結局、解題を4回、本文を3回読んだ。
本書ジュリア・クリステヴァ『ハンナ・アーレント講義─新しい世界のために』はJulia Kristeva, Hannah Arendt: Life is a Narrativeの全訳である。
本文はクリスティヴァがトロント大学の「アレクザンダー・レクチャーズ」に招かれておこなった連続講義である。
敢えて「新しい世界のために」という副題に変えたのは、誤解や無理解を防ぐと共に、アーレントの「生(life)」という概念の内実をどう受け止めるかを示すためであるという。
聴衆が恐らく専門家ばかりだったせいだろうが、記述がいきなりかなり高いレベルから始まっており、ついて行くのにかなり難渋した。特に第4章は未だに理解出来ているとは言い難い。だが、未消化ながらハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んでおいた事が功を奏した。 3回目でようやくクリステヴァの連続講義の内容も頭に残るようになったのだ。
そうでなかったらこの本はクリステヴァの講義の訳の体裁を採っているが、読むべきは訳者青木隆嘉の書いた解題であると結論していたかも知れない。
3回読み直して、やっとクリステヴァの講義もまた見事なものである事を咀嚼出来た。
クリステヴァはアーレントの哲学の〈生〉の概念が〈活動〉を意味することを明らかにし、その〈生〉が〈語ること〉と切り離すができない存在である事。つまり両者は〈思考〉に於いて結晶するという、アーレントの思想の根幹をリアルな語り口で表現している。
また歴史の基本構造を構成するものを「約束と赦し」の内に見出して、それを「判断(裁き)」との関連に於いて論じている。
さらにクリステヴァはアーレントに見出される矛盾や問題点も的確な手さばきで指摘し、独自の見地から真っ直ぐな批判を加えている。
最初に読んだ時はクリステヴァの講義の内容が全く分からず、添えられた「解題」の見事さだけが頭に残った。この「解題」はそれ自体がハンナ・アーレントの思想の構造・構図を的確に描き出している。
この「解題」さえ読めば、この本を読む意義があったとすら思えた。その思いは未だ否定出来ないが、講義の内容がおぼろげながらつかめてくると、両者が共鳴し合って響いてくるのをやっと感じることが出来る。
確かにこの本はクリステヴァの講義と「解題」が奏でる、妙なる協奏曲だ。
20151019
20151013
『身体巡礼』
ハプスブルク家の一員が亡くなると、心臓を特別に取り出して、銀の器に入れ、ウィーンのアウグスティーン教会のロレット礼拝堂に収める。心臓以外の臓器は銅の容器に入れ、シュテファン大聖堂の地下に置く。残りの遺体は青銅や錫の棺に入れ、フランシスコ派のひとつ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置く。つまり遺体は三箇所に分かれて埋葬される。
なんとも奇妙な埋葬法と思える。
だがあちらにしてみれば火葬なんぞ、相当に残酷な埋葬法だと思うだろう。何しろ最後の審判の時、戻るべき身体を焼いてしまうのだ 。
話はここから始まる。
養老孟司の『身体巡礼─ドイツ・オーストリア・チェコ編』だ。
養老孟司さんには、解剖学を教わったことがある。当時は全く有名ではなかった。
本を数冊書いていたが、それ程売れているとは思えなかった。
その頃の本は毎回こうして始まっていた。
こうしてと言うのは、死体なり虫なり具体的なモノの話がまずあり、そこから独自の視点が展開されるという書き方の事だ。
売れるようになっていきなりの人生論になった。
こうした内容なのならば、他にも書ける人は沢山いるだろう。
養老孟司という個性が死んでしまうようで、私としては悲しいと言うか、残念だった。
今回はいきなり死体の埋葬法の話だ。
こうでなくちゃいけない。
しかも養老孟司の興味はその埋葬法に留まらず、誰がやったのかという方向にすぐ向かう。
普通、奇妙に思える儀式はその奇妙さを描いて少し遊ぶ。その遊びがない。ますますこうでなくちゃいけないの思いが増す。
ここからヨーロッパの心臓信仰の話が深まってゆくのだ。
明治時代以降。日本は欧米を目標に頑張ってきた。なのでヨーロッパのことは何となく詳しく知っているように感じている。
けれどこのような埋葬法や心臓信仰の話を知るとなかなか知らないヨーロッパがまた見えてくる。
さらにユダヤ人への関心に話が飛ぶ。
