20130408

ETV特集-“原発のリスク”を問い直す

4月6日、ETV特集で『“原発のリスク”を問い直す〜米・原子力規制元トップ福島への旅』という番組が放送された。
新しく重要な視点が提出されているように感じたので、録画したものからのメモを公開する。

米原子力規制委員会(NRC)の元委員長Gregory Jaczkoさんの発言を中心に番組の流れを追う。資料、感想を挟むことがある。

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浪江町
Gregory B. Jaczko
一度に3つの原発がメルトダウンすることは予想していなかった。
→重大な原発事故は何をもたらすのか?

未だに15万人以上の人々が避難生活を送っている
今迄とは違う原発の安全基準が必要だと強く考えるようになりました。大規模避難の危険がないと保証出来る場合のみ、原発の稼働を許可すべきです。(Jaczkoさん)
(以後、この考えは何度も繰り返される)

Jaczkoさん福島への旅を決意。
現在100mSv近く。
原子炉内部の様子ははっきりせず、メルトダウンした核燃料を取り出すには大きな困難が待ち受けている。
先日には、使用済み核燃料プールの冷却が出来なくなるというトラブル発生。
政府は事故は収束しているという状況にないとしている。

実際に原発事故を経験した浪江町の人たちと直接話したいと思っています。原発を考える時、周辺の住民がどの様な影響を被るのかを忘れがちだからです。長期の避難生活が人々にどんな影響を与えるのかを学びたいのです(Jaczkoさん)

NRCの委員長は大統領によって指命され、原発の安全を監督する大きな権限を持っている。

Jaczkoさん、特別チームを発足:原発の安全性を問い直そうと考えた。
先ず手を付けたのは原発そのものの安全強化
事故から4ヶ月後には報告書をまとめた。
21世紀の原子炉の安全強化への提言」(リンク先はpdfファイル)
たとえ主電源を失っても72時間は原子炉を冷却出来るようにする為の新たな安全対策を法的な強制力を以て電力会社に求めること
→Jaczkoさんは委員会で孤立。
表面化したのは34年振りとなる新たな原発建設を進めるかどうかの対立。5人の委員の中でJaczkoさんただひとり反対。ヴォーグル原発:ジョージア州
福島の教訓から学ぼうと安全対策の強化が提言されています。やるべき事が沢山あるのです。福島のような事故が二度と起きないと保証されない限り賛成出来ません。(Jaczkoさん)
福島の事故を受けた安全対策の強化がまだ実行されていない中で建設を急ぐ必要はない。
→NRC委員長辞任 去年(2012年)7月)

【資料】米原子力規制委員会のヤツコ委員長が辞意表明

1ヶ月後、福島浪江町へ
これまでの原発の安全に関する考え方には何かが決定的に欠けていたのではないか?

浪江町は警戒区域と計画的避難区域に分けられ、2万1千人が避難。
3.11のまま。
ここを歩いていると、もはや存在しない暮らしの跡が痛々しく迫ってきます。多くの人がここに来て、何が起きたのかを自分の目で見るべきです。重大な事故を招いてしまった事に、私たち原発関係者は弁解の余地はありません。事故から学び、この地球上で2度と同じ過ちを繰り返してはなりません。(Jaczkoさん)
 (Jaczkoさんを“孤立”させているのは、原発関係者だけでなく、私たち自身もなのではないだろうか?私たちは福島で「何が起きたのか」をきちんと見ているのだろうか?)

これまでJaczkoさんを始め、世界の原発関係者は原発のリスクを考える時、死亡率を基準としてきた。アメリカMITのラスムッセン教授が1975年に発表した研究が元となっている。
原子炉安全性研究
原発事故が起きて放射能に被曝し、短期間に人が死亡する確率を計算。その確率を自動車、転落、火事、水難、銃火器などと比較してみると、極めて低いものだった。
試算では50億分の1。例えば隕石が落ちて人が死亡するより低い。
安全なものとされた。
技術者は自分が想定する範囲内でしか事故の可能性を捉えられません。もしかしたら想定外の欠陥や事故があるかも知れません。しかし、そんな“想定外”が起きる可能性は著しく低いというのも真実です。100年近く私たちは似たようなシステムを使ってきました。ポンプ、パイプ、発電用タービン。そうした機器が同時に壊れる事などほとんどないのです。(Norman Carl Rasmussenさん)
 しかし、“想定外”の事故は起きた。
スリーマイル島原発事故
機器の故障に人為的なミスが重なり、核燃料のメルトダウンが起きた。
15万人が避難した。だが、放出された放射性物質の量が少なく、住民はすぐに戻った。
→事故が住民に与える影響を原発関係者が深刻に考える事はなかった。

NRCの安全目標:重大な事故が起きて放射能が漏れ、死亡者が出る確率を一定の基準下に抑えることを求めている(死亡率0.1%を超えてはならない)。

一方で今回の福島の事故のような、土地の放射能汚染や住民の長期に渡る大規模避難といった事態は考えに入れてこなかった。
Jaczkoさんも同じだった。

しかし、福島の事故はスリーマイル島の事故とは違っていた。15万人以上の人々が長期間に渡って避難を強いられている現実。もっとこの事に目を向けるべきだ。

Jaczkoさんは気付いた
日本では大勢の人々が住む土地を追われ、人生と未来を奪われたままです。これは想像を絶する苦難であり、2度と繰り返してはなりません。私たちは最も基本的な問題を自らに問い直さなければなりません。健康被害がほとんど出ていないからと言って、放射能の大規模放出を容認出来るか?現行の安全基準をもとに判断すれば、答えはYesとなります。しかし、福島の事故後の業界や政府市民の不安をもとに判断すれば本当の答えはNoであることは明らかです。(Jaczkoさん)
 しかしJaczkoさんの問題提起は世界の原発関係者の間で大きな反響を呼ぶことはなかった。

