20080617

焦り

朝、菅平と横手山に傘雲が掛かっていた。やはり天候は下り坂に入るのかも知れない。

意欲が湧かない事が焦りにつながっているようだ。

机横の本棚からカレル・チャペックを片付け、ゲーテの『イタリア紀行』(岩波版)とラブレーの『ガルガンチュア』『パンタグリエル』を持ってくる。

…これは、焦っているな。と気付き、再び片付ける。

会話ではなく、文学をやりたい。その気持ちは強い。
だが、フランス語もドイツ語も、聞き取れず、言い表す事も出来ていない。
最初は目指すところの指標のつもりで持ってきたのだが、これは以前、『若きパルク』や『ハーフィズ詩集』を購入した時と全く同じ事を繰り返している事に気が付いたのだ。

現在わたしの能力ではフランス語会話とドイツ語会話のテレビ放送の予習・復習、そして少しずつ読んでいる『Werther』だけで手一杯なのだ。そのような状態が4ヶ月ほど続いている。

わたしが天才ならばテレビのフランス語・ドイツ語会話など余裕でこなし、『Werther』も既に読み終わっているだろう。だが、わたしはもっと安心した方が良い。天才ではなかったようだ。現在やっている事だけでも殆ど自分の限界を超えつつある。

わたしの足は一歩ずつしか先に進まない。

かつて、子供だった高校生の頃は思い上がっていた。理科系か文科系かを選択するとき、文科系の勉強ならば自分ひとりでもやってゆけると考えたのだから。

この歳になってフランス文学の奥深さを思うと、目が眩むような遠い道のりを感じる。あの意味の豊かさをどの様に学んでいったら良いのかも良く分からない。ドイツ文学然り。最近も繰り返し読んで来たゲーテの本の有名なシーンで出て来る作家の名前によって示されている作品を教わったばかりだ。そのような事は同時代人か、ゲーテ研究者でなければ知る事は出来ないものと勝手に決めつけていた。今思うと、調べようと思えば何とか辿り着けたかも知れない。調べる術を知らなかったのだ。この情報化の時代に…

だが、理科系を選択した事は幸運だったと思っている。
高校の頃は、文学ばかりに熱中していた。あのまま文学部に進んだらわたしの世界はさぞや主観的なものになっただろう。

理科を学ぶ事で、客観的な観察眼と、論理的な思考を学ぶ事が出来た。

とは言え、そのまま学者にならずに良かったとも思っているのだ。

地質学のそうそうたるメンバーが集まる掲示板を読むとその思いが強くなる。
あれはあれで良い。そうも思っているのだが、現在の科学を専攻して、バランスの取れた世界観を獲得する事は、ゲーテの時代と比べてはるかに至難の技となっている。彼ら学者の世界は極めて狭い。世界を狭くしても尚、学問の行く手は遠い。勿論例外的な人物は結構居るのだが…

ふと思う。現在の学者たちが営んでいる事の殆どはある情報を別の形の情報に翻訳する事と、溢れかえる情報を整理する事なのではないかと。

このような事を思いながら、わたしは理科系でも文科系でもない、どっち付かずのろくでもない人生を終えるのだろうが、わたしはそれでも良いと思っている。

古いタイプなのだろうか?『若きウェルテルの悩み』と『イタリア紀行』には深い思い入れがある。かなり自分の人生と重ね合わせて読んでいると言って良い。
ゲーテとわたしの違いは、脱走の期間の長さに如実に表されてはいるが…

ゲーテはきちんと短期間で脱走を終え、「帰って」来ている。わたしは遂に帰ることが出来なかったような気がするのだ。

「行きっ放し」のファンタジーが何と多い事か。それは科学にも言える事だ。

科学であれ、ファンタジーであれ、その成果は公共性の場に戻る事なしに十分な責任を果たす事は出来はしない。

ところで公共性とは、どのようにして獲得されたものなのだろうか。または歴史の中で何かが変質して来たものなのだろうか?

神話になぞらえて言えば、イピゲーニエ以来連綿と続けられて来た復讐劇が、オレステスで途絶えたのは何故なのだろうか?恐らく、オレステスは公共性の名の下に生きながらえる事が出来た。わたしにはその様に思えて仕方がない。

会話のレッスンに飽きると、途端にわたしはそのような事を考え始める。

語学のテキストの内容は、わたしの現実とは殆ど関わりがなく、機械的に予習をしていると、思考はどんどんそこから逃げようとする。
けれど、日本語とは明らかに異なる言い回しや慣用句に出会う事は多い。
その中に、わたしたちとは異なる思考形態を見いだす事は容易い事だ。

語学を学ぶ事の魅力のひとつは、日本語の思考形態とは異なる、別の思考形態に出会い、それを理解してゆく悦楽なのかも知れないと、最近になって思うようになった。
多分その理解を欠いたところで、公共性という概念のひとつも充分に理解する事は出来ないのではないだろうか?

神話は復讐劇に満ちている。
肉親を殺された者は復讐して良いし、復讐すべきである。そうした法に則って、社会が動いていた時代が確かにあったのだろう。

現在、復讐の連鎖を如何に断ち切るかという視点から、様々な議論が行われている。
だが、それとは異なる思考形態が明らかにあったのだ。

そして、世界の異なる地域では、異なる歴史の産物として、公共性という概念が支配的になった。

異なる思考形態には異なる歴史がある。恐らくそれは言語の中に刻み込まれていると、わたしには思える。

それを読み取りたい。
…やはり文学志向が強いのだろうか?言語を単なるコミュニケーションツールとしてだけ扱う気にはどうしてもならない。

具体的なレッスンに戻ろう。

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