ユダヤ人とは誰のことか。
実はそれ程簡単な話ではない。単純な見方は出来ない。
出来ないが差別はある。どうしたらそれが可能なのか。その辺りのことが日本人には実は見えていない。
ヨーロッパではそれが目に見える形で現れている。
例えば墓の位置など、明瞭にユダヤ人は差別されている。
しかもユダヤ人は墓を壊さないから窪地に膨大な数の墓が累重してしまう。
異様な光景だ。
その異様さは外国人の方が感じることが出来るのかも知れない。
かくしてヨーロッパの埋葬法から様々な世界が見えてくる。
久し振りに解剖学者養老孟司の本を読んだ気がする。やはり面白い。
続編もあるそうだ。
楽しみだ。
なんとも奇妙な埋葬法と思える。
だがあちらにしてみれば火葬なんぞ、相当に残酷な埋葬法だと思うだろう。何しろ最後の審判の時、戻るべき身体を焼いてしまうのだ 。
話はここから始まる。
養老孟司の『身体巡礼─ドイツ・オーストリア・チェコ編』だ。
養老孟司さんには、解剖学を教わったことがある。当時は全く有名ではなかった。
本を数冊書いていたが、それ程売れているとは思えなかった。
その頃の本は毎回こうして始まっていた。
こうしてと言うのは、死体なり虫なり具体的なモノの話がまずあり、そこから独自の視点が展開されるという書き方の事だ。
売れるようになっていきなりの人生論になった。
こうした内容なのならば、他にも書ける人は沢山いるだろう。
養老孟司という個性が死んでしまうようで、私としては悲しいと言うか、残念だった。
今回はいきなり死体の埋葬法の話だ。
こうでなくちゃいけない。
しかも養老孟司の興味はその埋葬法に留まらず、誰がやったのかという方向にすぐ向かう。
普通、奇妙に思える儀式はその奇妙さを描いて少し遊ぶ。その遊びがない。ますますこうでなくちゃいけないの思いが増す。
ここからヨーロッパの心臓信仰の話が深まってゆくのだ。
明治時代以降。日本は欧米を目標に頑張ってきた。なのでヨーロッパのことは何となく詳しく知っているように感じている。
けれどこのような埋葬法や心臓信仰の話を知るとなかなか知らないヨーロッパがまた見えてくる。
さらにユダヤ人への関心に話が飛ぶ。
ユダヤ人とは誰のことか。
実はそれ程簡単な話ではない。単純な見方は出来ない。
出来ないが差別はある。どうしたらそれが可能なのか。その辺りのことが日本人には実は見えていない。
ヨーロッパではそれが目に見える形で現れている。
例えば墓の位置など、明瞭にユダヤ人は差別されている。
しかもユダヤ人は墓を壊さないから窪地に膨大な数の墓が累重してしまう。
異様な光景だ。
その異様さは外国人の方が感じることが出来るのかも知れない。
かくしてヨーロッパの埋葬法から様々な世界が見えてくる。
久し振りに解剖学者養老孟司の本を読んだ気がする。やはり面白い。
続編もあるそうだ。
楽しみだ。
20151009
「小さな町」のハイデッガー兄弟
良書を読んだ。
ハンス・ディーター・ツィンマーマン『マルティンとフリッツ・ハイデッガー─哲学とカーニヴァル』だ。
この本に描かれているのはドイツ南西部の「小さな町」メスキルヒだ。
ここはこの本の舞台であり、主人公とも言える。つまりこの本はハイデガー兄弟を通して描かれたメスキルヒという町の社会史・文化史の本として読まれるべきものとすら言えるのではないかと感じた。
この小さな町で哲学者マルティン・ハイデッガーと銀行員フリッツ・ハイデッガーは生まれた。一方は世界的に知られた20世紀の大哲学者であり、一方は「小さな町」の名士としてのみ生きる事を運命付けられた一市民である。
しかし、著者の視点は何よりもその「一市民」フリッツ・ハイデッガーに暖かく注がれている。
彼は兄マルティン・ハイデッガーと比べても遜色のない才覚と能力を持っていた。そのように著者は考えている。
フリッツは重い吃音という障碍を抱えていた。その障壁が彼をしてフライブルグの大学への進路を諦めさせる原因だった。
フリッツがマルティンの有能な秘書として在ったという事実からも推察出来るが、何よりも彼の才能が花開くのはカーニヴァルの前口上を語る時だった。
そのユーモアと諧謔に富んだ前口上は1934年に始まり最後は1949年だった
更に重要な局面で弟は兄よりも賢明な選択を果たしてもいる。
1933年ナチスが権力を握ると、兄マルティン・ハイデッガーは5月1日に早くも入党を果たした。他方フリッツは、友人であるメスキルヒの牧師から迫られながらも入党を拒否していた。1942年になってやむなく彼も入党するのだがその理由も「息子たちの将来を懸念して」というものだった。