浪江町の役場も移転した。
2年前(2011年)の3月、浪江町の人々は原発事故の情報が皆目得られない中、突然の避難を強いられた。

3月12日、午後7時、浪江町津島地区支所(原発から30km近く)
東京電力からも政府からも福島県からも連絡がなかった。(浪江町)災害対策本部で判断。
原発から5kmの所にあるオフサイトセンターに設置された政府(官邸)の 災害対策本部の前線基地が機能せず。

事故の翌日(12日)原発から20km以内に避難指示が出たとTVで知って、馬場町長は津島地区への避難を決定(30km離れている)。
しかし、実際には放射性物質は津島の方向に拡散していた。
政府は予測システムSPEEDIでこの情報を知り得る立場にあったが浪江町に連絡なし。

福島第一原発が稼働し始めたのは42年前。原発事故が起こり得ることや周辺住民にどんなリスクが降りかかるのかが詳細に検討されることはなかった。
国は原発の安全性を強調し、リスクの説明には消極的だった。
(パンフ)シビアアクシデントの発生は考えられない。

今迄とは違う原発の安全基準が必要だと強く考えるようになりました。大規模避難の危険がないと保証出来る場合のみ、原発の稼働を許すべきです。それが最終目的であり、正しい道だと、ここ(浪江町)を訪れて本当に痛感しました。大変な労力を要すると思いますが、必ずやるべき仕事です。(Jaczkoさん)
 柳田邦夫さんとJaczkoさんの対話
原発関係者は原発のリスクを根本から捉え直すべきだ。最も重視したいのは“被害者の視点”から事故を考えるという事だった。(柳田邦夫さん)

事故を調べることは被害者を調べること。16万という数字ではなく、ひとりひとりの悲劇が16万ある。原子力と我々はどこ迄共存出来るのか?(柳田邦夫さん)
とても難しい質問ですね。それぞれの社会が違った角度から答えを見付けていくのだと思います。リスクを受け入れる社会がある一方で、受け入れない社会もあるでしょう。確かに今回のような重大事故は受け入れ難いことです。電力会社、規制機関、政府はこのような事故を防ぐ方法を見出さなければなりません。
原子力が、今後も、それがどの国であれエネルギー源としてあり続ける限り、本気でこのような事故を防ぐという目標が欠かせないでしょう。(Jaczkoさん)

去年(2012年)9月、原子力規制委員会発足。
早くも信頼性が失われつつある。

(ここでのJaczkoさんの発言は非常に重要な内容を含んでいる。)

誰が役割を担うべきか?
規制機関に法的な独立だけでなく、機能面でも独立していなければなりません。原発の検査や確認を行い、判断を下せる人材を独自に確保しなければなりません。それは非常に難しく継続的な人材育成が必要です。
原発の安全を考える上で大きな問題は、事故を確率論で考えてしまうことです。事故の確率が百万分の一でも「明日起こらないとは限らない」という事を忘れがちです。百万分の一の確率とは、「百万年に一回しか起こらない」という意味ではないのです。
規制機関が判断力を働かせ、想定外と思われる事態に対しても、対策をする必要があると決定を下さなければならないのです。
今回の規模の津波が過去にも起きていたという指摘があります。千年や二千年に一回というのは、大いにあり得る話とは言えません。けれど実際に起きたのです。起きてしまってから「対策の不備」を指摘しても意味がありません。
電力会社は「起きる確率の低い」事故に注意を払おうとしません。規制機関は「起きる確率の低い」事故に目を向け、難しい決断を下さないとならないのです。
NRCで 私が常に言ってきたことは「信頼を得るということは大変だが、失うのは容易だ」という事です。失った信頼を取り戻すには時間がかかります。信頼を失わないようにすることが大切なのです。

Jaczkoさんが辿り着いた結論

本当の意味での住民との新しい契約が必要です。社会に重大な影響を与えるような事故を決して起こさないという契約です。
原発の安全の新しい考え方で、必ず実行すべきだと思います。
原発事業者や政府には責任があるのです。周囲の住民に甚大な被害を与えてはならない責任が産まれるのです。
福島の事故は、住民との契約が欠かせないと言うことを明らかにしました。大量の放射性物質の放出や住民の大規模避難を許さないという契約です。
住民と原発事業者との間に、新しい「社会契約」が欠かせないのです。

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原発の安全性、原発のリスクを根本から問い直すというJaczkoさんの姿勢は評価出来る。新しく、そして重要だ。

だからこそ、Jaczkoさんは孤立するのだろう。

だが、Jaczkoさんがまた、原発を維持するという事を前提に考え、発言しているのは否定出来ない事実だ。

それは「原発関係者」であるしかないJaczkoさんの持つ限界だろう。

そもそも「大規模避難の危険がない」という状況は現実にはあり得るのだろうか?
私にはないとしか思えない。

だとするならば、原発から全世界が足を洗うしか、責任ある態度を保つ方法はないと思えるのだが…。

その視点や選択肢はこのETV特集では全く触れられていない。

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