3月25日の日記には
心に響いてこないので中断とすら書かれている。
その後何とか読了したものの、殆ど内容を把握することが出来ず、辛うじて末尾のテープ起こし「『最後の親鸞』ノート」でようやく意味を拾い上げることが出来た有様だった。
友人から親鸞のなにに魅力を感じているのか?と問うメールを頂き、それを探すために読みかえしてみた。
ようやく理解出来た。
深く頷ける。
吉本隆明はこの本で、記録されることがないままに放置されている親鸞の「到達点」を、記録された文言から再構成する事を試みているのだろう。
親鸞がその思想を築き上げていた時代、世の中は平穏ではなかった。災害や飢饉が頻発し、それに対する人間の側の力は無に等しかった。
極言すれば親鸞は飢えて死につつある人びとに向かって、どんな自力の計らいをも捨てよ。〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が阿弥陀の本願に近づきやすいのだと説いていたのだ。
しかも親鸞は宗教という一種の組織人としては恐ろしく大胆な宣言も発している。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり(歎異抄)
これはどの様に解釈したら良いのだろうか?
無論、そのままを読めば良いという立場も十分に成り立つだろう。
だが、これを言いながら親鸞は教えを「広め」つつあったのだ。
それが両立したのはいかなる〈業縁〉だったのだろうか?
信徒を突き放すような言動はこれに留まらない。
念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおんはからひなりと云々
もはや念仏を唱えよという教えすら放棄している。
宗派人としての親鸞の、自己放棄を意味する言葉でもある。
思えば自力作善というものは、それ自体が自我への深い執着なのではないか?それが私が他力の思想に惹かれた最初の気付きだった。
親鸞はその他力の思想を極限まで突き詰めた。
その結果として組織としての宗教性をも解体する境地にまで達したのではないだろうか?
つまり称名念仏そのものにも自力の匂いをかぎ分けてしまうほどに。
そこまで達してしまった親鸞という人物の言動が(完全に親鸞のみの言動とは断定できないのかも知れないが)現代にまで生き延びてきたと言う事は、それ自体が奇蹟のように、私には思えるのだ。
『最後の親鸞』は、宗教をこのような仕方でここまで理解している人に初めて会ったという仕方で吉本隆明を信頼できる人として私に印象付けました。だから、この本が読みにくいというのが不思議です。でも、いけださんにとってそうであったのだから、他の人々にとってはもっと取っつきにくいものなのだろうと思いました。
返信削除宗教の考え方は、それにどれだけ頷く事ができるかなのだと思います。
返信削除最初読んだとき、私は殆ど深く頷ける文章を見いだすことが出来ませんでした。
恐らく吉本隆明の意図を理解することが出来ていなかった事と、他力の思想を知から入ろうとしていたことが原因だと思います。
私の読解力がその程度のものと言う事もあるとは思いますが…。