しかも彼は半年後にはふたたび離党させられている羽目になる。彼がヒトラー式敬礼をする際に、右の手と腕を高々と真っ直ぐにのばしていなかったこと、右腕をせいぜいズボンのポケットの高さまでしか挙げず、ただ人差指しかのばさなかったことによるらしい。彼はあくまでも本気ではなかったのだ。
兄マルティン・ハイデッガーは故郷を捨て世界に羽ばたいたが、弟フリッツ・ハイデッガーは生涯故郷に縛られた。そのような単純な見方を著者はしていない。
むしろこの兄弟は終始故郷であるメスキルヒという「小さな町」を離れることがなかったと考えている。
その事はマルティン・ハイデッガーが晩年、捨て去っていたかのようだった神学にふたたび帰ってきたことにも示されている。
この本は27の短い章を積み重ねるように構成されている。この書き方は読むに当たって大変効果を上げていると思えた。何よりもその事によってかなり読みやすい本になっている。
マルティン・ハイデッガーの哲学を解説している箇所で、その読みやすさをとりわけ強く感じた。
この本のひとつの章はハンナ・アーレントに割かれている。そればかりか、その他にも何カ所も彼女は登場してきた。その度に心躍らされる思いをしていた。
ハンス・ディーター・ツィンマーマン『マルティンとフリッツ・ハイデッガー─哲学とカーニヴァル』だ。
この本に描かれているのはドイツ南西部の「小さな町」メスキルヒだ。
ここはこの本の舞台であり、主人公とも言える。つまりこの本はハイデガー兄弟を通して描かれたメスキルヒという町の社会史・文化史の本として読まれるべきものとすら言えるのではないかと感じた。
この小さな町で哲学者マルティン・ハイデッガーと銀行員フリッツ・ハイデッガーは生まれた。一方は世界的に知られた20世紀の大哲学者であり、一方は「小さな町」の名士としてのみ生きる事を運命付けられた一市民である。
しかし、著者の視点は何よりもその「一市民」フリッツ・ハイデッガーに暖かく注がれている。
彼は兄マルティン・ハイデッガーと比べても遜色のない才覚と能力を持っていた。そのように著者は考えている。
フリッツは重い吃音という障碍を抱えていた。その障壁が彼をしてフライブルグの大学への進路を諦めさせる原因だった。
フリッツがマルティンの有能な秘書として在ったという事実からも推察出来るが、何よりも彼の才能が花開くのはカーニヴァルの前口上を語る時だった。
そのユーモアと諧謔に富んだ前口上は1934年に始まり最後は1949年だった
彼が語りはじめると、その口上とともに、メスキルヒのカーニヴァルは最高潮に達した。フリッツ・ハイデッガーはメスキルヒでは常に兄よりも有名だったのだ。
更に重要な局面で弟は兄よりも賢明な選択を果たしてもいる。
1933年ナチスが権力を握ると、兄マルティン・ハイデッガーは5月1日に早くも入党を果たした。他方フリッツは、友人であるメスキルヒの牧師から迫られながらも入党を拒否していた。1942年になってやむなく彼も入党するのだがその理由も「息子たちの将来を懸念して」というものだった。
しかも彼は半年後にはふたたび離党させられている羽目になる。彼がヒトラー式敬礼をする際に、右の手と腕を高々と真っ直ぐにのばしていなかったこと、右腕をせいぜいズボンのポケットの高さまでしか挙げず、ただ人差指しかのばさなかったことによるらしい。彼はあくまでも本気ではなかったのだ。
兄マルティン・ハイデッガーは故郷を捨て世界に羽ばたいたが、弟フリッツ・ハイデッガーは生涯故郷に縛られた。そのような単純な見方を著者はしていない。
むしろこの兄弟は終始故郷であるメスキルヒという「小さな町」を離れることがなかったと考えている。
その事はマルティン・ハイデッガーが晩年、捨て去っていたかのようだった神学にふたたび帰ってきたことにも示されている。
この本は27の短い章を積み重ねるように構成されている。この書き方は読むに当たって大変効果を上げていると思えた。何よりもその事によってかなり読みやすい本になっている。
マルティン・ハイデッガーの哲学を解説している箇所で、その読みやすさをとりわけ強く感じた。
この本のひとつの章はハンナ・アーレントに割かれている。そればかりか、その他にも何カ所も彼女は登場してきた。その度に心躍らされる思いをしていた。