴がないことも紛れもない事実であった。だが、対人関係的特性、情動的特性、そして行動的特性に関して、サイコパスの特性となる項目の多くが該当していたのである。

これまでの人生における自己認識そのものを疑う必要性に迫られた彼は、自分に共感が欠けていたことを確信し、周囲の人間に自分の人物像を聞き回っていく。 自らが主観と客観の架け橋となり、同一性のギャップを埋めようとしていく様は、それ自体が数奇な物語であり、自分探しのための巡礼の旅でもあった。

この本は自己発見、自己理解、自己変革を遂げてゆく波乱に満ちた自伝であると共に、最新の脳科学の解説と科学的発見─その挑戦と冒険の物語になっている。溢れかえる脳科学の用語、特に解剖学用語にはかなり翻弄されたがお蔭で脳科学の知識が飛躍的に増えた。

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