20140511

『アル中病棟』

その緻密な観察眼に驚いた。

前作『失踪日記』はこの『失踪日記2 アル中病棟』への序章に過ぎなかったのではないか。そう思わせるほど充実した作品に仕上がっている。
私は今ではもう一滴も呑まなくなっているが、若い頃は激しく呑んでいた。なのでアル中への恐れは人並みに持っている。
それでも(と言うよりそれだからこそ)『アル中地獄(クライシス)』 や本作を読むと身の毛がよだつ。決して人事ではないのだ。

それにしても実に客観的に物語にしているものだと感心する。

恐らく思い出したくないような体験でもあっただろう。ギャグ漫画家の性なのだろうか?一歩も二歩も引いた立ち位置からアル中病棟を冷静に観察し、描いている。

これ程自覚的に生きることが出来るならば、アル中なんぞ簡単に克服出来るのではないかとも思うのだが、そうは行かないのがアル中のアル中たる所以なのだろう。恐ろしい病気だ。

ラストに漫画家とり・みき氏との対談が載っている。非常に良い作品紹介になっている。単独で公開した方が良いと思っていたところ探したらネタバレなしのヴァージョンがWebに公開されていた。


1998年12月26日、漫画家吾妻ひでおは妻と息子に取り押さえられて、都内のA病院に入院した。精神科B病棟(別名アル中病棟)である。

そこに至る経緯はイントロダクションに描写されている。

恐ろしい。なんか恐ろしいね。恐ろしいと頭で考える自分の声すらも恐ろしいんだよね。

B病棟には多くの先客があり、また後からも次々と新しい入院患者がやってくる。吾妻はその全てに顔を与える。20人を超えるキャラクターが、生きた人間として動き回っているのだ。彼らにはそれぞれ強烈な個性がある。

最も強烈な印象を残すのは吾妻と同室になった浅野で、彼は片付けがまったくできず、さらには計画性がないので月の小遣いを支給されるとすぐに使ってしまう。金がなくなると、新しい入院患者に対して寸借詐欺を働くのである。さらに、夜中に病室の中で小便をする奇癖もあり、吾妻を困らせる。


その他、フルコンタクト空手の有段者で気性の激しい安藤や、自己中心的な性格の杉野、修道院上がりという謎めいた経歴を持つ御木本、患者から100円ずつせびっては貯金し○○○(と書かれているがおそらくソープ)に行く福留など強烈な個性の持ち主が揃っており、集団劇として読んでもおもしろい。これだけ多くの人間を出して、しかも読者を混乱させずに描き分けるのは困難な技であるはずだ。

入院患者たちのある者は無事に三ヶ月の満期で退院するが、いつまでも病院から出られない者もいる。問題を起こして途中退院する人あり、病院の外で飲酒して再入院してしまう人あり、彼らの人生は決して明るいものではない。
看護師の1人は言う。

「私たち看護師にとって一番うれしいのは、退院していった人達が次の週呑まずに通院してくれることです」

と。つまりそれくらい、「呑んでしまう」「行方不明になる」人間が多いということなのだろう。

作中にも書かれている。

統計によるとアルコール依存症患者は治療病院を退院しても1年後の断酒継続率はわずか20%、ほとんどの人は再入院もしくは死んだり行方不明になったり。

作中で(そして確実に現実でも)吾妻ひでおは無事退院する。

来たときはタクシーに押し込められてだったが、今度は病院からひとりでバスに乗り家へ帰る。

そこからのラスト3ページは恐らく漫画史に残る名シーンだ。

俯瞰で背後からと前方からのショットが一枚ずつ。周りの人びとは吾妻と無関係に日常を生きている。

そして突然視点が仰角に変わる。

広々とした空。

しかし開放感はない。

「不安だなー。大丈夫なのか? 俺……」

そう。私たちはこの広い空の下で、広すぎる世界を歩いて行かねばならないのだ。

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