20080212

Die Liebe geht durch den Magen.

今日(12日)は天候が目まぐるしく変わった。窓から外を見るたびに違う天候だったような気がする。雪と曇りの境界部に位置していたのだろう。少し前は吹雪だった。窓ガラスがガタガタと音を立てた。

長い文章を読んでいたこともあって、またBlogの更新が途絶えた。

途絶えている間、何人かの人と再会することを熱烈に願った。
Blogのレイアウトも少し変えた。
なかなか似つかわしい画が見付からず、パウル・クレーの『別れ』を置いたが、尚のことBlogは寂しい感じになってしまった。
これが、今のわたしそのものなのかも知れない。

わたしが必要としているのは「別れ」なのだろうか?

その人たちとは過去のある時期に強く交わったのだが、今では行方も分からない。
このところ、無性にその人たちに会いたいと願うようになった。

読んでいた長編小説の中に、それらの人びとを見出してしまっていたのかも知れない。

その人たちが今、どうしているかを知りたいと激しく願っていた。今、どうやって生きているのか?と。

だが、実のところどうなのだろう?わたしが会いたがっていたその人たちとは、かつての「あの日の」その人だったのではないだろうか。今はそう思えるようになってきている。
実際に会ったところで、何をしたら良いと言うのだろう?

十代の終わりに、全てを断ち切るようにして、この地を離れた。

わたしはあの時、それらの人々との関係をもまた断ち切って生きてきたのだ。

結局は「あの日」に、わたしは戻りたがっているだけなのかも知れない。いや、多分そうなのだろう。
感傷だ。

ここに帰って来て何年になるのだろうか?最初の頃、わたしは過去の人間関係を復元する事から、この地に根付く切っ掛けを得ようとしていた。焦りも、確かにあったと思う。全て失敗に終わったとしか考えられない。

新しい関係をひとつひとつ作り上げてゆかねばならないのだろう。「あの時」と今を結び付けようとしても一切は無駄な足掻きだ。

雪は降り続いているが、もう、窓ガラスは音を立てるのをやめた。

独り立ち、しなければ…頭をかきながらそう思う。ちっとも独り立ちできていない。

人生は一度きり。
ならば今を生き切るしかないではないか。

わたしが今を生きる生き方をする事が出来始めたら、いつの日か、彼らとも会えるかも知れない。…だが、本当に生きているのかなぁ。彼らは。

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島へ

見知らぬ人よ
あなたはどこにいるのですか?
めぐり合いを信じていますか?
ガラスの廻転扉を一つ回ったらあなたの胸にぶつかるでしょうか?
都会の海に漂い島を探し続けています。
さすらう人よ
あなたは歩き続けますか?
つなぐ掌と掌求めていますか?
心の水平線さえいつか見つけたら
あなたと私出会えるでしょうか?
結ばれ睡る緑の島を探し続けています。

曲・武満徹

2 件のコメント:

  1. 何か響くものがあって立ち止まってしまいました。
    以前、過去の人たちに会いたいと思い、会うことが楽しいと感じる時期がありました。
    会いたいのは多分濃密な時間をともにしたことのある人たちです。
    会うことによって、かつての濃密な時間が戻ってくると思っていたのかもしれません。
    今は、もうそういう思いはありません。
    今がすべてと言い切れるほどいさぎよくないけれど、過去も未来もどうでもよくなってしまって。
    それに今は、皆、同じ時間の中を生きているんだ、という感覚があります。

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  2. いつもコメントを寄せて頂きありがとうございます。
    その日のうちに気が付いていたのですが何と返事してよいのか迷ってしまい、遅くなりました。

    今迄の人生の60%を東京で送ってしまったわたしには故郷と呼べる場所が実はありません。
    幼少の頃ここに居て、思春期までの大切な時期もここで過ごしたのですが、実質東京育ち。
    その東京から帰ってきてもなかなかここに戻り切ることが出来ないのです。

    この選択は自分自身で下したものですが、何と言うか…甘えなんでしょうね、無性に子供の頃当たり前のように身の周りにいた人たちに会いたいと時々おもいます。
    けれど、生きているのかすら分からない。皆、どこかに行ってしまったらしいことは分かってきましたが、どこに行ったのやら…

    同じ時間の中を生きているんだと実感できるJasmineさんがどこか羨ましく思います。

    結局、新しい時間の中を生きて行くしかないのですけれど…

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