20250210

枯木灘

決して、中上健次を舐めていたのではない。そのような大それた事はとても私には出来ない。

だが、さほど厚くないこの本を手に取って、1日か2日あれば読み切れるだろうと算段していた。


その甘い見積もりは、最初に本を開いた時に、脆くも崩れ去った。昔の文庫本の様に、活字がやけに小さいのだ。

これは長編だ。その時私は覚悟を決めた。

読み始めてみると、その濃密で力強い文体で語られる文章自体の持つ迫力に引き摺られる様に、中上健次の物語世界にぐいぐいと引き込まれた。

しかし困難はまだあった。

登場人物がとても多く、その関係が実に複雑なのだ。

巻末に付いている人物相関図を、いちいち参照しなければ、筋を追う事すら出来ない状態だった。

その為、最初は1日に15ページから20ページを読むのが精一杯だった。人間関係が、一通り頭に入ってからは、読むスピードも上がり、中上健次ワールドにどっぷり浸る事が出来る様になった。

結局、まるまる4日間かけて、『枯木灘』の世界を縦横に彷徨い歩いた。

体力のある作家だ。その意味では日本人離れしているのかも知れない。だが。その彼が語る物語世界は、土の匂いのする、極めて土俗的な世界である。

どちらかと言うと、アカデミズムの世界を彷徨って来た私とは、異なる世界に生きた人物なのだと感じた。

中上健次は、故郷である紀伊半島に、強いこだわりを持った作家である。紀伊半島は良く歩いた。だが私の紀伊半島は四万十層群が露出する、地質学的に興味深い場所であり、同じ紀伊半島でも、中上健次が見る、男と女が絡み合い、蠢く地方とは、全く別世界である様に感じる。

私の紀伊半島が世界に開かれた場所であるのに対して、中上健次の紀伊半島は、半島性がもたらす、閉塞的な、閉ざされた世界である。

その知らない世界を、私は中上健次を読む事で、生きる事が出来る。

中上健次を読む意味を、私そこに見出す。

『枯木灘』に登場する人物達は。決して正しく生きようとはしていない。けれどとてつもなく逞しい。石牟礼道子の書く方言は、そこに美しさを感じたが、中上健次の書く方言は、どこまでも力強い。言葉の持つ美は、様々な煌めきを放つ。

物語後半、私は確かに『枯木灘』の世界に強く感動していた。

未だに、どこに感動したのか巧く表現することが出来ない。だが、私は確かに『枯木灘』の登場人物達に共感していたのだ。

中上健次と言う作家に、暫く拘ってみようと思っている。次に何を読むのかは、まだ決めていない。

『枯木灘』の世界は、地獄の様に煮えたぎっていた。

20250201

アーレントと赦しの可能性

「反時代的試論」と名打たれている。

「あとがき」でも触れられているが、これはニーチェの『反時代的考察』へのオマージュだろう。

ハンナ・アーレントの著作の翻訳も手掛けている、森一郎氏の時代論である。


恐らく、第一部第一章にある「アーレントのイエス論」を、世に出したいという意図から編まれた論集だろう。非常に意欲的で、魅力的なハンナ・アーレント論になっている。

敢えてニーチェの反時代的を引いたのは、著者の時代に流されまいとする意志を反映しての事だと思う。

第三部第六章の「テロリズム・革命精神とその影─テロリズムの系譜学」には、テロリズムを全否定してよしとする、現在の論調に、敢然と立ち向かう姿勢が貫かれている。その論調は、読む者を、時代に迎合してしまいがちな日常から引き剥がし、古代ギリシアから連綿と続く、哲学の文脈の上で、立ち止まって考えるという行為へと、誘(いざな)っている。

立ち止まって考える事は、この文章読解して行く際にも必要だ。夥しい言葉たちが、この論集では省略され、省かれていると感じる。論に飛躍と思われる箇所が多数あるのだ。

だが、その省略された言葉たちを、各文章から丁寧に推察し、補って行く作業を厭わなければ、これらの論は。決して飛躍したものではなく。十分に考察され、練られた議論である事が納得出来る。

世に溢れるテロリズムへの皮相的な批判に於いて、そのテロリズムという語が、いかに無思考なまま流されているものであるのかが。はっきりと目に見えてくる。

通読して感じるのは。森一郎氏が、彼が訳したハンナ・アーレント『人間の条件』ドイツ語版の翻訳『活動的生』を、いかに大切なものとして扱っているかという事だった。

本論を通底して流れている意図は、本論をきっかけとして、『活動的生』を読んでもらいたいというところに、本音があるのではないかと読んだのは。穿った考えに過ぎるだろうか?

だが、第一部「赦し」、第二部「労働」、第三部「テロリズム」と深められていった思考が、第四部「出生」で、いきなり失速していってしまったように感じたのは。私の偏見だろうか?単なる科学技術批判(または悲観)に堕してしまっている様に、私には感じられた。この段で、本書が閉じられているのは。本書の深刻な弱点になっていると感じるのだ。